2013年3月

   平成25年(2013)2月23日(土)に、第14回 お江戸散策を実施しました。寒気きびしい折りながら絶好の晴天に恵まれ、東京駅を起点にして、京橋・銀座・日比谷の史跡めぐりを行いました。昨年、秋に建て替えられた東京駅には、日本建築の技巧や文化の数々が活かされていることを知り、改めて東京駅に対する愛着が深まりました。
鍛冶橋付近では、坂本龍馬が江戸に出て剣術修行をした道場跡を訪れて、しばし龍馬論を語りながら、京橋に辿り着きました。京橋には歌舞伎猿若座発祥の碑文が建てられており、昨年暮れに他界した名優18代目中村勘三郎の在りし日を偲び、しばしの語らいとなりました。銀座通りでは、翌日の東京マラソンを控え、大会関係者が、その準備をしている光景が見られました。昼からは、歩行者天国になり、世界の名店が並ぶこの通りを歩くと何かパッピーな感じになり、気分も爽快になりました。宝くじ売り場で有名な西銀座チャンスセンターの一角には、かって一世を風靡した名曲”銀座の恋の物語”の碑石が建っている。例のごとく、ハーモニカの伴奏で、この名曲を皆で歌う。古希が真近という面々であるが、気分はみな青年である。 昼食を銀座三越屋上にあるレストランで取り、そこに鎮座する出世地蔵尊にゴリヤクを祈願して次の散策地、建て替え工事完了直前の歌舞伎座を訪れる。 開業を待ち侘びているファンがきょうも多く集まってきていた。やはり、浅草と並ぶ東京の名所である。 ここ木挽町には江戸期幕府の奥絵師として画業の頂点を成していた狩野画塾や大河ドラマ”八重の桜”に登場した佐久間象山の塾があった所で、往時を偲ぶとその情景も浮かんでくるようだ。ここから昭和通りを横切って南に下ったところに三十三間堀跡の表札があり、その裏は高速道路になっている。この高速道路は、東京オリンピック前までは江戸時代にできた掘割があったところだ。”♪銀座九丁目は水の上 今宵は舟で過ごしましょう♪”と歌謡曲で歌われたが、銀座には9丁目はない。9丁目は舟が浮かぶ掘割だったのでしょう。銀座を取り巻く高速道路は、ほとんどが堀を埋め立ててできたものだ。銀座には、福沢諭吉ゆかりの交詢社、島崎藤村の卒業した小学校、啄木が勤務していた新聞社跡そして専修大学、明治大学はここで発祥している。日比谷側に入り、帝国ホテル南側のNBF ビル外塀に鹿鳴館跡のプレートが掘り込まれている。鹿鳴館は時の外務大臣井上馨の欧化政策の一環で造られた外国要人との社交場である。明治の歴史には必ず登場する所であるが、井上が失脚すると閉鎖され、その存在が消えてしまった。
日比谷公園には、有名なレストラン松本楼があり、中国建国の父 孫文とのゆかりや平成20年福田首相のとき中国胡錦濤主席を招いた時の写真などが飾られている。 また、日比谷公園の設計者本多静六が道路拡張で伐採されそうになった大イチョウを”首に掛けても移植してみせる”と豪語した首掛け大イチョウは印象的でした。
日比谷公園の大部分は江戸期、鍋島藩と長州藩の上屋敷があった所で、西側の道路隔てた所は、名奉行と言われた大岡越前守の屋敷もありました。つまりこの一帯は大名家の屋敷が並んでいたわけです。この日比谷公園をあとにして、江戸の三森神社の一つと言われた烏森神社で参拝し、新橋駅機関車広場を見下ろせる恰好の居酒屋で反省会を行い、今日の一日を振り返りました。 (文・石井義文)

  この散策で訪れたところは以下の通りです。
東京駅
 平成24年秋に建て替えられ、100年前に建設された姿に復元しました。

千葉道場跡
 坂本龍馬が始めて江戸に出てきて、剣術修行をして、道場の娘佐奈と恋仲になったと伝わる。

江戸歌舞伎発祥の地
 中村勘三郎の先祖が歌舞伎興業を開いた場所で、急逝した18代目を偲ぶ。

大根河岸青物市場跡
 ここはかって京橋川だったので河岸と名付けられたのが理解できる。

京橋親柱
 明治初期に建てられた親柱と大正期に建てられた親柱の対比が興味深い。

煉瓦銀座碑
 明治5年の大火で銀座は全焼した。その後、由利公正の提唱で銀座は煉瓦街に生まれ変わった。

銀座発祥の地碑
 銀座の名の謂われは、江戸期この地に銀貨の鋳造、取り締まりを行ったことに起因している。

関東大震災記念碑
 大正12年9月1日に関東一円を襲った関東大震災は死者10万人余の犠牲者を出した。

銀座出世地蔵尊
 銀座三越屋上に安置されている開運、出世、延命、商売繁昌の信仰を集めている地蔵様。

狩野画塾
 江戸期、幕府の奥絵師として画業の隆盛を誇っていた木挽町狩野家の塾跡。

象山塾跡
 幕末期松代藩の海防、砲術指導の大家であった佐久間象山の塾跡。松陰の密航事件に連座し閉鎖。

芝口御門跡
 六代将軍家宣の治世下、新井白石の提唱で、わが国の威光を顕示するために建設された。

銀座の柳碑
 昭和29年、銀座の街路樹として、約400本の柳が植えられた。これを契機に中央区の木となった。

金春屋敷跡
 江戸期幕府直属の抱え能役者金春家の屋敷があったことで、この一帯を今春と呼ぶようになった。

石川啄木碑
 啄木が勤務していた滝山町の新聞社跡。”京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな”

数寄屋橋
 江戸城外郭見附として架けられた橋。戦後、菊田一夫の名作”君の名は”で橋の名は全国に広まる。

泰明小学校
 島崎藤村、北村透谷が卒業した学校として知られ、現在でも、中央区立小学校として存在。

明治大学発祥地
 権利自由、独立自治の精神を提唱して出来た「明治法律学校」は、この地で誕生しました。

鹿鳴館跡
 明治中期、鹿鳴館外交と呼ばれた、外国人要人との交流の場は、元薩摩藩上屋敷の地にあった

日比谷公園
 この公園は、造園家、公園設計者である本多静六の傑作の一つ。松本楼の首掛けイチョウも有名。

大岡越前守屋敷跡
 江戸中期の名奉行大岡越前守忠相が住まいしていた屋敷跡。この一角には東京地裁が。

烏森神社:堀留町の椙森神社、秋葉原の柳森神社とともに江戸三森神社の一つとして有名。
                                                                                   (報告 石井義文)
 
 【散策の後は・・・お疲れさまでした!】 

第4回 スキー愛好会

2013年03月21日(木) | コメント(0)
五期スキーの会 
 今年は、初参加二人を迎え、にぎやかに、スキーの会を開催した。2月21日から一泊二日で越後湯沢に行く。関西組二人が、早目の新幹線に乗ってくれたので、東京駅で六人全員が揃う。高校時代に何年の時一緒のクラスだった話から始まり、誰はどうしているか、担任は誰だったかとか、果てはJRCの話とかしている内に、到着。旅館いなもとで準備をし、湯沢パークスキー場へ。四十数年ぶりで滑る西野(井出)さんは、リフトの親父の横柄な態度もあり、気分が乗らなかったが、それでも、雪の中、初級コースを頑張る。こちらも何十年ぶりかの大日方さんは、事前特訓の成果もあり、初級コースをひたすら滑る。朝井さんのアドバイスを受け、一回毎に良くなっていく。雪が降っている事もあり、そこそこで引き上げる。早速、雪山の見える、露天風呂に入り、足腰の疲れをとる。夕食は、六人用に仕切られた場所で、板長さん自慢の料理と、日本酒で、大いに盛り上がる。
 二日目は、富さんが差し入れを持って応援に来てくれるとの事で、解り易い湯沢パークにする。行いの良さを現す快晴の中、快調に滑り始める。富さんが現れ、一緒に昼食を食べながら、また、昔話でワイワイガヤガヤ。なんとJRCが三人も居るので驚いた。 楽しく滑り終わって、温泉に入った後、更に打ち上げ飲み会。またもや、日本酒と蕎麦で盛り上がって、そして列車へ。充実した楽しい二日間であった。 なお、これに先立ち、日帰りで、四人グループで、湯沢パークに足慣らしに行った。相当久しぶりの岡本さんも、慎重にしかし、しっかりと滑っていた。その写真も掲載する。(佐々木記)
  旅館いなもとにて