2014年6月

― はじめに ―

まだ5月というのに全国的に暑さが拡がり、熱中症で倒れる人が相次ぐ異常気象の中、幹事会・同窓会総会が母校で開催されました。
この4月から新校舎での授業が開始され、秋口には通称「奥多摩」校舎から解体作業がはじまるこの機に、実に18年ぶりの母校での開催となりました。

幹事会(決算・予算審議、新役員選出)
総会に先立ち、幹事会では、25年度の事業・決算報告、26年度事業計画・予算が審議され、原案どおり承認されました。
また役員選出では、会長・副会長が再任され、新たに24期および32期から新役員が、30期から会計監査が誕生し、一段と年齢層が若返る役員の構成となりました。

 
幹事会


新校舎の見学会
 幹事会終了後、11時からは「新校舎の見学会」が開催されました。
70名を超える参加者があり、田中副校長に説明いただきました。
家族づれの見学者も数多くみられる中、東棟の1階から3階まで見学させていただき、田中先生の名調子に乗ってなごやかな見学会となりました。
 その後、総会開催にあわせて、特別にオープンしていただいた食堂に来校者が列をなし、懐かしの食堂での食事で、学生時代にタイムスリップしたかのようで、青春談義に華が咲きました。なお、百六十食用意されていたランチは、早々に完売となりました。(笑)

校舎見学会

学生食堂での昼食風景


吹奏楽部・合唱部の演奏会
 12時30分からは、80人の定員が満員となり20人分の補助椅子を用意した視聴覚室で、全国で活躍する吹奏楽部と合唱部による数曲の演奏が披露され、おわりに合唱部員のリードで全員による校歌斉唱となりました。


 
現役生による総会前の合唱・演奏


― 総会 ―
 「総会」は定刻どおり13時から同窓会会長のあいさつで開始し、来賓として多摩高等学校長・三辻 訓様、同PTA会長・福田正治様、朝日新聞川崎支局・村山惠二様に臨席いただき、三辻様、村山様から祝辞を頂戴いたしました。
その後、議事に入りましたが、3年に1度の総会開催であることから、3か年分を集約した事業内容と決算・予算を報告し、あわせて26年度の事業計画・予算の説明をするとともに会則改定および役員改選が報告されました。
 質疑では「食堂の設立経緯について」等の質問があり、45分間の総会は無事終了しました。



総会受付

 


― 懇親会 ―

 総会終了後、懇親会を溝の口駅近くの「桂林」にて催し、1期から55期まで年代を超えた参加者が―なかには名古屋から参加したOBもいて―歓談に華を咲かせました。母校を卒業間もない50期台の数名のあいさつがあり、合唱部OG二人(9期・25期)が即席とは思えない美しいハーモニーを披露、一本締めの音頭を女性(23期)がとるなど従来とは一味違う華やかな宴となり、予定時間を過ぎ夕刻お開きとなりました。

― おわりに ―

 「生徒によるアトラクション」および「総会」の会場は「旧校舎2棟と3棟の間の中庭」を予定しておりましたが、総会当日、気温30度を超える炎天下となり、参加者の健康管理のため、急遽、「視聴覚室」へ変更しました。
 あわせて総会の模様を放映するモニターを別の「会議室」に設置し、定員を超える20名前後の出席者はそちらで視聴されました。
「受付け」で配布された「当日の部活予定表」を参考にして、在校生の部活動の様子を体育館・武道館・テニスコートそして校庭でなつかしげに眺めるOBの姿も数多くみうけられました。

総会後、参加者の中から次のようなご意見が寄せられました。

「同窓会の幹事会から校舎見学会、アトラクション、総会、懇親会まではじめてフルで出席させていただきました。」


「校舎見学では懐かしい教室を見ることができ、アトラクションでは在校生の素晴らしい演奏に感動しました。」


「懇親会ではたくさんの方とお話しすることができ、とても有意義な一日でした。」

このように総会を盛況かつ無事に運営出来ました。
                             (会長 安部 記)


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 第21回お江戸散策は、五反田・目黒界隈を選択した。五反田は目黒川の谷がほぼ東西に流れ、その谷周辺の水田が一区画が5反(約5000m2)あったために名づけられたという。最初に訪れたのは、旧島津侯爵の邸宅で、現在、清泉女子大学があるところ。しかし、この建物は、都重要文化財に指定されたことから、一般の立ち入りができなくなり、残念ながら門前で内部を想像する散策となってしまった。この界隈は、都内屈指の高級住宅地で周辺には豪奢な邸宅が並んでいる。その一角に日蓮宗本立寺がある。寺とは思えない近代建築で、墓域には柳家金語楼の墓がある。桜田通りに出た高台の一角に袖ケ崎神社がある。江戸期は東京湾が望める眺望が良いところだったという。
 高輪台の交番を西に向かって200mほどのところに明治初期、枢密院で活躍した寺島宗則の屋敷で、戦後荏原製作所の創始者畠山一清の邸宅だった畠山記念館がある。邸内は老木が生い茂っていて、静寂な空間である。同所から、5~6分歩くと、池田山公園にたどり着く。江戸期、備前池田藩の下屋敷だった処で、回遊式庭園の名残を留めており、散歩には絶好の公園である。ここから北の一角は、俗に言う寺町で寺院が軒を並べて建っている。その一角に、当所、福澤諭吉の墓所があった定光寺がある。立派な礎石が建っているが、現在、福澤の墓は、麻布善福寺に転墓している。ここから目黒通りにでて、昼食を取る国立科学博物館附属自然教育園に向かった。65歳以上は、入園料が無料だという。得をした感じだ。
国立自然教育園のなかにある四阿で昼食を取ってから、園内を散策した。自然教育園は、まさに大都会のオアシスとも言うべきところで、無数の樹木、草花が生育して、ツツジ、サツキなどが開花していて、青葉も日に映える美しい景観である。鳥類も多く、普段見かけられないオオルリ、キビタキ、コゲラなどの愛くるしい小鳥も見られる。小鳥のさえずりを聞きながら、園内を歩くと、自然と♪爽やかなみどりよ♪と歌を口ずさむようになる。見たこともないような大木を見つけると、♪この木何の木 気になる木♪の歌になる。電車で数時間かけて移動しなくても、大自然を満喫できるちょっとした桃源郷であった。
 目黒駅の東口前ビルディングに久米美術館の名前が見える。ここは明治四年、岩倉具視を団長とする遣外使節団に参加した歴史学者久米邦武の邸宅だったところで、明治初期の重要文化財などが展示されている。目黒駅周辺は坂道が多く、権之助坂行人坂など、一般に名の知られた坂道の謂れは興味深い。行人坂を下がったところに、江戸期、大火の火元だったという大円寺がある。境内には五百羅漢石像や顔立ちが可愛い六地蔵そして八百屋お七と恋仲だったという吉三ゆかりの阿弥陀如来像など見所がたくさん有り、訪れる歴女の姿も多く見かける。大円寺を出て、行人坂に下ると、目黒川の畔に、日本国内最初の総合結婚式場として昭和の竜宮城」とも呼ばれた目黒雅叙園がある。今日でも、都内一流の結婚式場、宴会、会議場として、繁栄している。川の上流に沿って歩くと目黒通りに出る。通りを左折して目黒通りを南下すると山手通りと交差する。ここに目黒の総鎮守 大鳥神社がある。大鳥神社で、一休みしてから、山手通り沿いに五反田方面に300m程歩くと五百羅漢寺の案内板を見る。その方面に進むと右手に海福寺がある。この寺院には、江戸中期に永代橋落橋で溺死した440名への慰霊塔がある。五百羅漢寺は、江戸随一の名勝とまで謳われたとおり、寺内に鎮座する木造の羅漢像305体は圧巻で、北斎や広重の錦絵に描かれた輝きを今日も伝えている。目黒不動尊は、ここから程近い。江戸五色不動の筆頭にふさわしく、今日でも参詣者が多い。境内には、青木昆陽の碑、独鈷の滝、みずかけ不動、本堂の裏手には、露座の銅製大日如来座像が安置されて見所が多い。また、境内端部には、童謡作曲家 本居長世の碑などがある。次に向かったのは、今回の最終散策地 林試公園。住宅地の真ん中に斯様な広大で、開放的な大空間を付近の住民が大切にしていることが感じられた。時、まさに五月の盛り、公園内の樹木の緑は、自然教育園に負けず照り映えている。公園の美しさを十分鑑賞して、本日の散策を締め括った。このあとは恒例の反省会を兼ねた懇親会を最寄り駅武蔵小山商店街の居酒屋で開催し、懇親を深めました。(石井義文)
ワンダーフォーゲル部OB・OG会」実施報告

 
これまで9期~11期のワンゲルOB・OGにより年一回の山行が行われてきましたが、平成26年5月24日(土)武蔵小杉のお好み焼き「伊鈴」にて世代を越えたワンゲルOB会が初めて開催されました。参加者内訳は9期3名、10期2名、11期1名、19期1名、22期5名、合計12名(男9、女3)でした。
 初対面のメンバーも多いので卒業後の山との関わりなど自己紹介から始めました。その後、お酒を飲みながらの山談義に発展し「日本10名山を選ぶとすれば?」の問いかけに各自が推薦し侃侃諤諤(かん かんがくがく)の議論になりました。一次会はあっという間に過ぎ、話し足りないので全員で二次会の居酒屋「雪国」へ移動しました。今後の活動についても意見交換し、次回は平成27年4月頃に奥多摩方面への日帰り山行を企画することになりました。
 より多くの世代に参加していただきたいと考えていますので、ワンゲルOB・OGの皆様は同窓会事務局まで是非ご連絡ください。(22期 三上哲史)