第5期生

第18回 神楽坂・市ヶ谷界隈

2013年11月19日(火)
  第18回お江戸散策は市ヶ谷、神楽坂界隈を選んだ。神楽坂界隈は、江戸時代後期の安政年間に牛込花街が開け、明治以降は山の手随一の花柳界として発展した。関東大震災後は、日本橋・銀座方面より商人が流入し、夜店が盛んになり、山の手銀座といわれ、一段とにぎわいを増した。コースには小説家尾崎紅葉泉鏡花、日本最初の歌う女優で知られた松井須磨子、文豪 夏目漱石の足跡もあり、先を楽しみにしながら出発した。最初の散策地は、市ヶ谷駅を出たところ石垣の遺構が残っている市ヶ谷見附跡、明治になってから取り壊されて面影はないが、残された石垣から、現存する大手門や桜田門と同様の門があったことが偲ばれる。ここから外堀の桜並木道を歩き、新見附橋を渡って、市ヶ谷佐土原町に入る。佐土の名は、江戸初期、家康の重臣本多佐渡守正信が住んでいたことに因んでいて、ここの一角に、浄瑠璃坂と云う所があり、江戸の初期に仇討ち事件があったという。次の散策地は、最高裁判所長官邸の近くにある箏曲家宮城道雄旧宅、現在記念館となっていて、友人だった佐藤春夫撰文による略伝碑が建っている。この付近は、江戸時代中期中御徒町と云い、多くの下級幕臣が住んでいて、幕臣で、狂歌師であった大田南畝、別号蜀山人も住んでいたという。ここから神楽坂方面に歩くと、右手に光照寺という浄土宗の寺院がある。この地は家康が江戸に入府する前は、大胡家という豪族が居城としていた牛込城があった所で、寺の南側は谷になっており要害の地であったことが窺える。境内には出羽酒井家歴代藩主の墓や旅先で亡くなった人の菩提を弔う諸国旅人の碑など見所がある。寺院を出た東の坂道を下ると神楽坂の繁華街の通りにでる。ここの繁栄の中核を担ったのが毘沙門天信仰で名高い善国寺で、幸いにも今日は寅の市が開かれていて賑わっている。本堂前には、狛犬ならぬ
毘沙門天に因み虎の像が二対居て迎えてくれる。境内には沢山の参詣者が居て、むかしの賑わいが浮かんでくる。神楽坂は多くの著名人たちが浮名を流した所でもあり、戦後政治の重鎮三木武吉や元首相 田中角栄ゆかりの料亭松ケ枝の跡や泉鏡花ゆかりの料亭うを徳、柳家金語楼、勝新太郎が住んでいた寺内地区、そして奥座敷の風情を残している兵庫横丁、芸者新道、かくれんぼ横丁など、夜の盛り場の趣があるところを逍遥したところでランチタイムとなった。今回の散策は8名の参加者だったので、都合よく、全員が入れる良いそば処があり、ゆっくりと腹ごしらえをすることにした。昼食後は、盛り場から離れたところにある築土八幡宮を参詣した。参道の階段途中にある石造鳥居は新宿区最古のものであるという。また、「金太郎」「一寸法師」を作曲した田宮虎造が境内傍に住み、当社と縁があったことから、彼の遺碑が残されている。次に向かったのが、赤城神社。上野国赤城山神社の霊をこの地に勧請して以来、牛込郷の総鎮守社として幕府に 庇護されてきたといい、大鳥居や社殿から格式と財力があるようにみえた。島村抱月が興した芸術倶楽部座は程近いところにあったが、いまはマンションになっていて、説明板だけだった。その先にある尾崎紅葉が居住していた家は、当時の家主、鳥居氏が現住している。弟子の泉鏡花も、この家の一角の部屋に寝泊りしていたという。この辺りは横寺町といい、ここから西に向かって南榎町へ進む。道の左に石柱が見えてきた。林氏墓所と書かれている。江戸幕府の儒講所を司った林羅山以後の当主たちが眠っている。墓所は施錠が掛けられていて入れないが、隙間から約50基あるという墓碑を見ることができた。ここから外苑東通りに出て、北に向かって200m程行った右手に浄輪寺の参道が見える。この寺院本殿の右奥に、日本が誇る江戸時代の数学者 関孝和の墓所があり、東京都指定史跡と書かれた解説板があり、「算聖」と称えられたことを記している。この寺院に隣接した真言宗多聞院には、島村抱月を愛して、彼が死んだ2ケ月後に後追い自殺した松井須磨子の墓がある。墓前で、彼女の大ヒット曲「カチューシャの歌」を皆で合唱して供養した。次の古刹宗参寺には、江戸期の儒学者山鹿素行の墓や乃木将軍手植えの梅木があり、これを拝観した。次に訪れたのは、夏目漱石が「三四郎」 「それから」、「門」などの傑作を執筆し、死去するまで住んだ漱石山房の跡地。この漱石山房は平成29年に復元されると云う。このあとは、足利氏ゆかりの月桂寺を経て、現在、防衛省がある旧尾張藩上屋敷跡を塀沿いに半周あまり歩いたが、長く続く塀に、大名屋敷の広大さを改めて認識する。ここで時計を見ると4時近くになって気温も下がってきた。足早に最後の散策地、市ヶ谷亀岡八幡宮に向かう。幕府の庇護を受け、隆盛したという同社は急な石段や鳥居からも往時を偲ぶことが出来る。偶然にも社殿で結婚式をしている場面に遭遇し、終わりめでたしで、本日の散策を閉じることができた。この後は、全員残留して懇親会に臨み、駅前の居酒屋で、本日を振返った。  (報告:石井義文)

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