第5期生

第6回 鎌倉ウォーキング 和田塚、和賀江島~披露山公園

2016年03月21日(月)
3月13日(日)第6回目の鎌倉ウォーキングを行った。コースは和田塚、和賀江島、披露山公園を経て逗子駅に至るコースで、鎌倉の歴史上由緒ある宮、大きな事件があった所、名庭園のある寺院、海の中に建てられた文学碑そして、富士を望める絶景など多くの見どころのあるコースです。鎌倉駅西口に9:30集合して、駅前広場にあるラングドン・ウォーナー博士の銅像に挨拶。アメリカ人で、日本の文化に親しみを持ち、鎌倉に住む。太平洋戦争時、鎌倉への攻撃を止めるようにルーズヴェルト大統領に進言したと云われている。真偽は不明であるが、結果として鎌倉は戦災に遭わず、街も文化財も守られたことから顕彰されている。次に今小路通りに入って、重厚な門を構える御成小学校の向かいにある問注所跡を散策する。ここは、鎌倉時代の裁判所が設けられところで、裁判の結果、無罪放免になった者が渡ったと云う裁許橋が近くに流れる佐助川に架かっている。反して、罰せられた者は、小路を海辺に向かって観音通りに面した所にあった処刑場で刑を受けたと云う。現在、そこには六体の地蔵が置かれていて六地蔵と呼ばれている。観音通りを横切って、江ノ電和田塚駅を海岸に向かって少し行った所に和田塚がある。ここは建暦3年に起こった和田合戦の戦場だった所で、和田一族の慰霊碑が建っている。この塚を掘り返したとき、多くの人骨が発見され、頭蓋骨には刀傷を受けものが多くあったと云う。また、観音通りに戻って、若宮大路と交差した所に出る。ここは下馬と呼ばれ、馬の乗り入れが許されず、馬を下りて八幡宮を礼拝した所である。また、幕末、攘夷浪士が2人のイギリス士官に斬り掛り斬殺した「鎌倉事件」があった所でもある。若宮大路を、由比ヶ浜方面に向かうと散策スポットの徳川将軍から寄進された第一石造大鳥居とその傍らに大きな宝篋印塔の
畠山重保の墓がある。しばし見学したのち、若宮大路に面した所にある名門 鎌倉女学館の脇を抜けて、材木座方面に向かった。病院前のバス停を左折して、100m程の所の左側の路地を入ると正面に、元鶴岡八幡宮がある。この神社は、「元八幡」と呼ばれ、頼朝の曽祖父頼義が石清水八幡宮から勧請して建立した神社である。また、この界隈は明治から大正にかけて何人かの小説家が住み、芥川龍之介、「丹下左膳」を書いた林不忘そして、日蓮宗妙長寺には泉鏡花が仮寓している。妙長寺から、道沿いに100m程行った所に九品寺がある。九品寺の場所は、義貞が鎌倉攻めをしたとき新田義貞が本陣を構えた所で、北条を倒したあと開山した。本堂の扁額は、義貞の筆跡と云う。材木座には、浄土宗関東大本山の名刹 光明寺がある。天皇家や徳川家に庇護され、巨大な三門や小堀遠州作と云われる記主庭園そして三尊五祖の石庭は見ごたえがある。

 
 光明寺から左に折れて、海岸に出ると満潮時には見えないが、干潮時には岸辺に無数の巨石が転がっている。ここが日本最初の築港と云われる和賀江島である。800年の歳月を経て港の形跡は偲べないが、
宋時代の中国陶器の破片などが今日も海岸で見つかると云う。これより逗子マリーナ方面に向かう。途中、鎌倉十井の一つ六角の井や三浦氏が築いた住吉城跡などを視察して、小坪漁港に出る。小坪漁港の歴史は古く、鎌倉時代より存在している本市唯一の地場産業である。正月には、1年の豊漁と海上での安全を願う「みかん投げ」行事が行われる。その祝いみかんを食べると厄除けになると言われ、多くの人が集まって来る賑やかな祭りである。小坪の魚料理店「魚佐次」で昼食を取ることにした。熱つアツのアジやカマスのフライは実に美味しかった。
 腹ごしらえをして、次の散策に向かう。漁民家集まる家々の細い路地を抜けて、丘を登って行く先に長い階段の参道があり、登った所に天照大神がある。地元の漁師たちに敬われているらしく社は清潔に保存されている。旅の安全を祈って参拝し、神社を出ると、やたらと豪壮な家々の並ぶ住宅地にでる。ここが披露山高級住宅地である。かっては、元ソニー会長 大賀典雄氏もここに居住していた。  住宅地の右寄り道路を
進むと大崎公園に行く表示板がある。大崎公園は海に突き出した岬の台地に作られ、見晴らし台からの展望は実に素晴らしい。遠く富士山、箱根、丹沢連峰、伊豆半島、大島、そして逗子海岸から葉山、秋谷など三浦半島もくっきり眺望できる。しばし、この公園でしばし休憩を取ることにした。休憩後、対岸に見える披露山公園に向かった。この公園も眺望はよく、昭和初期には政治家、文人たちが住み着き、憲政の神様と呼ばれた尾崎行雄もここに住まいを構えた。戦時中は、軍用地になり本土防衛の堡塁が造られ、その痕跡が現在も残され、展望台や猿舎などに転用されている。公園から海岸まで崖のような急斜面の細い道を下って行くと海岸線を走る国道134号線の手前に、浪切不動尊を安置した高養寺がある。この寺は徳富蘆花の小説「不如帰」の舞台となり、その主人公「片岡浪子」に因んで、「浪子不動尊」と呼ばれるようになった。後年、蘆花の実兄蘇峰が不如帰と揮毫した石柱が海中に建立されている。海岸を内陸に少し入った所に、名門 開成高校の兄弟校、「逗子開成高校」がある。明治43年のボート遭難で、17名の学生が亡くなり全国的に知れ渡った学校で、校門前に「真白き富士の嶺・・」の鎮魂碑が建っている。もうすぐ逗子駅である。駅近くにある古社 亀ヶ岡八幡宮を参詣して本日の散策をお開きとした。
 本日は、鎌倉の歴史に触れる散策で、古戦場跡や寺院石庭鑑賞もできました。そして、アップダウンの登降を繰り返し、ひざ関節に堪える歩行であったが、素晴らしい眺望に癒されたり、ビバリーヒルズを彷彿させるような邸宅を鑑賞できたり、思い出残るウォーキングでした。 (石井義文)

 
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