広報同窓生

大河ドラマ「真田丸」で 「こう」を演じた長野里美さん(22期)にインタビューしました。

2016年12月27日(火)

Q1  演じた幸村の兄・信幸(大泉洋)の妻「こう」は病弱で、数話で出演が終わるともきいてましたが。
A1  当初の出演依頼は数か月の予定でしたが、終わってみれば3話から49話まで(すべてにではないですが)出演しました。

Q2  三谷幸喜さんの作品ははじめてですか?
A2  これまで三谷さんの演出の舞台作品に2回出演しました。

Q3  ストーリーはどのくらい先まで俳優に知らされているのでしょうか?
A3  台本は出来上がるたびごとに、大体3話先程度までが渡されました。どのように話がすすんでいくのかは、誰にもわかりませんでした。出番がいつになるか、気を張り続けた1年でした。

Q4  撮影はどのようにおこなわれるのでしょうか?
A4  基本的に渋谷のNHKのスタジオ内で、同じセットを使って数話まとめて撮影を行いました。朝から晩までが基本パターンでしたが、ときには深夜ということもありました。
リハーサルの服装は俳優によってまちまちです。Gパンだったり、浴衣であったり自由でした。本番用の衣装・メイクなどの支度には一時間程度かかります。
リハーサルは月曜日でしたが、終盤になるにしたがって、三谷幸喜さんの台本の出来上がりが遅くなり、リハーサルなしで撮影することもありました。

Q5  「こう」を演じた感想をきかせてください。
A5  実在の人物で幸村の父、昌幸の兄の信綱の娘です。ただ、人物像はまったく明らかではなく、最後がどうなったのかもわかりませんでしたから(一応40代後半で亡くなったことは分かっています)、病弱でせき込む演技など、役作りでは三谷さんに指示された志村けんさんのコントなどを研究し、工夫しました。放送後、SNSなどの反応は早くて楽しくもあり、恐ろしくもありました。

Q6  「こう」が夫の信幸(大泉洋)と抱き合って泣くシーンがカットされたとか聞きましたが。
A6  「こう」が離縁された際、そのシーンの終わりに夫と抱き合って泣くところが三谷さんの台本に描かれていたのですが、編集でカットになりました。1話45分ですからその範囲に収めるため、いくつかの台詞は大抵カットせざるを得ないものです。演じた役者としては残念ですけどね。

Q7  演じきった役者さんの気持ちとはどういうものですか?
A7  役者は演じるにあたって演じる人物のお墓参りをしたり、故郷を訪ねたりして、役への想いを深めていきます。
私の役もお墓も分かっていないけれども、実在人物ではありますので、撮影前に真田の里を訪れて、その雰囲気を体に染み込ませました。そこから1年にわたり演じるので、役と共に歩み、悲しみや喜びなど、自分のもののように思い込んでいたので、撮影が終わったからと言って、すぐに忘れられるものではありません。
私以外でも、たとえば片桐且元を演じた小林隆さんは秀吉の直参であったにもかかわらず、結果的に豊臣家を裏切り大坂落城の6月後に無念のうちに謎の死をとげますが、小林さんは片桐且元の魂をしばらく引きずるのではないかとおっしゃっていました。
共演した堺雅人さん草刈正雄さんはじめみなさんドラマが終わったことに寂しさを感じているようです。

Q8  今月の6日間、上田市でトークイベントが開催されましたが、その様子をお話ください。
A8  県外や市外からも多くの方が抽選に応募されて、大変盛り上がりました。私はMCだったのですが、毎日出演者が日替わりゲストで入れ替わるので、気が抜けませんでした。おかげで、お客様は大喜びしてくださり、最終日のパブリックビューイングに向けて、どんどん熱が高まっていったように感じます。
大河ドラマをこんなふうにみんなで盛り立てて行くなんて、前代未聞のことだと思うし、この「真田丸」は全国のイベント的にも、SNSでの広がり的にも、新しい試みがうまくマッチして、社会現象にまでなっているのではと思います。

Q9  俳優をめざしたのはいつでしょうか?
A9  多摩高校の文化祭で創作劇をおこない仲間を集い脚本を書き上演しましたが、その時期からプロを目指そうかなと考えだしました。在学中に先生の紹介でプロを目指している方の話を聞く機会がありましたが、俳優の道はとても厳しく成功する保証は全くないので断念したほうがいいと言われました。私も今、俳優志望の若者に聞かれれば、老婆心ながら、まず一度は考え直した方がよいと言うと思います。生半可な気持ちで続けて行ける職業ではありませんから。
早稲田にはいってから文学座に所属し俳優の道を歩み始め、小劇場で演技するようになり、続けて行く確信を得たものの、その後特に映像の世界に入るようになってからは、やはりその道は険しく困難の連続でした。

Q10  ロンドン留学のときのことをお聞かせください。
A10  文化庁芸術家在外派遣制度で95年に1年間、演劇を学びにイギリスへ行かせていただきました。当時、イギリスではフィジカルシアターのウェーブが盛んになって来た頃で、そのワークショップに参加するのは面白かったのですが、それ以外のシェイクスピアなどはやはり言葉の壁が厚くて、1年の留学ではなかなか難しく、入口だけ垣間見て帰らざるを得ない感がありました。しかし、世界各国から学びに来ている若者たちと触れ合ったり、日本にいるだけでは絶対会えないイギリス演劇界の人々に会えたのは収穫でした。

Q11  最後に多摩高校の思い出をお聞かせください。
A11  卓球部の練習は、俳優として活躍する基礎体力をつくってくれました。自由な校風も忘れられません。女優としての活動の原点は、さきほど述べた文化祭での活動にあったと今にして思い知らされています。
 (平成28年12月20日、於:東京三田倶楽部・聞き手/安部同窓会長)

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