第5期生

第27回 お江戸散策 原宿・千駄ヶ谷・青山

2017年02月17日(金)
  2月15日(水)。本年初めての第27回お江戸散策代々木・千駄ヶ谷・青山界隈の散策を行った。9:30 原宿駅に集合し、先ずは神宮橋を渡って代々木公園へと向かった。春の気配を感じる公園の木々は芽吹きはじめて来ていて、風の冷たさはあるが、春がそこまでやってきている風景である。今から100年前は、陸軍の練兵場であったというこの公園は、様々な変遷へて、大都会の中の憩いの場になっている。ここでは日本最初の飛行機が飛んだというモニュメントが残されており、当時、広大な原野のような所であったことを偲ぶことができる。公園の西口出口から、小田急線の線路を越えて、道を登りつめると福泉寺に辿り着く。江戸時代紀州徳川家の庇護を受けて、寺領6000坪に及ぶ当山であるが、今日その面影は見られない。墓所には、幕末の剣豪として神道無念流練兵館の開いた斉藤弥九郎が眠っている。隣接して、鎌倉時代初期に建立された古社・代々木八幡宮がある。鎌倉・鶴岡八幡宮を勧請したことから武家だけでなく朝廷からも崇敬されてきた神社である。神社からは、また元に引き返し、代々木公園の参宮橋門に向かう。途中、「唱歌・春の小川」が建っている。この碑の前の小道はかって河骨川という小川が流れていて、近所に住んでいた歌の作詞者・高野辰之は、のどかな田園風景を眺めながら散歩していて、この詩が生れたと云う。今日は、川も暗渠になってきて様子を知るべくもないが、この辺りの地形からやんわりとその情景が浮かんでくる。気温も上がってきて、公園には、学生、主婦、子どもたちが沢山やってきている。中央広場東の一角に10数本の木が、濃いピンクの花を満開に咲かせて輝いている。河津桜である。メジロやヒヨドリも集まってきて賑やかだ。この一角を見る限り、春到来である。歩みを進めると、歴代天皇が閲兵したときの傍らにあったと云う巨大な松の木や戦後、GHQ職員のアメリカ人将校たちが住んでいた家などが公園の歴史を伝える証人のようにして残されている。神宮橋に戻り、鳥居をくぐって、明治神宮境内に入る。鬱蒼と伸びた広葉樹林が続く間に玉砂利の敷かれた参道は、神々しく、途中に聳える日本最大という大鳥居に厳かさが伝わってくる。平成32年(2020)に明治神宮が鎮座百年を迎えるにあたり、老朽化した御社殿の屋根葺き替えをはじめとする修復工事が行われている。平日にも関わらず、参拝客が多い。しかし、約30%は外国人のようだ。われわれも本殿に進み、厳粛な気持ちで参拝を行った。時間は昼前であるが、宝物館の所にあるレストラン入りランチタイムを取ることにした。
 
〔ランチタイム〕
  昼食後は、北参道を抜けて、千駄ヶ谷に向かった。新宿御苑に隣接した一角に、江戸時代中期、第6代、7代将軍の代に「正徳の治」と呼ばれる善政を施いた新井白石の終焉の地がある。一介の浪人の身から、政治を動かす権力の座に就いた白石の人生をしばし振り返った。千駄ヶ谷駅前の東京体育館を左側に眺めながら、数分南に下ると鳩森神社に着く。貞観年間(860)に創建された古刹で、江戸時代、富士塚で庶民に愛された神社で、近くに将棋会館があり、境内には将棋堂も作られて、大きな将棋の駒が奉納されている。鳩森神社から南に下り、性器崇拝で知られる榎稲荷を参拝し、榎坂を登って瑞円寺に入る。早咲きの梅園で名高い境内には、赤、白の梅がすでに咲いて春を迎えていた。次に進んだのは仙寿院。紀州徳川家ゆかりの寺院で、相応の品格を備えている。江戸期「江戸名所図会」でもしばしば紹介された寺で、桜の名所であったと云うが、今日その面影は見られない。
 
  続いて、青山方面に向かい、勢揃坂の途中にある龍厳寺に着いた。予め境内の散策を申し込んでいたが、対応してくれたのは尼僧であった。境内の旧跡、墓所などを丁寧に説明していただきながら、苦難の歩みを辿った寺歴を具に語っていただいた。江戸期は大名家の菩提寺にもなっていた格式のあった当山も、明治に入って通達された神仏分離令による廃仏毀釈では寺領も寺宝も大部分奪われたという。また、戦時中も本殿などが被災して大きな損傷を受けたという。数々の災難には同情を禁じ得ず、胸を打たれた。詳細な説明に礼を述べて次の散策地へ移動した。河内山宗俊ゆかりの高徳寺である。当山は、明治に入り歌舞伎劇作家・河竹黙阿弥が「権力と戦った悪徳茶坊主の河内山宗俊」を歌舞伎でさせたところ大当たりの人気となり、ダーティヒーローの名が広まった。境内右手に大きな顕彰碑があり、この碑の寄進者には歌舞伎役者の名が刻まれている。つづいて、直木賞作家 井伏鱒二が眠る持法院に向かう。文豪・井伏鱒二は大正・昭和・平成、三代にかけて、倦まず弛まず文学的精進を続けた作家と云われている。将棋を愛し、自ら将棋界を組織して、川端康成らとよく指したと云う。墓参して、最後の散策地で、地下鉄外苑駅前にある梅窓院に進む。本堂は近代的なビルの中にあって寺院には見えない。当山は、郡上八幡藩 青山家の菩提寺で、この辺りの地名「青山」は当家に起因している。大きく広い墓所の一角には、明治期、煙草販売で巨万の富を蓄えた岩谷松平の大きな墓がある。ここで散策をお開きとして解散したが、渋谷に出て、引き続き懇親会を開いて本日を振り返った。
 

 
〔懇親会〕
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