その他の集い

第1回 横須賀散歩

2012年01月08日(日) | コメント(0)
    平成23年12月吉日、天候曇りのち晴れ 気温やや肌寒し。8名の参加者とよこすか散歩を行いました。
    横須賀という町のイメージを、市の広報を読むと以下のような事が書かれていました。
  ○JR駅前の公園から港の日米艦隊、イージス艦の見える町、
  ○ヤマトタケルが東征時に上総国へ渡航した町、
  ○南房総へ35分(フェリー)で行ける町、
  ○ペリー来航、開国と歴史の町、
  ○小栗上野介が横須賀造船所を建設した町、
  ○日本最初の洋式灯台観音崎灯台のある町、
  ○ロシア艦隊を破った戦艦三笠に乗艦・見学できる町、
  ○日本でいちばんトンネルの多い町 120ケ所、
  ○晴れた空にいつでもトンビが帆翔している町、
  ○郊外では今でも野菜の無人販売スタンドがある町、
  ○日本で唯一のIT自治体に選ばれた町、
  ○ヨットとウィンドサーフィンが冬でもできる町、
  ○日本海軍直伝「よこすか海軍カレー」の町、
  ○観音崎・猿島・海堡など東京湾要塞があった町、
  ○源実朝が三浦一族とともに花見に興じた町。
    この様に歴史と文化に満ち溢れた横須賀のほんの一部をたずねて散歩しました。
 突然の訪問でしたが、気さくに三浦按針のお話をしていただきました。田口さんは、アダムスの出身地、英国、メドウェイ市にも、度々訪問して、現地の市長さんたちと交流を深めております。  明治22年、横須賀海軍基地の増強に伴って建設され「階段がない駅」として知られている。駅舎は、完成当時と変わらずレトロファンに親しまれています
 フランスの造船技師レオン・ヴェルニーは、1865年に来日してから12年間、横須賀造船所建設に献身的に取り組み、日本の近代化産業発展の基を築きました。彼の功績を顕彰した記念館には、造船所建設だけでなく、走水水道施設や観音崎灯台建設にも貢献した業績が、当時に使用されていたスチームハンマー等と共に紹介されている。  横須賀の人気スポット、「ドブイタ」通り。昼前の時間なので、酒場のほとんどは閉まっているが、英語名の店が立ち並び、夜の賑わいの様子が偲ばれる。「スカジャン」で知られる店に入って店主に、本物と贋作との違いなどを教えていただくとともに、「円高で米海軍の人たちは買い物してくれない」とリアルな景気状況を教えていただいた。
 三笠公園内に置かれている戦艦三笠には、人気ドラマ「坂の上の雲」おかげで、全国から多くの観光者が訪れています。大日本帝国海軍連合艦隊の旗艦で、全長130m、総排気量15,000トン、30センチ砲、前後2門づつ4門、15センチ砲左右7門づつ、14門を備えた、英国ヴィッカース社製の最新鋭艦でした。  偶然、お目にかかれたガイドの古宇田さんは、この記念艦を説明させたらナンバー1と言われる深い知識を持たれている方で、「東郷元帥は身長153cmであった」「丁字戦法の発案者は秋山真之ではなかった」「日露戦争を勝利に導いたのは山本権兵衛首相だった」等ドラマからは、知りえないエピソードを解説してくれました。
 永嶋家は苗字帯刀を許されたこの地域の名主で、その屋敷の長屋門は朱色に塗られていたことから、通称赤門といわれていました。間口8間、奥行き2間ケヤキづくりの堂々たる門で、江戸時代に造られたものです。
 坂本龍馬妻おりょうさんは、龍馬が死んだあと、各地を転居していますが、人生後半の33年間をここ横須賀で暮らしていました。

 横須賀中央公園一帯は、明治24年ころ米ケ浜砲台山と言われていたところで東京湾の防備のため、28サンチ榴弾砲が据付けられていました。日露戦争の旅順攻撃に手こずっていた陸軍は、ここの大砲6門を旅順に送り、二〇三高地攻略に使用し、旅順要塞を陥落させました。この地に、据えられた榴弾砲は1発も砲弾が発せられることなく、終戦後、撤去されました。
 この公園には、文化会館、博物館があり、横須賀の造船所建設に貢献した、小栗上野介、栗本鋤雲の胸像が立っています。

第2回 英俊会 箱根

2010年07月24日(土) | コメント(0)
【5期生 英俊会】

  多摩高5期・6組のクラス会の名称を、担任の伊東英俊先生からいただき、「英俊会」と称して、昭和38年卒業後続けています。この会には、いつもご出席下さる伊東先生と、幹事の鈴木敏夫さんのご尽力があってのことと思います。今回は、6月24日・25日と、先生の喜寿のお祝いを兼ねて、箱根湯本へバスを利用し一泊のクラス会でした。バスは溝の口を出発し、車内は楽しい会話がはずみ、早速先生がマイクを持たれ、今回の喜寿のお祝いのお礼のご挨拶後、「これから地理の話を始めます」と昔の授業さながらでした。「今走っている所は山北町で、これから南足柄へと入って行きます。ここには富士フイルムの主力工場があって、地元は大きな税収を得ています。また、豊富な地下水に恵まれ、大量の水を使えるという立地条件でアサヒビールの工場もあります。」更には、酒匂川、二宮金次郎、大雄山の説明等があり、何十年前の授業を思わせるお元気な先生のお話でした。夜は宿に直接来られた友達と楽しい語らいの一夜を過ごしました。翌朝宿のテレビで、サッカーワールドカップで、海外戦で勝った事の無い日本チームがデンマークに勝った事を知り、大きな感動を受け、記憶に残る日にもなりました。楽しい一夜の語らいの中にも、卒業後47年と長い年月を振り返ると、楽な時ばかりではなく、それぞれ多難を乗り越え、今の幸せがあるのだと思いました。
 多摩高生にエールを送ります。それぞれに大きな希望(夢)をもって、それに向かって努力すること。自然に触れること。ちょっと休むこと。頑張って下さい。(斉藤三枝子)

にしち会

2010年06月29日(火) | コメント(0)
【多摩校5期・2年7組クラス会の報告】

平成22年5月29日(土)13:00~16:00、青学会館フィリアの間において、 クラス会を開催しました。 
参加者は12名でした。7組クラス会に初めて 参加された方も2名いらっしゃって、当時の顔と今の顔を一致させるのに少し時間が掛かりましたが、すぐに合致して、当時の思い出や現在の状況 について、話がハズミました。ただ残念なのが、担任の安井先生が脳梗塞を患い現在ご自宅で療養中で、毎日リハビリの為、病院に通っておられます。次回のクラス会には参加出来る様、頑張っています・・・と奥様の言葉でした。
次回の開催を約束して解散しました。

(西川勤 記)
名曲「学生時代」の記念碑前 参加者全員
年は取っても元気はつらつ! 初めて参加の方もあり話が盛上がりました

第1回 英俊会 益子焼

2008年12月09日(火) | コメント(0)
 平成20年11月9日(日)
 5期生6組を交えたグループ有志で、益子焼の里へ行ってきました。
 陶芸・益子焼の名を、世に広めた濱田庄司さんは川崎出身で、京都、英国、沖縄を経て益子に
 移住しました。その活動の軌道を陶芸に表現し、世界にも名を知られる様になりました。
 日本の陶芸界に大き な影響を与え、1955年には人間国宝(第1回重要無形文化財技術保持
 者)に認定され、1968年には、陶芸家としては3人目となる文化勲章を受章されました。今回の
 幹事役の鈴木敏夫さんは、濱田庄司さんの親戚にあたる方で、その御縁で今回の「益子の里め
 ぐり」となりました。当日は、一日バスの旅で、最初に「益子参考館」に立ち寄り、濱田庄司さん
 のご次男 濱田晋作さんのご案内で、登り窯や益子参考館館内を説明していただきました。
 その後、益子の陶芸店めぐりや、見て歩いて、気に入ったものを購入したりして、一日を楽しん
 できました。 (斉藤三枝子記)
 
 濱田晋作さんと記念スナップ(前列左から2人目が濱田氏)
丁寧に説明をしてくれる濱田さん 陶芸の世界に触れて感激!

生け花・茶の湯会

2008年09月23日(火) | コメント(0)
 平成20年8月23日(土) 川崎さいか屋 大催し場において、恒例の「生け花ー茶の湯会」が盛大に開催され、第120回の今回も、故西治夫先生の夫人光子様も茶席にてお手前を披露されました。 同会には同先生の教え子、前多摩高校校長の渡辺直子さんをはじめ第5期生が5名が参加しました。
 夫人は毎年夏に開催される、この「生け花ー茶の湯会」を楽しみにしていて、いつも数人で参加しているとのことでした。日本の伝統文化を心行くまで満喫し、その後は、日航ホテルの日本料理店にて、生け花と茶の湯の感想やお互いの近況も織り交ぜながらの懇談は楽しい気分で盛上がり、時の経つのも忘れたそうでした。
 今回は女性ばかりでしたが、次回は男性諸君の参加を促します。

(売野節子)
左から2人目が光子夫人 日航ホテルの日本料理店にて
ikebana chanoyu

ホタル鑑賞会

2008年07月27日(日) | コメント(0)

  6月27日(土)  参加者6名。登戸集合。 

  プラネタリュームで悠久の夏の星の世界と宇宙を観て、生田緑地の自然散策へ。
 合歓の木のお花や、緑の松ぼっくり、大きなオタマジャクシなど田園の光景を満喫。
 岡本太郎美術館カフェでビールorコーヒーブレイクし、その後、2名が参加して、8名で夜の部
 「ホタル観賞」へ出陣。
 暗くなるのをじっと待ってやっと会えた!!
 幻想的なホタルの舞、神秘的な美しさ、都会の喧騒を離れ、幽玄なひとときを堪能!
 夜も更けてきて、のどを潤したくなり、「元海」へ直行。
 打ち上げ、打ち上げだ!
 総勢8名でよく飲みよく食べ、またまた話に華が咲きました。

 ホタル観賞と打ち上げは、写真なし。とにかく楽しかったです!イメージしてください。
 (文: 石井眞理子)
デコイチの前で ”♪いまは山中、今は浜♪”
合歓の木  
松ぼっくり  
【編集後記】

川崎市北部多摩区の家から車で10分の生田緑地で夏至中心に前後2週間ホタルが見えました。梅雨で心配でしたが多少の雨でも見られ、丘陵に立つ専修大学の校舎下の斜面谷間の開けた畑の辺りが一番よく見えました。斜面が竹藪になっていて、しなやかな竹が葉を沢山茂らせ、暗くなり始めると、竹のもこもこした葉は薄明かりの中やや白く感じられ入道雲のよう・・。その雲の下を丁度7時半頃暗くなると、あちらこちらに2~3匹ずつ飛び始めました。竹藪の葉の下の空間を飛びました。その内に広い畑を大きく飛ぶホタルも出てきました。手摺りに背をもたれたり、何時までも観ていたいほど、ゆっくりの時間が流れました。谷戸を下る木の階段は山側で、暗い樹幹の間にも次々と飛びます。
木道を歩き続けると頭上を飛ぶもの、空へ高く飛んで行くのもいましたし、先に少し赤い本当の星も・・・葉に止まって光るのはメスのようでした。ホタルの国出口近くはヨシが沢山あり、梅林も近くマンションの明かりも近くにありながら、奥にきれいな水があるからとか、朴の木と竹藪の辺りは次々に飛び子供の歓声が可愛らしく感じました。田んぼでカエルが賑やかに鳴く頃は多く飛びました。月夜の田んぼでコロロコロロ鳴く蛙の童謡が思い出され不思議でした。東高根森林の時には、牛蛙が鳴き、天に星座が見え、漆黒の紫陽花の道は天の川のようでした。紫陽花の花の一つひとつが手鞠のように本当に大きく白く大きな星なのです。

(売野節子)

クルージング

2008年06月18日(水) | コメント(0)
 平成20年5月18日(日)
 2組堤孝高さんが所有しているクルーザーで大森海岸のクルージングを満喫しました。
 彼は大田区の産業振興の一役を担っていて、仕事の合間に、今回自らのクルーザーを使用して、大森海岸~隅田川へのクルージ ングを実現してくれました。良好な天候に恵まれ、波おだやかで青空が広がる沿岸をすべるように進み、船の上は快適、々々でし た。レインボーブリッジをくぐり隅田川の両サイドに立ち並ぶ高層ビルやお台場に建設中のビル群の光景は、数年前から一変した 首都東京のダイナミックな姿を実感しました。
 クルージングのあとは、堤さんのお仕事の現場を拝見し、今も取組む「ものづくり」の現場を視察できて大いに勉強になりました。 その後は、堤さんのお仲間も加わり、思わぬ地物の海の幸の歓待を受け感激でした。それに堤さんの善い人柄や、自然体で若い人たちに接している姿に感動しました。
 これからも活躍されるよう応援したいですね。楽しい一日をありがとうございました。

(石井真理子 記)
参加した5期生   全員で記念撮影

ドライブツアー

2008年06月14日(土) | コメント(0)
【三浦半島ドライブツアー】         平成20年5月14日(水)

 東京、川崎から近くであり、歴史と地形の起伏に富んで美しい風景を満喫できる三浦半島を1日ドライブで散策しようという提案が出された。30余年、横須賀に在住している3組の石井氏がガイド役を引き受け、6名が参加しました。スタート当初は雨天でしたが、昼前には雨が上がり、晴れ間が出てきて、草花も美しく、景色も映える状態になりました。金沢文庫に集合し、そこから大日本帝国憲法起草の地、横須賀ベルニー公園、しょうぶ園、湘南国際村、秋谷の立石、大楠山、荒崎海岸、三浦海岸、久里浜ペリー上陸記念公園、浦賀奉行所跡、灯明堂、防衛大学校等1日にしては十分すぎるところを散策し、皆新たな知識を得て満喫できました。三浦半島再発見の1日でした。(5組 高木)

三五クラス会

2008年05月29日(木) | コメント(0)
平成20年4月19日(土)15時~ 川崎日航ホテル 

【5期生3年5組のクラス会開催】
昨年9月29日に5期生同期会の折り、5組が次回の同期会の幹事に決まり、先ずはクラス会をということで今回の運びとなりました。
参加者22名(関西から2名)、担任の野村先生は体調のご都合でご子息のひろしさんが 出席され、先生のご様子も報告され、2次会にもお付き合いくださいました。
参加者22名(関西から2名)40数年ぶりの再会に各自の近況を語る姿も、みな良い友、友で 新鮮で懐かしく楽しいときでした。
全員の近況報告、ユーモアを交えそれぞれに含蓄のあるスピーチ、校歌斉唱、2次会はカラオケ、ダンスとそれでも時間が足りずに3次会、4次会と懐かしく楽しいクラスメートとの会話が弾みました。
(石井真理子 記)
 

お花見会

2008年04月30日(水) | コメント(0)
  平成20年3月30日(日)

 春来たれど未だ寒し日、11名の5期生が宿河原駅に集合し、二ケ領用水沿いのさくら花見へ出掛けました。水辺の桜はわれ われ同様、樹齢60年を越えたというソメイヨシノは花びらの艶がふくよかで見事に開花して、折しも
ものの見事な満開で、ふくらみのある花弁を大きく広げて、われわれを向えてくれました。花見客で混雑するさくら並木の沿道には、さくら以外にも、桃、椿、こぶし、もくれんをはじめ、さまざまな花が一斉に咲き始めていました。
まさに、春爛漫、匂うがごとき春の盛りを存分に楽しませてくれる風情でした。
 しばらく二ケ領用水に沿って歩むと東名高速と交錯するあたりに、吉田兼好が書いた随筆『徒然草』に関する石碑がありました。これによると宿河原という地名が徒然草の百十五段に書かれていると言う。興味深い話である。
 次に向かったのは県立東高根公園で、草木がカラフルに開花しており、当日は多くの見物客が来て賑わっていました。整備の行き届いた東高根公園は、周囲を住宅地に囲まれながら閑静な森として、心やすまる散歩コースでした。昼食はお花見をしながらのお弁当で、和気藹藹の歓談で、話も華が咲きました。このあと隣接する津田山公園墓地の桜も見学し、まさに、「さくら、さくら」の1日でした。 

  ( 3組 石井義文)