お江戸散策 第1回~第10回

第10回 日本橋・人形町

2012年02月27日(月) | コメント(0)
  今回のお江戸散策は、第10回の節目を迎え、江戸の中心で、「朝昼晩三千両のおちどころ」と川柳に詠われた日本橋・人形町界隈を選びました。江戸時代、そして明治期に入ってからも日本の経済の中心であったこの界隈の散策はわれわれに新たな知識を与えてくれました。東京駅八重洲北口を出ると、前に幅広の道路が走っています。外堀通りです。名前のとおり此処は江戸城外堀があって北は日本橋川へ、南は銀座数寄屋橋まで壕になっていたところです。この辺りの名前「八重洲」は、三浦按針とともに豊後臼杵に漂着し、航海技術を備えた技量が徳川家康に認められたヤンヨースティンが、この辺りに屋敷を与えられて住まいしたことから呼ばれるようになったと言う。またこの辺りは江戸初期における火消し番所や秤の両目統一を図る器機製造や検査・販売などを行う江戸秤座もありました。ここから100m北に上がったところには、京都から出店した近江商人の高島屋があり、日本橋の象徴的な伊勢商人の三井越後屋(三越)と共に日本橋の大棚として数百年繁栄を維持してきている。他にも江戸期から今日続いている歴史を誇る店としては蚊帳の販売で成功した「西川産業」、ヒット商品梅干飴で繁盛した「榮太樓總本鋪」、玉露と江戸海苔の「山本山」、鰹節の「にんべん」、刃物の「木屋」などの名店がひしめいている。これらの店の隆盛ぶりは、地下鉄「三越前駅」の地下通路にある熈代勝覧絵巻からも、当時の様子を偲ぶことができる。徳川家康によって五街道の基点とされた日本橋は、その橋上からは、天下の江戸城、天下の富士山を望むことが出来るように作られ、両岸には魚河岸店が立ち並んでいて、その賑わいを知るとともに江戸幕府の威信と権威を表わしていることを絵巻が描いていました。日本橋の上流には、一石橋常盤橋が続いて掛かかっていて、その威容を感じ取ることが出来ます。この常盤橋は関東大震災で破損しましたが、渋沢財団の支援で再建されました。橋の向かいには、日本銀行本店があり、この日銀旧館を見学することができました。日銀の機能、役割などを学習すると共に、内部の大金庫や台車に積み上げられた紙幣の塊は圧巻でした。日本橋からは江戸橋の袂にある郵便発祥の地海運橋の袂にあった日本最初の銀行などの足跡を辿り、途中、東京証券取引所を見学してから証券界の守護神、兜神社と、日本橋七福神のなかで、運気が強と評判の小網神社で株価上昇を祈念するお参りをしました。(笑)この辺りは姫路藩酒井家の下屋敷があり、明治初期には西郷隆盛が住んでいましたが、現在、日本橋小学校になっていました。また、文豪谷崎潤一郎も,この近所で生まれ育ち、界隈の風情を随筆「ふるさと」で語っています。人形町界隈の見学場所には玄冶店跡蛎殻銀座跡元吉原跡などがあるが、今は中央区の歴史ガイド板で往時を偲ぶのみです。七福神で隆盛を誇っているのが明治期に赤羽橋の有馬藩邸内から移転してきた水天宮ですが、参道入口にあるブリジストン創業者石橋正二郎が寄進した狛犬像は風格を備えていて見事でした。
歩みを北に向けて、掘留町には、江戸三森の一つで富くじ興行で名の知られた椙森神社を参拝した後、伝馬町牢屋敷があった十思公園へ向いました。牢屋敷は大安楽寺や十思小学校を含む地域に及ぶ2700坪の広さであったそうです。明治維新の精神的指導者吉田松陰はここで斬刑に処され、その辞世歌が公園内の碑に刻まれています。また、この公園には、石町にあった時の鐘が残されています。次の散策地は長崎屋跡で、説明板のみですが、江戸期蘭学を志していた杉田玄白、前野良沢、平賀源内、中川淳庵らが長崎から江戸参府に来たシーボルトやオランダ商館員たちから先進的な外国の知識を得ようと真剣なまなざしで学んだ様子が思い描けました。ここで今回の散策を終了し、神田駅近くの居酒屋で、本日の反省懇親会を賑やかに行いました。(報告:石井義文)
  これより懇親会


 

第9回 芝・愛宕

2011年11月23日(水) | コメント(0)
 第9回 お江戸散策は、芝・愛宕界隈の名所・旧跡を辿りました。危ぶまれた天候でしたが、朝のうちに雨が上がり、清清しく、歩きやすい日和になってくれました。 最初の散策地は新橋の駅前にある鉄道唱歌の碑。碑文から、日本最初に敷かれた鉄道が、人々に大変人気になって、鉄道唱歌の歌と共に日本の産業の原動力になっていった様子が偲ばれました。この鉄道唱歌を口ずさみながら、次の散策地へ向かいました。途中、パナソニック、電通、日本テレビ、そしてソフトバンク社等の大きなビルを抜けて浜離宮恩賜庭園に着きました。入口の大きな石垣を眺めて見ても江戸中期から幕末まで将軍家の別邸であったことが偲ばれます。園内では、所々で茶会の野点が催されていて、和服姿の男女が多く集まり、美しく整備されている日本庭園の風情によく似合っていました。広大な庭園を端から回り込むように散歩し、日本庭園の美を堪能しました。庭園の後は、道路を隔てたところに近年、出来たイタリア庭園へ入りました。コピーアート彫刻ですが、ミロのビーナス像やダビデ像が並んでいる西洋式庭園を歩きながら、イタリア旅行の話に華が咲きました。その後、慶応義塾が三田に移転する前にあった跡地を見学してから浜松町の世界貿易センター内地下の食堂街で、早い昼食を取りました。開店早々であったせいか人気のある讃岐うどん店も、皆でカウンターを囲みながら席を取れました。食後は、駅の東側にある旧芝離宮恩賜庭園で一息入れることになりました。この庭園も、浜離宮同様日本庭園が美しく、ゆっくり散歩しながら、大名庭園の風情を満喫しました。ここから、国道1号線を横切って芝に向かい、途中にある尾崎紅葉生誕地、め組の喧嘩で知られた芝大神宮伊達騒動における舞台の1つになった浅岡飯炊きの井戸の遺構や大門を見てから芝の増上寺に向かいました。増上寺は、 折よく三解脱門が戦後初めて一般公開されていて、三門の2階に収蔵されている釈迦三尊像や十六羅漢像等を拝観しました。また、「いま鳴るは芝か上野か浅草か」の川柳に詠われ、江戸っ子鐘と親しまれた大梵鐘安国殿に安置されている徳川家康尊崇の黒本尊と言われる阿弥陀如来像そして六人の将軍と大河ドラマで話題の二代将軍御代所お江や皇女和宮の墓所も増上寺ならではの見応えのあるものでした。次に向かったのは東京タワーの北側にある金地院 東京別院で、徳川秀忠の知恵袋として、徳川政権の安泰に、多大な貢献を果たした黒衣の宰相崇伝の存在を知りました。ここから、愛宕方面に向った所にある東京都芝給水所にある近代水道技術の遺構を見学し、その向かい側にある芝学園では、遵法自治の精神を教壇から説いて、多くの優秀な人材を育てた渡辺海旭と言う名校長を知りました。次に散策した青松寺は堂々たる大きな曹洞宗の寺院で、僧侶の教育を司る獅子窟学寮があって多くの人材を輩出し、後に駒込の吉祥寺の旃檀林と統合して駒沢大学に発展して行きました。江戸時代「お伊勢七度 熊野は参度 芝の愛宕は月参り」と謳われた愛宕神社は、東京湾が見渡せる風光眺望の名所になっていました。ここの男坂は86段37度の急峻な勾配で有名な所ですが、われわれも皆元気にこの坂を登りましたが、さすがに頂上に着いた時は、脚がクタクタになっていました。神社にお参りした後、NHKの博物館を訪れてラジオ・テレビ放送の歴史を映像で見学しました。半日居ても飽きないほど、懐かしい映像を次々に堪能でき、「笛吹童子」「ひょっこりひょうたん島」などの映像では思わず皆で口ずさんでしまいました。愛宕山を下って訪れた所は幕末時、ロシアとの国境交渉が行われたという天徳寺、杉田玄白の墓のある通称猿寺の栄閑院、そして赤穂浪士たちが仇討ち後、自首した仙石伯耆守屋敷跡を散策して、最後の散策地、金比羅宮に向かいました。虎ノ門の近くにあるこの金比羅宮は丸亀藩京極家が江戸藩邸内に讃岐の金比羅宮を勧請して、江戸庶民に参詣を許したことに始り、大いに繁昌したと言われ、銅製で造られた大鳥居に刻まれた豪華な四霊獣像にその繁栄ぶりが伺えました。ここで今回の散策はお開きとなり、新橋に出て散会しましたが、恒例の懇親会には、8名が残り、大いに飲んで語り、きょう一日を振り返りました。(文:石井義文)
これより懇親会

お疲れ様でした!!  

第8回 赤坂・青山

2011年10月19日(水) | コメント(0)
 残暑いまだ厳しい9月19日(H23)、「第8回 お江戸散策 赤坂・青山界隈」を行いました。最初の散策所は赤坂見附駅から北に向かい弁慶橋を渡って、清水谷公園に行きました。この付近は明治の元勲大久保利通が暗殺された所で、公園にはその当時最大の国家指導者を失い世の中が受けた衝撃と深い哀悼の心情が大きな碑の裏面に書かれていました。この公園を登って文芸春秋本社、城西大学、元赤坂プリンスホテルを眺めながら諏訪坂を下ると赤坂見附跡に出ました。見附とは江戸城の外郭に位置して、外敵の侵入を見付けるために設けられたもので、維新後多くは取り壊されたが、ここ赤坂見附跡地には当時の写真が説明板に載せてあり、その様子が偲べました。
 次は旧華族女学校跡地で、津田塾を設立した津田梅子が教鞭を執っていたところで、現在、参議院議長公邸になっています。ここから三べ坂を下り日比谷高校前の坂を登ったところが次の散策地、日枝神社です。江戸時代は山王権現として将軍家にも庇護されていて隆盛を誇り、明治以降も皇城鎮護の官幣大社という格式で、都内有数の人気神社だけあって結婚式やお宮参りの人たちで賑わっていました。
 ここからは浅野藩の中屋敷だった氷川公園に向かいました。ここで小休止後、近くにある2ケ所の勝海舟邸宅跡そして遺品を陳列している展示室を見学しました。邸宅の1つは咸臨丸に乗って渡米した時や坂本龍馬に世界情勢を説いて転機を与えた時に住んでいた所で、もう一つは明治に入ってから亡くなるまで住んでいた邸宅跡です。石碑や木標は立っているだけですが、江戸城無血開城で多くの人命と財産を救ったという歴史に燦然と輝く功績を残した勝海舟がここ赤坂を気に入っていたことがわかりました。
 次に向かったところは、氷川神社で、八代将軍吉宗に庇護されて、栄えた神社で前日まで大祭が行われていたらしく、境内は祭の後片付けで騒然としていました。境内には港区で2番目に大きいというイチョウの木があり、神社の護神木のように慄然と聳えていました。ここから六本木方面に向かい着いたところは三河台という台地の一角で、ここは志賀直哉の父の大邸宅があったところで、裕福な家庭に育った直哉の生活の一面を知りました。この邸宅跡地の前が江戸時代長州藩の中屋敷のあった所で、その跡地の北半分は港区檜町公園になっていて、北半分は東京ミッドタウンやサントリー美術館になっています。
 このミッドタウンで昼食を取り、涼を取って、消耗した体力を補いました。昼食後、向かったのは旧乃木邸で、乃木希典は日露戦争で作戦ミスから多くの犠牲者を出して非難を受けましたが、軍人としての行為は高潔で、敵将に対しても礼儀を尽くし、世界から称賛されていた一面がありました。次の散策地は青山霊園。ここには江戸から明治、大正、昭和に至る多くの著名人が眠っていて、限られた時間の中では見ることができないので大久保利通、関東大震災で復興院長として果敢で、大胆な推進を図った後藤新平、坂の上の雲の主人公、秋山好古広瀬武夫、破傷風菌を発見した北里柴三郎、難病脚気から人々を救った高木兼寛など、多大な功績を挙げながら世間から忘れかけられている人の墓をお参りして故人を偲びました。次に訪れた所は曹洞宗大本山永平寺の東京別院である長谷寺(ちょうこくじ)で、ここには楠で彫られた高さ10メートル余りもある十一面観音菩薩像を拝観できました。境内には喜劇王エノケンさん、歌手坂本九さんの墓があり線香を立てて冥福を祈り「上を向いて歩こう」をハーモニカの伴奏で合唱しました。
 この後は画家岡本太郎の旧宅でアトリエになっている岡本太郎記念館を訪れました。先にテレビドラマで紹介されたことで人気があり、多くの見学者が入っておりました。次の高野長英終焉の地に行くのは割愛し、解説だけにしましたが、その解説から長英が毎日恐怖心に襲われている苦難の逃亡生活が伝わってきました。最終散策地は、青山学院大学構内で、ここはかって伊予西条藩上屋敷だった所でした。ここでは同校の卒業生 平岡精二が作曲し、ペギー葉山が歌って大ヒットした「学生時代」の石碑前で、記念撮影をして、本日の散策を終了しました。この後、同校写真部OBによる写真展を見学させていただき、出展者から、撮影場所の様子やその撮影技術のノウハウをご教授いただきました。(石井義文)
青学OB写真展鑑賞
これより懇親会 
本日は、かなり厳しい暑さのなかにも関らず、2万歩を越える歩行をして、かなり疲労しているのですが、それをものともせず、皆さん元気で、よく食べ、よく飲みそして大いに今日の散策のあとを語り合いました。

第7回 上野・谷中

2011年05月30日(月) | コメント(0)
 【第7回 お江戸散策 上野恩賜公園、谷中、入谷界隈】    平成23年4月30日(土)

 この度のお江戸散策は、当初、3月12日に行う予定であったが、東日本大震災のため急遽中止し、その後被災者の心情を思いはかり無期延期としていました。しかし、いつまでも自粛をつづけるよりも、平常の生活に戻ることが、復興への遠因に通じるとの後押しを得たことから、忌引き明けの4月30日に実施することになった。実施案内が急であったにもかかわらず、散策愛好者11名が参加してくれた。上野駅公園口に集合し、上野恩賜公園の旧跡から散策をスタートした。この上野台地は徳川家康のブレーンであった天海大僧正の提案により、江戸城の鬼門であった当地に、東叡山寛永寺を建立された。江戸時代までは、壮大な伽藍な形成され、寺院、塔頭が山全体を覆う景観であったと言うが、惜しむかな、幕末の彰義隊戦争において多くの塔頭寺院が焼失して、興廃した。明治に入ってから、10年に開催された勧業博覧会を契機に、博物館、美術館、芸術大学そして動物園の施設が造られて都内有数の公園として今日に至っいる。有名な西郷隆盛像、清水観音堂、弁天堂、時の鐘鐘楼、上野東照宮、東京芸大の前進である奏楽堂などを見学した頃にランチタイムとなり、東京国立博物館内のレストランで、美味しい昼食を味わった。午後からは、東京大空襲で被災された方々の鎮魂碑、それに両大師堂、三代将軍家光が死去したとき殉死した家臣達の墓、寛永寺の歴代将軍家墓所、寛永寺本堂の根本中堂など、江戸の名残をとどめるスポットを見学した。次いで谷中界隈に向かう。ここは寺院が沢山の立ち並び、まさに寺町である。この散策では、幕末三舟と言われた高橋泥舟と山岡鉄舟に因縁のある大雄寺と全生庵、帝国憲法起草者井上毅が眠る瑞輪寺そして愛染かつら所縁の自性院を訪れた。谷中共同墓地では、長谷川一夫、徳川慶喜の墓を詣でるとともに、谷中の象徴だったが惜しくも焼失した五重塔の跡地を暫し眺めて、幸田露伴の小説「五重塔」の一節を偲んだ。墓地を横断するように抜けて、山手線陸橋を越え根岸に入った。江戸から明治期は、牧歌的な風情があり、詩や小説をいそしむに相応しい風情であったといい、そこには落語家 林家三平の館、俳人正岡子規が住んでいた庵、豆腐料理の名店「笹の雪」などがある。しかし、今日景観は一変し、その面影は感じられない。最後は「おそれいりやのきしぼじん」で知られた入谷鬼子母神像のある真源寺を訪れ、今回の散策をお開きとした。散策箇所は、30ケ所に至り、明治~昭和にかけて大きく様変わりした一帯であるが、江戸の香りが所々に残っていて、散策の主旨を十分味わえた魅力あるコースであった。このあと鶯谷駅近くの居酒屋にて、反省会を行い、談笑しながら今日の一日を振り返った。(石井義文)(資料
これより懇親会

第6回 本郷・湯島

2010年07月05日(月) | コメント(0)
〔本郷・湯島界隈〕 平成22年6月5日(土)
  2年前の3月にはじめた散策も、第6回目を迎えました。今回は、本郷と湯島界隈を取り上げました。御茶ノ水駅駿河台側に集合し、御茶ノ水橋、聖橋からの神田川の景観を味わいました。江戸の初期に江戸城防御の目的で丘を切り開いて作られた神田川を人力で掘られたことを学び、当時の土木作業の現場を想像しました。ここから聖橋の北側にある湯島聖堂に向かいました。江戸時代第五代将軍綱吉が創った儒学振興の中心であった昌平坂学問所(湯島聖堂)は幕末まで、幕府の学問の中心となった所で、重厚な格式を放っていて、学問を学ぶことへの崇高な精神が伝わってきました。次に訪れたのは、江戸天下祭で親しまれる神田明神社。平安の昔に創建され、江戸の総鎮守として尊崇されてきた堂々たる社殿は風格を備えていて、毎年5月に行われる盛大な祭の様子が境内の雰囲気から伝わってきます。そして江戸の初期に隆盛した真言宗霊雲寺を経て、春日の局ゆかりの麟祥院へ。権勢を誇った春日局の墓は、墓石に四方から穴が貫通している大変めずらしい形をしていました。 これは局が「黄泉からも天下のご政道を見守れる墓」を作ってほしいと遺言したことから造られたとのことでした。また、同所が東洋大学の発祥地であることも知りました。ここからは春日通りを下って、婦系図で有名な湯島天満宮へ辿りつきました。折りしも結婚式の場に遭遇し、別れ話ならぬ、縁結びのシーンが「お蔦・主税」の悲恋物語の気分を和らげてくれました。 切通し坂を下って、次に訪ずれたところは、ジョサイアコンドルの設計した旧岩崎記念館。同館は、折りしも大河ドラマ「龍馬伝」で話題になっていることもあり、多くの観光客が来館していて、説明員も熱心に岩崎弥太郎一族の歴史を語っていました。この屋敷に沿った坂道が森鴎外の小説「雁」の舞台の無縁坂。坂を上って右手にある土蔵造りの講安寺見学し、通りを出た突き当りの右にある鉄門をくぐると高度な医療設備を備えた東大医学部付属病院がある。昼食はここの食堂で取ることにした。廉価でメニューも豊富、お味もグーでした。昼食後は広い構内をゆっくり散歩して、東京大学の名所、安田講堂三四郎池赤門を見学しました。東京大学を後にして、本郷通り向かいにある樋口一葉ゆかりの法真寺を経て、本郷中央教会へ向かいました。この教会は、名曲「故郷」「朧月夜」を作曲した敬虔なクリスチャン岡野貞一が賛美歌のオルガン演奏をしていた教会で、現存しているオルガンを拝見させていただきました。次に向かった菊坂界隈は、樋口一葉の足跡が多いですが、燕楽軒菊富士ホテル跡炭団坂常磐会跡喜の床かねやすなど樋口一葉ばかりでなく、宮沢賢治、宇野千代、谷崎潤一郎、尾崎士郎、直木三十五、坪内逍遥、金田一京助、石川啄木等、文壇で名を残したそうそうたる顔ぶれの足跡を学ぶことができました。今回の散策も江戸から明治・昭和初期に至る、当時の様子を偲べる楽しい散策でした。この後、駅付近の居酒屋に集い、のどを潤し、笑いのひとときを過しました。

(文・石井義文)
懇親会
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第5回 目白・雑司ヶ谷

2010年04月13日(火) | コメント(0)
 
  〔目白・雑司が谷・早稲田界隈〕  平成22年3月13日(土)
 第5回は大学と墓苑・公園めぐりのお江戸散策となりました。本日は好天気に恵まれ、清清しい気持ちでスタートしました。今回のコースの最初の散策地は学習院大学。皇族、上流階級の大学と思っていましたが、作家吉村昭塩野七生、ジャーナリストの磯村尚徳、俳優の田宮二郎など多才な人材を輩出していることを知りました。次は目白の名前の由来となった目白不動尊。江戸時代は大いに隆盛していて、多くの参拝客が参詣に来て、目白押しの語源はここから由来したといいます。江戸時代にもう一つ参詣客を集めたのが、平安時代に開基された古刹の法明寺の飛地境内にある雑司ケ谷鬼子母神堂。山道に並ぶ老舗茶屋、ケヤキ並木や境内のイチョウの大木は、江戸の風情を留めていて参詣の楽しみを与えてくれました。続いて訪れたのは東京音楽大学。作曲家池辺晋一郎服部克久船村徹、歌手の淡谷のり子春日八郎、そして津島恵子黒柳徹子など、多くの著名人を輩出した伝統のある学校で、事務所も音楽ホールのようなところでした。次の雑司が谷霊園では、夏目漱石大川橋蔵小栗上野介泉鏡花ジョン万次郎、らの墓めぐりをして、しばし世に名を成した人々を偲びました。この地域の風景に似合う宣教師館を見学したのち、音羽通りを横切って護国寺に入りました。護国寺は五大将軍徳川綱吉の母桂昌院が肝煎りで建立させた寺院である。偉人との関わりも深く、大隈重信山縣有朋ジョサイア・コンドルなど多くの歴史上の人物の墓があり、歩きながらの日本史学習になりました。音羽のファミレスで昼食をとった後に訪れたのは、鳩山会館。現在、いろいろ批判の矢面に立たされている鳩山由紀夫総理が幼少の折、両親と暮らしていたお屋敷です。観光バスが連なるほど、多くの観光客が訪れていたときがあり、華麗なる鳩山ファミリーの内情を垣間見ることが出来ました。ここから音羽通りを横切り西方にある高台をのぼりきってから下っていく傾斜地を庭園にした椿山荘。都内屈指のホテルであり、庭園には幾多の椿が花を開いて、われわれを迎えてくれました。椿山荘の向かいには東京カテドラル聖マリア大聖堂。建築家丹下健三の設計により、1964年に落成したステンレス・スチール張り、鉄筋コンクリート造りの大聖堂で聖堂内ではサン・ピエトロ大聖堂ピエタミケランジェロ)と同寸の精巧なレプリカやフランシスコ・ザビエルの胸像などの収蔵品を観ることができて、思わず敬虔な気持ちに浸ることができました。続いて向かったのは講談社の創設者 野間清治の収集した美術品を集めた野間記念館。折りしも横山大観展が開催されていましたが時間の都合で割愛。ここから徒歩数分の地にある細川家の家宝を収蔵した永青文庫を館外から眺めての見学でしたが、時間が取れたらゆっくり見学したいところでした。途中、和敬塾永青文庫水神社を見学して、神田川沿いにある関口芭蕉庵に向かいました。松尾芭蕉が本職の上水技術者として神田川の改修工事に従事した折に住まいした庵が復元されている。草花や木々が生い茂り、静寂に包まれたこの庵で、しばしの休息を取りました。芭蕉は俳句ばかりでなく、江戸市民の生活を豊かにすることにも貢献したと言う。次に訪れた回遊式泉水庭園新江戸川公園(旧細川庭園)も梅、さくら、木蓮、椿、こぶしなどの草木が、池のまわりに植樹されていて、気持ちを和ませてくれる公園でした。この散策のフィナーレは早稲田大学。創立125周年を記念して建てられた大隈記念タワーに上りましたが、生憎、休館で展望を味わうことは出来ませんでした。そこでは同学卒業生の佐々木さんから「建学精神」や「大学の気質について」の講義を受けました。そして気分が盛り上がったところで、創立者大隈重信の銅像前で、早大校歌を歌って大いに気勢を上げてお開きとしました。その後は、懇親会と称して、高田馬場に至る途中の居酒屋で、本日の感想を語り合い、心行くまで飲んで楽しいひと時を過ごし、1日21,500歩の散策を終了しました。

(文:石井義文) (資料
懇親会
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第4回 高輪・三田

2010年01月05日(火) | コメント(0)
 〔高輪・三田界隈〕      平成21年12月5日(土)
   第4回お江戸散策は高輪・三田界隈を選択しました。この界隈は幕末期においてイギリスフランス、オランダ、アメリカ等の外国公使館が置かれていて、攘夷派が外国人を襲撃して殺傷するなどの事件が起きました。今回は、その事件の因果関係を学びながら散策することにしました。また、ここには「それまではただの寺なり泉岳寺」を詠われた泉岳寺もあり、討入り後の赤穂浪士たちの足跡や命運を辿ってみることにしました。コースは品川駅高輪プリンスホテル東禅寺(イギリス公使館跡)承教寺(英一蝶墓所)泉岳寺大石良雄自刃の地覚林寺→  立行寺大信寺 → 長松寺(荻生徂徠墓所) → 斉海寺(フランス公使館跡) →龍源寺 → 善福寺(アメリカ公使館跡) →三井倶楽部イタリア大使館(赤穂浪士10名の自刃地)→慶応大学三田キャンバス薩摩藩上屋敷跡西応寺西郷隆盛・勝海舟会見の地などの散策です。当日は、曇天のち雨、気温やや寒いの予想の中でしたが、散策愛好者13名が参加しました。朝のうちに訪れた東禅寺では普段、一般公開をしていない奥の院や庭園を特別観賞させていただける機会を得ることができました。英国公使オールコックが駐在した部屋からは、静寂に包まれた日本庭園が広がっていました。 池にはカルガモやマガモが泳ぎ対岸の岩場にはサギが羽を休めていて、水墨画のような、当時と変わらない光景を見ることができました。また、ご住職のご丁寧な説明で東禅寺400年の歴史と幕末時に受けた大きな災難を知りました。それから、1874年に撮影された貴重な写真も拝見させていただき、当時の東禅寺山門前や寺院から見た品川沖にお台場が映っている風景を観賞することができました。今回の散策コースには赤穂浪士が4藩にお預けになって切腹したところが3ヶ所あり、彼らに名誉の切腹を断じた荻生徂徠も近隣の寺院に眠っていることに、しみじみとした悲哀のようなものを感じました。 善福寺では米国公使のハリスだけでなく、福沢諭吉翁、越路吹雪さんの足跡にも触れることができました。最後に訪れた西郷・勝会見地跡では、江戸城攻撃を寸前で中止したドラマチックな物語があり、その西郷の決断の背景には、外国勢力の強い意向が働いていたことも学びました。今回の散策は途中から雨に見舞われ、気温も下がってきて肌寒い中の歩行でしたが、皆楽しみながら元気に歩き通しました。散策後は、慶応通りにある居酒屋で懇親会を行い、先月行われた同期会や高校駅伝神奈川大会に多摩高が連覇したことなどの話題を肴にして、楽しいひと時を過ごしました。  (文:石井義文) (資料)

 
懇親会
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第3回 巣鴨・駒込

2009年06月16日(火) | コメント(0)
〔巣鴨・駒込界隈〕      平成21年5月16日(土)
 第3回お江戸散策は巣鴨・駒込界隈を選択しました。曇天ながらしのぎやすい気候にめぐまれ、軽快ステップで、比較的長いコースを歩きました。コースは、駒込駅から始まり、大国神社妙義神社西福寺十二地蔵染井霊園勝林寺慈眼寺本妙寺とげ抜き地蔵真性寺徳川慶喜屋敷跡六義園(昼食)駒込富士神社吉祥寺目赤不動龍光寺円乗寺小石川植 物園播磨坂伝通院までを歩行する約28,000歩の行程でした。参加者は半日参加を含めて15名が参加した。 
 今回のコースは、歴史的に著名な人たちが眠っている寺院や都内でも著名な庭園などを散策できました。前回同様、各史跡での説明は、各担当者が解説資料を読上げ、全員がガイドになりました。本妙寺にある名奉行 遠山金四郎の墓前では、彼を演じた片岡千恵蔵の物真似をしたり、小石川植物園では、子供のころ見た情景にふれて、ハーモニカの音色に合わせて唱歌や青春歌を歌ったりして、それぞれ子供から学生時代の頃を回顧しながら歩みました。 そして伝通院では、昭和のはじめに活躍した作家佐藤春夫が、友人の谷崎潤一郎の妻に横恋慕して、彼から細君を譲り受けたこと。そして、マスコミに公開した「細君譲渡事件」が、当時話題になったエピソードも知り、著名作家の作品以外に、その人間性や心理などは大変興味深いものでした。 今回の散策は江戸期の武士姿や庶民の生活ばかりでなく、明治から昭和における文学の足跡の一片なども学べて、内心いろいろ楽しめた散策でした。  恒例の打ち上げは、水道橋の居酒屋で行い、今日の感想とそれぞれの最近の話題を肴に して、賑やかに盛り上がり、次回も行うことを確認して散会しました。 (文:石井義文)
 
スライドショー     

第2回 両国・佃島

2008年12月08日(月) | コメント(0)
〔隅田川界隈〕 平成20年11月8日(土)
  今年3月に行った「お江戸散策」で第1回皇居界隈に続き、第2回は隅田川畔界隈の散策を行いました。コースは、両国駅から始まり、以下→両国国技館安田庭園震災慰霊堂吉良邸跡回向院芭蕉記念館→(昼食)芭蕉稲荷神社清澄庭園霊厳寺成等院深川不動尊富岡八幡宮→東京海洋大学→相生橋→大川端リバティ→佃島・住吉神社→佃島大橋佃の渡し聖路加タワー病院→築地本願寺→歌舞伎座までを歩く約25,000歩の健脚行程でした。参加者は皆、60歳の半ばに差し掛かるのに、この健脚コースを生憎の小雨に遭遇しながらも元気に歩き通しました。各史跡での説明は、各担当者が解説資料を読上げ、全員がガイドになりました。この散策コースには多くの江戸時代の歴史的に興味深い史跡や庭園があり、それらの香りを味わえるとともに、晩秋の隅田川も春に劣らぬ落着きのある風情を味わうことが出来ました。そして松尾芭蕉、勝海舟、芥川龍之介、赤穂浪士、伊能忠敬、松平定信、紀伊国屋文左衛門、シーボルトなど歴史で学んだ人々の足跡などを学ぶことができ、彼らの足跡を再認識できました。そして、聖路加タワー47階の展望から東京の夜景を満喫できる圧巻の体験も得られたおもしろい「散策」でした。終了後は、東銀座の居酒屋にて本日のレビューを行い、思い思いの体験感想で場の雰囲気が盛り上がり、終始笑いに包まれました。
(文:石井義文) (資料
 【懇親会】
 参加者それぞれから感想が述べられ、和やかな雰囲気で、話題が広がり、楽しいひと時を過ごしました
スライドショー

第1回 皇居・靖国神社

2008年04月08日(火) | コメント(0)
〔皇居散策〕    平成20年3月8日(土)
  昨年、9月に開催した40余年ぶりの再会から、同じ学び舎で培った友情を育み、健康によい集いをしたいという提案から、皇居の周辺を散策し、江戸の歴史や文化を学びながら友情を深める企画が実施されました。同期生全員への案内ではなく発案者の身近な人々による開催であったことから、参加者は限られました。それでも、近くに住みながら、訪ずれたことのない方、歴史に興味をもたれた方々、22名が参加しました。東京駅から江戸城大手門、皇居東御苑、北の丸公園、靖国神社、半蔵門、憲政会館、桜田門と皇居を一周し、興味深い新しい知識を習得しました。また、幸運にも武道館前の公共施設休憩所で一同一緒に、円卓囲むようにして昼食ができることになり、懐かしい話に笑いで包まれました。締めくくりは、東京駅八重洲口の居酒屋で、きょう1日のレビューと懇親会を行い、いろいろあった楽しい日を語らう、よい思い出となりました。この散策は、多くの皆さんが楽しまれ、次回も他の場所を選んで行うことになりました。




〔今回散策した所と関係事項〕
01. 東京駅 02. 丸の内 03. 江戸城 04. 大手門
05. 北の丸公園 06. 科学技術館 07. 吉田茂像 08. 武道館
09. 田安門 10. 靖国神社 11.  大村益次郎像 12. 千鳥ケ淵戦没者墓苑
13. 英国大使館 14. 半蔵門 15. 国立劇場 16. 憲政記念館
17. 三宅坂 18. 桜田門 19. 桜田門外の変 20. 楠木正成像

(石井義文)
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