開催日 | 平成25年10月30日(水) | |
開催場所 | 横浜 崎陽軒本店 | |
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開催日 | 平成25年10月30日(水) | |
開催場所 | 横浜 崎陽軒本店 | |
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開催日時: 開催場所: 会 費: |
平成25年10月30日(水) 14時~17時 崎陽軒本店(横浜駅東口) 10,000円 |
〔第12回幹事〕 | |
1組 安藤敏子、萩原美江 2組 山口浩嗣、吉澤正子 3組 清水秀紀、飯塚里美子 |
4組 石垣英樹、石渡利治 5組 長谷川知司、渡邊洋司 6組 三ツ田一清、川端輝満 |
〔幹事一同〕 | |||
1組 2組 3組 4組 5組 |
鈴木悦子,今井芳子 大谷信子,堀越郁男 横沢陽子,石井エミ子 前原義明,野村啓子 池田京子,大原礼子 |
6組 7組 8組 9組 |
小倉幸夫,横山慎一郎 遠藤 悟,枝元正典 河崎幸一,宮山靖男 井上文雄,入口 勇 |
第9回 多摩高4期同期会開催 祝古希記念同期会 | |
実施日平成25(2013)年10月19日(土) 12:00~15:30 | |
会 場 日本料理 柏屋(川崎市多摩区) | |
出 席者 【来 賓】恩師: 櫻井義英先生、三浦敏雄先生 古谷嘉邦先生、木村喜行先生 同窓会: 田辺政和副会長 【同期生】48名(計:53名) |
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第9回4期同期会は『祝古希!!多摩高4期生記念』と銘打って開催されました。 今回の開催幹事は2組の10名が担当し、サポートスタッフとして、3組の林三男さん、4組の鈴木靖雄さん、7組の森繁昭さんに 加わっていただき、企画、運営、写真等すべてにわたりお世話いただきました。幹事一同皆感謝しております。 今回は「古希のおもてなし」をテーマとして企画し、古希にふさわしい祝いの膳と「祝古希多摩高4期生」と銘打った記念のボールペンを用意することができました。 今回も昨年同様、 一次会(食事会)は柏屋3階の大広間で、二次会(懇親会)は席を3階の「福寿の間」に移して行われました。 食事会はいつも元気な柴田君代さん(2組旧姓:渡辺)と渋谷(2組)の司会で始まり、幹事の挨拶、乾杯は毎回出席をいただいている数学の木村先生に音頭を取っていただきました。乾杯の後、今回は特に古希らしく豪華に盛り付けされた大きな車海老、煮物、お造り、お赤飯など柏屋自慢の会席料理を満喫いたしました。 宴なかば、来賓の方々よりご挨拶をいただきました。櫻井先生、三浦先生、古谷先生、木村先生、田辺同窓会副会長と続き、皆様より古希のお祝いのお言葉をいただきました。次回幹事にあたる3組の林三男さん、阿部芳雄さんにも挨拶をいただきました。 つづいて「お便り紹介」の時間となり、下山先生をはじめ各組2~3名の欠席した方のお手紙を朗読いたしました。闘病生活の方、夫に先立たれた方、親の介護で奮闘されている方、趣味を楽しんでいる方、いまだ現役の方などのお便りを2組の岡本さん(旧姓:榎田)がNHKの「ラジオ深夜便」のような見事な朗読をしていたのが印象に残っております。 今回、校歌は6組の高岡信雄さんに指揮をお願いし、全員で校歌を高らかに斉唱しました。 一次会の最後に全員の記念写真、組別の写真を4組の鈴木靖雄さんに撮っていただき、食事会はお開きとなりました。 懇親会は席を「福寿の間」に移して行われ、乾杯の音頭を6組の竹内碩郎さんにお願いしました。 近況報告は遠方よりお越しの大野寿美子さん(1組、旧姓:柳沢)高橋恵美子さん(1組、旧姓:嘉山)大森紀子さん(4組、旧姓:山縣)野田恵美子さん(5組、旧姓:原)谷野隆彦さん(7組)木村宗光さん(7組)にお話をいただきました。途中、思いもかけず、6組の高岡信雄さんの素晴らしい歌には皆が感動しました。最後に全員で「高校三年生」と「故郷」を合唱し、閉会の挨拶を2組の下平公子さん(旧姓:小山)に7組の保木正和さんには景気よく「3本締め」で締めていただきました。 皆様、ご協力ありがとうございました。来年まで同期生の皆様お元気で…… (第9回同期会開催幹事2組) 山本光次、大森巌、青嶋(都倉)菊江、石沢(青木)保子、岡本(榎田)紀子、奧山房枝、下平(小山)公子、柴田(渡辺)君代、四方田(山本)恒子 :代表、渋谷鋼太郎 |
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今年は三浦市諸磯海岸民宿でぐち荘で、平成25年10月19日から一泊二日で毎年恒例のかなめ会を開催。 石原先生以下男子12名女子1名の計14名が集合しました。 夕方6時30分開催予定にも関わらず、例年の如く4時にはほぼ全員が集合し幹事部屋?を占拠、軽く??酒盛りが始まる和気藹々と したいつもながらの会である、別段これといった趣向がある訳でなく、一年に一回、恩師石原要一先生の元気なお姿を拝見し自分達の幼き高校時代を思い出し互いに喜び慰め?合うのです。 会食中もそんな話から近況報告へと移り、情報交換の場へと移り 二次会はもうわけがわかりません。 しかし翌朝はしっかりと全員目覚めて朝食をとりその後三浦岬の市場へ、そしてそのまま我が家へ?直帰する者、途中で農協へ立ち寄り物産を買いだめする者と三々五々解散となりました。 来年(今年)、平成26年も元気に健康で過ごし再会を約束し 終了しました。 ぜひ女性群もふるって参加してくださると嬉しいのですが |
第18回お江戸散策は市ヶ谷、神楽坂界隈を選んだ。神楽坂界隈は、江戸時代後期の安政年間に牛込花街が開け、明治以降は山の手随一の花柳界として発展した。関東大震災後は、日本橋・銀座方面より商人が流入し、夜店が盛んになり、山の手銀座といわれ、一段とにぎわいを増した。コースには小説家尾崎紅葉、泉鏡花、日本最初の歌う女優で知られた松井須磨子、文豪 夏目漱石の足跡もあり、先を楽しみにしながら出発した。最初の散策地は、市ヶ谷駅を出たところ石垣の遺構が残っている市ヶ谷見附跡、明治になってから取り壊されて面影はないが、残された石垣から、現存する大手門や桜田門と同様の門があったことが偲ばれる。ここから外堀の桜並木道を歩き、新見附橋を渡って、市ヶ谷佐土原町に入る。佐土の名は、江戸初期、家康の重臣本多佐渡守正信が住んでいたことに因んでいて、ここの一角に、浄瑠璃坂と云う所があり、江戸の初期に仇討ち事件があったという。次の散策地は、最高裁判所長官邸の近くにある箏曲家宮城道雄旧宅、現在記念館となっていて、友人だった佐藤春夫撰文による略伝碑が建っている。この付近は、江戸時代中期中御徒町と云い、多くの下級幕臣が住んでいて、幕臣で、狂歌師であった大田南畝、別号蜀山人も住んでいたという。ここから神楽坂方面に歩くと、右手に光照寺という浄土宗の寺院がある。この地は家康が江戸に入府する前は、大胡家という豪族が居城としていた牛込城があった所で、寺の南側は谷になっており要害の地であったことが窺える。境内には出羽酒井家歴代藩主の墓や旅先で亡くなった人の菩提を弔う諸国旅人の碑など見所がある。寺院を出た東の坂道を下ると神楽坂の繁華街の通りにでる。ここの繁栄の中核を担ったのが毘沙門天信仰で名高い善国寺で、幸いにも今日は寅の市が開かれていて賑わっている。本堂前には、狛犬ならぬ 毘沙門天に因み虎の像が二対居て迎えてくれる。境内には沢山の参詣者が居て、むかしの賑わいが浮かんでくる。神楽坂は多くの著名人たちが浮名を流した所でもあり、戦後政治の重鎮三木武吉や元首相 田中角栄ゆかりの料亭松ケ枝の跡や泉鏡花ゆかりの料亭うを徳、柳家金語楼、勝新太郎が住んでいた寺内地区、そして奥座敷の風情を残している兵庫横丁、芸者新道、かくれんぼ横丁など、夜の盛り場の趣があるところを逍遥したところでランチタイムとなった。今回の散策は8名の参加者だったので、都合よく、全員が入れる良いそば処があり、ゆっくりと腹ごしらえをすることにした。昼食後は、盛り場から離れたところにある築土八幡宮を参詣した。参道の階段途中にある石造鳥居は新宿区最古のものであるという。また、「金太郎」「一寸法師」を作曲した田宮虎造が境内傍に住み、当社と縁があったことから、彼の遺碑が残されている。次に向かったのが、赤城神社。上野国赤城山神社の霊をこの地に勧請して以来、牛込郷の総鎮守社として幕府に 庇護されてきたといい、大鳥居や社殿から格式と財力があるようにみえた。島村抱月が興した芸術倶楽部座は程近いところにあったが、いまはマンションになっていて、説明板だけだった。その先にある尾崎紅葉が居住していた家は、当時の家主、鳥居氏が現住している。弟子の泉鏡花も、この家の一角の部屋に寝泊りしていたという。この辺りは横寺町といい、ここから西に向かって南榎町へ進む。道の左に石柱が見えてきた。林氏墓所と書かれている。江戸幕府の儒講所を司った林羅山以後の当主たちが眠っている。墓所は施錠が掛けられていて入れないが、隙間から約50基あるという墓碑を見ることができた。ここから外苑東通りに出て、北に向かって200m程行った右手に浄輪寺の参道が見える。この寺院本殿の右奥に、日本が誇る江戸時代の数学者 関孝和の墓所があり、東京都指定史跡と書かれた解説板があり、「算聖」と称えられたことを記している。この寺院に隣接した真言宗多聞院には、島村抱月を愛して、彼が死んだ2ケ月後に後追い自殺した松井須磨子の墓がある。墓前で、彼女の大ヒット曲「カチューシャの歌」を皆で合唱して供養した。次の古刹宗参寺には、江戸期の儒学者山鹿素行の墓や乃木将軍手植えの梅木があり、これを拝観した。次に訪れたのは、夏目漱石が「三四郎」 「それから」、「門」などの傑作を執筆し、死去するまで住んだ漱石山房の跡地。この漱石山房は平成29年に復元されると云う。このあとは、足利氏ゆかりの月桂寺を経て、現在、防衛省がある旧尾張藩上屋敷跡を塀沿いに半周あまり歩いたが、長く続く塀に、大名屋敷の広大さを改めて認識する。ここで時計を見ると4時近くになって気温も下がってきた。足早に最後の散策地、市ヶ谷亀岡八幡宮に向かう。幕府の庇護を受け、隆盛したという同社は急な石段や鳥居からも往時を偲ぶことが出来る。偶然にも社殿で結婚式をしている場面に遭遇し、終わりめでたしで、本日の散策を閉じることができた。この後は、全員残留して懇親会に臨み、駅前の居酒屋で、本日を振返った。 (報告:石井義文) |
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〇 | 〔幹事〕 3-1 3-2 3-3 3-4 3-5 3-6 3-7 3-8 |
(女性は旧姓) 中山、楯岡 太田、宮永 成田、堀内 千石 青木 伊藤、小島、矢島、荒木、輿石 山本、吉田、伊藤、晴柀、中村 鴨田、馬場 安楽、小西、渡部 |