第5期生

第2回 鎌倉ウォーキング 巨福呂坂・亀ケ谷坂切通しめぐり

2015年04月02日(木)
 鎌倉はおもしろいと人々がいう。それは鎌倉の歴史を少しかじり、その予備知識を持って出かけ、史跡をめぐるだけでなく、そこで起きた歴史ドラマをイメージすることで楽しさが一層膨らむからなのでしょう。
 3月26日(木)、本日も晴天に恵まれ、気分爽快のなか、第2回鎌倉ウォーキングを実施した。鎌倉七切通しのうち2か所を歩くことに加え、150年間続いた鎌倉幕府が、3ケ所も移転して置かれた史跡、鎌倉の中心地、鶴岡八幡宮界隈、そして扇ケ谷から北鎌倉界隈の史跡の寺社仏閣25か所の散策を行った。
散策箇所は、下記のとおり。
大巧寺:頼朝の戦評定で武運があったことで知られ、安産の神「おんめ様」で知られる寺。
若宮大路と段葛:京の朱雀大路に模して造られた参道で、段葛は、政子の安産を祈念して造られた
宇津宮辻子幕府跡:北条氏が幕府の実権を握った機会に、大倉幕府を移転して造られた。
若宮大路幕府跡:宇都宮辻子幕府のあとに置かれ、幕府滅亡まで98年間置かれた。
源平池:源氏と平氏の繁栄、滅亡を祈念して造られた人工池。
大倉幕府跡:源氏三代と尼将軍北条政子が全国統治をしていた45年置かれた政治の中心地。
法華堂跡と源頼朝墓:源氏の重要御家人三浦一族は頼朝の墓のある法華堂に立て篭もり滅びた
大江広元・島津忠弘墓:675年の武家政権を終焉させた長州と薩摩の先祖はお隣に眠る。
白旗神社:小田原征伐後、豊臣秀吉は本殿にある頼朝像に向かって「天下友達」と言った。
若宮(外宮):材木座近くにあった八幡宮を遷座して造られた宮で、外宮とも言われる。
舞殿:静御前は死をも覚悟して、頼朝の面前で、義経を恋い慕う歌を凛として舞い歌った。
楼門:重層入母屋造りの楼門は、随身門とも呼ばれ、扁額の「八」の字は鳩2羽を向い合わせている。
鶴岡八幡宮本殿:第三代征夷大将軍源実朝が暗殺された歴史的大事件はここで起こった。
今宮神社:三人の天皇を祀っている神社。
二十五坊跡:将軍を暗殺した公暁は、二十五坊の別当であった。
道元来訪碑:権門に近づくことを避けた曹洞宗開祖は源実朝の供養法会のため鎌倉に下向した。
巨福呂坂切通:鎌倉七切通の一つ。時宗の開祖一遍上人と執権北条時宗がこの通りで行き合った。
  昼食を巨福呂坂付近の「そば処」で取って、午後からは、青梅聖天脇の間道を抜けて扇ケ谷に入り
 下記の史跡をめぐる。

青梅聖天社:夫婦和合と道中無事のご利益で知られる双身歓喜天を祀る御堂
浄光明寺:足利尊氏が後醍醐天皇に反逆する決断をした寺院。藤谷黄門の墓がある。
岩舟地蔵堂:頼朝の長女大姫と木曽義高の悲劇を伝える御堂
薬王寺:徳川家と縁が深く、3代将軍家光の実弟、駿河大納言の供養塔がある。
亀ヶ谷坂切通:鎌倉七切通の一つで、頼朝が初めて鎌倉入りしたときに通った。
長寿寺:足利尊氏ゆかりの寺院
浄智寺:鎌倉五山第四位の名刹で、阿弥陀・釈迦・弥勒の三世仏、愛嬌の布袋様で有名
東慶寺:執権時宗夫人が開山し、後醍醐天皇の皇女や豊臣秀頼の娘が住持をした女性を救う駆け
  込み寺。多くの著名人が眠ることで有名。
  今回の鎌倉ハイキングは、鎌倉ミステリーと云われる所を訪ねて、その隠された歴史の謎を解き明かし、推理する面白さを味わえたこと、そして道なき道を歩くスリリングな所のハイクもあり、大いに楽しめた一日でした。(石井義文).
 

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