♪ 六郷渡れば川崎の万年屋 鶴と亀との米饅頭 こちゃ急いで神奈川へ ♪と民謡「お江戸日本橋」の2番で歌われた「米饅頭」は江戸時代から鶴見の名物である。鶴見駅近くの老舗「清月」で買って、おやつを手に入れたところから、第2回横浜散歩が始まった。鶴見の名刹、曹洞宗大本山「総持寺」に向かう。全国に末寺1500余寺を抱える大寺院は、山門、大祖堂など圧倒する威容を誇っていた。境内には、数十本の赤い花を咲かせたエゾヒガンサクラが満開になっていて美しい。墓域には、人気俳優だった石原裕次郎の墓があり、折しも彼岸日であることもあり、沢山の花で墓石が覆われていた。墓所の左には、裕次郎夫人、北原三枝さん自筆の墓碑が置かれていた。総持寺の次は、生麦事件現場に向かう。旧東海道に面したところに鶴見線国道駅があり、昭和初期の懐古的建物に興味を感じた。旧東海道のこの界隈は、漁村として知られたところで、現在でも魚店が軒を並べていて活気がある。この一角で、1862年9月14日午後3時ころ、薩摩藩島津久光一行の行列に無礼を働いた角で、イギリス人4人を殺傷される生麦事件が起きた。この詳細を理解するべく「生麦事件資料館」へと向かう。資料館は、生麦で酒店を営んでいた浅海武夫氏が自宅を改造して作ったもので、われわれ16名が入ると部屋がいっぱいなった。浅海館長の、約1時間に及ぶ講演ビデオを鑑賞して、事件の真相とその後この事件が倒幕の遠因になったことを学ぶ。84歳のご高齢とは思えない言語明瞭で迫力のある語り口の浅海館長の説明に感服。退出時、一緒に記念撮影を収めさせていただき、ハッピーな気分になったところで空腹を感じてきた。近くの若い人たちに人気のあるキリンビアビレッジのレストランで昼食を取ることにした。
うまいビールに、美味しい料理、これもハッピーであった。 |
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