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2.葛飾八幡宮 葛飾八幡宮は、寛平年間(889-898)宇多天皇の勅願によっ て勧請・創建された。源頼朝、太田道灌そして徳川家康など 武人の崇敬を集めてきた。治承4年(1180)源頼朝は安房から下総国府へ入ると、自ら参詣して源氏の武運を祈願し、建久年間(1190-1199)には千葉常胤に命じて社殿を修復させたという。また、文明11年(1479)太田道灌は臼井城の千葉孝胤を攻めるため、国府台に築城のさい、関東の安泰を祈って参拝し、社殿の修理を行った。更に天正19年(1591)には、徳川家康が社領として朱印52石を供御して崇敬している。 明治維新の神仏分離のときまでは、当宮境内には上野東叡山寛永寺の末寺が、別当寺として存在した。現存する鐘楼は往時を物語る貴重な建物である。また、山門には左右両大臣像が置かれ随身門と呼ばれている。この随身門は市指定文化財である。本殿の東側にそびえる「千本公孫樹」は、天然記念物として国の指定を受け、寛政5年(1793)に発掘された元亨元年(1321)在銘の梵鐘は県指定文化財であり、梵鐘の銘文からも当宮創建の古さがうかがえる。 当宮の祭礼は9月15日から6日間にわたって行われ、俗に「八幡のぼろ市」と呼ばれる農具市が立ち、関東一とまで言われほど賑わう。二月の初卯祭は湯立神楽、宮司舞などの祭事が行われる特殊神事の祭りである。
5. 日蓮宗大本山正中山法華経寺 法華経寺は、鎌倉時代の高僧日蓮大聖人が最初に教えを説き、開いた霊跡寺院である。 中山の地は日蓮聖人の法難の際の安らぎの地であり、説法の地でもある。総門(黒門)は江戸初期の建立された高麗門という様式で左右の控柱の上にも屋根が見られる。中央の扁額は五行の漢文で、日蓮が初めて百日百座説法を行った根本道場の意が記されている。筆は太田道灌の末裔、掛川城主・太田資順(すけのぶ)による。つづく仁王門(赤門)の扁額「正中山」は本阿弥光悦の書で、総門と両扁額ともに市川市の指定文化財である。日蓮聖人御真刻の鬼子母神が安置されている鬼子母神堂は、江戸三大鬼子母神にも数えられ、信仰厚く、子育安産、病気平癒の祈祷、社運隆盛のための参詣者が多い。日蓮宗の祈祷根本道場で11月1日から2月10日まで結界の中で寒百日大荒行が行われる。1日7回の水行と読経全国の僧175人ほどが修行中で、荒行堂から壮絶な読経の声が響いてくる。2月10日の成満会には、未明から大勢の檀信徒が詰めかけ荒行僧を出迎える。境内は文化財の宝庫である。国指定重要文化財の祖師堂や法華堂、国宝である日蓮聖人の御真筆(立正安国論、観心本尊抄)、加賀藩主の前田利家公から寄進された五重塔が建ち並ぶ。近世以前の五重塔(江戸初期1622年建立)は千葉県唯一。朱色が冬の青空にひときわ映え、風景に彩りを添えている。千葉県で一番大きな「中山大仏」もある。「塔の中に地震計を設けて、昔の耐震構造を研究とのこと」建物の中でも異彩を放つのはインド様式の聖教殿。「立正安国論」や「観心本尊抄」をはじめ、日蓮聖人直筆の遺文などが多数保管されている。春秋の彼岸法、お千部、お会式、日蓮宗大荒行堂開設や聖教殿のお風入れ(11月3日)もある。春のお花見、節分会、そして初詣では、参拝客で広い境内も大いに賑わう。
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