平成23年12月吉日、天候曇りのち晴れ 気温やや肌寒し。8名の参加者とよこすか散歩を行いました。 横須賀という町のイメージを、市の広報を読むと以下のような事が書かれていました。 ○JR駅前の公園から港の日米艦隊、イージス艦の見える町、 ○ヤマトタケルが東征時に上総国へ渡航した町、 ○南房総へ35分(フェリー)で行ける町、 ○ペリー来航、開国と歴史の町、 ○小栗上野介が横須賀造船所を建設した町、 ○日本最初の洋式灯台観音崎灯台のある町、 ○ロシア艦隊を破った戦艦三笠に乗艦・見学できる町、 ○日本でいちばんトンネルの多い町 120ケ所、 ○晴れた空にいつでもトンビが帆翔している町、 ○郊外では今でも野菜の無人販売スタンドがある町、 ○日本で唯一のIT自治体に選ばれた町、 ○ヨットとウィンドサーフィンが冬でもできる町、 ○日本海軍直伝「よこすか海軍カレー」の町、 ○観音崎・猿島・海堡など東京湾要塞があった町、 ○源実朝が三浦一族とともに花見に興じた町。 この様に歴史と文化に満ち溢れた横須賀のほんの一部をたずねて散歩しました。 |
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突然の訪問でしたが、気さくに三浦按針のお話をしていただきました。田口さんは、アダムスの出身地、英国、メドウェイ市にも、度々訪問して、現地の市長さんたちと交流を深めております。 | 明治22年、横須賀海軍基地の増強に伴って建設され「階段がない駅」として知られている。駅舎は、完成当時と変わらずレトロファンに親しまれています |
フランスの造船技師レオン・ヴェルニーは、1865年に来日してから12年間、横須賀造船所建設に献身的に取り組み、日本の近代化産業発展の基を築きました。彼の功績を顕彰した記念館には、造船所建設だけでなく、走水水道施設や観音崎灯台建設にも貢献した業績が、当時に使用されていたスチームハンマー等と共に紹介されている。 | 横須賀の人気スポット、「ドブイタ」通り。昼前の時間なので、酒場のほとんどは閉まっているが、英語名の店が立ち並び、夜の賑わいの様子が偲ばれる。「スカジャン」で知られる店に入って店主に、本物と贋作との違いなどを教えていただくとともに、「円高で米海軍の人たちは買い物してくれない」とリアルな景気状況を教えていただいた。 |
三笠公園内に置かれている戦艦三笠には、人気ドラマ「坂の上の雲」おかげで、全国から多くの観光者が訪れています。大日本帝国海軍連合艦隊の旗艦で、全長130m、総排気量15,000トン、30センチ砲、前後2門づつ4門、15センチ砲左右7門づつ、14門を備えた、英国ヴィッカース社製の最新鋭艦でした。 | 偶然、お目にかかれたガイドの古宇田さんは、この記念艦を説明させたらナンバー1と言われる深い知識を持たれている方で、「東郷元帥は身長153cmであった」「丁字戦法の発案者は秋山真之ではなかった」「日露戦争を勝利に導いたのは山本権兵衛首相だった」等ドラマからは、知りえないエピソードを解説してくれました。 |
永嶋家は苗字帯刀を許されたこの地域の名主で、その屋敷の長屋門は朱色に塗られていたことから、通称赤門といわれていました。間口8間、奥行き2間ケヤキづくりの堂々たる門で、江戸時代に造られたものです。 坂本龍馬妻おりょうさんは、龍馬が死んだあと、各地を転居していますが、人生後半の33年間をここ横須賀で暮らしていました。 |
横須賀中央公園一帯は、明治24年ころ米ケ浜砲台山と言われていたところで東京湾の防備のため、28サンチ榴弾砲が据付けられていました。日露戦争の旅順攻撃に手こずっていた陸軍は、ここの大砲6門を旅順に送り、二〇三高地攻略に使用し、旅順要塞を陥落させました。この地に、据えられた榴弾砲は1発も砲弾が発せられることなく、終戦後、撤去されました。 この公園には、文化会館、博物館があり、横須賀の造船所建設に貢献した、小栗上野介、栗本鋤雲の胸像が立っています。 |