2013年

第55期生 卒業式

2013年04月01日(月) | コメント(0)
第55回 卒業式

3月1日(金)、55期生の卒業式が厳かに母校体育館で行われました。
9時30分、在校生や大勢の保護者の見守るなか、卒業生が緊張した面持ちで入場、全員による国家斉唱に続き、クラス単位に卒業生の名前が一人ひとり読み上げられ起立する、「卒業証書授与」が行われました。
「学校長の言葉」に続き「PTA会長」「同窓会会長」がそれぞれの立場から祝辞を送りました。
「在校生代表の言葉」では多摩高校の伝統を引き継いでいく決意などを柱とした言葉が卒業生に送られ、「卒業生の言葉」では卒業生代表が在学中に学んだことを通して得られた知見などを披露し、いずれも卒業式にふさわしいすばらしい内容でした。最後に「多摩高校斉唱」ののち、卒業生がクラスごとに順次退場し滞りなく厳粛な卒業式は終了しました。
卒業生が母校で学んだ成果をもとに、経験を積み重ね大きくさらに羽ばたき、実り多き人生を歩まれることを心から期待しております。


(文責:多摩高校同窓会 会長 安部卓見)


 
   平成25年(2013)2月23日(土)に、第14回 お江戸散策を実施しました。寒気きびしい折りながら絶好の晴天に恵まれ、東京駅を起点にして、京橋・銀座・日比谷の史跡めぐりを行いました。昨年、秋に建て替えられた東京駅には、日本建築の技巧や文化の数々が活かされていることを知り、改めて東京駅に対する愛着が深まりました。
鍛冶橋付近では、坂本龍馬が江戸に出て剣術修行をした道場跡を訪れて、しばし龍馬論を語りながら、京橋に辿り着きました。京橋には歌舞伎猿若座発祥の碑文が建てられており、昨年暮れに他界した名優18代目中村勘三郎の在りし日を偲び、しばしの語らいとなりました。銀座通りでは、翌日の東京マラソンを控え、大会関係者が、その準備をしている光景が見られました。昼からは、歩行者天国になり、世界の名店が並ぶこの通りを歩くと何かパッピーな感じになり、気分も爽快になりました。宝くじ売り場で有名な西銀座チャンスセンターの一角には、かって一世を風靡した名曲”銀座の恋の物語”の碑石が建っている。例のごとく、ハーモニカの伴奏で、この名曲を皆で歌う。古希が真近という面々であるが、気分はみな青年である。 昼食を銀座三越屋上にあるレストランで取り、そこに鎮座する出世地蔵尊にゴリヤクを祈願して次の散策地、建て替え工事完了直前の歌舞伎座を訪れる。 開業を待ち侘びているファンがきょうも多く集まってきていた。やはり、浅草と並ぶ東京の名所である。 ここ木挽町には江戸期幕府の奥絵師として画業の頂点を成していた狩野画塾や大河ドラマ”八重の桜”に登場した佐久間象山の塾があった所で、往時を偲ぶとその情景も浮かんでくるようだ。ここから昭和通りを横切って南に下ったところに三十三間堀跡の表札があり、その裏は高速道路になっている。この高速道路は、東京オリンピック前までは江戸時代にできた掘割があったところだ。”♪銀座九丁目は水の上 今宵は舟で過ごしましょう♪”と歌謡曲で歌われたが、銀座には9丁目はない。9丁目は舟が浮かぶ掘割だったのでしょう。銀座を取り巻く高速道路は、ほとんどが堀を埋め立ててできたものだ。銀座には、福沢諭吉ゆかりの交詢社、島崎藤村の卒業した小学校、啄木が勤務していた新聞社跡そして専修大学、明治大学はここで発祥している。日比谷側に入り、帝国ホテル南側のNBF ビル外塀に鹿鳴館跡のプレートが掘り込まれている。鹿鳴館は時の外務大臣井上馨の欧化政策の一環で造られた外国要人との社交場である。明治の歴史には必ず登場する所であるが、井上が失脚すると閉鎖され、その存在が消えてしまった。
日比谷公園には、有名なレストラン松本楼があり、中国建国の父 孫文とのゆかりや平成20年福田首相のとき中国胡錦濤主席を招いた時の写真などが飾られている。 また、日比谷公園の設計者本多静六が道路拡張で伐採されそうになった大イチョウを”首に掛けても移植してみせる”と豪語した首掛け大イチョウは印象的でした。
日比谷公園の大部分は江戸期、鍋島藩と長州藩の上屋敷があった所で、西側の道路隔てた所は、名奉行と言われた大岡越前守の屋敷もありました。つまりこの一帯は大名家の屋敷が並んでいたわけです。この日比谷公園をあとにして、江戸の三森神社の一つと言われた烏森神社で参拝し、新橋駅機関車広場を見下ろせる恰好の居酒屋で反省会を行い、今日の一日を振り返りました。 (文・石井義文)

  この散策で訪れたところは以下の通りです。
東京駅
 平成24年秋に建て替えられ、100年前に建設された姿に復元しました。

千葉道場跡
 坂本龍馬が始めて江戸に出てきて、剣術修行をして、道場の娘佐奈と恋仲になったと伝わる。

江戸歌舞伎発祥の地
 中村勘三郎の先祖が歌舞伎興業を開いた場所で、急逝した18代目を偲ぶ。

大根河岸青物市場跡
 ここはかって京橋川だったので河岸と名付けられたのが理解できる。

京橋親柱
 明治初期に建てられた親柱と大正期に建てられた親柱の対比が興味深い。

煉瓦銀座碑
 明治5年の大火で銀座は全焼した。その後、由利公正の提唱で銀座は煉瓦街に生まれ変わった。

銀座発祥の地碑
 銀座の名の謂われは、江戸期この地に銀貨の鋳造、取り締まりを行ったことに起因している。

関東大震災記念碑
 大正12年9月1日に関東一円を襲った関東大震災は死者10万人余の犠牲者を出した。

銀座出世地蔵尊
 銀座三越屋上に安置されている開運、出世、延命、商売繁昌の信仰を集めている地蔵様。

狩野画塾
 江戸期、幕府の奥絵師として画業の隆盛を誇っていた木挽町狩野家の塾跡。

象山塾跡
 幕末期松代藩の海防、砲術指導の大家であった佐久間象山の塾跡。松陰の密航事件に連座し閉鎖。

芝口御門跡
 六代将軍家宣の治世下、新井白石の提唱で、わが国の威光を顕示するために建設された。

銀座の柳碑
 昭和29年、銀座の街路樹として、約400本の柳が植えられた。これを契機に中央区の木となった。

金春屋敷跡
 江戸期幕府直属の抱え能役者金春家の屋敷があったことで、この一帯を今春と呼ぶようになった。

石川啄木碑
 啄木が勤務していた滝山町の新聞社跡。"京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな"

数寄屋橋
 江戸城外郭見附として架けられた橋。戦後、菊田一夫の名作”君の名は”で橋の名は全国に広まる。

泰明小学校
 島崎藤村、北村透谷が卒業した学校として知られ、現在でも、中央区立小学校として存在。

明治大学発祥地
 権利自由、独立自治の精神を提唱して出来た「明治法律学校」は、この地で誕生しました。

鹿鳴館跡
 明治中期、鹿鳴館外交と呼ばれた、外国人要人との交流の場は、元薩摩藩上屋敷の地にあった

日比谷公園
 この公園は、造園家、公園設計者である本多静六の傑作の一つ。松本楼の首掛けイチョウも有名。

大岡越前守屋敷跡
 江戸中期の名奉行大岡越前守忠相が住まいしていた屋敷跡。この一角には東京地裁が。

烏森神社:堀留町の椙森神社、秋葉原の柳森神社とともに江戸三森神社の一つとして有名。

                                                                                   (報告 石井義文)
 
 【散策の後は・・・お疲れさまでした!】 

第4回 スキー愛好会

2013年03月21日(木) | コメント(0)
五期スキーの会 
 今年は、初参加二人を迎え、にぎやかに、スキーの会を開催した。2月21日から一泊二日で越後湯沢に行く。関西組二人が、早目の新幹線に乗ってくれたので、東京駅で六人全員が揃う。高校時代に何年の時一緒のクラスだった話から始まり、誰はどうしているか、担任は誰だったかとか、果てはJRCの話とかしている内に、到着。旅館いなもとで準備をし、湯沢パークスキー場へ。四十数年ぶりで滑る西野(井出)さんは、リフトの親父の横柄な態度もあり、気分が乗らなかったが、それでも、雪の中、初級コースを頑張る。こちらも何十年ぶりかの大日方さんは、事前特訓の成果もあり、初級コースをひたすら滑る。朝井さんのアドバイスを受け、一回毎に良くなっていく。雪が降っている事もあり、そこそこで引き上げる。早速、雪山の見える、露天風呂に入り、足腰の疲れをとる。夕食は、六人用に仕切られた場所で、板長さん自慢の料理と、日本酒で、大いに盛り上がる。
 二日目は、富さんが差し入れを持って応援に来てくれるとの事で、解り易い湯沢パークにする。行いの良さを現す快晴の中、快調に滑り始める。富さんが現れ、一緒に昼食を食べながら、また、昔話でワイワイガヤガヤ。なんとJRCが三人も居るので驚いた。 楽しく滑り終わって、温泉に入った後、更に打ち上げ飲み会。またもや、日本酒と蕎麦で盛り上がって、そして列車へ。充実した楽しい二日間であった。 なお、これに先立ち、日帰りで、四人グループで、湯沢パークに足慣らしに行った。相当久しぶりの岡本さんも、慎重にしかし、しっかりと滑っていた。その写真も掲載する。

(佐々木記)
  旅館いなもとにて 

平成24年度 臨時幹事会

2013年02月27日(水) | コメント(0)
  <多摩高校同窓会幹事会>

  平成25年1月27日(日)川崎市総合自治会館において幹事会を開催しました(参加者31名)。安部会長の挨拶に続いて9期生 の石田賢氏から「日本企業の再生にサムスンから何を学ぶか」という題目で講演をしていただきました。
 石田氏は慶應義塾大学卒業後、㈱三菱総合研究所勤務、㈱日本総合研究所勤務を経て日本サムスン㈱で顧問を務められ、現在は日韓ビジネス の連携を含むアジアの事業展開に関するコンサルティングを提供するなど幅広い活躍をされています。講演内容はサムスン電子と日本企業との違いを、人材づくり、意思決定のスピードなどを例に挙げて、特徴的、具体的にわかりやすく説明していただきました。講演内容には、サムソンの経営戦略として下請け企業を厚遇する姿勢や稟議書(りんぎしょ)の簡略を採用して、迅速な決断と実行を進める姿勢、そして製品には徹底したコスト削減を求めながら品質の維持を図る緻密(ちみつ)な戦略ーその一例として、他社が50余本のねじを使用するに対して、僅か12本で同等製品を完成させているというような、興味深い話を披瀝していただきました。講演後、石田氏は「ひとりも居眠りしている人がいなくて良かった」と笑いながら謙遜されていましたが、質疑応答 の時間においても参加者から活発な意見が交わされ、とても充実した講演となりました。この講演の趣旨が広く関係者に理解され、日本の製造業(特に電機業界)の復活・上昇に役立てばと感じました。次の議事においては、同窓会役員から会則改正についての経過報告がありました。会員の幅広い意見を聞きながら慎重に対応 する予定です。

 その後恒例の懇親会「串駒」へ場所を移し、幹事会に出席されたほとんどの人が参加するなか自己紹介を交 えて歓談しながら親交を深めて行きました。幹事会は会員相互の幅広い意見交換を目的としていますが、参加者の平均年齢も高くなっており、20期台以降の若い会員がお気軽に参加くださることを期待しています。(事務局支援 石井義文)
 
    【アジェンダ】 【報告者】
  1
 会長挨拶
講演 「日本企業再生に「サムソン」から何を学ぶか?」      
安部同窓会会長
日本サムソン㈱元顧問
    9期生 石田賢氏
 


議事               
1) 会則改正について意見交換
  総会・幹事会・常任幹事会の在り方
2) 今後の日程について
 ・ 若手幹事会(51期生~55期生対象)
   H25年3月9日(土) 会場 母校
 ・ 常任幹事会・幹事会&懇親会     
   H25年5月26日(日) 会場 小杉地区内
同窓会に対する要望等・意見交換について
参加者の自己紹介
 ・その他


田辺副会長

田辺副会長
 
〔懇親会〕  武蔵小杉”串駒”
今回の懇親会も新旧の交流を深めることができて、誠に楽しい集いとなりました!
 多摩高13期期生同期会を下記のとおり開催します。
 開催日時;平成2546日(土曜日) 午後6時~9時頃(受付午後5時半~)
 開催会場;日本料理 柏屋(川崎市多摩区登戸2466  TEL044-911-3191
 会費;7,000円(通信費等を含む)
 ※2月初旬よりクラスの担当者が居所の分かっている方に案内を郵送しています。
 同窓会のホームページを見た方で案内が届いていない方が居られましたら
 鈴木誠までご連絡ください。
 鈴木誠メールアドレス jonnobi-mak0@jcom.home.ne.jp
 住所:〒242-0005 大和市西鶴間6-8-12