第5期生

第5回 目白・雑司ヶ谷

2010年04月13日(火)
 
  〔目白・雑司が谷・早稲田界隈〕  平成22年3月13日(土)
 第5回は大学と墓苑・公園めぐりのお江戸散策となりました。本日は好天気に恵まれ、清清しい気持ちでスタートしました。今回のコースの最初の散策地は学習院大学。皇族、上流階級の大学と思っていましたが、作家吉村昭塩野七生、ジャーナリストの磯村尚徳、俳優の田宮二郎など多才な人材を輩出していることを知りました。次は目白の名前の由来となった目白不動尊。江戸時代は大いに隆盛していて、多くの参拝客が参詣に来て、目白押しの語源はここから由来したといいます。江戸時代にもう一つ参詣客を集めたのが、平安時代に開基された古刹の法明寺の飛地境内にある雑司ケ谷鬼子母神堂。山道に並ぶ老舗茶屋、ケヤキ並木や境内のイチョウの大木は、江戸の風情を留めていて参詣の楽しみを与えてくれました。続いて訪れたのは東京音楽大学。作曲家池辺晋一郎服部克久船村徹、歌手の淡谷のり子春日八郎、そして津島恵子黒柳徹子など、多くの著名人を輩出した伝統のある学校で、事務所も音楽ホールのようなところでした。次の雑司が谷霊園では、夏目漱石大川橋蔵小栗上野介泉鏡花ジョン万次郎、らの墓めぐりをして、しばし世に名を成した人々を偲びました。この地域の風景に似合う宣教師館を見学したのち、音羽通りを横切って護国寺に入りました。護国寺は五大将軍徳川綱吉の母桂昌院が肝煎りで建立させた寺院である。偉人との関わりも深く、大隈重信山縣有朋ジョサイア・コンドルなど多くの歴史上の人物の墓があり、歩きながらの日本史学習になりました。音羽のファミレスで昼食をとった後に訪れたのは、鳩山会館。現在、いろいろ批判の矢面に立たされている鳩山由紀夫総理が幼少の折、両親と暮らしていたお屋敷です。観光バスが連なるほど、多くの観光客が訪れていたときがあり、華麗なる鳩山ファミリーの内情を垣間見ることが出来ました。ここから音羽通りを横切り西方にある高台をのぼりきってから下っていく傾斜地を庭園にした椿山荘。都内屈指のホテルであり、庭園には幾多の椿が花を開いて、われわれを迎えてくれました。椿山荘の向かいには東京カテドラル聖マリア大聖堂。建築家丹下健三の設計により、1964年に落成したステンレス・スチール張り、鉄筋コンクリート造りの大聖堂で聖堂内ではサン・ピエトロ大聖堂ピエタミケランジェロ)と同寸の精巧なレプリカやフランシスコ・ザビエルの胸像などの収蔵品を観ることができて、思わず敬虔な気持ちに浸ることができました。続いて向かったのは講談社の創設者 野間清治の収集した美術品を集めた野間記念館。折りしも横山大観展が開催されていましたが時間の都合で割愛。ここから徒歩数分の地にある細川家の家宝を収蔵した永青文庫を館外から眺めての見学でしたが、時間が取れたらゆっくり見学したいところでした。途中、和敬塾永青文庫水神社を見学して、神田川沿いにある関口芭蕉庵に向かいました。松尾芭蕉が本職の上水技術者として神田川の改修工事に従事した折に住まいした庵が復元されている。草花や木々が生い茂り、静寂に包まれたこの庵で、しばしの休息を取りました。芭蕉は俳句ばかりでなく、江戸市民の生活を豊かにすることにも貢献したと言う。次に訪れた回遊式泉水庭園新江戸川公園(旧細川庭園)も梅、さくら、木蓮、椿、こぶしなどの草木が、池のまわりに植樹されていて、気持ちを和ませてくれる公園でした。この散策のフィナーレは早稲田大学。創立125周年を記念して建てられた大隈記念タワーに上りましたが、生憎、休館で展望を味わうことは出来ませんでした。そこでは同学卒業生の佐々木さんから「建学精神」や「大学の気質について」の講義を受けました。そして気分が盛り上がったところで、創立者大隈重信の銅像前で、早大校歌を歌って大いに気勢を上げてお開きとしました。その後は、懇親会と称して、高田馬場に至る途中の居酒屋で、本日の感想を語り合い、心行くまで飲んで楽しいひと時を過ごし、1日21,500歩の散策を終了しました。

(文:石井義文) (資料
懇親会
スライドショー

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