みんなに会えると笑顔になる。そんなコミュニティサイトです。
1. 円覚寺 円覚寺は、鎌倉五山第二位に置かれる名刹で、臨済宗円覚寺派の大本山である。山号は瑞鹿山。寺院建立の開基は第8代執権北条時宗、開山は時宗に招かれて宋から来た無学祖元である。時宗は文永・弘安の2度に亘る役で死んだ兵の菩提を弔うために、弘安5年(1282)に、ここ山の内に建立した。寺域は約6万平方メートルある。寺名の由来は起工の際、地中から、仏教の経典の1つである「円覚経」を納めた石櫃が掘り出されたことから名付けられたという。創建当時の伽藍は「仏堂」「僧堂」「庫裡」があるだけであったが、鎌倉幕府の祈願所に定められてからは、土地や建物の寄進を受け、次第に大きな寺院へと発展していった。1333年鎌倉幕府が滅亡したのち瑞泉寺を開山した夢窓国師が住職になってからは、後醍醐天皇、足利尊氏らの援護を受け、寺は繁栄し、塔頭が42院を数えるに至った。山門、仏殿、方丈などが1直線に並ぶ宋の禅宗様式で建てられている。建物の多くは室町から江戸にかけて再建されている。山門には伏見上皇勅筆の「円覚興聖禅寺」の額が掛っている。鐘楼には正安3年(1301)9代執権北条貞時が寄進した洪鐘があり、建長寺、常楽寺の梵鐘とともに鎌倉3名鐘と云われ国宝になっている。鋳物師は物部国光。「皇帝万歳 重臣千秋 風調雨順 国泰民安」と刻まれた梵鐘文は無学祖元の弟子で住持であった西澗子曇が記している。蘭渓道隆、無学祖元、そそして西澗子曇らは、ともに南宋から来た中国人僧侶であるが、それぞれ5代時頼、8代時宗、9代貞時に信頼されていたと云う。また、昭和29年再建された仏殿の天井には白龍図が描かれているが、この絵は当寺、日本画家の大御所前田青邨が監修し、その弟子である守屋多々志が揮毫したものである。
仏日庵: 弘安7年(1284)に没した北条時宗の廟所として創建され、嫡男の9代執権貞時、孫の14代執権高時も合葬されている。庵に保管されている「仏日庵公物目録」には諸祖頂相をはじめ13~14世紀に中国から将来された絵画・墨跡・工芸等が記されており、中国から日本への文化の流入を知る上で大変貴重なものである。境内のハクモクレンは「阿Q正伝」で知られる中国の作家魯迅から贈られたもので、作家大仏次郎の「帰郷」の中にも描かれている。茶室の烟足軒では、北条時宗の命日にあたる毎月4日には、「四日会」という茶会が開かれていて、この四日会は 川端康成の『千羽鶴』の舞台となった。
メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です
お名前*
メールアドレス*
ウェブサイト
Δ
第5回 鎌倉ウォーキング 円覚寺~大船界隈 << >> 8期生同期会開催の報告(2015.10.17)
コメントする