第5期生

第26回 お江戸散策 小石川後楽園・江戸城二の丸庭園

2016年12月15日(木)
  12月11日(日)天候晴れながら気温10℃の冷え込む日、お江戸散策愛好者15名が、9時30分JR水道橋西口に集合した。齢72歳になりながら、皆至って元気そのものである。最初の散策地小石川後楽園をめざして出発。集合場所から5分ほどで公園に着く。高齢者の特権を活用して半額で入園した。 まづ、目にした庭園は多くの大名屋敷が採用した池を中心にした回遊式築山泉水庭園で、典型的な日本庭園の美しさが目に飛び込んできた。ここは江戸期徳川御三家水戸藩の上屋敷があったところである。第2代藩主 徳川光圀(水戸黄門)は、明国から招いた儒学者 朱舜水の助言も取入れ、到る所に中国様式の建造物を造っている。なかでも円月橋は水面に写ると円形に見える特異なもので庭園の中の珠玉を放っている。また、光圀は愛読した史記の中の伯夷伝を読んで感銘を受け、伯夷、叔斉の木像を安置した得仁堂を建立している。庭園の名は後楽園といい、故事「先憂後楽」に因んで水戸黄門自らが名付けたものである。園内には梅林、稲田、花菖蒲、藤棚などの田園風景が展開しており、晩秋には真紅に紅葉した木々がわれわれの目を楽しませてくれる。1時間ほど園内を周遊して景観を満喫し、公園を後にして、次の散策地東京大神宮に向かった。飯田橋から九段へ辿る大通りの信号2つ目を右折して、100m程坂を登った所に東京のお伊勢さまと呼ばれる東京大神宮がある。縁結びの神として若者に人気のあるこの神社は、若いカップルが多勢参拝に来ていて賑わっている。若者の熱気に押されて吾々も丁重に参拝して次の築土神社へ向かった。築土神社は日枝神社、神田明神とともに江戸三社の一つで、格式が高く、重税に苦しむ庶民のために朝廷に反旗を翻した平将門を祭神としていて江戸庶民に崇敬されていると云う。社殿裏側を降りていくと靖国通りに出た。靖国通りを横断した右手には、九段会館がある。東日本大震災のとき専門学校の卒業式の最中に天井が落下して多くの死傷者を出して休業し、その後廃業したとかで館は閉鎖されていた。九段会館を横目に先に進むと、江戸城内堀が右手に見え、豪壮な構えの枡形門が見える。 清水門である。この門は、明暦大火の翌年、1658年に建てられたもので、国指定の重要文化財になっている。この門をくぐり進んだ先に「武道館」が見えてきたが、この一帯は、江戸期御三卿清水家の屋敷があって江戸城明け渡しの後、天璋院篤姫は、大奥からこの屋敷に移ったと云われている。時は昼飯どき。気温も温かくなってきた。武道館前にある休憩所でランチを取ることとした。(つづく)
ランチタイム
  昼食後は、すっかり紅葉して晩秋の美を堪能できる北の丸公園東側の散歩道を進むと、乾門前にでる。そこを濠に沿って少し下ると江戸城東御苑の入口北桔橋がある。橋の東側の乾濠、西側の平河濠と高い石垣の美しさは格別である。お城大好きの人々に愛される景観だ。橋を渡って城内に入ると正面に大きな石を平面に切り込んだ巨大な石垣が見える。 江戸城天守閣跡である。南側に回り込んで、天守台への道を登る。北側には武道館、南側の眼下にはかっての大奥跡、東側には丸の内ビル群を望むことができる。しばしここで眺望を楽しんだのち、蓮池濠の石垣上に建てられた長屋「富士見多聞」内部を見学。江戸城には多くの多聞があったが現在残されている貴重な遺産である。それから吉良上野介刃傷事件で有名な松の廊下跡、大奥跡などを見学して、紅葉の名所 二の丸庭園に移動する。午前中に見学した後楽園と比しても劣らない紅葉は素晴らしく訪れたことの満足感が込みあげてくる。ゆっくり歩きながら、しばし美景を堪能してから、大手門を通り抜け、江戸城を後にして、次の散策地、 将門塚へ歩みを進めた。将門塚は丸の内の一等価地にある。隣は三井物産の本社ビル(現在新築中)で、数々の呪い伝説のある霊感スポットである。今日でも献花が絶えず、祟りを恐れて、庇護されている実感を受ける。つづいて読売新聞社本社ビルの箱根駅伝歴代優勝大学碑などを見学して、本日最終散策地北町奉行所跡に向った。奉行所跡は国電のガードを抜けて八重洲口北側にある丸の内トラストシティN館脇に碑が建てられている。北町奉行所は江戸の治安を守り、犯罪を防止し、裁判を行った所である。遠山の金さんで知られる町奉行遠山景元は三年ほど在勤して後世に名を残している。以上をもってお江戸散策はお開きとし、喉を潤しに駅構内にある居酒屋へ向かい本日を振り返った。(文・石井義文)
居酒屋で懇親会
スライドショー

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