全国高校駅伝大会 2年連続出場 |
全国高校駅伝大会 2年連続出場 |
【観戦記】 たくさんのご寄付賜り誠にありがとうございました。 8:30京都に着き、東西本願寺、八坂神社をお参りしてから、第1中継所へ12:50到着。 既に沿道の歩道も立錐の余地なく応援団の人波。 石塚校長(12期)に挨拶の後、学校同窓会の応援団に潜り込み声援を送る。 1区芳賀君は唯一の3年生で35位か。ただちに西京極運動場へ同窓会役員らと移動。 寒風の中ひたすら待つ。20期とか多くの卒業生も集まる。 最後に一人を残り50mで抜いた!偉いぞ!! 40位は残念だが、卒業生は誰も非難なんかしないし、がっかりもしない。 ただただ、公立高校が、わが母校が県を代表して全国で2年連続で活躍したことがうれしい。 全国大会ならではの盛り上がりは楽しい。 あちこちの関西県人会のオジさんオバさんが皆楽しんで応援している。(19期・中島秀隆) |
|
(寄付金提供者一覧) |
全国高校駅伝に係るご報告並びに御礼 |
12月20日(日)、京都市の西京極陸上競技場を発着点とする男子第60回全国高校駅伝競走大会(記念大会)に神奈川県代表として、わが多摩高校の陸上競技部が出場いたしました。昨年に引き続き2年連続出場であり、全国大会を経験した選手が多くの残っていることもあり、監督選手ともども手応えを感じながらの出場となりました。 本年は、多摩高応援団の集合場所を第1区と2区の中継地点に設定いたしました。当日駆けつけてくださった同窓会役員の方々、本校の職員等々と選手の到着を待ちました。 1区は今回エントリーされた中で唯一の3年生、芳賀昂平君でした。 各校のエースが集結する1区を36位で2区平山雄大君(2年)に襷をリレーしました。平山君は一つ順位を上げましたが、「全国の壁を感じた」とのコメントを残しました。続く3、4区は追い上げに期待のかかる区間。12人抜きした昨年に続く3区の藤澤怜欧君(2年)は二つ順位を下げ、4区の坂本貴則君(2年)は41位で5区につなぎました。二人とも2週間前の怪我が完治していなかったので、やむを得ない結果だと思います。私は両君の走りを目の前で見ましたが、間違いなく感動する走りをしてくれました。5区の尾崎拓磨君(2年)は晴れの舞台を精一杯走り抜き、昨年も6区を走った本広大裕君(2年)も落ち着いた走りで41位を維持しました。アンカーの前野陽光君(2年)は「一人でも多く抜こう」と意地を見せてくれました。 ゴール100メートル前で1人を抜き、40位でゴールしました。総合タイムは2時間10分23秒でした。結果は40位でしたが、どの生徒も自分の力を十分発揮したと思います。県大会以降、インフルエンザの不安のなか、選手はよく練習をしていました。周りの期待も昨年以上で大きなプレッシャーもあったことと思います。しかしわたくしはこう思っています。何よりも学校に大きな盛り上がりを与えてくれたこと、選手一人ひとりの姿勢が他の多摩高の生徒に大きな感動を与えてくれたこと、そして多摩高関係者に大きな夢をプレゼントしてくれたこと等々、彼らの頑張りは年末の楽しい一大イベントでした。今回、県の代表権を得てから全国大会までの期間、同窓会の皆さまの暖かいご寄付ご支援により、多摩高の名を再び全国に示すことができました。大会を終え篤く、篤く感謝申し上げます。 今後とも多摩高に、ご支援、ご協力賜りますようお願い申し上げます。 神奈川県立多摩高等学校校長 石塚 昭司 |
【開催日】 | 2009年12月5日 |
【開催場所】 | 日比谷 松本楼 〔参加者〕 61名 |
前回の同期会からは9年ぶりとなった【第三回多摩高14期同期会】 ほんの数年前に母校を卒業したような思いとはうらはらに気がつくと50代後半になっている私たち14期生 開会してすぐには、お互いの顔と名前が一致しなかったり、自分の在籍クラスを思い出せず「クラス一緒だったっけ?」と尋ね合ったりと少々心もとないメンバーでしたが・・・ 時間の経過とともに在籍時の顔や声・仕草などが記憶の中から浮かび上がり「あぁ、その話し方変わらないねぇ」とか「体育祭の仮装行列を一緒にやったよな?」などと会話がはずみ・・・アッという間の三時間でした。 孫の写真を携帯の待受画面にしている女性もいれば「家にはまだ小学生がいるよ。教育費を稼がなくちゃ!!」と自らに喝を入れる男性もあり・・・ 大病を克服して元気な姿を見せてくれた人や不景気の波をもろにかぶり早期リタイアの道を選んだ人など、時代の流れの中で生活のベースとなるものは千差万別・・・ それでも、あの【激動の年】と言われた1969年4月に入学した14期生の心の真ん中には【多摩高魂】が健在でした!!! 次回の14期同期会は2011年秋を予定しています。 第三回14期同期会の席上で選出された10名の幹事が、今年に入り何度か幹事会を開き【神奈川県立多摩高等学校14期同期会】としての会則(規約)制定や運営費に関する会計処理、会員名簿の整備、そして同窓会担当幹事の選出などについて一歩ずつ話し合い、同期会実施への準備活動を進めています。 そこでお願なのですが・・・ 前回の同期会案内が届かなかった方や同窓会報が届いていない方は、14期会名簿上【所在不明】となっている方々です。 もし近くに該当者がおられましたら14期会事務局の高橋和男・紀美代【Mail : tamakou14@yahoo.co.jp】まで、ご連絡下さるようお願い致します。 |
|
〔高輪・三田界隈〕 平成21年12月5日(土) 第4回お江戸散策は高輪・三田界隈を選択しました。この界隈は幕末期においてイギリス、フランス、オランダ、アメリカ等の外国公使館が置かれていて、攘夷派が外国人を襲撃して殺傷するなどの事件が起きました。今回は、その事件の因果関係を学びながら散策することにしました。また、ここには「それまではただの寺なり泉岳寺」を詠われた泉岳寺もあり、討入り後の赤穂浪士たちの足跡や命運を辿ってみることにしました。コースは品川駅→高輪プリンスホテル→東禅寺(イギリス公使館跡) →承教寺(英一蝶墓所) →泉岳寺→大石良雄自刃の地→覚林寺→ 立行寺→ 大信寺 → 長松寺(荻生徂徠墓所) → 斉海寺(フランス公使館跡) →龍源寺 → 善福寺(アメリカ公使館跡) →三井倶楽部 → イタリア大使館(赤穂浪士10名の自刃地)→慶応大学三田キャンバス→薩摩藩上屋敷跡→西応寺→西郷隆盛・勝海舟会見の地などの散策です。当日は、曇天のち雨、気温やや寒いの予想の中でしたが、散策愛好者13名が参加しました。朝のうちに訪れた東禅寺では普段、一般公開をしていない奥の院や庭園を特別観賞させていただける機会を得ることができました。英国公使オールコックが駐在した部屋からは、静寂に包まれた日本庭園が広がっていました。 池にはカルガモやマガモが泳ぎ対岸の岩場にはサギが羽を休めていて、水墨画のような、当時と変わらない光景を見ることができました。また、ご住職のご丁寧な説明で東禅寺400年の歴史と幕末時に受けた大きな災難を知りました。それから、1874年に撮影された貴重な写真も拝見させていただき、当時の東禅寺山門前や寺院から見た品川沖にお台場が映っている風景を観賞することができました。今回の散策コースには赤穂浪士が4藩にお預けになって切腹したところが3ヶ所あり、彼らに名誉の切腹を断じた荻生徂徠も近隣の寺院に眠っていることに、しみじみとした悲哀のようなものを感じました。 善福寺では米国公使のハリスだけでなく、福沢諭吉翁、越路吹雪さんの足跡にも触れることができました。最後に訪れた西郷・勝会見地跡では、江戸城攻撃を寸前で中止したドラマチックな物語があり、その西郷の決断の背景には、外国勢力の強い意向が働いていたことも学びました。今回の散策は途中から雨に見舞われ、気温も下がってきて肌寒い中の歩行でしたが、皆楽しみながら元気に歩き通しました。散策後は、慶応通りにある居酒屋で懇親会を行い、先月行われた同期会や高校駅伝神奈川大会に多摩高が連覇したことなどの話題を肴にして、楽しいひと時を過ごしました。 (文:石井義文) (資料) |
|
懇親会 | |
スライドショー |