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好天に恵まれた11月21日(水)第5回鎌倉ウォーキングを実施した。9:30 参加希望者8名が北鎌倉に集合し、駅前にある鎌倉五山第2位に寺格をもつ円覚寺から散策をスタートした。小学生のころから、幾たびか訪ずれたことのある寺であるが、きょうも門前に小、中学校の生徒さんたちが集まり、見学をするところに出会った。聞けば栃木県小山から5時半に出てやって来たという。われわれもそういう時代があったなと懐かしく思った。 まず、伏見上皇直筆という山門に掲げられた扁額を見上げ、その前で記念写真を収めた。円覚寺は見どころが多く、仏殿にある本尊宝冠釈迦如来像、天井画「白龍図」には感動を覚える。塔頭 正続院にある国宝舎利殿、北条時宗の墓所仏日庵、夢窓国師の塔所黄梅院、夏目漱石ゆかりの帰源院などそれぞれ趣があり、国宝の巨大な洪鐘を目の当たりにすると訪れ甲斐を感じる。円覚寺から鎌倉街道を北に向かって歩むと信号3つ目に「光照寺」とある。光照寺は藤沢にある時宗総本山遊行寺の末寺で、山門の欄間にはクルス紋が掲げてあり珍しい。同寺には江戸幕府から取り調べを受けたキリシタンに対する文書が残されているという。寺を出て、元来た道に戻り、横須賀線を横切る道に入ると多くの高校生が歩いてくる。県立大船高校の学生とのこと。何となく多摩高生の雰囲気を感じた。大船駅に向かう道を歩きながら時刻を確かめると11:35になっている。少々、早いが昼食を取ることにした。ランチを頼んだが想定以上に安く美味しかった。 |
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食後の最初は、建長寺を開山した蘭渓道隆が、鎌倉で最初に入山したという常楽寺を訪れた。この寺院の山号は粟船山といい、大船の名はここから生まれたという。常楽寺本堂裏には、第3代執権北条泰時の墓がある。鎌倉時代でもっとも安定した政権を造った権力者の墓とは思えない質素なものなのには驚いた。この裏山には、頼朝の長女大姫の許婿でありながら、頼朝に殺された木曽義仲の長男義高の墓と云われる小さな祠がある。義高は12歳であったという。この一件で、大姫は心を病み、体も衰弱して若死にしたと云う。これより大船駅方面に向かう。横須賀線、東海道線の踏切を越えて、柏尾川に架かる戸部橋を渡った正面に「玉縄首塚碑」がある。玉縄城を守る北条氏と安房から攻めてきた里見氏との間に激しい戦が行われ、この戦で亡くなった北条側兵士の墓である。このとき墓前に植えられたという榎が今日大木になって聳えている。ここから10分ほど南下したところに、県立フラワーセンター大船植物園がある。晩秋とは思えないほど色彩豊かな草花が咲いていて、こころを和ませてくれた。園内には様々な花壇があり、季節の花が一年中絶えることなく咲いていた。この植物園の自慢は「しゃくやく」で、現在、200品種、2千株と全国一の規模を誇っていると云う。植物園から西に向かいトンネルを抜けると、右手に玉縄北条氏の菩提寺龍宝寺がある。寺院の背後が峻険な山に囲まれている要塞のようで、正面の山門をくぐると堅城の中に入ったような雰囲気を感じる。広い境内には、重要文化財に指定されている江戸時代中期の名主石井家の住居が移築されている。龍宝寺の南西にある小高い丘が「玉縄城」があったところで、江戸時代初期、一国一城令で廃城となったが、この地は三浦半島の付け根にあたり、地政学上の要所で、幕末期、老中松平定信は、外国に攻められたときの防衛前線基地として重要な場所と判断し、数千人を配置する城を築くことを計画されたという。現在、城址は清泉女子学園の学舎、校庭になっている。事前に、学園に許可を取って敷地内に入らせてもらい、往時の城址を見学した。中世の山城の形態が残されていて大いに勉強になった。校門の外にバス停があり、ここからバスで大船駅まで帰還することにしたが、折しも下校時に重なりバス停は女学生で溢れていた。満員バスに立ちぱなしを覚悟したが、女学生たちが、われわれを最初にバスに乗せてくれ、座らせてくれた。これまで19,000歩余り歩いて来て、疲労していたのでこの温かい心使いには感謝、感激だ。ウォーキングの最後に、大船観音寺を訪れる予定であったが、駅前から望める高さ25mの大船観音を拝観させていただき、本日はお開きとした。このあとは、のどを潤すべく大船駅東口にある居酒屋に入り、本日を振り返りました。 (石井義文) | |
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これより反省会 | |
祝米寿 石原要一先生 2015年 要会
2015年9月12日~13日 三浦半島油壷:ホテル観潮荘
毎年恒例の要会が開催されました。
今回は、いつもと一味違うより楽しい集いとなりました。
そうです、我らがおやじさん(石原要一先生のことですよ)が
めでたく米寿を迎えられましたので、祝賀会です。
いつものように石垣会長(3期)森田幹事(9期)の呼びかけがあり、
おやじさん(石原要一先生)をはじめ22名の参加がありました。
いつものように、18:00開宴のところ15:00頃からぼちぼちと
集まりはじめ、それぞれ眺めの良い露天風呂でくつろいだあと、
幹事室で小宴会が始まっていました。
この間、おやじさんにお渡しする色紙にお祝のコメント、感謝のメッセージ
などを書き込みました。
そうこうしているうちに、おやじさんが到着され、別室でくつろいで
いただきました。今回は奥様もご一緒です。大歓迎です。
定刻になり、いよいよおやじさんの米寿祝賀会の開宴です。
森田幹事の軽快な司会進行により、楽しい雰囲気で進められました。
祝賀セレモニーでは、まず石垣会長の挨拶とお祝いの言葉で始まり、
森繁昭さん(4期)より「記念品」をお渡ししました。
続いて、石田時雄さん(7期)から「米寿祝寄せ書き」の贈呈、鈴木一吉
さん(8期)からお祝い品「座布団」の贈呈がありました。
ここで、おやじさんから若々しい艶のある声で、れいの『きおつけ、れい』
のあと、今回の企画にたいする感謝のお言葉がありました。
遠く八丈島より出席いただいた佐藤正幸さん(8期)のご発声で乾杯し、
祝宴が始まりました。
宴会では、三崎の海鮮、三浦の野菜、肉などをふんだんに使った料理と
お酒を美味しくいただきながら、おやじさんを囲んで長寿の秘密、それ
ぞれの近況、健康の話し、孫の話し、現役時代の懐かしい話しなどを楽し
く語り合いました。
宴の中ほどで、おやじさんの奥様より今回の祝賀会にたいしての感謝の
お言葉をいただきました。
楽しい祝賀会もそろそろお開きの時間ですが、これでは終わりません。
再度、幹事室に集まり二次会の始まりです。
石田時雄さんの(実はお蕎麦屋さん)用意した日本蕎麦、幹事が用意した
酒類、つまみでこれまた楽しく駄弁り合いました。
ここでは、いつものように、気が付いたら布団の中という状態でした。
翌日の朝はそれぞれ朝風呂、散歩と思い思いに行動し、全員揃って朝食
いただきました。しばらく休憩のあと石垣会長の車でご帰宅されるおやじ
さんをお見送りし、解散となりました。
楽しい時間をありがとうおやじさん、いつまでもお元気で!
尚、今回の祝賀会企画に関しご都合がつかずご欠席の次の方々から
ご賛同、ご芳志をいただきました。ありがとうございました。
3期:積田和男様 4期:佐竹皓民様
4期:菊池丈治様 4期:北原公子様(小山田)
4期:柴田君代様(渡辺) 4期:高橋恵美子様(嘉山)
4期:渡辺敦子様(田島) 8期:保田幸子様(橋本)
10期:近江明様 10期;山中信秀様
出席メンバー(敬称略) 22名
恩師:石原要一先生、奥様、石原新治
3期:石垣英樹(会長)
4期:森繁昭、村上陽一、林三男
5期:積田南海男
7期:石田時雄、露木一郎、中谷孝一、安田和雄
8期:遠藤晴信、北井修、佐藤正幸、鈴木一吉
9期;菊池敏明、佐竹寛、森田博昭(幹事)
10期;高橋義光
11期:大野晶裕、樋口栄司
この次も 元気で集う 要会
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お祝品:座布団 | 米寿祝メッセージ:寄せ書き |
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※『要会』とは3期~11期中心のバレーボール部OB会です。恩師石原要一先生を囲み集まっています。