第5期生

第9回 芝・愛宕

2011年11月23日(水)
 第9回 お江戸散策は、芝・愛宕界隈の名所・旧跡を辿りました。危ぶまれた天候でしたが、朝のうちに雨が上がり、清清しく、歩きやすい日和になってくれました。 最初の散策地は新橋の駅前にある鉄道唱歌の碑。碑文から、日本最初に敷かれた鉄道が、人々に大変人気になって、鉄道唱歌の歌と共に日本の産業の原動力になっていった様子が偲ばれました。この鉄道唱歌を口ずさみながら、次の散策地へ向かいました。途中、パナソニック、電通、日本テレビ、そしてソフトバンク社等の大きなビルを抜けて浜離宮恩賜庭園に着きました。入口の大きな石垣を眺めて見ても江戸中期から幕末まで将軍家の別邸であったことが偲ばれます。園内では、所々で茶会の野点が催されていて、和服姿の男女が多く集まり、美しく整備されている日本庭園の風情によく似合っていました。広大な庭園を端から回り込むように散歩し、日本庭園の美を堪能しました。庭園の後は、道路を隔てたところに近年、出来たイタリア庭園へ入りました。コピーアート彫刻ですが、ミロのビーナス像やダビデ像が並んでいる西洋式庭園を歩きながら、イタリア旅行の話に華が咲きました。その後、慶応義塾が三田に移転する前にあった跡地を見学してから浜松町の世界貿易センター内地下の食堂街で、早い昼食を取りました。開店早々であったせいか人気のある讃岐うどん店も、皆でカウンターを囲みながら席を取れました。食後は、駅の東側にある旧芝離宮恩賜庭園で一息入れることになりました。この庭園も、浜離宮同様日本庭園が美しく、ゆっくり散歩しながら、大名庭園の風情を満喫しました。ここから、国道1号線を横切って芝に向かい、途中にある尾崎紅葉生誕地、め組の喧嘩で知られた芝大神宮伊達騒動における舞台の1つになった浅岡飯炊きの井戸の遺構や大門を見てから芝の増上寺に向かいました。増上寺は、 折よく三解脱門が戦後初めて一般公開されていて、三門の2階に収蔵されている釈迦三尊像や十六羅漢像等を拝観しました。また、「いま鳴るは芝か上野か浅草か」の川柳に詠われ、江戸っ子鐘と親しまれた大梵鐘安国殿に安置されている徳川家康尊崇の黒本尊と言われる阿弥陀如来像そして六人の将軍と大河ドラマで話題の二代将軍御代所お江や皇女和宮の墓所も増上寺ならではの見応えのあるものでした。次に向かったのは東京タワーの北側にある金地院 東京別院で、徳川秀忠の知恵袋として、徳川政権の安泰に、多大な貢献を果たした黒衣の宰相崇伝の存在を知りました。ここから、愛宕方面に向った所にある東京都芝給水所にある近代水道技術の遺構を見学し、その向かい側にある芝学園では、遵法自治の精神を教壇から説いて、多くの優秀な人材を育てた渡辺海旭と言う名校長を知りました。次に散策した青松寺は堂々たる大きな曹洞宗の寺院で、僧侶の教育を司る獅子窟学寮があって多くの人材を輩出し、後に駒込の吉祥寺の旃檀林と統合して駒沢大学に発展して行きました。江戸時代「お伊勢七度 熊野は参度 芝の愛宕は月参り」と謳われた愛宕神社は、東京湾が見渡せる風光眺望の名所になっていました。ここの男坂は86段37度の急峻な勾配で有名な所ですが、われわれも皆元気にこの坂を登りましたが、さすがに頂上に着いた時は、脚がクタクタになっていました。神社にお参りした後、NHKの博物館を訪れてラジオ・テレビ放送の歴史を映像で見学しました。半日居ても飽きないほど、懐かしい映像を次々に堪能でき、「笛吹童子」「ひょっこりひょうたん島」などの映像では思わず皆で口ずさんでしまいました。愛宕山を下って訪れた所は幕末時、ロシアとの国境交渉が行われたという天徳寺、杉田玄白の墓のある通称猿寺の栄閑院、そして赤穂浪士たちが仇討ち後、自首した仙石伯耆守屋敷跡を散策して、最後の散策地、金比羅宮に向かいました。虎ノ門の近くにあるこの金比羅宮は丸亀藩京極家が江戸藩邸内に讃岐の金比羅宮を勧請して、江戸庶民に参詣を許したことに始り、大いに繁昌したと言われ、銅製で造られた大鳥居に刻まれた豪華な四霊獣像にその繁栄ぶりが伺えました。ここで今回の散策はお開きとなり、新橋に出て散会しましたが、恒例の懇親会には、8名が残り、大いに飲んで語り、きょう一日を振り返りました。(文:石井義文)
これより懇親会

お疲れ様でした!!  

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