今回の散策は、2つの目的のために実施した。1つは川崎のアジサイ寺として知られている長尾山妙楽寺が源義経の実兄 全成にゆかりがあり、そして、同寺には同期生IT君が永眠しているので、彼の墓参を兼ねて訪れること。そして、もう一つは江戸時代、川崎を豊かな穀倉地にした偉業を成し遂げた二人の偉人の足跡をたずねる散策である。 5月28日(土)10:00、南武線宿河原駅に同期生13名が集合した。最初に訪れる妙楽寺に行く道すがら、江戸時代初期に偉人小泉次太夫に開削された二ケ領用水に沿って辿ることにした。用水は、多摩川の上河原と宿河原の二ケ所の堰を作って出来ている。二ケ領用水の沿道は、さくらの名所として名高いが、すでに鮮やかな緑葉となって、いまはつつじやサツキが彩り豊かに咲いている。憩いの場・緑化公園を過ぎてしばらく進むとより大きな川に出た。これが上河原堰から引かれたもう一つの用水である。その用水に架かる橋を渡って府中街道を横切るとアジサイ寺と書かれた標識がある。それに従って坂道をしばらく登って行くと右手に山門が見えた。長尾山妙楽寺である。本堂に至る参道の両脇にはアジサイが背丈を伸ばして、白、青そしてピンクの花を咲かせている。まだ、3分咲ほどであるが、満開になるともっと素晴らしい景観なのであろう。境内一面に植えられているアジサイを眺めながら薬師堂や鐘楼を拝観し、境内の外にあるIT君の墓に向かった。用意してきた花と線香を焚いて墓参し、元気だったありし日の友を偲んだ。妙楽寺を後にして、近くを走る東名高速道を横切り、県立東高根公園に入った。弥生時代に営まれた竪穴住居跡が発見されたという公園は懐かし風景があり、自然豊かで美しい。ゆっくり散歩したいところであるが、次の散策地に向かうべく足早に抜けて久地駅に向かった。 | |
矢向駅に着き、昼食を準備してくれている今回の幹事・石井昭一邸に向った。家に着いて、部屋に入ると、テーブルに全員がすぐに食べられるように据膳されている。奥様が1人で吸い物やお茶も準備してくれていたようだ。ありがたい。感謝の気持ちで昼食を取る。食事を終えてからは、昭一氏が、ファミリーヒストリーをプロジェクターを使って紹介してくれた。昭一氏の、祖父母、両親、兄弟そして子どもや孫たちが登場してきた。実に微笑ましい。高校時代のシーンでは今回参加した同期生の面々も登場し、若き頃の映像を見て一同、和やかな雰囲気に包まれました。奥様、ありがとうございました。 午後の最初の散策は、程近いところにある石井家の菩提寺曹洞宗静翁寺。墓所には、祖父が横浜に在住しているときに関東大震災で遭難した様子が大きな石碑に刻まれていた。つづいて、国道1号線を横切り、南河原公園に入る。休日のきょうは、近隣の親子連れが大勢やって来て園内は賑わっている。この公園には、55年前に幹事の呼びかけで、わたしも訪れた所との説明を受けたが、ほとんど記憶にない。しかし、そのような思い出の場所なので、その場で記念のスナップショットを納めた。 |
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公園を後にして、緑道を歩き、女體神社に向かった。元禄年間、多摩川が洪水したとき、氾濫を治めるために身を投じた女を祀っていると云う。次に訪れる所は、偉人田中丘隅(休愚とも書く)の菩提寺、妙光寺であるが、少し遠いのでバスで行くことにした。田中丘隅の墓は川崎宿の田中本陣の主人であったばかりでなく、幕府代官でもあったことから、格式を備えた立派なものであった。つづいて京急川崎方面に向かい旧東海道街道筋にある曹洞宗 宗三寺とその向かいにある川崎宿交流館に入った。交流館は2013年に開館したもので、東海道川崎宿の歴史、文化を学び、それを後世に伝え、地域の交流活動を推進するために作られたと云う。じっくり時間をかけて見学したい施設である。このあと、川崎の古社、稲毛神社を参詣してから、小泉次太夫の菩提寺妙遠寺に向かった。山門を入ると「偉人泉田二君功徳碑」と書かれた巨大な石碑が建っている。第2代総理大臣 黒田清隆が篆書して次太夫と丘隅の功績を称えている。本堂脇には次太夫が生前に建てたという逆修墓がある。今回の散策は同期の友の墓参と意外と知らなかった川崎の歴史を学べる収穫の多い散策であった。電車・バスでの移動あり、気分を爽快にしてくれる森林、緑道の遊歩ありで、この後の懇親会も楽しい酒宴の場となりました。 (文: 石井義文) |
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