2016年



【目指せ!甲子園 】 母校を応援しよう!
平成28年度 第98回全国高校野球選手権神奈川大会

1回戦 7月14日(木)
多摩高校 対 湘南高校
藤沢八部球場 第二試合(13:30~)

結果は、1対8で、8回コールド負けでした。
良く戦いましたが、残念でした。
3年生(59期)は新しいステージで、在校生は次の大会にむけて、がんばってください。
http://www.asahi.com/koshien/game/2016/416/141279/


写真は、応援にかけつけた皆さんから提供いただいたものです。ご協力ありがとうございました。





 

エースピッチャー。肘のケガをおして、よく投げました。 4回裏終了、1-6でビハインド
多摩高得点シーン  
1対8で、8回コールド負けでした





平日の試合でしたが、応援では優勢だった「多摩高側スタンド」


 


2014/07/13 橘高校戦9回代打同点打を放った57期 瀬尾真矢さんの手記です。
 

初打席そして最終打席

夏の大会最初で最後のあのひと振りは、忘れられない思い出として今も胸の中で輝いている。だが、あの舞台に立つまでには少し時間がかかった。
 

1年冬の体調不良による長期離脱、それに伴う2年夏のメンバー外、新チームになっても思うように出場機会が与えられない日々。野球人生初めて試合に出られない挫折を味わった。そんな調子の上がってこない自分に対し57期のみんなは毎日色々なことを言ってくれた。厳しい言葉も少なくなかった。時には自分の言動が誤解され、喧嘩したこともあった。「なんで俺だけにこんな厳しいんだ」と困惑していた時期もあった。でも必ず最後には、自分のためを思ってのことなんだと気づき、みんなとの仲は深まっていった。その頃から、自分の中での意識が少しずつ変わっていった。「みんなと1日でも長く野球がしたい」と。
 

そして迎えた7月13日(日)。9回表1死2塁1点ビハインド。この日一番のところで代打瀬尾のコールが告げられた。いつもならば緊張して結果が出せない場面。だが、あの時ばかりは不思議と落ち着いて打席に入れている自分がいた。そして相手投手の寒水君と対峙したとき直感で思った。「打てる…」。そう思えた理由は今でも分からない。ただあの時は自分が自分でないような気がしていた。ベンチのみんな、そしてスタンドにいる応援団のみんなの魂が乗り移ったのだろうか。初球、インローのストレート。思わずバットが出た。気づけば打球は右翼手の頭を越え、ふと見るとバックスクリーンの9回表のところには「1」の文字が点灯していた。スタンドのはち切れんばかりの大歓声、ベンチのみんなの笑顔や泣き顔。今でも目、そして耳に焼きついたままだ。
 

あの試合以降、多摩高のグランドを見るたび、胸がぎゅっと掴まれたかのように苦しくなる。
 

なぜ負けたのだろう。なぜ勝てなかったのだろう。答えのない問いかけをしている自分がいる。
だけどこれだけは確実に言える。人生で一番楽しかった瞬間はあの1時間51分だったと。自分の高校野球人生に対しての答えはあの1打席に詰まっていると。

 

57期のみんな、本当にありがとう。この23人で戦えたことは一生の自慢です。
58、59期のみんな、文句ひとつ言わずサポートしてくれてありがとう。来年は校歌聞かせてください。応援しています!
 最後になりましたが監督・先生・コーチの方々、OB・OG・保護者の方々、応援してくれた多摩高のみんな、そして両親と妹に感謝をしたいと思います。ありがとうございました!

 

 次のステージでまた目標に向かって努力していこうと思います。

 57期 瀬尾 真矢

同窓会ホームページ
平成26年度 第96回全国高校野球選手権神奈川大会
 
多摩高野球部ブログより
 http://blog.livedoor.jp/tama_baseball/archives/1709361.html
 
 ※ ご本人の許可をいただき、同窓会ホームページにも掲載させていただきました。





 

 

 7月9日、慶大・日吉キャンパス内ファカルティ・ラウンジで多摩高三田会の創立総会が開催されました。この会は会員の交流・親睦を図ることにより母校(多摩高校)の発展に寄与していくことを目的としています。

 雨があがった昼下がりの土曜日、日吉キャンパスに、5期生から今年大学に入学した57期生2名を含む27人が集いました。
新入生歓迎会を兼ねた総会で、会長に木下学さん(15期・NEC副社長)はじめ副会長3人等が選出され、会の組織が決定しました。
木下会長の挨拶につづいて林副会長(22期)の乾杯の発声で懇親がはじまりました。
年齢差が最大53歳、立食テーブルを囲み、期をこえた交流の輪が次々、広がっていきました。

 当初、自己紹介の時間をとっていたのですが、会の盛り上がりをたちきるものと割愛しました。
閉めの挨拶を北野副会長(28期)がおこない、「若き血」および「多摩高校校歌」の大合唱で第1回多摩高三田会は盛会のうちに終了しました。






【40期同期会報告】

私たち40期生は、平成28年6月18日に同期会を開催しました。
会は東銀座駅すぐのカフェ・セレで午後2時から始まりました。卒業生116名、恩師5名の総勢121名の大盛会となりました。
冒頭の乾杯から、幹事の畑貴之くんと現役アナウンサーの筒井亮太郎くんの学生時代と変わらない掛け合いで、ぐぐっと一気に当時の記憶が甦り、たいへん賑やかな会となりました。
恩師の方々には風巻先生を始めに、池尾先生、小曽戸先生、島先生、神山先生にお話を賜りました。
また同窓会からは安部会長にご出席いただき、多摩高校の現在の様子等、大変貴重なお話をいただきました。
同期会開始当初は3年次のクラス毎にテーブルを設けてありましたが、順次自由に移動して思い思い歓談となりました。
途中で石田聖子さん作のデコレーションケーキの登場、駿河穣くん、名畑徹くんのピアノ演奏や弾き語りなどのサプライズもあり、あっという間の3時間が過ぎて行きました。
最後は恩師も卒業生も皆、会場にある大階段で集合写真を撮影し閉会となりました。
その後、半分以上の方が参加した二次会、名残惜しく三次会、更には四次会へと夜は更けて行きました。
恩師の方々や同窓会の安部会長、ご出席いただき誠にありがとうございました。これを機会により一層の親交が深まることを期待するとともに、同期会開催に多大な協力をいただいた皆様に心より感謝申し上げます。




梅雨最中の6月11日(土)新装成った武蔵小杉のホテル精養軒にて8回目となる十期生同期会が開催されました。
当日は夏のような晴天に恵まれ、幸先良しと幹事一同張り切るうちに歓迎のBGM多摩高創立十周年記念讃歌が流れる中続々と北海道、九州そしてグアムからの仲間たちが到着。合計114名もの同期生が集い、懐かしい顔を見つけてあちこちで歓声が上がり早速歓談の輪ができていました。
始まりに、懐かしい「上を向いて歩こう」を同期生の伴奏で全員で唄って盛り上げ、恩師の大多和先生、田山先生が御出席くださり、想い出のお言葉、そして、同窓会副会長さんからの新校舎建設状況や同窓会活動についてご報告をいただきました。

第8回同期会でのテーマは「九州一周修学旅行」。
イベントとして修学旅行クイズを実施、九州全県へ行ったのか? 大阪別府間のフェリーでの食事はカレーライスだったのか? 長崎から横浜までの列車には何時間乗ったのか? 50年前の出来事で思い出せないこともいっぱいで、なかなかの盛り上がり。
賞品として「くまモングッズ」を用意。皆で見学した熊本城や地域の皆様へのほんのちょっぴりの震災復興応援の気持ちを添え、クイズ勝者達は喜んで持ち帰りました。
一次会終了後、ホテルのご好意で、そのままの会場で引き続き二次会と無事進み、大多和先生の手品、カラオケ大会と一次会以上の懇談で盛り上がり、またの再会を約して、五時間弱の同期会はおひらきとなりました。
散会後、幹事がほっとして多摩高校同窓生の居酒屋(わり館)に行くと そこには予定になかった自然発生三次会をやっている面々でいっぱいでした。60代なかばの、十期生とは思えない元気さで夜遅くまで愉しい時間をすごしました。

同期会の開催準備には、各クラス幹事のみならず、多くの同期生仲間の協力、同窓会事務局のご協力・支援があったから楽しい同期会を催行できました。ご協力ありがとうございます。
 
十期生同期会 第8回幹事会 代表幹事:米谷 実(3年10組)




17期 還暦記念同窓会のご案内

 暑さの厳しい中、17期の皆さま、お元気ですか?

 我々多摩高校17期生は、本年度で還暦という大きな人生の節目を迎えます。
 そのような折り、昨年10月、1年8組の集まりをきっかけに、その中の有志がこの人生の節目の年に同窓会を呼びかけようと思い立ち、恐縮ではありますが、これまで検討・準備を重ねてきました。

 つきましては、下記日時日程で、17期記念同窓会を開催いたしたく思いますので、その旨ご案内させていただきます。
ご都合が良く参加することを決められた方をはじめ、久しぶりに昔の仲間に会おうという気持ちが湧いた方、今まであまり多摩高同窓会等に関わってこなかったので参加について迷われる方など、様々だと思います。

 私達多摩高17期生は、昭和47年入学、50年4月卒業であり、今から見れば高度成長と呼ばれた経済情勢の只中を多摩の地において過ごし、羽ばたくようにそれぞれの道に出発をしていきました。以後幾度かの社会の変遷、取り巻く環境の変化を体験しつつ、それぞれ様々な出来事を経て、あるいは試練を乗り越え今日に至っているものと思います。

 そうして40年を経、この節目に今あることを思うと、そろそろ高校時代を含め、立ち止まって自分の歴史を眺めてみるのも意味があり、また、そうすることでこれから充実した日々を送るヒントが生まれるかもしれません。
 遠い時代の旧友の変わらぬ笑顔を見つけ、昔の記憶を脳裏に刻むひと時を過ごしに参集するのも一興ではないでしょうか。幹事一同、皆様のご参加を願っております。




 

日 時: 平成28年9月17日(土)18:30~20:30
場 所: ザ クラシカ ベイリゾート (横浜駅北東口出口より連絡通路徒歩3分)
住 所: 横浜市神奈川区金港町1-10  ベイクオーター6F  ℡:045-663-4386 
会 費:  8000円   受付にて徴収させていただきます。 
受付・開場: 18:00より
申し込み: 住所がわかる方には往復はがきでご案内しております。8月13日(土)までご返信ください。
備 考:   残念ながら40名近くの方が住所不明ではがきを送信できていません。この記事をご覧になり参加をご希望される方は、幹事滝澤のところへご連絡ください。

連絡先:  幹事代表 滝澤雅雄 ℡ 09063036672
Eメール  masao_tk_1956_april_blue@palette.plala.or.jp
幹 事:  滝澤・古賀・大室・後藤(白井)・福田(渡辺)・小野(鬼沢)・市石(寺島)


写真は、前回2010年の17期同期会のものです。


 例年、在校生と緑陽会(OB会)との稽古会、年2回おこなっていましたがより交流を深める目的で年3回とし、6月25日(土)に都立大森高校剣道部OB会との国内交流もかね、母校格技場で稽古が行われました。
 緑陽会会長・椎名八段はじめ高段者の指導をうけ、部員数の増加した在校生の今後ますますの活躍が期待されます。


在校生(右列)・OB(左列)

 梅雨時のうっとおしい日々が続いていますが、
皆様にはいかがお過ごしでしょうか?
 
 第11回開催幹事と第12回開催幹事の引継会が無事行われ、
下記の通り第12回多摩高4期同期会開催日程が決まりましたので、
とりあえずお知らせいたします。 
皆様のご予定に組み入れていただき、お誘い合わせの上、
多くの方々のご出席をお待ち申し上げております。
 
                記 
  •    日時  2016(H.28)年11月26日(土) 12:00
  •    会場  武蔵小杉 ホテル精養軒        
  •    会費  8,000
 尚、詳細は後日、往復葉書にてお知らせいたします。
 
 
2016.06.25

【第12回開催幹事(5組)
 西山忠宏  044-555-3739   
 堀内 直  044-755-7622  
 村上陽一  090-2659-1771  
 木原寿美子 044-829-3973 (持田) 
 赤塚光子  044-811-8835 (吉崎)
 清宮梅子  044-911-2768 (吉澤) 
 (他に数名が予定されています。)

4期同期会開催幹事幹事引継会:2016.2.1 (11回→12回)ホテル精養軒

千葉散歩  古社・古刹めぐりと名画鑑賞の旅
1. 白幡天神社
白幡天神社の創建は治承4年(1180)源頼朝が安房国に旗上げの際、この地に白旗を掲げたことで白幡と名付けられたと伝えられている。その後、太田道灌によって御社殿が造営され、正親町天皇の御代、天正12年(1584)にも改築をしたことが記録されている古社である。 御拝殿の社額は勝海舟に揮毫されたものである。明治12年の御社殿造営を記念する板絵は柴田是真作によるもので市の重要文化財に指定されている。柴田は、幕末から明治前半期の我が国を代表する画家・漆芸家で、明治期において内国勧業博覧会で洒脱なデザインの作品を残した。御祭神の武内宿禰は、第12代景行天皇から第16代仁徳天皇に仕えた長寿の功臣として、古事記や日本書紀に記されている人物である。学問の神・天神様として知られる菅原道真ものちに合祀され、廣く信仰を集めている。境内の黒松の巨木は樹齢およそ三百年といわれ、その雄姿は高さ25メートル、幹の太さは大人で二かかえ半という市内最古のもので見事な枝ぶりを誇り御神木として永く祭られてきている。

2.葛飾八幡宮
 葛飾八幡宮は、寛平年間(889-898)宇多天皇の勅願によっ
て勧請・創建された。源頼朝、太田道灌そして徳川家康など
武人の崇敬を集めてきた。治承4年(1180)源頼朝は安房から下総国府へ入ると、自ら参詣して源氏の武運を祈願し、建久年間(1190-1199)には千葉常胤に命じて社殿を修復させたという。また、文明11年(1479)太田道灌は臼井城の千葉孝胤を攻めるため、国府台に築城のさい、関東の安泰を祈って参拝し、社殿の修理を行った。更に天正19年(1591)には、徳川家康が社領として朱印52石を供御して崇敬している。 明治維新の神仏分離のときまでは、当宮境内には上野東叡山寛永寺の末寺が、別当寺として存在した。現存する鐘楼は往時を物語る貴重な建物である。また、山門には左右両大臣像が置かれ随身門と呼ばれている。この随身門は市指定文化財である。本殿の東側にそびえる「千本公孫樹」は、天然記念物として国の指定を受け、寛政5年(1793)に発掘された元亨元年(1321)在銘の梵鐘は県指定文化財であり、梵鐘の銘文からも当宮創建の古さがうかがえる。 当宮の祭礼は9月15日から6日間にわたって行われ、俗に「八幡のぼろ市」と呼ばれる農具市が立ち、関東一とまで言われほど賑わう。二月の初卯祭は湯立神楽、宮司舞などの祭事が行われる特殊神事の祭りである。



 
3.八幡の藪知らず
八幡の藪知らずは、古くから「禁足地」(入ってはならない場所)とされており、「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という神隠しの伝承とともに有名である。古くは細竹・漆の樹・松・杉・柏・栗の樹などが生い茂っており、昭和の末頃までは樹齢を経た木々の鬱蒼とした様を見ることができたが、近年は孟宗竹に侵食され、樹木は僅かに残るのみである。また、藪の中央部が窪んでいるという地形的特徴がある。「藪」の範囲は、江戸時代の文献には既に現在と同程度の広さであったことが記されている。「この藪に足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という伝承は、由来には諸説あるが少なくとも江戸時代から当地で語り継がれており、藪の周りは柵で囲まれ人が入れないようになっている。街道に面して小さな社殿が設けられており、その横には「八幡不知森(やわたしらずのもり)」と記された安政4年(1857年)伊勢屋宇兵衛建立の石碑がある。この社殿は凹状となった藪囲いの外側にあり、社殿の敷地に立ち入って参拝をしたのち大抵の場合は無事に出て来ることができる。

 
4. 東山魁夷記念館
 東山魁夷記念館は、20世紀の日本を代表する日本画家である東山魁夷が生涯の大半を過ごしたゆかりの地である市川市に、2005年11月に開館した。 戦後まもない昭和20年(1945)から平成11年(1999)逝去するまでの50余年間、在住し、その輝かしい画業は市川市の誇りでした。画伯と呼ばれてもなお、つねに自分をみつめ、修行僧のように画業を積み重ねていったその生き方は、描いた静謐な絵の中に投影されています。 歩んできた人生、その人となりが東山魁夷の世界を形成しているといえるでしょう。 市川市東山魁夷記念館は、「人間・東山魁夷」をコンセプトに、人生と作品をはじめとする資料を展示公開し、偉大な業績を顕彰し、情報を発信しています。

5. 日蓮宗大本山正中山法華経寺
法華経寺は、鎌倉時代の高僧日蓮大聖人が最初に教えを説き、開いた霊跡寺院である。 中山の地は日蓮聖人の法難の際の安らぎの地であり、説法の地でもある。総門(黒門)は江戸初期の建立された高麗門という様式で左右の控柱の上にも屋根が見られる。中央の扁額は五行の漢文で、日蓮が初めて百日百座説法を行った根本道場の意が記されている。筆は太田道灌の末裔、掛川城主・太田資順(すけのぶ)による。つづく仁王門(赤門)の扁額「正中山」は本阿弥光悦の書で、総門と両扁額ともに市川市の指定文化財である。日蓮聖人御真刻の鬼子母神が安置されている鬼子母神堂は、江戸三大鬼子母神にも数えられ、信仰厚く、子育安産、病気平癒の祈祷、社運隆盛のための参詣者が多い。日蓮宗の祈祷根本道場で11月1日から2月10日まで結界の中で寒百日大荒行が行われる。1日7回の水行と読経全国の僧175人ほどが修行中で、荒行堂から壮絶な読経の声が響いてくる。2月10日の成満会には、未明から大勢の檀信徒が詰めかけ荒行僧を出迎える。境内は文化財の宝庫である。国指定重要文化財の祖師堂や法華堂、国宝である日蓮聖人の御真筆(立正安国論、観心本尊抄)、加賀藩主の前田利家公から寄進された五重塔が建ち並ぶ。近世以前の五重塔(江戸初期1622年建立)は千葉県唯一。朱色が冬の青空にひときわ映え、風景に彩りを添えている。千葉県で一番大きな「中山大仏」もある。「塔の中に地震計を設けて、昔の耐震構造を研究とのこと」建物の中でも異彩を放つのはインド様式の聖教殿。「立正安国論」や「観心本尊抄」をはじめ、日蓮聖人直筆の遺文などが多数保管されている。春秋の彼岸法、お千部、お会式、日蓮宗大荒行堂開設や聖教殿のお風入れ(11月3日)もある。春のお花見、節分会、そして初詣では、参拝客で広い境内も大いに賑わう。

 





 今回の散策は、はじめて江戸川を越えた。市川市にある本八幡に集合し、この地域の古社・古刹をめぐることとした。まづ、白幡天神社を訪れる。源頼朝が房総で旗上げをした際白旗を挙げ、戦勝祈願をしたことで白幡の名になったと云うが、ご祭神が武内宿祢、菅原道真であることからそれより遥か以前に建立されていたようである。本殿には勝海舟の社額も掲げられ、寄進者の灯篭なども多く立ち並び、相応の格式が感じられた。つづいて、江戸時代から千葉街道を下り、江戸川を越えてまで参詣者が多かったと云う葛飾八幡宮に向かう。現在、駅名がJRが本八幡、京成は京成八幡と言うが、この神社の名に起因する。この葛飾八幡宮は、下総国の総鎮守として祀られ、その格式通り第一鳥居から随身門までは長い参道が築かれ、そして本殿の傍らには、樹齢1200年を超えるという大公孫樹が聳えるように立っている。つづいて、千葉街道沿いにある「八幡の薮知らず」という孟宗竹と薮が鬱蒼と覆い茂っている一角を訪れた。ここは江戸時代には
「禁足地」とされ、一度足を踏み入れると出て来られなくなると伝承されてきた所である。今日は、その広さも狭まっていることから、その恐怖心は感じられないが、当時、人が寄り付かなかった所だったことは想像できる。次に駅周辺の盛り場を散歩して街の様子を見ることにした。その盛り場の一角に、「日本料理・うえだ」という雰囲気のよい高級割烹の店構えの前に来た。店頭のショーケースに看板料理がならび御代も乗っている。少し早いが「昼食はここでどうか!」と誰となく言い出し、皆が賛同して、店内に入った。まだ、客のいない奥の座敷で、寛ぎながら座を囲み、ランチをいただいた。美味い!満足! 近郷では人気のある店のようで、店を出るときは、店内は客で席が埋まっていた。
ランチタイム
 ところ移して、京成八幡から京成中山駅に向かう。駅を出ると、北に向かって緩やかな登り坂道があり、両脇に商店が並んでいる。典型的な門前町の形式で、間近に黒く塗られた正中山法華経寺の総門が建っている。ここを抜けて歩いていくと大きな山門と日蓮上人像が毅然と立っている。さすがに日蓮宗大本山と尊称されるに相応しくすごい迫力で迎えてくれる。境内は広く国宝や国指定重要文化財の宝庫である。これらを順に見学すると相応の時間がかかるので、境内から数分のところにある「東山魁夷記念館」へ先に訪ねることにした。東山魁夷は云わずと知れた日本画の大家で、ここ市川に50年住み、この地で自然をモチーフにした静謐な絵画を描き続けたという。当日は多くの人が鑑賞に訪れていて、画伯の人気の高さが伺えた。絵の実物は、国立美術館に所蔵されて入るものが多かったが、そのレプリカであっても十分感動を受ける絵画をゆっくり観賞できたのは幸運である。法華経寺境内に戻る。国指定重要文化財の祖師堂、五重塔、法華堂、四足門そして本院内にある鬼子母神堂、聖教殿をつぶさに見学。それから、当寺を全国的に知ら
しめている「寒百日大荒行」が行われる荒行堂など、想像以上に仏教信仰の深さと敬虔さを示してくれた。残念ながら、国宝の日蓮上人御真筆の立正安国論、歓心本尊抄は非公開で閲覧できなかったが、本院と同日に荒行が行われる遠寿院道場では、将軍家から寄進され、水荒行で使用されるていた御影石製の水盤を見ることができた。今回の千葉散策は、見学箇所は少なかったが、見どころは多く、記憶残る散歩でした。 (石井義文)
        スライドショー (千葉散歩)      
        スライドショー(鎌倉 長勝寺 大國祷会成満祭)