秋県大会2 回戦 1-4敗退
シードのため2回戦の初戦に挑んだ多摩は、打線が沈黙しミスも出て湘南学院に1-4で敗戦した。今年の公式戦は終了。今後、秋・冬での成長を期待し引き続き応援を!
秋の地区予選3試合を見事全勝し、県大会への進出を決めた。
県大会の組合せは9/3(木)。応援よろしくお願いします。
◆予選結果
○多摩7-4市立川崎
先発本田は3回までに4点を失うが、2番手池谷が4回以降11奪三振の好投で零封。多摩は4-4の同点から7回に安打と相手のエラーもあり3点を奪っての逆転勝ち。
○多摩8-2住吉
先発は市立川崎戦に好投した池谷。1回・3回に1点ずつとられるものの、見事完投。打線も番場・杉本・福島等の活躍で8点を奪い完勝。采配の妙も光った。
○12-5(VS市立川崎商業)
先発の三木から本田・池谷の継投。多摩はクリーンアップを中心に長打短打が爆発し13安打8回コールドで県大会進出を決めた。
あれからもう何週間か経ちました。
「引退」・・・この言葉を聞いてもまだあまり実感がありません。
ただ今では、1日の練習を終えたあの満足感や心地よい疲れが懐かしいものになっています。
また、ちょうど1年前新チームになった当初のことを思い出すと本当に昔のことのようです。
チーム方針の変化に戸惑いながらあの燃えるような太陽の下でゼイゼイ言いながら練習をした去年の夏。
新チームの主将になった僕は最初は戸惑うばかりでした。
何がチームにとって足りないのか? どうやってチームの雰囲気をつくってゆくのか?
約2年間、前主将の森田さんの後ろ姿を見てきましたが、やはり分かったのは主将の苦しみは主将になって初めて分かるということです。
僕は少年野球でも中学野球でもどちらかというと引っ張ってもらう側の人間でした。そんな僕が高校でいきなり主将になったので戸惑うのも無理はなかったかもしれません。
しかし、言い訳をする訳にもいきません。まず、僕は絶対に自分が苦しんでいる所を見せないと決めました。
「動かざること山の如し」ではありませんが僕はドンと構えることこそ、主将の責任だと思っていました。
しかし、自分の弱い部分を浦谷監督はしっかり見てくれていました。主将になってすぐに言われたあの言葉は今でも心に残っています。
「お前はお前の正しいと思うことをやりなさい。私はそれにすべて賛成するから。」
正直、僕はこんなに信用されていると思っていませんでした。だからこそ、あの言葉は本当に嬉しくて、主将としてやっていく自信がそこで生まれました。
思えば亡き田中監督も、当時下級生の責任者だった僕に「お前は新チームのキャプテンやるんだろ?お前は野球がうまい訳じゃないけれど背中でチームを引っ張っていけ。」
という言葉を残してくれました。
野球部で過ごす中で1番学んだことは「野球はみんなでやる」ということ。
みんながみんなを信頼し、感謝し、苦しい時は一緒に苦しみ嬉しい時は一緒に笑う。それが高校野球の姿であるとともに僕が目指していたチームです。
よくOne for all、All for oneといいますが、僕にとっては
All for all、「みんながみんなのために」が1番大事なことだと思います。
僕が主将としてやってこれたのも仲間たちの信頼があったからこそです。
みんなが僕を主将にしてくれたと思います。こういった仲間たち、また応援してくださった多くの方々、浦谷監督、先生方、そして天国にいる恩師である田中監督、本当にありがとうございました。
本当はもっと勝ち進んでこの感謝の気持ちを伝えたかったです。
それを考えると少しは悔いがありますが僕はほとんど悔いはありません。
桐蔭は強かったです。しかし、僕達は今までやってきたこと全部をあの試合にかけました。僕達がやってきた証は全部グランドに置いてきました。
また僕らの熱い思いは、応援してくださった皆さんにきっと届いていると思います。僕らそれだけで充分、嬉しいです。
この熱い思いを受け継いだ後輩達が今もきっと必死に練習しています。
今後とも多摩高野球部の応援よろしくお願いいたします。
本当にありがとうございました!
2年3ヶ月という、儚くもかけがえのない時間をここで過ごせたことに感謝しています。
1年生のときはただがむしゃらに、とにかく先輩の真似をするばかりでした。
それでも、50期51期という素晴らしい先輩方とともにやれたことを幸せに思っています。
ここで学んだことは自分にとって大きなものでした。
52期の代になったとき、期待よりも遥かに大きい不安ばかりを抱いていました。
でもひとつひとつのことを、全員で乗り越えていくことで培った結束力は頼もしいものでした。一時は選手.顧問.マネージャーでもめたときもありました。
そのときわたしたちが自分たちの思いを伝えることが出来たのは、52期だったからこそだと思います。
仲間として共にがんばろうと言ってくれた選手には言葉では表せないほど感謝しています。
協調性がない52期を支え続けてくれた53期。
わたしたちにとって53期の存在はとても大きく、53期がいたからこそチームが成り立っていたのだと思います。
支え続けてくれて、ついてきてくれてありがとう。
わたしは52期野球部マネージャーとしてやってこれたことを誇りに思っています。
そして全ての方に感謝しています。たくさんの支えがあったからこそ、やってこれたのだと思います。
選手には一番の感謝を伝えたいです。
わたしたち52期は4人の仲間が途中で野球を諦めなくてはなりませんでした。
その4人に最高の夏を見せる、それがひとつの目標でもありました。
一緒に野球が出来なくなっても、わたしたちが仲間という事実に嘘はありませんでした。
つらい冬を乗り越え、幾度とない壁を越え、むかえた最後の夏。
わたしは1回戦、スタンドでの応援でした。確かにあった不安を取り除いてくれたのは、他でもなく選手でした。
そして夏の舞台で、みんなで多摩高校の校歌を歌えたこと、本当に嬉しく思います!
田中前監督にも、歌声が届くことを祈り、勝利の喜びを伝えました。
桐蔭戦、挑戦者に失うものなどなく、1%でもある奇跡を信じ戦いぬきました。
私学との差を見せ付けられてしまいましたが、ベンチに座れたことを幸せに思い、最後まで選手を信じることができました。
相手の校歌が球場に響き、多摩スタンドへ挨拶に行ったとき顔を上げ広がる光景にわたしは驚き、涙がこみあげてきました。
いつも学校でたわいもない話をする友達がスタンドいっぱいに応援にかけつけてくれていたことを知り、多摩高の暖かさを感じました。
ロッカー室をでて応援してくださった方への挨拶にむかったとき、自分たちと同じように涙を流して"感動した、ありがとう"と言ってもらえたとき、勝利よりも大切なものを得られたと感じました。
応援に来てくれた生徒のみなさん、保護者の方々、OBの方々、そして応援団吹奏楽ダンドリのみなさん、暖かい応援ありがとうございました。
ベンチにもちゃんと届いていました。
そして52期のみんな、今まで本当にありがとう。本当に幸せでした。52期が大好きです!
ここで得た経験と出逢い、すべてを糧にこれからもがをばっていきたいと思います。
野球部マネージャーでなければ感じることの出来なかった幸せや感動、たくさんあったと思います。
逆に苦しくつらく、泣いたこともあります。それでも今振りかえると"やってこれた幸せ"だけを感じます。
野球という素晴らしいスポーツに出逢い、素敵な仲間に出逢い、色んな方々に支えられ最後まで野球部マネージャーをまっとうできた自分を誇りにも思います。
わたしにとって野球部にいることがあたりまえで、ここでの生活がなくなることをまだ受け入れることは出来ません。
今までの高校生活を振り返るとそこには必ず野球部での思い出ばかりです。
野球はまさしく青春でした。ありがとうございました。
夏の舞台で田中前監督から学んだ野球を49人で魅せられたとわたしは信じています。
これからも浦谷監督の下歩んでいく多摩高校野球部を、よろしくお願いいたします。
多摩高Baseball is my life!
最高の思い出をありがとう。
52期マネジャー 石川 友加里
5回コールド負け0-12。
甲子園を狙う私立強豪との力の差は如何ともしがたかった。
エース矢野も力投するが初回から4回までに12点を献上。
打線も1年生若林の前に2塁すら踏ませてもらえなかった。
5回を近藤が無失点に抑えたのがせめてもの救い。
ただ選手達の闘う姿勢は充分に伝わってきた。
昨秋から逞しく成長した3年生、お疲れ様でした。
1・2年生はこの悔しさをバネに新チームをつくっていこう。
頑張れ、多摩高野球部!
■1回戦○ 多摩12-2総合科学
加藤の4安打を含めコツコツと打線が繋がり、相手守備の乱れにも助けられ
大量12点を奪った。下位打線もバントで揺さぶる等持ち味を出していた。
エース矢野は初回に2点は取られたものの、粘り強い投球でその後8回まで
無失点で切り抜け完勝した。
■2回戦× 鎌倉3-2多摩
6回から試合が動き出し、取られては取り返しの善戦するも一歩及ばず。
均衡したゲームでの守備の乱れ、牽制死、無謀な本塁突入等、惜しまれる。
四死球で走者は出すものの、なんとか抑える矢野の粘り強さはたいしたもの。
四球を減らせば守備のリズムが良くなり、好プレーが出ることを是非覚えてほしい。
秋と比較すると、各選手が数段たくましく成長し個性も出てきて、新チームの型ができつつある。
夏に向けて、各人課題を持って意欲的に練習に取り組めば、まだまだ強くなる可能性がある。
「いけるぞ、がんばれ多摩高野球部!!」
多摩は見事3戦全勝で順当に県大会へと駒を進めた。
3/26(木) 多摩11-1菅(五回コールド)
3/27(金) 多摩5-3県川崎工
3/29(日) 多摩9-1新城
県大会出場を決めたのは次の通り。
【川崎地区】総合科学、県川崎工、多摩、橘、百合丘、桐光学園、麻生、川崎北
【横浜地区】川和、橘学苑、永谷、桜陽、岸根、市ケ尾、横浜商、関東六浦、横浜商大、氷取沢、荏田、瀬谷、南、栄、南陵、希望ケ丘、光陵、日大、金沢
【湘南地区】七里ガ浜、藤沢西
【横須賀地区】逗子、県横須賀、湘南学院、横須賀学院
【北相地区】大和西、相模原総合、海老名、綾瀬、相模田名、向上、上溝
【西湘地区】相洋、大原
「俺が車で送り迎えするから心配するな」
同期のTから難病にかかったことを初めて告白された夜、監督は言い切った。
Tの病気は原因も治療法もわかっていない。
徐々に動けなくなって、やがては・・・。
あまりにショックで、1人では受け止められずナインに駆け込んた。
その時のTにできることは、週2回遠方の病院まで効くかどうかもわからない治検の注射を週2回打つだけ。
それもいずれ介助を付けてタクシーで行かなければならない。
スナックと監督業で忙しく、還暦も過ぎ体も万全ではないのに、
30年も前の、数多い教え子の1人に過ぎないTのため、
監督は本気で言ってくれた。目が覚めた。
Tを支えなくてどうする・・・。
監督最後の夏、Tを背負って等々力に行った。
試合前の応援席への挨拶でTを見つけた監督は、ホッとして何度も頷いた。
最後の大事な試合を前にして、Tを探して心配する監督の度量には心底感心した。
監督はそういう人だ。また、教えられた。
昨年末、監督勇退の慰労会をやるため、後輩に声を掛けた。
連絡が取れなかった後輩も多い中、115名もの教え子達が集まった。
各代のテーブルを回る監督は、楽しそうで安心したような笑顔だった。
まもなく、監督は亡くなった。
しかし、監督から教えられたことは、我々の心に刻まれ決してなくならない。
バラバラだった各代を、せっかく監督が結びつけてくれたのだから
これからも「監督の会」は毎年続けていこうと思う。
我々の監督は田中輝夫、「永遠の誇り」として教えを引き継ぐ。Y