第5期生

第21回 五反田・目黒界隈

2014年06月17日(火)
 第21回お江戸散策は、五反田・目黒界隈を選択した。五反田は目黒川の谷がほぼ東西に流れ、その谷周辺の水田が一区画が5反(約5000m2)あったために名づけられたという。最初に訪れたのは、旧島津侯爵の邸宅で、現在、清泉女子大学があるところ。しかし、この建物は、都重要文化財に指定されたことから、一般の立ち入りができなくなり、残念ながら門前で内部を想像する散策となってしまった。この界隈は、都内屈指の高級住宅地で周辺には豪奢な邸宅が並んでいる。その一角に日蓮宗本立寺がある。寺とは思えない近代建築で、墓域には柳家金語楼の墓がある。桜田通りに出た高台の一角に袖ケ崎神社がある。江戸期は東京湾が望める眺望が良いところだったという。
 高輪台の交番を西に向かって200mほどのところに明治初期、枢密院で活躍した寺島宗則の屋敷で、戦後荏原製作所の創始者畠山一清の邸宅だった畠山記念館がある。邸内は老木が生い茂っていて、静寂な空間である。同所から、5~6分歩くと、池田山公園にたどり着く。江戸期、備前池田藩の下屋敷だった処で、回遊式庭園の名残を留めており、散歩には絶好の公園である。ここから北の一角は、俗に言う寺町で寺院が軒を並べて建っている。その一角に、当所、福澤諭吉の墓所があった定光寺がある。立派な礎石が建っているが、現在、福澤の墓は、麻布善福寺に転墓している。ここから目黒通りにでて、昼食を取る国立科学博物館附属自然教育園に向かった。65歳以上は、入園料が無料だという。得をした感じだ。
国立自然教育園のなかにある四阿で昼食を取ってから、園内を散策した。自然教育園は、まさに大都会のオアシスとも言うべきところで、無数の樹木、草花が生育して、ツツジ、サツキなどが開花していて、青葉も日に映える美しい景観である。鳥類も多く、普段見かけられないオオルリ、キビタキ、コゲラなどの愛くるしい小鳥も見られる。小鳥のさえずりを聞きながら、園内を歩くと、自然と♪爽やかなみどりよ♪と歌を口ずさむようになる。見たこともないような大木を見つけると、♪この木何の木 気になる木♪の歌になる。電車で数時間かけて移動しなくても、大自然を満喫できるちょっとした桃源郷であった。
 目黒駅の東口前ビルディングに久米美術館の名前が見える。ここは明治四年、岩倉具視を団長とする遣外使節団に参加した歴史学者久米邦武の邸宅だったところで、明治初期の重要文化財などが展示されている。目黒駅周辺は坂道が多く、権之助坂行人坂など、一般に名の知られた坂道の謂れは興味深い。行人坂を下がったところに、江戸期、大火の火元だったという大円寺がある。境内には五百羅漢石像や顔立ちが可愛い六地蔵そして八百屋お七と恋仲だったという吉三ゆかりの阿弥陀如来像など見所がたくさん有り、訪れる歴女の姿も多く見かける。大円寺を出て、行人坂に下ると、目黒川の畔に、日本国内最初の総合結婚式場として昭和の竜宮城」とも呼ばれた目黒雅叙園がある。今日でも、都内一流の結婚式場、宴会、会議場として、繁栄している。川の上流に沿って歩くと目黒通りに出る。通りを左折して目黒通りを南下すると山手通りと交差する。ここに目黒の総鎮守 大鳥神社がある。大鳥神社で、一休みしてから、山手通り沿いに五反田方面に300m程歩くと五百羅漢寺の案内板を見る。その方面に進むと右手に海福寺がある。この寺院には、江戸中期に永代橋落橋で溺死した440名への慰霊塔がある。五百羅漢寺は、江戸随一の名勝とまで謳われたとおり、寺内に鎮座する木造の羅漢像305体は圧巻で、北斎や広重の錦絵に描かれた輝きを今日も伝えている。目黒不動尊は、ここから程近い。江戸五色不動の筆頭にふさわしく、今日でも参詣者が多い。境内には、青木昆陽の碑、独鈷の滝、みずかけ不動、本堂の裏手には、露座の銅製大日如来座像が安置されて見所が多い。また、境内端部には、童謡作曲家 本居長世の碑などがある。次に向かったのは、今回の最終散策地 林試公園。住宅地の真ん中に斯様な広大で、開放的な大空間を付近の住民が大切にしていることが感じられた。時、まさに五月の盛り、公園内の樹木の緑は、自然教育園に負けず照り映えている。公園の美しさを十分鑑賞して、本日の散策を締め括った。このあとは恒例の反省会を兼ねた懇親会を最寄り駅武蔵小山商店街の居酒屋で開催し、懇親を深めました。(石井義文)

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