同期会

 2015年 多摩高等学校 9期会のご案内


   陽春の侯 皆様いかがお過ごしですか。
  大変ご無沙汰しています。多摩高入学から50年、皆さん65才を過ぎ第2、第3の人生を歩み始めていることと存じます。
  仕事、子育てから解放され、これからが人生の楽しみです。久しぶりに学生時代の懐かしい仲間と再会する良い機会ではないでしょうか。50年もたつとすっかり忘れてしまい、こんな人がいたかな?なんていうのもいいかもしれません。新たな出会いです。
  というわけで、有志による幹事会を結成、下記日程で9期会を開催することとなりました。昔懐かしい校舎や、多摩川の空気に触れてみたい方には、多摩高校内ツアー、多摩川ぶらり散歩の部も企画しましたので、お時間が取れましたら是非御参加下さい。

 
日時: 6月20日(土)16時~18時
場所: NEC玉川クラブ
住所:川崎市中原区下沼部1956
会場電話:044-434-1510
南武線 向河原下車 徒歩5分
横須賀線 武蔵小杉下車 徒歩9分

会費: 女性 5,000円 男性 7,000円   

オプション1
多摩高・多摩川ぶらり散歩
6月20日(土) 13時 南武線宿河原駅改札前集合(雨天決行)
         多摩高校内ツアー、多摩川、二カ領用水周辺散策
         散策後 9期会 会場に向かいます(3Km程歩きます)

オプション2
お楽しみ2次会
    2次会も準備したいと思います。お手元に届きました案内往復はがきに
    参加希望を記入して下さい。

連絡先 質問等は下記にご連絡下さい
TEL:   080-5084-8336 (事務局8組吉沢の携帯です)
mail:  yoshizawa1569@cg7.so-net.ne.jp
 
多摩高等学校九期会  幹事会一同        事務局 吉沢明
1組 田中千恵子           4組 青木克己       7組 葛生茂
      神谷(鎌田)美智子        小泉晴夫            篠崎伸一郎
2組 伊藤(青野)志津江  5組 浅井満          8組 大谷博美
      津田(森永)良子          唐沢克己             野口義明
3組 安部卓見              6組 歳原博幸       9組 伊藤正行
    岩橋(宮腰)久美子       鈴木一美             川島理一郎


※写真は、平成24年(2012)第9期生クラス会 3年6組の時のものです。


  東青梅駅に集合し、駅前の小高い大塚山公園を経て、霞川に沿って歩きはじめました。宗泉寺に向う道を曲がり、この寺に立ち寄りました。境内には折れた枝の年輪が百年以上もあるというカヤノキの銘木がそびえていました。その先、塩船観音寺入口の案内に従って進むと、つつじ祭りとあって、地元の筍ごはんや飲み物などの露店が私達を出迎え、賑わっていました。
塩船観音寺は600年代に開かれたと伝えられる古刹です。国指定の重要文化財の仁王門をくぐり、つづいて阿弥陀堂が現れ、右手の少し上がった所に、こちらも重要文化財の萱葺きの本堂がたっていました。この奥に目をやると、2万株の赤、白、薄紫の色とりどりにつつじが咲き競っていて、千紫万紅とはこのことでしょうか。境内奥の正面には、大きな観音像が立ち、その後方から霞丘陵ハイキングコースとなっています。赤松林で楽しいお弁当タイムをとりました。
新緑と桜並木の舗装路から笹仁田峠、そして岩蔵街道を渡り、今度は杉檜の樹林帯の中を七国峠を経て岩蔵温泉へと下山しました。天候に恵まれ、新緑とつつじのハイキングで、今回の5期ハイキングは15名という大勢の参加で、中には無理が出来ないので、最初から塩船観音寺だけでも行って見たいという方もいました。
朝、道を尋ねたところ、散歩中の地元の微笑ましいご夫婦が、先導するかのように振り向きながら道案内をしてくださいました。散策中に久し振りにお逢いした皆さんと楽しい会話が弾み、話題満載の楽しい一日でした。
帰路、立川で途中下車をして夕食を兼ねて、懇親会をして帰宅しました。  齊藤三枝子

 
スライドショー             

第4回 15期同期会 

早春の候、皆様におかれましては益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。

さてこの度、前回より大変長く間が空きましたが、第4回目の同期会を開催することとなりました。

前回は私達が50歳になった年でしたから、10年前のこととなります。

平成17年1月22日実施された前回は、お世話になりました先生方を含め90名のご参加を頂きました。

今年は私達全員が還暦となり、人生の大きな節目を迎える年となりました。

私達のそして同期の皆さんの半生を振り返りながら、新たな人生のステップに上がるきっかけとなるような

楽しい語らいの場としたいと思いますので奮ってご参加ください。

お世話になりました先生の皆様にも、ぜひお会いできればとと思っております。

一度もご参加されていない方も全く遠慮することなく、是非ともご参加いただきますようご案内致します。
 

開催日時:2015年5月23日(土) 一次会15:00~17:00(二次会17:30~19:30)

場所:武蔵小杉 ホテル精養軒 1F 大広間

連絡先:15期幹事 伊藤正俊
TEL 042-678-0855
メール:ir7m-itu@asahi-net.or.jp

写真は、前回2005年に開催した15期会のものです。
https://www.tamadou.jp/?p=125




 鎌倉はおもしろいと人々がいう。それは鎌倉の歴史を少しかじり、その予備知識を持って出かけ、史跡をめぐるだけでなく、そこで起きた歴史ドラマをイメージすることで楽しさが一層膨らむからなのでしょう。
 3月26日(木)、本日も晴天に恵まれ、気分爽快のなか、第2回鎌倉ウォーキングを実施した。鎌倉七切通しのうち2か所を歩くことに加え、150年間続いた鎌倉幕府が、3ケ所も移転して置かれた史跡、鎌倉の中心地、鶴岡八幡宮界隈、そして扇ケ谷から北鎌倉界隈の史跡の寺社仏閣25か所の散策を行った。
散策箇所は、下記のとおり。
大巧寺:頼朝の戦評定で武運があったことで知られ、安産の神「おんめ様」で知られる寺。
若宮大路と段葛:京の朱雀大路に模して造られた参道で、段葛は、政子の安産を祈念して造られた
宇津宮辻子幕府跡:北条氏が幕府の実権を握った機会に、大倉幕府を移転して造られた。
若宮大路幕府跡:宇都宮辻子幕府のあとに置かれ、幕府滅亡まで98年間置かれた。
源平池:源氏と平氏の繁栄、滅亡を祈念して造られた人工池。
大倉幕府跡:源氏三代と尼将軍北条政子が全国統治をしていた45年置かれた政治の中心地。
法華堂跡と源頼朝墓:源氏の重要御家人三浦一族は頼朝の墓のある法華堂に立て篭もり滅びた
大江広元・島津忠弘墓:675年の武家政権を終焉させた長州と薩摩の先祖はお隣に眠る。
白旗神社:小田原征伐後、豊臣秀吉は本殿にある頼朝像に向かって「天下友達」と言った。
若宮(外宮):材木座近くにあった八幡宮を遷座して造られた宮で、外宮とも言われる。
舞殿:静御前は死をも覚悟して、頼朝の面前で、義経を恋い慕う歌を凛として舞い歌った。
楼門:重層入母屋造りの楼門は、随身門とも呼ばれ、扁額の「八」の字は鳩2羽を向い合わせている。
鶴岡八幡宮本殿:第三代征夷大将軍源実朝が暗殺された歴史的大事件はここで起こった。
今宮神社:三人の天皇を祀っている神社。
二十五坊跡:将軍を暗殺した公暁は、二十五坊の別当であった。
道元来訪碑:権門に近づくことを避けた曹洞宗開祖は源実朝の供養法会のため鎌倉に下向した。
巨福呂坂切通:鎌倉七切通の一つ。時宗の開祖一遍上人と執権北条時宗がこの通りで行き合った。
  昼食を巨福呂坂付近の「そば処」で取って、午後からは、青梅聖天脇の間道を抜けて扇ケ谷に入り
 下記の史跡をめぐる。

青梅聖天社:夫婦和合と道中無事のご利益で知られる双身歓喜天を祀る御堂
浄光明寺:足利尊氏が後醍醐天皇に反逆する決断をした寺院。藤谷黄門の墓がある。
岩舟地蔵堂:頼朝の長女大姫と木曽義高の悲劇を伝える御堂
薬王寺:徳川家と縁が深く、3代将軍家光の実弟、駿河大納言の供養塔がある。
亀ヶ谷坂切通:鎌倉七切通の一つで、頼朝が初めて鎌倉入りしたときに通った。
長寿寺:足利尊氏ゆかりの寺院
浄智寺:鎌倉五山第四位の名刹で、阿弥陀・釈迦・弥勒の三世仏、愛嬌の布袋様で有名
東慶寺:執権時宗夫人が開山し、後醍醐天皇の皇女や豊臣秀頼の娘が住持をした女性を救う駆け
  込み寺。多くの著名人が眠ることで有名。
  今回の鎌倉ハイキングは、鎌倉ミステリーと云われる所を訪ねて、その隠された歴史の謎を解き明かし、推理する面白さを味わえたこと、そして道なき道を歩くスリリングな所のハイクもあり、大いに楽しめた一日でした。(石井義文).
 
第18期 同期会の詳細がきまりましたので、掲載情報を更新します。(2015.03.26)
 
 日時   2015年 6月27日(土)
 第一部15:00~17:30 第二部17:30~20:00 (両方とも 同じ会場です。)
 会場    

 ホテル精養軒 〈TEL〉044-711-8855  (会場は禁煙,2Fに喫煙ル-ム有り)

 川崎市中原区小杉町3-10(武蔵小杉駅南口5分)
 (当日の会場は 本館建替え工事のため,HPの外観写真とは かなり違います。) 
 JR南武線から いらっしゃる方は JR改札を出たら,
 東横線の「南口」改札を目指してください。案内人を置く予定です。
 

 会費  当日現金でお支払の場合:11,000円
 事前に お振込みの場合:10,000円(お振込手数料はご負担願います)
 お振込みの場合 6月12日までに次の口座へお振込み ください。
 三井住友銀行 川崎支店 普通預金 7237526
 カナガワケンリツタマコウコウ18キドウキカイ
 振込人名の頭には必ず組の番号を入れてください。
 (8組ヤマダタロウ氏なら → 8ヤマダタロウ)

今回は 座ってゆっくり お話しができるように,テーブル+椅子席にいたします。
尚、二次会へ移行時には軽食を追加いたします。

●ご出欠の返信期限 :5月17日 までに返信メ-ルをお送りください。
(ご欠席の方は 近況のメモを添えてくだされば 嬉しく存じます。)


※写真は、前回の2012年7月7日(土)第6回18期同期会のものです。

 源頼朝が、鎌倉に幕府を開いた最大の理由は、鎌倉が一方は海に臨み、三方は山に囲まれて、敵の攻撃を守る城塞都市を築ける軍事的要害の地だったからである。こうした外敵の不法侵入を防ぐ役割を果たした切通しが7つあり、これを「鎌倉七口」とか「七切通し」と云う。この切通しを、3回のウォーキングで辿り、その周辺の寺社仏閣の散策を企画した。
 第1回は極楽寺坂、大仏坂、化粧坂の切通しを取り上げた。2月28日は快晴に恵まれ、稲村ガ崎からの江の島、富士山を望む景観を楽しむことから始めた。稲村ゲ崎と近くにある十一人塚の遺跡がある界隈は、朝廷方新田義貞が幕府方を攻略したときに激戦が行われたところであるが今日は静かな住宅地になっている。江の島電鉄沿いに鎌倉方面に歩む道は、鎌倉と藤沢方面を結ぶ古道で、極楽寺坂切通しはこの先にある。坂の途中には、日蓮上人が竜の口の刑場に連行されるときの休息の際、袈裟を松に掛けたとの碑がある。極楽寺駅の北側には真言律宗の高僧忍性が、幕府の庇護のもと建てられた極楽寺がある。壮大な伽藍が築かれていたと言うが度重なる火災で堂塔の多くが焼失し、今日ではその面影はない。忍性が貧者に対して施しを行ったという遺品の製薬鉢や茶臼にその幻影を見ることができる。
 極楽寺を出て、坂を下ると材木座海岸を望める眺望のよい所があり、その右手アジサイ寺として知られる成就院、少し下った所にある奈良時代の高僧行基が虚空蔵求聞持
法の修行をした虚空蔵堂と暗闇の夜の辺りを昼間のように輝かせたと伝わる星の井を見学した。次に向かう御霊神社の参道の角に、300年の歴史を誇る名店「力餅家」がある。この店の名物「権五郎餅」を食してしばしの休息を取る。
 御霊神社は、勇将鎌倉権五郎景政を祀る神社で参詣者も多い。この境内に江の電が走っているのも興味深い。ここからほど近い所に、巨大な木造観音で知られる名刹長谷寺がある。何度も訪れたことのある寺なので拝観を割愛し、昼になったので、人気そば処「以志橋」に入り、腹ごしらえとした。
  昼食後の最初は以志橋の裏手にある日蓮宗光則寺を散策した。境内には天然記念物のカイドウの古木が本堂前にあるが、ザンネンながら開花はまだ先なので美しい花を見ることが出来なかった。
次に鎌倉大仏で有名な高徳院に向かう。晴天に恵まれた青空を背景にした大仏は、歌人与謝野晶子が詠ったように、誠に“美男”であった。1495年の津波で仏殿が流されて以降520年間、露座のまま、慈悲深い姿を見せ続けて、人々の心に響くものを感じさせてくれている。ここから大仏坂トンネル方面に進み、トンネル手前を登ったところから大仏切通に入る。
  現在の、鎌倉七切通しの中でも、一番鎌倉時代の姿を彷彿できると云うだけあり、「切岸」「置石」「平場」などの遺構も見ることが出来大変興味深い。切通しを抜けた所は常盤という地で、八雲神社や7代執権北条政村の邸宅があったところを散策した。ここからは、笹をかき分けるような山道に入り源氏山公園へのハイキング道を歩む。源氏山公園には、後醍醐天皇の側近で、足利尊氏らと戦った日野俊基を祀る葛原岡神社や墓所があり、歴史の学習に訪れた地元の中、高校生たちが来ていて人が多かった。この源氏山は別名旗立山といい、遠く源氏の総帥八幡太郎義家が奥州遠征に行くとき、戦勝祈願をして、この山に源氏の白旗を立てたことに由来している。公園に建っている頼朝像は、頼朝がこの地から全国を統治し、睨みを利かしているようにも見える。ここから啼薬師で名高い海蔵寺への坂道が、化粧坂切通である。化粧の名は捕虜にした平氏の将の首を死に化粧して実検したことから呼ばれるようになったという。日野俊基もこの地で斬首されている。
  坂を下った所には、平景清が幽閉されたという土牢跡も見られる。海臧寺は本堂裏手にある庭園は見事であるが、花も咲いていないこの時期は拝観できず、啼薬師をお参りして退出した。鎌倉駅方面に向かう途中、江戸期水戸家によって建てられた英勝寺を 時間の都合で素通りし、隣接する寿福寺へ向かった。この寺院は、北条政子が主人源頼朝の菩提を弔うために臨済宗の開祖栄西を招いて建立した寺院である。当初は七堂伽藍を擁する大寺院で、鎌倉五山第3位の格式を持っている。この寺の奥にある墓地には、北条政子や3代将軍実朝の墓があり、墓参して、寿福寺を後にした。
  本日のハイキングは23,000歩を超え相当疲労したが、元気の余る有志とともに、小町通の居酒屋で今日を振り返えった。(石井義文)
 第25回 お江戸散策は渋谷・恵比寿界隈を選びました。渋谷は地形的にも坂が多く、渋谷駅の辺りが低地になっているのがわかる。この低地の所には、新宿御苑の辺りを水源とした渋谷川が流れているのである。街を歩いても川は暗渠になっているのでわからないが、渋谷警察署付近で開渠しているので確認できる。川は、その先目黒川に合流して東京湾に注いでいく。この辺りをつぶさに見ると大変興味深い。渋谷警察署の南方面を歩むと、渋谷を代表する古社 金王八幡宮がある。平安時代中期頃、源氏配下の渋谷基家が、この丘陵に城を築き、支配していた。渋谷の名はここから呼称されるようになったという。金王八幡宮の東側に隣接して寺がある。八幡宮の別当寺であった天台宗東福寺で、かって八幡宮の上位にあったが、明治に入って発布された神仏分離令に端を発した廃仏毀釈により立場が逆転してしまいその存在も影のようになっている。寺院から南方へ数分歩いたところに、渋谷氷川神社がある。埼玉県大宮市にある武蔵一の宮氷川大社の分社で、都内に数か所ある氷川神社の1つであるが、境内は広く、参道も長く引かれていて、多くの参詣者を集めていると云う。
  氷川神社を出て道路を隔てたところに国学院大学がある。神職養成や国学普及などを大学の事業目的にしており、構内には神社も設置されている。大学の東側に臨済宗吸江寺がある。同志社大学を創設した新島襄を輩出した安中藩板倉家の菩提寺である。ここから広尾方面に向かう。正面ガラス張りで十数階建ての大きなビルディングの日本赤十字社医療センターが進行正面に見えてきた。 この赤十字社は西南戦争の折り新政府の重鎮 佐野常民と大給恒(おぎゅうゆずる)が尽力して、博愛精神の基に設立された病院で、当初、敵方の兵士を看護することに反対意見が多かったが、有栖川熾仁親王が負傷者に、「敵も味方もない」と英断して設立されたのである。
 医療センターに隣接しての入母屋造りの門が見える。聖心女子大学の正門である。この聖心女子大からは香淳皇后、美智子妃殿下と2代続けて天皇の后を輩出している。麻布台の方向に歩み続けると、区民の憩いの庭園、有栖川宮記念公園に辿り着いた。この公園は有栖川宮威仁親王の住居であったが、後に高松宮殿下の屋敷となってから東京市に賜与されて公園になったもので、日本庭園の情緒に加え静寂な世界を味わえる都内屈指の公園になっている。江戸期は、盛岡南部藩の下屋敷が置かれていた所でもある。ランチタイムになり、広尾駅周辺のレストランに分散して昼食を取ることにした。

  祥雲寺の山門前に集合して、午後の散策をスタートした。午後の最初は、祥雲寺の塔頭香林院。日本赤十字社の設立に尽力した大給松平家の菩提寺である。東京は戦災で多くの茶室が失われたが、当院の茶室は被災を免れて現存している。祥雲寺。筑前黒田藩の菩提寺である。初代黒田長政の墓をはじめ、多くの大名家の墓が現存して残されている東京都の史跡にもなっている寺院である。ここから恵比寿方面に向かい、臨済宗東北寺(とうぼくじ)に向かう。当院も2,3の大名家が菩提寺としていて格式を感じるが、日本橋にあった白木屋の創業者一族の墓とその従業員の墓もある。墓には、火災で亡くなった従業員の墓も一族に列して安置されており、白木屋が如何に従業員を大事に扱ってきたか、会社の精神を読みとることができる。
  恵比寿に近づき渋谷橋の交差点にやって来た。その一角に、モダン建築の寺院がある。曹洞宗で仏教行事や布教教化などの説法道場を有する寺格を誇る福昌寺である、当院には門前に、貴重な文化財で、関東には稀な古墳の石棺仏が置かれている。続いて、本日最後の散策地、恵比寿神社に向かう。この神社は小粒ながら、商売繁盛、縁結びに大変ご利益があるとかで、多くの参詣者を集めているという。われわれが参詣中にもお参りに来た婦人がいて、呼び止めて伺ったところ、「数十年お参りに来ていておかげで家庭円満、商売順調」と嬉しそうに語るご婦人が印象に残った。恵比寿駅の名称はこの神社に由来すると聞いていたが、これは間違いで、恵比寿ビールに起因しているとのことである。 このあと恒例の懇親会に進み、和気藹藹に通飲し、早めに引き上げて散会とした。 (報告・石井義文)
 (解説

 恵比寿の居酒屋で、楽しい歓談をしたあと散会しましたが、誰かが「目黒川の光のページェントが素晴らしいよ」と言いました。酔い覚ましにちょうど良いと中目黒まで歩くことにしました。何と目黒川の川岸は天空の星空のような
ブルー一色の幻想的な世界になっていました。誠にすばらしい、圧巻でした!!。  まさしく本日のお江戸散策を天が祝ってくれたかのようで、程よい酔いとハッピーな気分で家路に着きました。

 

第24回お江戸散策は入谷から旧吉原に入り向島界隈の散策を行うこととしたJR鶯谷駅に集合し、近くにある入谷の鬼子母神で名高い真源寺からスタートした。真源寺は鬼子母神ばかりでなく7月は朝顔市でも大いに賑わう所と云う。続いて古社小野照崎神社へ進む、この古社は江戸期に富士山崇拝から富士講が盛んになった折り、実際に富士登山ができない人々のために境内に富士塚を造り、人々の参詣を促した。その富士塚の遺構が往時と変わらぬ姿で残されている。次に訪れたのは西徳寺。この寺院には、2013年惜しまれながら他界した第18代中村勘三郎が永眠しているので皆で墓参をした。この寺院の向かいには浅草酉の市で名高い鷲神社がある。生憎、市の前であったため境内はその飾りつけで工事関係者が多く入っており、邪魔になるので、早々に次の吉原弁財天に向かうことにした。この弁財天は遊郭吉原があったころ、遊郭楼主たちの信仰を集めた所で、築山には大きな観音像が「吉原の生活がどのようなものであったか?」「ここ起きた悲劇はどんなものであったか?」を伝えている。ここからほど近いところに航空関係者の信仰を受けている飛不動という神社がある。ここは「落ちない」というご利益から受験生の守護神として参詣も多いと云う。この付近は、樋口一葉一家が居住していたところで、名作「たけくらべ」「にごりえ」などの傑作の題材を生み出した旧居跡や一葉の業績を伝える一葉記念館もある。吉原のあった地は、往時と同様の区割りが残されていて往時の様子を想像しながら街を歩くと、名残を残す吉原大門見返り柳などに触れられる。ここまで歩くと、ランチタイムになって来た。ちょうどよい古めかしい造りのそば処があったので、皆でこの店に入り腹拵えした。腹ごしらえをして、店を出ると、外は本降りの雨となっていた。この調子では予定の向島界隈への散策は、歩行に難儀するし、交通機関のアクセスが良くないため急遽、予定を変更して、浅草に向かい、その界隈で打ち上げをすることにした。楽しみにしていた向島百花園や木母寺への散策は次回に繰り越しとした。浅草への途中には、めぼしい散策スポットがあるので、そこを訪れながら浅草に向かうことにした。雨中散策の最初は東禅寺。この寺院は江戸六地蔵の1つがあり、有名なパンの木村屋創始者の墓がある。続いて、春慶院。この寺院には第2代仙台藩主伊達輝宗に見初められて、身請けされた吉原の花魁第2代目高尾太夫の墓がある。藩主のこの行いが幕府に睨まれることになり、伊達騒動を引き起こす遠因になったという。歌舞音曲に秀でていた高尾の歌碑が建っている。ここから、ほど近いところに池波正太郎ゆかりの寺院待乳山聖天がある。江戸時代から無病息災、夫婦和合で多くの信仰を集め、眺望もよい人気スポットである。二王門から浅草寺境内に入った。浅草寺は雨天のなかでも多くの参詣者が訪ずれていて外国人も多数見られた。ここは皆、勝手知って、一度は訪れた所でもあり、市川団十郎「暫」像を拝観したところで本日の散策を終了としました。このあと、江戸の味を堪能できる居酒屋「小野屋」で本日の散策を振り返りました。
(石井義文・ 解説

 

多摩高校くさとり会開催の件
 
くさとり会の皆さんお元気ですか!
2015年一期生同窓会を当番幹事3組、4組の担当で下記のとおり企画いたしました。多数の参加を心よりお待ちしております。
 

開催日時    平成27年6月13日(土曜日) 16時~18時30分
          (受付15時30分より)
 
会場      チャイニーズダイニング桂林(JR武蔵溝ノ口駅構内0分)
         Tel 044-862-0281
 
アトラクション 多摩高吹奏楽部在校生 演奏会
 
世話人     高山健治朗 野口尚男 榎本靖子(五味)長岡和子(斉藤)
         花岡悦子(小川)
 
連絡      詳細は各人宛往復ハガキを5月1日ころまでにお送りします。
 
問い合わせ   e-mail  wako-n0621@nifty.com



※写真は、前回平成22年開催1期生同期会のものです。


多摩高校11期生 平成25年度同期会のご報告
    
 
 東日本大震災の翌日に行った還暦同期会から丸3年たった平成26年3月9日の日曜日午後1時、前回は来られなくなった人たちをはじめ100人を超える同期生が「帝国ホテル・光の間」に集合し、綾谷、濱田、小里、田山の諸先生と、同窓会から小林、中野両副会長にご出席いただいて盛大に同期会を開催することができました。
最高級のホテルサポートと料理を前に、大いに飲んで食べてお喋りを楽しみ、最後に1年生の時のクラスが集まって記念撮影の後、全員の記念撮影、田山先生指揮による校歌斉唱を行い、あっという間の2時間でした。



更に「うおや一丁銀座店」に70人が移動して、4時から二次会を開催、今度は落ち着いたお座敷に座っての2時間、さらに懇親を深めました。そして、まだまだ飲み足らない、お喋り足らないという仲間たちが、夜の銀座に消えて行きました。
 今回は残念ながら欠席された方々、事務費を入金頂き有難うございました。次回は是非お会いしましょう。
 
幹 事 
石川豊、大津元一、篠田隆志、内藤秀文、長谷川茂、秦野純一、飯田(山本)光子
古関(久住呂)みな子、小塚(高橋)久仁子、坂元(田邉)志津江、横山雄子
 
連絡先アドレス  tamakoukou-11ki★c00.itscom.net(篠田あて)
※参加されてのご感想、次回の要望などお書き込みください。幹事で共有します。
 ★を@に変えて送信をお願いします。


集合写真(クラス1~3)


集合写真(クラス4~6)


集合写真(クラス7~9)

※写真をクリックすると大きな写真が出ます。