同期会

第12回 旧品川宿

2012年08月11日(土) | コメント(0)
 
江戸時代、江戸の中心から2里ほどで、東海道第一の宿場町で旅人の送迎地であるとともに風光明媚な遊興の町として知られた旧品川宿界隈の散策を行いました。今回の散策においても、人々から尊敬され、心温まる遺訓を残した人、巧みな技を持った人の遺作、そしてこころ根のやさしい、正直者やそれに情けをかける江戸の人情のぬくもりを改めて感じる散策となりました。散策地は以下のところです。
開東閣 :三菱グループの倶楽部として知られ、ジュサイアコンドルが設計した明治期の洋式屋敷。
御殿山 :江戸期風光明媚な景勝地。幕末に山は削られ、面影は失ったが、現在高級マンションが聳えている。
問答河岸碑 : 徳川三代将軍 家光と東海寺住持沢庵との頓智に富んだ問答が交わされた所と伝わる。
土蔵相模跡 :桜田門外の変やイギリス公使館焼き討ちなどに関係している幕末期に栄えた妓楼。
利田神社 :江戸中期に江戸湾で獲れた鯨に、将軍が関心を持って大騒ぎになった。その鯨を供養した所。
御殿山砲台跡 :ペリー来航後、品川沖に砲台場を建設することになった。その時の遺構が残る。
品川本陣跡 :大名や公家が宿泊した本陣跡で、明治期に、明治天皇が東京へ入京する際に宿泊した所。
寄木神社 :幕末期の名鏝絵師 伊豆の長八の作品がある。
荏原神社 :奈良期からある古社で、かっぱ祭で知られています。南品川の鎮守神社。
品川神社 :鎌倉期に創建された北品川の鎮守神社で、富士講で知られた富士塚は江戸期から人気。
官営品川硝子製造所跡 :明治初期に日本で最初の硝子製造所が作られ、建物は明治村に保存。
東海禅寺 :三代将軍家光により招聘された名僧沢庵宗彭によって作られた四万坪もあった大寺院。
細川家墓域 :肥後熊本藩細川家の墓所。元首相細川護煕氏の父母も永眠している。 
清光院 :豊前中津藩奥平家の墓域がある。
願行寺 :境内地蔵堂のしばり地蔵は有名。
常行寺 :日本最初の大師である慈覚大師円仁ゆかりの寺。
天妙国寺 :将軍家に庇護されていた寺院で、江戸期には五重塔、書院、仁王門も備えていた。
品川寺 :真言宗別格本山の格式をもつ寺院で、境内にある地蔵菩薩は江戸六地蔵第1番に数えられている。
海雲寺 :曹洞宗の寺院で、心根のやさしい、正直者平蔵地蔵がある。
泊船寺 :松尾芭蕉ゆかりの寺。
海晏寺 :かっては紅葉の名所と謳われた寺院で、墓地には、岩倉具視、松平春嶽、由利公正の墓がある。
 報告・掲載: 石井義文  
 【散策の後は・・・】 

うまいビールに
新鮮なさかな!


お疲れさまでした!!
多摩高校 18期同期会実施のご報告と御礼
開催日 2012年7月7日(土)
開催場所 町田 千寿閣
  2012年7月7日(土)第6回18期同窓会を開催いたしました。
七夕同窓会となり、1次会を町田千寿閣で行い、99名が集合し約40年前からの旧交を温めました。
また、当日お忙しい中、安部同窓会会長、木下副会長、中島副会長、恩師の河原崎先生、青木先生、岸先生、薩川先生、岩本先生にお越しいただきました。改めて、深く感謝申し上げます。
18期同窓会はオリンピックとは違い3年に1回開催され、今回で6回目となります。その回毎に次回幹事が選ばれ(クラス男女各1名、8クラスで計16名)次の同窓会の準備の幹事会(ほとんど飲み会)を行っています。(多摩高祭の準備のノリですね。)
今回も、1次会と2次会をセットで案内を出し、2次会は同じ町田の居酒屋NIJYU MARUにて92名の参加となりました。2次会の会場は時間延長できたため、とにかく久しぶりに会って話すということで、あっという間に時間がたってしまいました。
特別なイベントがなくても「会って話す」というだけで盛り上がるものです。
終電の時間まで飲んだあと、20名近くは3次会、4次会へなだれ込んだそうな・・・
3年後には第7回目が開かれる予定で、年齢とともに18期は盛り上がっていく予感がしております。
最後に、第6回18期同期会が大成功で終わることができた事につき、皆様のご協力に深く感謝申し上げます。


  18期第6回幹事一同 (18期第六回幹事同窓会窓口 永野)
 
開催日   2012年7月7日(土)13:00~15:00
開催場所  ホテルメッツ溝の口
チャイニーズダイニング桂林
  二期同期会報告

  出席者 岩本先生、古谷先生
        清水秀紀 同窓会副会長
        同期生 男性17名 女性7名 合計27名

昨年までの5年間、女性幹事を受けていただいた福田悦子さん、根本令子さんとの引継ぎを5月25日に行い、
今年度からは男性幹事 伊藤紀久夫、那須建二、女性幹事 花塚幸子、田村綾子でスタート。
例年実施している7月第一土曜日開催は難しいかなと思っていたのですが、男性幹事の尽力により実施にこぎつけました。お知らせのハガキを準備している最中に、恩師 安井先生の訃報が入り、ハガキにその旨の文章を入れたハガキを発送しました。
当日は恩師 岩本先生、古谷先生が出席した下さり、昔と変わらぬ温かい笑顔を差しのべていただきました。
同窓会からは清水副会長が出席して下さいました。
返信ハガキで恩師 桜井先生が病気療養中であることがわかり、当日の出席者で激励の言葉を贈るべく、
色紙を用意し、メッセージを寄せ書きし先生にお届けする事にしました。
同期生の訃報も数通あり、当日は例年通り那須さんの司会により亡くなられた方々へ黙祷しご冥福をお祈りしました。
続いて古谷先生に乾杯の音頭をお願いし、会がスタートしました。
参加者の自己紹介と近況報告へと進み、初老の域に入った仲間の話は経験も豊かになった上、昔の仲間という気安さもあって、楽しくなごやかな雰囲気となりました。
その後、思い出に旧交を温め合い、あっという間の二時間でした。
次回からの実施日に関する提案で、7月の第一土曜日にこだわらず。平日ではどうかとの内容でしたが、
今まで通りの実施日が定着しているので変えないほうが良いとの意見が多く、次回からも7月の第一土曜日の開催と決まり、再会を約束し解散となりました。

追伸:病気療養中の桜井先生より、激励の色紙に対する感謝の意のお礼状が届きました。
        二期生一同、先生の病状回復を心からお祈りしております。 
  (報告: 二期生  田村綾子)
 

第10期生 第6回同期会

2012年07月02日(月) | コメント(0)
【多摩高校10期生 第6回 同期会報告】
[開催日時] 平成24年6月2日 15時~
[開催場所] 川崎日航ホテル (1次会、2次会)
  [参 加 者] 
 「当日は10期生 80数名に恩師5名の参加をいただき、15:00に川崎日航ホテルで遠藤幹事の司会で開会。 金持同期会幹事長の挨拶の後、乾杯。次に小林同窓会副会長のご挨拶を頂きましたが、後半は、年寄りの我儘か、挨拶に耳を傾けるものが殆ど無くなる状態、嘆かわしい!。
 次に恩師のご挨拶。これも最初のうちだけ静かに聴いていますが、ちょっと話が長くなるともう駄目。乾杯を早めたのは失敗か、いやいやこれで良いのか。
 二次会は、同じホテルのカラオケルームで4室ほどあり、クラスを中心に各部屋でわいわいとおしゃべり。勿論渡り鳥のように各部屋を訪れる者も多く、年を忘れて大変楽しそうでした。」

                                      10期生同期会幹事 武田和幸
 
 
 第6回幹事 クラス    第7回次期幹事  
 旧姓名  現姓 組   旧姓名 現姓 
柏原 美和子
菅  晶子
佐々木 晶子
遠藤 豊治  
武田 和幸  
三宮 有治  
金持 敏雄  
高原 直樹
鈴木 晴夫  
小柴 博

 
空閑
原嶋
田中
 
1組
2組
3組
4組
5組
6組
7組
8組
9組
10組
鶴   祥代
立田 眞理子
田中 三紀子
近藤 好雄  
浜野 康雄  
大崎 千明  
中澤 精治  
済田 久美子
原田 伊三郎  
宮原 廣一  
青木
小埜
浦川
 
 
 

坪井
 
 
 

第6回 震生湖

2012年05月10日(木) | コメント(0)
 【第6回 五期生 震生湖ハイキング】
 遅れていた桜が満開の渋沢丘陵・震生湖を4月10日にハイキングした。女性6名、男性4名で、秦野駅を出発。
 のんびり、ゆったりとした歩みで、今泉名水桜公園の池を巡り、桜を見て回る。
 その後、関東三稲荷の白笹稲荷をお参りして、関東大震災で出来た震生湖に行く。地震で谷が堰き止められた震生湖は細長く神秘的だ。畔の桜の下でお昼。皆で、持ち寄った物を交換しながら、美味しく頂く。
 食後、渋沢丘陵の畑の間を、また、ゆったりした里山を、小さな草花を見ながら、そして、春を感じながら、のどかな景色を楽しみ散策した。そして、渋沢駅にゴールイン。二つ先の駅で温泉に入り、中華料理で打ち上げをした。(佐々木記)

第11回 浅草・墨東

2012年05月07日(月) | コメント(0)
   第11回お江戸散策は、当初3月末日に行う予定でしたが、下谷神社
 ○ 浮世絵画家の巨匠葛飾北斎が眠っている寺として有名な誓教寺。
 ○ 大日本沿海輿地全図を作った伊能忠敬、幕府天文方で忠敬の師として、その大事業を支援した高橋至時景保父子、江戸の侠客 幡随院長兵衛、江戸後期の名画家 谷文晁 等の墓所のある源空寺。
 ○ 玉川上水を完成させた玉川兄弟の眠る聖徳寺。
 ○ かっぱ寺と呼ばれる曹源寺。
 ○ 江戸時代から民衆信仰の中心寺院 金龍山浅草寺
 ○ 墨堤にかかる、言問橋桜橋吾妻橋
 ○ 武島羽衣、滝廉太郎による名曲「花」の碑
 ○ 江戸の遊興地吉原に近く風光明媚で知られ、池波正太郎がふるさと語る待乳山本龍院(聖天)。
 ○ 招き猫と縁結びで有名な今戸神社
 ○ 中村勘三郎の悲願なった平成中村座
 ○ 墨堤桜の記念碑
 〇 団子で有名な長命寺
 ○ 明国風建築の黄檗宗寺院 弘福寺
 ○ 三井越後屋の守護神 三囲神社
 ○ 本所向島の総鎮守 牛島神社
 ○ 江戸期水戸藩下屋敷だった隅田公園
 ○ 現在、墨田区役所やアサヒビールの本社がある江戸時代佐竹藩の名園だった浩養園跡
 ○ 日本のシンボルの一つになる東京スカイツリー
   以上ように、今回も歴史上著名な人の業績を学び、春爛漫、満開の桜を満喫できた散策でした。
        (報告:石井義文)
 
  これより懇親会

 
開催日 2012年3月10日(土)
開催場所 横浜の銀行倶楽部

63歳!-16年ぶりのクラス会実施(参加者率50%)-

24年3月10日(土)に16年ぶりのクラス会を実施しました。実に高校を卒業してから45年の歳月が流れています。私達のクラスは9期3年6組でした。会場は横浜の銀行倶楽部で午前11:30クラス会を開始しました。参加者数は23名で参加者率50%の数字です。乾杯の挨拶は当時音楽担当だった田山一彦先生にお願いしました。何でも先生は70歳を超えたとのこと、しかし当時の若さを保っており、風貌では生徒と先生が逆転している感がありました。
タイムスケジュールにそって会は和やかな雰囲気のうち進行し、中間で全員の近況スピーチ、13:30全員の記念撮影、13:40校歌合唱に入りました。ここで再度、田山先生に登場していただき校歌合唱指導をしてもらいました。
・・・「♪緑の丘の つらなる空に 雲白く うかびかゞやく・・・♪」、一気に18歳の青春時代に逆戻りした感がありました。
そして最後に「今日の日はさようなら」、「星影さやかに」を全員で合唱して1次会を
終了しました。今後は、2年に1回(隔年)3月開催することに決定し、古き良き高校時代を懐かしむこととしました。

(9期 藤田 広一)
8期生第三回同期会
2012年3月4日(日)
横浜市都筑区のオンワード総合研究所付属レストランにて

 当日、外は今にも降りだしそうな空模様でしたが、会場は12年ぶりの会、93名もの出席者で、始まる前から湧き立っていました。午後3時、来賓に柴荘造先生をお迎えし、内海敬三会長の開会挨拶。
柴先生は「今年後期高齢者の仲間入り」だそうですがとても身のこなしが軽やか。多摩高に赴任なさる時、宿河原を向河原と間違え、その駅で尋ねたら「その様な学校は有りません」と言われ、とても困ったなどと皆を笑わせました。
その頃の先生は24、25歳? 多摩校生の頃、耳には「ビートルズ」、そして印象深い出来事は高2の秋の「東京オリンピック」。私共も卒業してから46年、その多くが今年65歳になります。
 
 同窓会の方々の挨拶に続き、参加者全員の近況報告「職を辞して後今はこれを・・・と、」楽しき日々を過ごしているお話の数々、そして合間のクラス別写真撮影、飲み食べ語り合いあっという間の2時間半。最後に校歌を歌い集合写真を撮って1次会は終了
お帰りになる柴先生を、皆でお見送りし、階を変えて全員参加の2次会へ。

 意気投合した同士適当に分かれ、話は弾み午後7時散会。「2次会の時間をもっと欲しかった」の大多数の声
久しぶりの集まりに、別れを惜しみつつ外へ出てみれば春未だ浅いこの夜、降りだした雨で寒さが増したはずなのにそれすら感じさせない楽しい1日になりました

第3回 スキー愛好会

2012年03月01日(木) | コメント(0)
 五期スキーの会 
 三年目の今年は、二月に一泊二日のスキーになった。初日は湯沢パークスキー場、翌日は神立高原スキー場で、天気に恵まれて快適なスキーだった。神戸から参加した朝井さんを中心に、男性三人と、二日目に合流した本橋夫妻(現菱山さん)を加えて、賑やかに、楽しく滑る。朝井さん、本橋さんは軽やかな滑りで、余裕が感じられた。レトロな宝物のある宿も良し、露天温泉も良し、個室での食事も良し、越後のお酒も良しで、大満足であった。
 いつまでも滑っていたい柳瀬さん、直ぐにまた来たいと言っていた金作さん、それぞれの思いを抱きながら帰途に着く。(佐々木記)

  宿屋にて 

第10回 日本橋・人形町

2012年02月27日(月) | コメント(0)
  今回のお江戸散策は、第10回の節目を迎え、江戸の中心で、「朝昼晩三千両のおちどころ」と川柳に詠われた日本橋・人形町界隈を選びました。江戸時代、そして明治期に入ってからも日本の経済の中心であったこの界隈の散策はわれわれに新たな知識を与えてくれました。東京駅八重洲北口を出ると、前に幅広の道路が走っています。外堀通りです。名前のとおり此処は江戸城外堀があって北は日本橋川へ、南は銀座数寄屋橋まで壕になっていたところです。この辺りの名前「八重洲」は、三浦按針とともに豊後臼杵に漂着し、航海技術を備えた技量が徳川家康に認められたヤンヨースティンが、この辺りに屋敷を与えられて住まいしたことから呼ばれるようになったと言う。またこの辺りは江戸初期における火消し番所や秤の両目統一を図る器機製造や検査・販売などを行う江戸秤座もありました。ここから100m北に上がったところには、京都から出店した近江商人の高島屋があり、日本橋の象徴的な伊勢商人の三井越後屋(三越)と共に日本橋の大棚として数百年繁栄を維持してきている。他にも江戸期から今日続いている歴史を誇る店としては蚊帳の販売で成功した「西川産業」、ヒット商品梅干飴で繁盛した「榮太樓總本鋪」、玉露と江戸海苔の「山本山」、鰹節の「にんべん」、刃物の「木屋」などの名店がひしめいている。これらの店の隆盛ぶりは、地下鉄「三越前駅」の地下通路にある熈代勝覧絵巻からも、当時の様子を偲ぶことができる。徳川家康によって五街道の基点とされた日本橋は、その橋上からは、天下の江戸城、天下の富士山を望むことが出来るように作られ、両岸には魚河岸店が立ち並んでいて、その賑わいを知るとともに江戸幕府の威信と権威を表わしていることを絵巻が描いていました。日本橋の上流には、一石橋常盤橋が続いて掛かかっていて、その威容を感じ取ることが出来ます。この常盤橋は関東大震災で破損しましたが、渋沢財団の支援で再建されました。橋の向かいには、日本銀行本店があり、この日銀旧館を見学することができました。日銀の機能、役割などを学習すると共に、内部の大金庫や台車に積み上げられた紙幣の塊は圧巻でした。日本橋からは江戸橋の袂にある郵便発祥の地海運橋の袂にあった日本最初の銀行などの足跡を辿り、途中、東京証券取引所を見学してから証券界の守護神、兜神社と、日本橋七福神のなかで、運気が強と評判の小網神社で株価上昇を祈念するお参りをしました。(笑)この辺りは姫路藩酒井家の下屋敷があり、明治初期には西郷隆盛が住んでいましたが、現在、日本橋小学校になっていました。また、文豪谷崎潤一郎も,この近所で生まれ育ち、界隈の風情を随筆「ふるさと」で語っています。人形町界隈の見学場所には玄冶店跡蛎殻銀座跡元吉原跡などがあるが、今は中央区の歴史ガイド板で往時を偲ぶのみです。七福神で隆盛を誇っているのが明治期に赤羽橋の有馬藩邸内から移転してきた水天宮ですが、参道入口にあるブリジストン創業者石橋正二郎が寄進した狛犬像は風格を備えていて見事でした。
歩みを北に向けて、掘留町には、江戸三森の一つで富くじ興行で名の知られた椙森神社を参拝した後、伝馬町牢屋敷があった十思公園へ向いました。牢屋敷は大安楽寺や十思小学校を含む地域に及ぶ2700坪の広さであったそうです。明治維新の精神的指導者吉田松陰はここで斬刑に処され、その辞世歌が公園内の碑に刻まれています。また、この公園には、石町にあった時の鐘が残されています。次の散策地は長崎屋跡で、説明板のみですが、江戸期蘭学を志していた杉田玄白、前野良沢、平賀源内、中川淳庵らが長崎から江戸参府に来たシーボルトやオランダ商館員たちから先進的な外国の知識を得ようと真剣なまなざしで学んだ様子が思い描けました。ここで今回の散策を終了し、神田駅近くの居酒屋で、本日の反省懇親会を賑やかに行いました。(報告:石井義文)
  これより懇親会