同期会

開催日 2010年6月20日
開催場所 川崎日航ホテル
 一期会(草取り会)開催
 多摩高一期生が昨年の6月20日にJR川崎駅前の日航ホテルで同期会を開催した。 当日は同期生63名に加え、在校時お世話になった岩本秋雄、諏訪恒方の両先生にもご 出席いただき、昔ばなしに花を咲かせた。  実は一期生の同期会には別称があり「草取り会」ともいう。ナゼ「草取り会」なのか。  春四月。入学が決まれば普通は晴れていざ学校へ、となるものだが一期生の入校時 は少し事情が違った。登校したものの校舎は未だ未完成、グランドは未整備という状 態で、已む無く高津中学校で間借り生活を送ることになった。この教室が薄い板1枚 で仕切られており、後ろの席に座ったら隣室の教師の声の方が良く聞こえることもあ った。  未整備のグランドは雑草が伸び伸びと育ち、野外授業としてクサトールと呼ばれる 除草薬を散布したりしたものだ。圧巻は運動会で「草取り競争」と呼ばれる珍競技も あった。この除草作業が別称「草取り会」の生まれた所以でもある。  我々の年代になると、同期生が集まったときの話題は、在校時の思い出、健康、年 金、余暇利用などと相場が決まっているものである。だが、今回の「草取り会」では 新たな話題が加わった。後輩の現役生による「全国高校駅伝大会」出場の話である。  一期生の多くは昭和15年、16年生まれで今年古稀(70歳)を迎える。もう卒業して 半世紀以上経過したことになる。日本は平均寿命が女性86歳、男性79歳と、世界有数 の長寿国だが、一期生の訃報に接することが多くなったのも事実である。今回の同期 会は小嶋鑛三君が代表幹事となって運営されたが、前回の代表幹事だった小野望君も、 病に倒れ旅立ってしまった。それだけに、ますます同期会の意味が重くなっている。  野口尚男君の司会で進行した草取り会は、記念写真を撮り、岩元、諏訪の両先生から ご挨拶をいただき、校歌など思い出の歌を歌い、歓談したらたちまち予定時間を消化。 それぞれが再会を約して散会した。    
(石田京・記)
 


 

第6回 本郷・湯島

2010年07月05日(月) | コメント(0)
〔本郷・湯島界隈〕 平成22年6月5日(土)
  2年前の3月にはじめた散策も、第6回目を迎えました。今回は、本郷と湯島界隈を取り上げました。御茶ノ水駅駿河台側に集合し、御茶ノ水橋、聖橋からの神田川の景観を味わいました。江戸の初期に江戸城防御の目的で丘を切り開いて作られた神田川を人力で掘られたことを学び、当時の土木作業の現場を想像しました。ここから聖橋の北側にある湯島聖堂に向かいました。江戸時代第五代将軍綱吉が創った儒学振興の中心であった昌平坂学問所(湯島聖堂)は幕末まで、幕府の学問の中心となった所で、重厚な格式を放っていて、学問を学ぶことへの崇高な精神が伝わってきました。次に訪れたのは、江戸天下祭で親しまれる神田明神社。平安の昔に創建され、江戸の総鎮守として尊崇されてきた堂々たる社殿は風格を備えていて、毎年5月に行われる盛大な祭の様子が境内の雰囲気から伝わってきます。そして江戸の初期に隆盛した真言宗霊雲寺を経て、春日の局ゆかりの麟祥院へ。権勢を誇った春日局の墓は、墓石に四方から穴が貫通している大変めずらしい形をしていました。 これは局が「黄泉からも天下のご政道を見守れる墓」を作ってほしいと遺言したことから造られたとのことでした。また、同所が東洋大学の発祥地であることも知りました。ここからは春日通りを下って、婦系図で有名な湯島天満宮へ辿りつきました。折りしも結婚式の場に遭遇し、別れ話ならぬ、縁結びのシーンが「お蔦・主税」の悲恋物語の気分を和らげてくれました。 切通し坂を下って、次に訪ずれたところは、ジョサイアコンドルの設計した旧岩崎記念館。同館は、折りしも大河ドラマ「龍馬伝」で話題になっていることもあり、多くの観光客が来館していて、説明員も熱心に岩崎弥太郎一族の歴史を語っていました。この屋敷に沿った坂道が森鴎外の小説「雁」の舞台の無縁坂。坂を上って右手にある土蔵造りの講安寺見学し、通りを出た突き当りの右にある鉄門をくぐると高度な医療設備を備えた東大医学部付属病院がある。昼食はここの食堂で取ることにした。廉価でメニューも豊富、お味もグーでした。昼食後は広い構内をゆっくり散歩して、東京大学の名所、安田講堂三四郎池赤門を見学しました。東京大学を後にして、本郷通り向かいにある樋口一葉ゆかりの法真寺を経て、本郷中央教会へ向かいました。この教会は、名曲「故郷」「朧月夜」を作曲した敬虔なクリスチャン岡野貞一が賛美歌のオルガン演奏をしていた教会で、現存しているオルガンを拝見させていただきました。次に向かった菊坂界隈は、樋口一葉の足跡が多いですが、燕楽軒菊富士ホテル跡炭団坂常磐会跡喜の床かねやすなど樋口一葉ばかりでなく、宮沢賢治、宇野千代、谷崎潤一郎、尾崎士郎、直木三十五、坪内逍遥、金田一京助、石川啄木等、文壇で名を残したそうそうたる顔ぶれの足跡を学ぶことができました。今回の散策も江戸から明治・昭和初期に至る、当時の様子を偲べる楽しい散策でした。この後、駅付近の居酒屋に集い、のどを潤し、笑いのひとときを過しました。

(文・石井義文)
懇親会
スライドショー

にしち会

2010年06月29日(火) | コメント(0)
【多摩校5期・2年7組クラス会の報告】

平成22年5月29日(土)13:00~16:00、青学会館フィリアの間において、 クラス会を開催しました。 
参加者は12名でした。7組クラス会に初めて 参加された方も2名いらっしゃって、当時の顔と今の顔を一致させるのに少し時間が掛かりましたが、すぐに合致して、当時の思い出や現在の状況 について、話がハズミました。ただ残念なのが、担任の安井先生が脳梗塞を患い現在ご自宅で療養中で、毎日リハビリの為、病院に通っておられます。次回のクラス会には参加出来る様、頑張っています・・・と奥様の言葉でした。
次回の開催を約束して解散しました。

(西川勤 記)
名曲「学生時代」の記念碑前 参加者全員
年は取っても元気はつらつ! 初めて参加の方もあり話が盛上がりました

第10期生 第5回同期会

2010年06月22日(火) | コメント(0)
【多摩高校10期 第5回同期会報告】  
[開催日時] 平成22年5月22日 15時~
[開催場所]  武蔵小杉「精養軒」 (1次会、2次会)
[参 加 者] 
恩 師 : 5名  岩本秋雄先生、大多和國男先生、中島正徳先生、浜田正一先生、柳田光紀先生
同窓会: 1名  石田稔会長    
生 徒 : 89名(2次会:72名)
 第5回同期会は、10期生全員が還暦を迎えメモリアルな同期会にと、第二の人生に向け多摩高時代の想い出を確かなものにしたく企画しました。今まで未開の領域である1年生、2年生時のクラス写真を用意し、1~3年の各自のクラスを名札に明記、クラス単位(30枚)の記念写真を撮影しました。お互い名札を見ながら、確かめ合いながら想い出話しから近況にまで話に花を咲かせておりました。1年、2年のとき何組だったのか殆どの人が憶えておらず、拡大した当時のクラス写真を見ながら旧知の友を確認してもらいました。二次会も例の名札をきっかけに話も弾み盛況の内に会は閉りましたが、同輩たちは再会を誓いながら小杉のネオンのなかへとそれぞれ消えてゆきました。今回の同期会を期に各々クラス会へと発展し、これからのセカンドライフが実り多い人生になりますように大いに期待したいものです。今回の同期会の大きな収穫は各々の1,2年時のクラスが判明したことであり、今後の10期同期会がよりよく熟成されてゆくことを希望して報告といたします。

(幹事代表 浜田好信)
 
集いを感謝して 記念写真
大きな声で 校歌斉唱
平成22年3月26日(金)
【多摩校五期生 第1回春のハイキング】
  参加者11名(内女性5名)で、小田急線秦野駅から「弘法山公園・吾妻山コース」の花見ハイキングを実施した。昨秋、雨で流れたハイキング。天気に期待を込めたが、三月末になってから、雨と寒い日が続いた。計画当初、秦野市役所に問い合わせて決めた日程だが、出発と同時に、ぱらぱらと雨。心配したが、直ぐに上がる。弘法の清水に寄った後、初めでかつ最大の登りを順調にこなす。浅間山で小休止をしてから、「めんようの里」を見ながら権現山へ。ここで、桜が咲いていたので早めの昼食にする。弘法山では、展望台から遠く、江ノ島、三浦半島、房総半島を眺める。 下りは、うっすらとピンク色した蕾の桜並木を望み、「優れたるもの、朧月夜と咲き初めの桜」と誰かが詠んでいた。 また、歩きながら、「高校の時、金曜日から山へ行った話」、「東京マラソンで、4時間そこそこで完走した話」、「洋菓子屋の立ち上げの苦労話」等々で盛り上がる。女性群も頑張り、落伍する者も無く、ほどほどのハイキングをして、鶴巻温泉へ飛び込む。美人の湯で体を温たためた後は、ビールで乾杯。その喉に沁みる美味しさは格別でした。次回も開催することを誓って、無事、お開きとなった。

(佐々木)
道中は思い出話に花が咲き 和気藹々で軽快な足取り
ひと風呂浴びて懇親会
よい湯に、うまい酒は至福のひとときでした

第5回 目白・雑司ヶ谷

2010年04月13日(火) | コメント(0)
 
  〔目白・雑司が谷・早稲田界隈〕  平成22年3月13日(土)
 第5回は大学と墓苑・公園めぐりのお江戸散策となりました。本日は好天気に恵まれ、清清しい気持ちでスタートしました。今回のコースの最初の散策地は学習院大学。皇族、上流階級の大学と思っていましたが、作家吉村昭塩野七生、ジャーナリストの磯村尚徳、俳優の田宮二郎など多才な人材を輩出していることを知りました。次は目白の名前の由来となった目白不動尊。江戸時代は大いに隆盛していて、多くの参拝客が参詣に来て、目白押しの語源はここから由来したといいます。江戸時代にもう一つ参詣客を集めたのが、平安時代に開基された古刹の法明寺の飛地境内にある雑司ケ谷鬼子母神堂。山道に並ぶ老舗茶屋、ケヤキ並木や境内のイチョウの大木は、江戸の風情を留めていて参詣の楽しみを与えてくれました。続いて訪れたのは東京音楽大学。作曲家池辺晋一郎服部克久船村徹、歌手の淡谷のり子春日八郎、そして津島恵子黒柳徹子など、多くの著名人を輩出した伝統のある学校で、事務所も音楽ホールのようなところでした。次の雑司が谷霊園では、夏目漱石大川橋蔵小栗上野介泉鏡花ジョン万次郎、らの墓めぐりをして、しばし世に名を成した人々を偲びました。この地域の風景に似合う宣教師館を見学したのち、音羽通りを横切って護国寺に入りました。護国寺は五大将軍徳川綱吉の母桂昌院が肝煎りで建立させた寺院である。偉人との関わりも深く、大隈重信山縣有朋ジョサイア・コンドルなど多くの歴史上の人物の墓があり、歩きながらの日本史学習になりました。音羽のファミレスで昼食をとった後に訪れたのは、鳩山会館。現在、いろいろ批判の矢面に立たされている鳩山由紀夫総理が幼少の折、両親と暮らしていたお屋敷です。観光バスが連なるほど、多くの観光客が訪れていたときがあり、華麗なる鳩山ファミリーの内情を垣間見ることが出来ました。ここから音羽通りを横切り西方にある高台をのぼりきってから下っていく傾斜地を庭園にした椿山荘。都内屈指のホテルであり、庭園には幾多の椿が花を開いて、われわれを迎えてくれました。椿山荘の向かいには東京カテドラル聖マリア大聖堂。建築家丹下健三の設計により、1964年に落成したステンレス・スチール張り、鉄筋コンクリート造りの大聖堂で聖堂内ではサン・ピエトロ大聖堂ピエタミケランジェロ)と同寸の精巧なレプリカやフランシスコ・ザビエルの胸像などの収蔵品を観ることができて、思わず敬虔な気持ちに浸ることができました。続いて向かったのは講談社の創設者 野間清治の収集した美術品を集めた野間記念館。折りしも横山大観展が開催されていましたが時間の都合で割愛。ここから徒歩数分の地にある細川家の家宝を収蔵した永青文庫を館外から眺めての見学でしたが、時間が取れたらゆっくり見学したいところでした。途中、和敬塾永青文庫水神社を見学して、神田川沿いにある関口芭蕉庵に向かいました。松尾芭蕉が本職の上水技術者として神田川の改修工事に従事した折に住まいした庵が復元されている。草花や木々が生い茂り、静寂に包まれたこの庵で、しばしの休息を取りました。芭蕉は俳句ばかりでなく、江戸市民の生活を豊かにすることにも貢献したと言う。次に訪れた回遊式泉水庭園新江戸川公園(旧細川庭園)も梅、さくら、木蓮、椿、こぶしなどの草木が、池のまわりに植樹されていて、気持ちを和ませてくれる公園でした。この散策のフィナーレは早稲田大学。創立125周年を記念して建てられた大隈記念タワーに上りましたが、生憎、休館で展望を味わうことは出来ませんでした。そこでは同学卒業生の佐々木さんから「建学精神」や「大学の気質について」の講義を受けました。そして気分が盛り上がったところで、創立者大隈重信の銅像前で、早大校歌を歌って大いに気勢を上げてお開きとしました。その後は、懇親会と称して、高田馬場に至る途中の居酒屋で、本日の感想を語り合い、心行くまで飲んで楽しいひと時を過ごし、1日21,500歩の散策を終了しました。

(文:石井義文) (資料
懇親会
スライドショー

第1回 スキー愛好会

2010年03月02日(火) | コメント(0)
多摩校五期生 スキー有志会

 スキーは15年ぶりの石井さん、年に数回はスキーに行き・トライアスロンにチャレンジ中の柳瀬さん、毎週のように行っている佐々木の三人の凸凹コンビで出掛けた。今年は大雪の越後湯沢は、トンネルを出ると一面の雪だ。湯沢パークスキー場では、久し振りのメンバに配慮し、平らな初級コースを滑りだしたが、もういいと言われ、林間コースへ。中級コースも、ゆっくりだが、しっかり滑り降りる。奥の長い中級コースも確実に滑り、皆、中々大したものだ。終って、冷えた身体を温泉で温め、その後は、ビールと地酒で乾杯。幸せに包まれた一日であった。

(佐々木)
晴れ間がでてきたよ~ 雪が降っても何のその・・・
軽快なすべり 15年ぶりでもこの通り・・・
一汗かいたわい・・・ リフトに乗ってるときは、少々冷えるな~
いやー 楽しかったよ~ 反省会はいろいろ・・・・・
【開催日】  2009年12月5日
【開催場所】  日比谷 松本楼      〔参加者〕  61名
  前回の同期会からは9年ぶりとなった【第三回多摩高14期同期会】
ほんの数年前に母校を卒業したような思いとはうらはらに気がつくと50代後半になっている私たち14期生
開会してすぐには、お互いの顔と名前が一致しなかったり、自分の在籍クラスを思い出せず「クラス一緒だったっけ?」と尋ね合ったりと少々心もとないメンバーでしたが・・・
時間の経過とともに在籍時の顔や声・仕草などが記憶の中から浮かび上がり「あぁ、その話し方変わらないねぇ」とか「体育祭の仮装行列を一緒にやったよな?」などと会話がはずみ・・・アッという間の三時間でした。
 孫の写真を携帯の待受画面にしている女性もいれば「家にはまだ小学生がいるよ。教育費を稼がなくちゃ!!」と自らに喝を入れる男性もあり・・・
大病を克服して元気な姿を見せてくれた人や不景気の波をもろにかぶり早期リタイアの道を選んだ人など、時代の流れの中で生活のベースとなるものは千差万別・・・
それでも、あの【激動の年】と言われた1969年4月に入学した14期生の心の真ん中には【多摩高魂】が健在でした!!!

 次回の14期同期会は2011年秋を予定しています。
第三回14期同期会の席上で選出された10名の幹事が、今年に入り何度か幹事会を開き【神奈川県立多摩高等学校14期同期会】としての会則(規約)制定や運営費に関する会計処理、会員名簿の整備、そして同窓会担当幹事の選出などについて一歩ずつ話し合い、同期会実施への準備活動を進めています。
そこでお願なのですが・・・
前回の同期会案内が届かなかった方や同窓会報が届いていない方は、14期会名簿上【所在不明】となっている方々です。
もし近くに該当者がおられましたら14期会事務局の高橋和男・紀美代【Mail : tamakou14@yahoo.co.jp】まで、ご連絡下さるようお願い致します。

第4回 高輪・三田

2010年01月05日(火) | コメント(0)
 〔高輪・三田界隈〕      平成21年12月5日(土)
   第4回お江戸散策は高輪・三田界隈を選択しました。この界隈は幕末期においてイギリスフランス、オランダ、アメリカ等の外国公使館が置かれていて、攘夷派が外国人を襲撃して殺傷するなどの事件が起きました。今回は、その事件の因果関係を学びながら散策することにしました。また、ここには「それまではただの寺なり泉岳寺」を詠われた泉岳寺もあり、討入り後の赤穂浪士たちの足跡や命運を辿ってみることにしました。コースは品川駅高輪プリンスホテル東禅寺(イギリス公使館跡)承教寺(英一蝶墓所)泉岳寺大石良雄自刃の地覚林寺→  立行寺大信寺 → 長松寺(荻生徂徠墓所) → 斉海寺(フランス公使館跡) →龍源寺 → 善福寺(アメリカ公使館跡) →三井倶楽部イタリア大使館(赤穂浪士10名の自刃地)→慶応大学三田キャンバス薩摩藩上屋敷跡西応寺西郷隆盛・勝海舟会見の地などの散策です。当日は、曇天のち雨、気温やや寒いの予想の中でしたが、散策愛好者13名が参加しました。朝のうちに訪れた東禅寺では普段、一般公開をしていない奥の院や庭園を特別観賞させていただける機会を得ることができました。英国公使オールコックが駐在した部屋からは、静寂に包まれた日本庭園が広がっていました。 池にはカルガモやマガモが泳ぎ対岸の岩場にはサギが羽を休めていて、水墨画のような、当時と変わらない光景を見ることができました。また、ご住職のご丁寧な説明で東禅寺400年の歴史と幕末時に受けた大きな災難を知りました。それから、1874年に撮影された貴重な写真も拝見させていただき、当時の東禅寺山門前や寺院から見た品川沖にお台場が映っている風景を観賞することができました。今回の散策コースには赤穂浪士が4藩にお預けになって切腹したところが3ヶ所あり、彼らに名誉の切腹を断じた荻生徂徠も近隣の寺院に眠っていることに、しみじみとした悲哀のようなものを感じました。 善福寺では米国公使のハリスだけでなく、福沢諭吉翁、越路吹雪さんの足跡にも触れることができました。最後に訪れた西郷・勝会見地跡では、江戸城攻撃を寸前で中止したドラマチックな物語があり、その西郷の決断の背景には、外国勢力の強い意向が働いていたことも学びました。今回の散策は途中から雨に見舞われ、気温も下がってきて肌寒い中の歩行でしたが、皆楽しみながら元気に歩き通しました。散策後は、慶応通りにある居酒屋で懇親会を行い、先月行われた同期会や高校駅伝神奈川大会に多摩高が連覇したことなどの話題を肴にして、楽しいひと時を過ごしました。  (文:石井義文) (資料)

 
懇親会
                                                                                    スライドショー      
第7回 同期会
【開催日】 2009年11月
【開催場所】 レストラン「TESORO」 表参道
16期同期会開催報告

  2009年11月28日(土曜日)表参道のレストラン「TESORO(テソロ)」にて、第7回 16期同期会を開催いたしました。53名の同期生が参加し、恩師である金子先生、川崎先生、田山先生、同窓会からは12期の陣内誠副会長にご出席をいただきました。
前回の横浜についで、川崎を離れての開催となりました。
会場はおしゃれなスパニッシュフレンチのレストランで、お料理とお酒を楽しみつつ、旧交をあたためることができたのではないかと思っております。
二次会は、やはり表参道にある居酒屋「馬の骨」に場所を移しての開催となりました。当初32名参加予定が48名という人数にふくれあがり、座るのがやっと、移動もままならないような状況になりましたが、二次会からの参加者と杉岡先生をお迎えして、こちらも盛会裏に終了いたしました。

  次回第8回開催時、私たち16期同期生は57歳になり、次々回の還暦記念!!の会は泊りがけでの開催をと幹事会では考えております。再会を楽しみに、参加していただければと思っております。 
16期の皆さん、また2012年にお会いしましょう。 (幹事 中島多恵)