同期会

  第3回5期生同期会を、川崎日航ホテルで開催しました。今回は、参加者は約50名、去年より約20名ほど少なかったのですが、地元川崎、およびその近郊に住まわれる方はもとより、遠くは北九州、大津などからも馳せ参じてくれました。クジ引きで7テーブルに分かれて席につきました。恩師は木村先生、岩本先生、箕輪先生、小沢先生、古屋先生、5名の出席をいただきました。恩師のお話、各人1分間の近況・自己紹介そして同窓会副会長からの多摩高の近況などをお聞きして交流を深めました。壁には高校1年時、2年時、及び3年時の各クラス集合写真を飾り、そして催行しているお江戸散策時の写真アルバムなどを用意しました。その周りは、当時の思い出を話題にして笑いと歓喜に包まれました。こうして懇親会は、瞬く間に過ぎて行きました。みんなで高校3年生などをハーモニカの伴奏で歌い、最後に元応援団の方々の応援も得て多摩高校歌を歌って終わりました。引き続いて、2次会を約40名もの参加を得て、カラオケルーム2部屋を使用して行いました。カラオケや談笑をかさねて、楽しいひとときを過しました。そして余韻は覚め止まず、続く3次会 (同ホテルの4階にある居酒屋で約20名の参加を得て反省会を兼ねた一杯会)まで及び、心行くまで旧交を温めました。


(文:代表幹事 石井昭一)
高校1年生、2年生そして3年生当時の写真に思い出が蘇りました
第三次会
今日の反省会を兼ねた三次会も笑いが絶えませんでした
  今回の散策は、雰囲気を変えて、横浜山手地区を歩いてみることにしました。1859年に開港した横浜は、明治に入ってからは外国との貿易拠点として飛躍的な発展を遂げ、多くの外国人が居住して、西洋、東洋文化が根付きました。日本最初のビール、パン、アイスクリーム、石鹸、ガス燈、公園、競馬場、テニスコートそしてプロテスタント教会等々、今日あたりまえにあるものの多くが横浜から始まりました。その横浜は、関東大震災において多大な被害を蒙り、幕末から明治初期に建てられた多くの建造物は失われましたが、横浜山の手地区には、当時を語るようにその遺構が残されていました。散策コースはイタリア山庭園、外交官の家、フェリス女学院、テニス発祥記念館、君が代ゆかりの妙香寺、日本最初のビール醸造所キリン園、外人墓地岩崎博物館(ゲーテ座)、港の見える丘公園、フランス領事館遺稿跡、ヘボン博士邸跡そして山下公園を辿りました。徒歩数約10,000歩の比較的少ないコースでしたが、丘を登り、下りする起伏に富んだコースで、日ごろの運動不足を補うに十分な散歩でした。締めくくりは、横浜中華街の飯店において今日の反省と、日常の話題や事件を肴に大いに語り交流を深めました。

(義文)
山手公園ー日本最初の公園 テニス記念館

第32期生 同期会

2010年09月21日(火) | コメント(0)
  2010年8月21日(土) 川崎日航ホテルにて、32期初めての同期会が行われました。参加者は、95名。同窓会副会長の安部 卓見さん(9期)と中島秀隆さん(19期)、そして小高先生と山本時子先生にもご出席いただきました。卒業して20年ぶりの再会でしたが、全然変わらない人・・・ちょっと変わった人・・・誰だかわからない人・・・色々でした。「わたしたちこんなに仲良しだったっけ?」と思うほど、皆おしゃべりに夢中で、おいしい料理が減らない状況。 あッ!という間の2時間でした。 その後、2次会・3次会と楽しい時間は続き、最後に残った面々は朝帰りだったそうです。 酔った勢いで、次回の幹事も決まりましたので、そう遠くない未来またお会いできると思います!
 この度、多摩高32期生のためのメーリングリストを立ち上げました。よろしければご登録をお願いします。登録はこちらから(クリック
* 出来たら校舎建替えの前に多摩高で集まりたいですね。


代表幹事 : 高山和之 (文)金子(旧姓:木下)和美
「人生の贈り物」を楽しんだひと時でした
 2010年7月18日の同窓会には恩師の5名の先生方をはじめ、総計85名の皆さんが参加してくださいました。遠くは愛媛・広島・大阪から、また河村先生は鳥取からわざわざ駆けつけてくださいました。本当に感謝しております。当日はこの夏の猛暑の始まりの日で、外気温は37度近くになっていました。でもそんな暑さなど忘れてしまうほど楽しい時間があっという間に過ぎていきました。
さて初めのイベントは懐かしのミニ授業でした。私たちが当時と変わらない教室や廊下、ロッカーを懐かしく思った以上に、遠くから来てくださったお二人の先生方が、当時を懐かしみ喜んでくださった姿が印象的でした。梅雨明けの猛暑の中、日直の「起立!礼!」の声で35年目の授業が始まりました。
1時間目は河村先生の国語の授業です。万葉集東歌を題材に、先生の現在の悠々自適の生活振りをおりまぜながら、当時と変わらぬ「腰にタオル」の熱い授業に圧倒されました。
2時間目は三武先生の英語です。黒板に書かれた久しぶりの英語に、35年の時が一気に戻った気がしました。大きな声もそのまま、変わらない自由なお人柄のにじむ楽しい授業でした。中庭、食堂、校庭・・・それぞれの思い出を探索し、「陶華楼」と「大学堂」が無くなった通学路を下校して宴会に向かいました。35周年同窓会では、ワールドカップを取材した読売新聞社・塩見君と岡田監督の先輩にあたる島崎君がコンビの漫才(?)を披露してくれました。プロサックス奏者の吉澤君によるジャズ音楽の生演奏もあり大盛況でした。クラスごとに一人一人のメッセージをもらい「おじいちゃん・おばあちゃんになりました!」という人が数人いました。翌19日の市民プラザでのソフトバレーボール大会では、18名の中で4チームを結成しトーナメント制で戦いました。優勝したのは宿泊組でない、帰宅して再度駆けつけてくれた人たちのチームでした。宿泊者は(酔いが回ったためか?)めまいで途中リタイアした人も・・・・。みなさん健康のため同窓会の翌日午前中の運動は避けましょう!??楽しかった思い出の写真はご連絡したインターネットで配信されています。早めに保存してください。
参加してくださった友人から後日メールが届き「竹内まりあの<人生の扉>もいいけど、さだまさしの<人生の贈り物>を贈りたいと思います。ご存知ですか?この歳になってホントに友の存在が大事だなとあらためて思う今日この頃です。」というメッセージをいただきました。YouTubeで聞くと、とても味わい深い歌詞の歌でした。皆さんも聞いてみて!皆さん職場でも管理職など重要な立場におられ、ストレスも多いかと思いますが、くれぐれも健康に気を付けて、また元気な姿で再会出来たらと思います。さまざまな(テンコのドジへの)ご理解やご協力、本当にありがとうございました。     幹事一同より
3年1組 3年2組
3年3組 3年4組
3年5組 3年6組
3年7組 3年8組
開催日 2010年7月3日(土)
開催場所 登戸 「日本海庄や」
   今年も例年通り7月の第1土曜日、ちょっと暑い日ではありましたが、櫻井先生、古谷先生、同窓会から清水副会長のご出席を賜り、生徒35人合わせて38人で開催されました。例年と違って、場所が居酒屋ということもあってか、皆さん初めからリラックスした雰囲気で久々の再開を喜んでいましたが、今年も開会挨拶の初めに、幹事の那須さんから5組の佐藤宣生さんが亡くなったことが告げられ、1分間の黙祷をいたしました。こういう話を聞くのは切ないことですが、私たちがそんな年になったということでもあるのかと、ちょっとしんみりしました。 櫻井先生の、”この席にこられる幸せを喜んで”とのお言葉に一同同感したと思います。櫻井先生は抗がん剤治療を受けていらしていて、この通りとおっしゃってつるつるのおつむを撫でていらっしゃいましたが、相変わらずお元気で、3年前まで校長でいらした学校の偏差値が多摩高の偏差値よりずっと高いとおっしゃって、後輩たちの奮起を促していらっしゃいました。これを受けて同窓会の清水さんは苦笑しつつも、後輩たちが頑張っている様子や校舎の建て替えのことなどお話になりました。古谷先生は広いご自宅の土地で畑仕事に精をだしていらっしゃる様子を楽しく聞かせてくださいました。 今年は、13年ぶり、25年ぶりにとか、また岐阜から、秋田から、遠路はるばるの参加があり、”地方と都市部との地域格差は厳しいものがある”とか“ 最近バイクの免許を取得した”とか、いろいろな話を聞くことができました。 来年は、櫻井先生は「傘寿」、私たちも、いよいよ「古希」の年になります。2期生の皆さん是非ご出席ください。(福田悦子)

【追記】
2期会にはゴルフ同好会があります。
年に2-3回開催し既に20回を超えています。会ではより以上の皆さんの参加を望んでいます。
参加希望のある方は、市川紘さん (TEl.046-269-0735)  までお問い合わせください。

第2回 英俊会 箱根

2010年07月24日(土) | コメント(0)
【5期生 英俊会】

  多摩高5期・6組のクラス会の名称を、担任の伊東英俊先生からいただき、「英俊会」と称して、昭和38年卒業後続けています。この会には、いつもご出席下さる伊東先生と、幹事の鈴木敏夫さんのご尽力があってのことと思います。今回は、6月24日・25日と、先生の喜寿のお祝いを兼ねて、箱根湯本へバスを利用し一泊のクラス会でした。バスは溝の口を出発し、車内は楽しい会話がはずみ、早速先生がマイクを持たれ、今回の喜寿のお祝いのお礼のご挨拶後、「これから地理の話を始めます」と昔の授業さながらでした。「今走っている所は山北町で、これから南足柄へと入って行きます。ここには富士フイルムの主力工場があって、地元は大きな税収を得ています。また、豊富な地下水に恵まれ、大量の水を使えるという立地条件でアサヒビールの工場もあります。」更には、酒匂川、二宮金次郎、大雄山の説明等があり、何十年前の授業を思わせるお元気な先生のお話でした。夜は宿に直接来られた友達と楽しい語らいの一夜を過ごしました。翌朝宿のテレビで、サッカーワールドカップで、海外戦で勝った事の無い日本チームがデンマークに勝った事を知り、大きな感動を受け、記憶に残る日にもなりました。楽しい一夜の語らいの中にも、卒業後47年と長い年月を振り返ると、楽な時ばかりではなく、それぞれ多難を乗り越え、今の幸せがあるのだと思いました。
 多摩高生にエールを送ります。それぞれに大きな希望(夢)をもって、それに向かって努力すること。自然に触れること。ちょっと休むこと。頑張って下さい。(斉藤三枝子)
開催日 2010年6月20日
開催場所 川崎日航ホテル
 一期会(草取り会)開催
 多摩高一期生が昨年の6月20日にJR川崎駅前の日航ホテルで同期会を開催した。 当日は同期生63名に加え、在校時お世話になった岩本秋雄、諏訪恒方の両先生にもご 出席いただき、昔ばなしに花を咲かせた。  実は一期生の同期会には別称があり「草取り会」ともいう。ナゼ「草取り会」なのか。  春四月。入学が決まれば普通は晴れていざ学校へ、となるものだが一期生の入校時 は少し事情が違った。登校したものの校舎は未だ未完成、グランドは未整備という状 態で、已む無く高津中学校で間借り生活を送ることになった。この教室が薄い板1枚 で仕切られており、後ろの席に座ったら隣室の教師の声の方が良く聞こえることもあ った。  未整備のグランドは雑草が伸び伸びと育ち、野外授業としてクサトールと呼ばれる 除草薬を散布したりしたものだ。圧巻は運動会で「草取り競争」と呼ばれる珍競技も あった。この除草作業が別称「草取り会」の生まれた所以でもある。  我々の年代になると、同期生が集まったときの話題は、在校時の思い出、健康、年 金、余暇利用などと相場が決まっているものである。だが、今回の「草取り会」では 新たな話題が加わった。後輩の現役生による「全国高校駅伝大会」出場の話である。  一期生の多くは昭和15年、16年生まれで今年古稀(70歳)を迎える。もう卒業して 半世紀以上経過したことになる。日本は平均寿命が女性86歳、男性79歳と、世界有数 の長寿国だが、一期生の訃報に接することが多くなったのも事実である。今回の同期 会は小嶋鑛三君が代表幹事となって運営されたが、前回の代表幹事だった小野望君も、 病に倒れ旅立ってしまった。それだけに、ますます同期会の意味が重くなっている。  野口尚男君の司会で進行した草取り会は、記念写真を撮り、岩元、諏訪の両先生から ご挨拶をいただき、校歌など思い出の歌を歌い、歓談したらたちまち予定時間を消化。 それぞれが再会を約して散会した。    
(石田京・記)
 


 

第6回 本郷・湯島

2010年07月05日(月) | コメント(0)
〔本郷・湯島界隈〕 平成22年6月5日(土)
  2年前の3月にはじめた散策も、第6回目を迎えました。今回は、本郷と湯島界隈を取り上げました。御茶ノ水駅駿河台側に集合し、御茶ノ水橋、聖橋からの神田川の景観を味わいました。江戸の初期に江戸城防御の目的で丘を切り開いて作られた神田川を人力で掘られたことを学び、当時の土木作業の現場を想像しました。ここから聖橋の北側にある湯島聖堂に向かいました。江戸時代第五代将軍綱吉が創った儒学振興の中心であった昌平坂学問所(湯島聖堂)は幕末まで、幕府の学問の中心となった所で、重厚な格式を放っていて、学問を学ぶことへの崇高な精神が伝わってきました。次に訪れたのは、江戸天下祭で親しまれる神田明神社。平安の昔に創建され、江戸の総鎮守として尊崇されてきた堂々たる社殿は風格を備えていて、毎年5月に行われる盛大な祭の様子が境内の雰囲気から伝わってきます。そして江戸の初期に隆盛した真言宗霊雲寺を経て、春日の局ゆかりの麟祥院へ。権勢を誇った春日局の墓は、墓石に四方から穴が貫通している大変めずらしい形をしていました。 これは局が「黄泉からも天下のご政道を見守れる墓」を作ってほしいと遺言したことから造られたとのことでした。また、同所が東洋大学の発祥地であることも知りました。ここからは春日通りを下って、婦系図で有名な湯島天満宮へ辿りつきました。折りしも結婚式の場に遭遇し、別れ話ならぬ、縁結びのシーンが「お蔦・主税」の悲恋物語の気分を和らげてくれました。 切通し坂を下って、次に訪ずれたところは、ジョサイアコンドルの設計した旧岩崎記念館。同館は、折りしも大河ドラマ「龍馬伝」で話題になっていることもあり、多くの観光客が来館していて、説明員も熱心に岩崎弥太郎一族の歴史を語っていました。この屋敷に沿った坂道が森鴎外の小説「雁」の舞台の無縁坂。坂を上って右手にある土蔵造りの講安寺見学し、通りを出た突き当りの右にある鉄門をくぐると高度な医療設備を備えた東大医学部付属病院がある。昼食はここの食堂で取ることにした。廉価でメニューも豊富、お味もグーでした。昼食後は広い構内をゆっくり散歩して、東京大学の名所、安田講堂三四郎池赤門を見学しました。東京大学を後にして、本郷通り向かいにある樋口一葉ゆかりの法真寺を経て、本郷中央教会へ向かいました。この教会は、名曲「故郷」「朧月夜」を作曲した敬虔なクリスチャン岡野貞一が賛美歌のオルガン演奏をしていた教会で、現存しているオルガンを拝見させていただきました。次に向かった菊坂界隈は、樋口一葉の足跡が多いですが、燕楽軒菊富士ホテル跡炭団坂常磐会跡喜の床かねやすなど樋口一葉ばかりでなく、宮沢賢治、宇野千代、谷崎潤一郎、尾崎士郎、直木三十五、坪内逍遥、金田一京助、石川啄木等、文壇で名を残したそうそうたる顔ぶれの足跡を学ぶことができました。今回の散策も江戸から明治・昭和初期に至る、当時の様子を偲べる楽しい散策でした。この後、駅付近の居酒屋に集い、のどを潤し、笑いのひとときを過しました。

(文・石井義文)
懇親会
スライドショー

にしち会

2010年06月29日(火) | コメント(0)
【多摩校5期・2年7組クラス会の報告】

平成22年5月29日(土)13:00~16:00、青学会館フィリアの間において、 クラス会を開催しました。 
参加者は12名でした。7組クラス会に初めて 参加された方も2名いらっしゃって、当時の顔と今の顔を一致させるのに少し時間が掛かりましたが、すぐに合致して、当時の思い出や現在の状況 について、話がハズミました。ただ残念なのが、担任の安井先生が脳梗塞を患い現在ご自宅で療養中で、毎日リハビリの為、病院に通っておられます。次回のクラス会には参加出来る様、頑張っています・・・と奥様の言葉でした。
次回の開催を約束して解散しました。

(西川勤 記)
名曲「学生時代」の記念碑前 参加者全員
年は取っても元気はつらつ! 初めて参加の方もあり話が盛上がりました

第10期生 第5回同期会

2010年06月22日(火) | コメント(0)
【多摩高校10期 第5回同期会報告】  
[開催日時] 平成22年5月22日 15時~
[開催場所]  武蔵小杉「精養軒」 (1次会、2次会)
[参 加 者] 
恩 師 : 5名  岩本秋雄先生、大多和國男先生、中島正徳先生、浜田正一先生、柳田光紀先生
同窓会: 1名  石田稔会長    
生 徒 : 89名(2次会:72名)
 第5回同期会は、10期生全員が還暦を迎えメモリアルな同期会にと、第二の人生に向け多摩高時代の想い出を確かなものにしたく企画しました。今まで未開の領域である1年生、2年生時のクラス写真を用意し、1~3年の各自のクラスを名札に明記、クラス単位(30枚)の記念写真を撮影しました。お互い名札を見ながら、確かめ合いながら想い出話しから近況にまで話に花を咲かせておりました。1年、2年のとき何組だったのか殆どの人が憶えておらず、拡大した当時のクラス写真を見ながら旧知の友を確認してもらいました。二次会も例の名札をきっかけに話も弾み盛況の内に会は閉りましたが、同輩たちは再会を誓いながら小杉のネオンのなかへとそれぞれ消えてゆきました。今回の同期会を期に各々クラス会へと発展し、これからのセカンドライフが実り多い人生になりますように大いに期待したいものです。今回の同期会の大きな収穫は各々の1,2年時のクラスが判明したことであり、今後の10期同期会がよりよく熟成されてゆくことを希望して報告といたします。

(幹事代表 浜田好信)
 
集いを感謝して 記念写真
大きな声で 校歌斉唱