同期会

多摩高13期生同期会開催

2013年05月05日(日) | コメント(0)
 多摩高13期生同期会を下記のとおり開催しました。
 開催日時;平成2546日(土曜日) 午後6時~9時頃(受付午後5時半~)
 開催会場;日本料理 柏屋(川崎市多摩区登戸2466  TEL044-911-3191
 幹事;鈴木誠メールアドレス jonnobi-mak0@jcom.home.ne.jp

第8回 神武寺・鷹取山

2013年04月26日(金) | コメント(0)
  【多摩高 五期生 春のハイキング】  2013年3月26日(火) 
今年は桜をあきらめてと思ったら、図らずも早い開花となり、あちこちの桜を見ながらの3/26の鷹取山ハイキングになった。11名のメンバで、この辺は自分の家の庭だと言う石井義文さんに案内してもらう。昔、小学校の遠足で来たという人が何人もいた。東昌寺・神武寺を見学した後、逗子の海、久里浜の海を眺め、山頂に到着。石切り場を利用した広場で車座になり、昼食にする。斉藤さん差し入れの「ならぼうな」のゴマ和え、松本さん差し入れの沢庵・菜等々に恵まれ、美味しい食事を和気あいあいで食べる。鷹取山のロッククライミング場で、クライミングの真似事をし、一寸スリルを感じながら岩を登り、皆大満足。それから、黙々と下山。途中、ヒマヤラユキノシタも咲いていた。一寸アクシデントがあり、それぞれの予定に合わせて別れる。温泉組は電車と歩きで、天然温泉に行く。肌のツルツルする温泉で疲れを癒し、横須賀中央駅まで出て、打ち上げ。ビールと日本酒で、またもや時の経つのも忘れて盛り上がる。 (佐々木)
   平成25年(2013)2月23日(土)に、第14回 お江戸散策を実施しました。寒気きびしい折りながら絶好の晴天に恵まれ、東京駅を起点にして、京橋・銀座・日比谷の史跡めぐりを行いました。昨年、秋に建て替えられた東京駅には、日本建築の技巧や文化の数々が活かされていることを知り、改めて東京駅に対する愛着が深まりました。
鍛冶橋付近では、坂本龍馬が江戸に出て剣術修行をした道場跡を訪れて、しばし龍馬論を語りながら、京橋に辿り着きました。京橋には歌舞伎猿若座発祥の碑文が建てられており、昨年暮れに他界した名優18代目中村勘三郎の在りし日を偲び、しばしの語らいとなりました。銀座通りでは、翌日の東京マラソンを控え、大会関係者が、その準備をしている光景が見られました。昼からは、歩行者天国になり、世界の名店が並ぶこの通りを歩くと何かパッピーな感じになり、気分も爽快になりました。宝くじ売り場で有名な西銀座チャンスセンターの一角には、かって一世を風靡した名曲”銀座の恋の物語”の碑石が建っている。例のごとく、ハーモニカの伴奏で、この名曲を皆で歌う。古希が真近という面々であるが、気分はみな青年である。 昼食を銀座三越屋上にあるレストランで取り、そこに鎮座する出世地蔵尊にゴリヤクを祈願して次の散策地、建て替え工事完了直前の歌舞伎座を訪れる。 開業を待ち侘びているファンがきょうも多く集まってきていた。やはり、浅草と並ぶ東京の名所である。 ここ木挽町には江戸期幕府の奥絵師として画業の頂点を成していた狩野画塾や大河ドラマ”八重の桜”に登場した佐久間象山の塾があった所で、往時を偲ぶとその情景も浮かんでくるようだ。ここから昭和通りを横切って南に下ったところに三十三間堀跡の表札があり、その裏は高速道路になっている。この高速道路は、東京オリンピック前までは江戸時代にできた掘割があったところだ。”♪銀座九丁目は水の上 今宵は舟で過ごしましょう♪”と歌謡曲で歌われたが、銀座には9丁目はない。9丁目は舟が浮かぶ掘割だったのでしょう。銀座を取り巻く高速道路は、ほとんどが堀を埋め立ててできたものだ。銀座には、福沢諭吉ゆかりの交詢社、島崎藤村の卒業した小学校、啄木が勤務していた新聞社跡そして専修大学、明治大学はここで発祥している。日比谷側に入り、帝国ホテル南側のNBF ビル外塀に鹿鳴館跡のプレートが掘り込まれている。鹿鳴館は時の外務大臣井上馨の欧化政策の一環で造られた外国要人との社交場である。明治の歴史には必ず登場する所であるが、井上が失脚すると閉鎖され、その存在が消えてしまった。
日比谷公園には、有名なレストラン松本楼があり、中国建国の父 孫文とのゆかりや平成20年福田首相のとき中国胡錦濤主席を招いた時の写真などが飾られている。 また、日比谷公園の設計者本多静六が道路拡張で伐採されそうになった大イチョウを”首に掛けても移植してみせる”と豪語した首掛け大イチョウは印象的でした。
日比谷公園の大部分は江戸期、鍋島藩と長州藩の上屋敷があった所で、西側の道路隔てた所は、名奉行と言われた大岡越前守の屋敷もありました。つまりこの一帯は大名家の屋敷が並んでいたわけです。この日比谷公園をあとにして、江戸の三森神社の一つと言われた烏森神社で参拝し、新橋駅機関車広場を見下ろせる恰好の居酒屋で反省会を行い、今日の一日を振り返りました。 (文・石井義文)

  この散策で訪れたところは以下の通りです。
東京駅
 平成24年秋に建て替えられ、100年前に建設された姿に復元しました。

千葉道場跡
 坂本龍馬が始めて江戸に出てきて、剣術修行をして、道場の娘佐奈と恋仲になったと伝わる。

江戸歌舞伎発祥の地
 中村勘三郎の先祖が歌舞伎興業を開いた場所で、急逝した18代目を偲ぶ。

大根河岸青物市場跡
 ここはかって京橋川だったので河岸と名付けられたのが理解できる。

京橋親柱
 明治初期に建てられた親柱と大正期に建てられた親柱の対比が興味深い。

煉瓦銀座碑
 明治5年の大火で銀座は全焼した。その後、由利公正の提唱で銀座は煉瓦街に生まれ変わった。

銀座発祥の地碑
 銀座の名の謂われは、江戸期この地に銀貨の鋳造、取り締まりを行ったことに起因している。

関東大震災記念碑
 大正12年9月1日に関東一円を襲った関東大震災は死者10万人余の犠牲者を出した。

銀座出世地蔵尊
 銀座三越屋上に安置されている開運、出世、延命、商売繁昌の信仰を集めている地蔵様。

狩野画塾
 江戸期、幕府の奥絵師として画業の隆盛を誇っていた木挽町狩野家の塾跡。

象山塾跡
 幕末期松代藩の海防、砲術指導の大家であった佐久間象山の塾跡。松陰の密航事件に連座し閉鎖。

芝口御門跡
 六代将軍家宣の治世下、新井白石の提唱で、わが国の威光を顕示するために建設された。

銀座の柳碑
 昭和29年、銀座の街路樹として、約400本の柳が植えられた。これを契機に中央区の木となった。

金春屋敷跡
 江戸期幕府直属の抱え能役者金春家の屋敷があったことで、この一帯を今春と呼ぶようになった。

石川啄木碑
 啄木が勤務していた滝山町の新聞社跡。"京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな"

数寄屋橋
 江戸城外郭見附として架けられた橋。戦後、菊田一夫の名作”君の名は”で橋の名は全国に広まる。

泰明小学校
 島崎藤村、北村透谷が卒業した学校として知られ、現在でも、中央区立小学校として存在。

明治大学発祥地
 権利自由、独立自治の精神を提唱して出来た「明治法律学校」は、この地で誕生しました。

鹿鳴館跡
 明治中期、鹿鳴館外交と呼ばれた、外国人要人との交流の場は、元薩摩藩上屋敷の地にあった

日比谷公園
 この公園は、造園家、公園設計者である本多静六の傑作の一つ。松本楼の首掛けイチョウも有名。

大岡越前守屋敷跡
 江戸中期の名奉行大岡越前守忠相が住まいしていた屋敷跡。この一角には東京地裁が。

烏森神社:堀留町の椙森神社、秋葉原の柳森神社とともに江戸三森神社の一つとして有名。

                                                                                   (報告 石井義文)
 
 【散策の後は・・・お疲れさまでした!】 

第4回 スキー愛好会

2013年03月21日(木) | コメント(0)
五期スキーの会 
 今年は、初参加二人を迎え、にぎやかに、スキーの会を開催した。2月21日から一泊二日で越後湯沢に行く。関西組二人が、早目の新幹線に乗ってくれたので、東京駅で六人全員が揃う。高校時代に何年の時一緒のクラスだった話から始まり、誰はどうしているか、担任は誰だったかとか、果てはJRCの話とかしている内に、到着。旅館いなもとで準備をし、湯沢パークスキー場へ。四十数年ぶりで滑る西野(井出)さんは、リフトの親父の横柄な態度もあり、気分が乗らなかったが、それでも、雪の中、初級コースを頑張る。こちらも何十年ぶりかの大日方さんは、事前特訓の成果もあり、初級コースをひたすら滑る。朝井さんのアドバイスを受け、一回毎に良くなっていく。雪が降っている事もあり、そこそこで引き上げる。早速、雪山の見える、露天風呂に入り、足腰の疲れをとる。夕食は、六人用に仕切られた場所で、板長さん自慢の料理と、日本酒で、大いに盛り上がる。
 二日目は、富さんが差し入れを持って応援に来てくれるとの事で、解り易い湯沢パークにする。行いの良さを現す快晴の中、快調に滑り始める。富さんが現れ、一緒に昼食を食べながら、また、昔話でワイワイガヤガヤ。なんとJRCが三人も居るので驚いた。 楽しく滑り終わって、温泉に入った後、更に打ち上げ飲み会。またもや、日本酒と蕎麦で盛り上がって、そして列車へ。充実した楽しい二日間であった。 なお、これに先立ち、日帰りで、四人グループで、湯沢パークに足慣らしに行った。相当久しぶりの岡本さんも、慎重にしかし、しっかりと滑っていた。その写真も掲載する。

(佐々木記)
  旅館いなもとにて 
 多摩高13期期生同期会を下記のとおり開催します。
 開催日時;平成2546日(土曜日) 午後6時~9時頃(受付午後5時半~)
 開催会場;日本料理 柏屋(川崎市多摩区登戸2466  TEL044-911-3191
 会費;7,000円(通信費等を含む)
 ※2月初旬よりクラスの担当者が居所の分かっている方に案内を郵送しています。
 同窓会のホームページを見た方で案内が届いていない方が居られましたら
 鈴木誠までご連絡ください。
 鈴木誠メールアドレス jonnobi-mak0@jcom.home.ne.jp
 住所:〒242-0005 大和市西鶴間6-8-12
  【多摩高 五期生 秋のハイキング】  
  11月30日、心配された雨は、何とか曇りのまま、時々陽も射すまずまずの天気だった。リハビリで一所懸命歩いている宮崎さん夫妻、山登りのベテランの大日方さんも参加し、総勢14名だ。日向薬師は改修中だったが、紅葉が綺麗だった。美味しい甘酒を飲み、七沢温泉へ向かう。歩きながら食べた揚げ饅頭の甘さが腹に沁みた。バス通りを越えて、順礼峠へ登る。ここで昼食。差し入れの山で、特に、蕪の漬物、デザートの干し柿が絶品であった。ここで、宮崎夫妻と別れ、白山へ。低い山の割には、結構きつい登りで、皆、「フウフウ」。休み休み登り、展望台に着く。厚木の町並みを眺めた後、一気に下る。飯山観音をお参りして、バスで本厚木駅へ。打上げは、お酒と共に「高校の時に誰が好きだった」の話しで盛り上がり、写真を撮るのを忘れている内に、お開きとなった。来年、七月は尾瀬に行く事を確認した。 (佐々木)

第13回 新宿・四谷

2012年12月20日(木) | コメント(0)
 
    平成24年(2012)11月20日(火)に、第13回 お江戸散策を実施しました。当初、17日に行う予
 定でしたが、 強い  雨の  天気予報でしたので、この日に延期したところ、これが幸いして、絶好
 の秋日和に恵まれました。今回の散策地は、新宿から四谷に至る地域を選びました。江戸時代
 元禄年間に、甲州街道の江戸から、第一の宿場であった調布との間に、内藤新宿がつくられた
 ことにより、商業、文化、娯楽の町として繁栄した足跡を辿りました。そして、ここは多摩川上流
 から、江戸の市中へ上水を供給した玉川上水が引かれた所でもあり、江戸時代の高度な水道
 技術も学ぶことが出来ました。
  この散策で訪れたところは以下の通りです。
  〇 天龍寺: 徳川二代将軍秀忠の生母が拝領した寺院で、大きな葵の紋所が彫まれた正門と
    追出しの鐘で有名。
  〇 花園神社: 新宿の芸能・遊興文化と密接に結ばれている神社。当日は盛大な酉の市が開
    かれていた。
  〇 成覚寺: 通称、投げ込み寺と言われ、宿場で働く飯盛り女の悲劇が伝わってくる。
  〇 正受院: 亡者が冥土に行くとき渡る三途の川で渡し賃の六文銭を持たない者から脱衣婆
  〇 太宗寺: 江戸六地蔵の一つを安置している寺院で、高遠藩内藤家の菩提寺。
  〇 新宿御苑インフォメーションセンター: 御苑に隣接した施設で、写真、絵画、パネル等の展
     示が行われている。
  〇 新宿御苑: 明治39年に完成した都内有数の名園。和洋折衷の庭園は春夏秋冬、花が咲か
     ないときはない。
  〇 四谷大木戸: 甲州街道の江戸への出入り口の設けられた大木戸。玉川上水の水番所もこ
   こに設けられた。
  〇 長善寺(笹寺): 江戸時代初期から、将軍家に庇護された寺院で、寛永年間勧進相撲が行
   われていた。
  〇 於岩稲荷 田宮神社: 四谷怪談で有名なお岩の霊を祀っている。幽霊が出るという井戸は
   向いの陽運寺にある。
  〇 西應寺: 明治天皇上覧の面前で兜割りを成功させた幕末の剣豪榊原健吉の墓があること
   で知られる。
  〇 戒行寺: 鬼平犯科帳で有名な長谷川平蔵の菩提寺として知られる。
  〇 勝興寺: 人切り浅右衛門と恐れられた7代、8代の山田浅右衛門の墓がある。
  〇 須賀神社: 四谷十八ケ町の総鎮守として信仰された神社。戦災で焼失を免れた三十六歌
   仙絵がある。
  〇 愛染院: 真言宗の寺院で、内藤新宿を作った高松喜六、盲目の天才国学者 塙保己一の
   墓がある。
  〇 西念寺: 徳川家康に信頼された伊賀忍者の頭領 服部半蔵が開基した寺。半蔵の墓もこ
   ここにある。
  〇 迎賓館 赤坂離宮: かって紀州藩の中屋敷があった所で、明治42年、迎賓館として建設さ
   れ今日に至る。
  〇 四谷見附跡: 不審な者を監視する所を見附といい、江戸城に三十六あった見附の一つ。

       (地図)   (報告 石井義文)
 【散策の後は・・・お疲れさまでした!】 
 多摩高校の伝統行事「大師強歩」を、久しぶりに歩きたいと希望する声に押され、5期生限定で始まった「大師強歩を懐かしむ会」は、今回で4回目となり、11月5日(月)に開催されました。
 生徒と一緒に母校から出発するには、完歩が覚束ないため今年も南武線向河原駅に9時30分に集合としました。参加者は、いつもより多い17名が千葉県佐倉、横須賀、藤沢等から駆け付け賑やかに歩き始めました。曇り空の、少々寒い陽気でしたが元気に歩き始め、ガス橋を多摩川左岸東京側に渡り、PTAのサポートの方々と挨拶し記念写真を撮り一休みしましたが、まだ生徒の一番乗りは来ていません。
 多摩川大橋まで気持のよい歩きを河辺の野鳥や野草を眺めながら楽しみました。この辺りで、第一陣が途中から先行する我々に追いついてきました。さすがに運動部、陸上部・サッカー部の男子生徒たちが凡そ時速6㎞強のスピードで通過していきます。5期の一行からは、盛んな声援や拍手が起き、50年の歳月を超えた交歓が繰り返されました。
 六郷橋までは、多摩川は右に大きく湾曲し川崎の市街地のビル群が眺められ、後ろを振り向くと武蔵小杉地区の高層マンション群が遠望されます。50年前に歩いた10代の頃との風景の変化を実感するのもこの辺りです。やっと女子生徒の先頭が通過していきます。元気に歩く姿を追って、一行のエールは一段と盛大なものになりました。六郷橋のチェックポイントで先生方に挨拶し、通過印を帽子や手のひらに押してもらう者もいました。多摩川右岸川崎側に戻り、「ゴールまで3~4㎞です、頑張ってくださいの声」(案内役の先生)に励まされ、土手をひたすら歩きました。味の素の工場を過ぎたあたりで街の中に入り、京急大師線の線路を越えると、川崎大師の参道となりゴールに到着しました。13時も過ぎて、早い生徒たちはもう帰り始めていました。
 「大師強歩を懐かしむ会」は、3時間30分での完歩となり、記念の川崎大師平間寺のお砂糖を生徒と一緒にいただき記念写真で終了しました。多摩高校の先生方、PTAの皆様有難うございました。

 (幹事:金作)
 第2次懇親会 川崎大師商店街の老舗 福島屋にて  第3次懇親会 川崎駅前 大衆食堂にて
開催日 2012年11月4日(土)
開催場所 中華飯店 桂林 溝の口
 9期2年5組の会
 「君といつまでも」(加山雄三)が大ヒット、新幹線「ひかり」が登場し、多摩高の正面玄関と旧体育館が渡り廊下でつながっていた頃、そのわたり廊下の屋根に足をおろすことができた二階の教室で1年間、勉学に励んだ仲間が47年ぶりに再会いたしました。担任は田山先生。いまだに若々しいそのお姿に皆びっくり。参加者のなかには先生よりはるかにふけた顔つきのオジサンもいたりして二度びっくり。当時の懐かしい思い出に花が咲き、あっという間に予定時間がすぎ場所を移して再会を喜び合いました。その後、3次会・4次会とくりだした猛者もいたようです。今後も開催いたしますので、参加できなかった皆さん、次回にはぜひ会いましょう。

 参加者 19名