同期会

【開催日】   平成23年10月15日(土)
開催場所   ニューオータニイン東京
  H23.10,15,品川区大崎、ニューオータニイン東京にて3年振りに多摩高7期、1年6組「いちろく会」を行いました。当時の担任の先生でありました小澤 正己先生を囲み高校1年生当時の懐かしい想い出話しに花が咲き和気あい合いの中楽しい時を過ごしました。参加の方々が予定より少なかった点は残念でしたがそれなりの充実した内容の話になりました。又、来春はいちろく会での低山へのハイキングの計画がまとまりました。今回、ご都合がつかず参加できませんでした方々も来春のハイキングに是非ご参加頂きますようよろしくお願い致します。
いちろく会世話役 大野 市太郎
福岡 映子
大谷 加代子
牧田 喜一
                                                             
22期同期会を終えて

  私達22期生も、今年は、大台を迎えることもあり、懇親会には、120人以上の方が、出席されました。また、3年生のときの担任であった、金田千恵子先生、岸美登武先生、田辺武夫先生にも、お越しいただきました。久々の再会に、楽しく、嬉しく、喜びに満ちあふれ、夢のような一日になりました。
また、懇親会に先立っておこなった、「学び舎に集まろう」にも、60人以上が、集まり、2次会のカラオケにも60人以上が来て、終電まで楽しみました。
次回は、2013年に開催予定です。
写真は、大谷浩史さん撮影のものです。
また、サークルスクエアにも、写真が掲載されています。  

  
            幹事 長澤和善

 
  平成23年度五期同期会開催報告
10月1日(土)登戸「元海」において五期の同期会を開催いたしました。同期生47名、先生3名、同窓会役員2名の合計52名の会となりました。本年の同期会は3年2組が担当し、個性豊かな面々が幹事となり企画、運営、進行等おこないました。また「お江戸散策」でお世話になっている石井義文さんや売野さん始め何人かの方々に当日ご協力をいただきました。幹事会で本年の同期会は会費を安くし、かつ余剰金を積み増しできるようにしようと決めました。そして何年かに一度の大きな同期会のために、さらにマラソンその他で同窓会からの援助要請等があった時に応えられる原資になればという考えでホテルでの開催をやめ「元海」とした次第です。
 同期会では2組番長小島雄二さんの司会で、先生方から頂く挨拶もいつも1組担任から始めるため万年2番手の2組担任岩本先生を、今回は2組担当の同期会ということで一番に指名して挨拶をしていただくことにしました。学生時代に「やんちゃ」で岩本先生に迷惑ばかりかけてきた2組のメンバーですが「ささやかな心配り」をお示しすることができたのではないかと自分たちなりに納得しております。料理も価格の割に評判がよく、また「お江戸散策」で気心の知れた人たちが相当数居ることもあって、初めから「和気藹々」の雰囲気でした。途中2組出身で臨済宗雲巌寺住職の原宗明権大僧正(原忠雄ちゃんのこと)から法話をいただき、また音楽家である4組出身の田中旭さんの指導で「ハロー・ハロー・友達はいいな——」という歌を全員でハモリながら歌うなど、本当に楽しい同期会になりました。
 二次会は登戸在住の手塚君の行きつけの「のんの」というスナックで30数名の参加を得て行い、「カラオケ」やら「ダンス」やら、これまた本当に楽しい二次会になりました。「高校三年生」を全員で肩を組んで合唱し、来年の再会を約束してお開きと致しました。
 次回は3年4組の担当です。今から楽しみにしている次第です。

五期同期会幹事 堤孝高、森田光之、小島雄二、福嶋英幸、小宮善継  (小宮記)
第二次会

第2回 五期生ゴルフ会

2011年10月30日(日) | コメント(0)
 多摩校五期生親睦ゴルフ会     
【開催日】   平成23年9月30日(金)
【開催場所】 川崎国際生田緑地ゴルフ場
 神戸からの遠来の友を迎え、女性二名、男性五名で9月30日楽しいゴルフの会を、川崎国際生田緑地ゴルフ場で開催した。パッティングの練習の後、プレイ開始。地元の手塚さんは難コースにも負けず、真直ぐのドライバーを中心にスコアを纏める。なでしこ二人は、スコアもさることながら艶やかさの目に付くプレーであった。福嶋さんは豪快なゴルフ、石田勇さんは後半に掛けて実力を発揮。石田稔さんはいつも通りの内容であった。プレイ終了後、中華料理屋で、反省を含め、大いに盛り上がった。
(佐々木記)
【懇親会】

第8回 赤坂・青山

2011年10月19日(水) | コメント(0)
 残暑いまだ厳しい9月19日(H23)、「第8回 お江戸散策 赤坂・青山界隈」を行いました。最初の散策所は赤坂見附駅から北に向かい弁慶橋を渡って、清水谷公園に行きました。この付近は明治の元勲大久保利通が暗殺された所で、公園にはその当時最大の国家指導者を失い世の中が受けた衝撃と深い哀悼の心情が大きな碑の裏面に書かれていました。この公園を登って文芸春秋本社、城西大学、元赤坂プリンスホテルを眺めながら諏訪坂を下ると赤坂見附跡に出ました。見附とは江戸城の外郭に位置して、外敵の侵入を見付けるために設けられたもので、維新後多くは取り壊されたが、ここ赤坂見附跡地には当時の写真が説明板に載せてあり、その様子が偲べました。
 次は旧華族女学校跡地で、津田塾を設立した津田梅子が教鞭を執っていたところで、現在、参議院議長公邸になっています。ここから三べ坂を下り日比谷高校前の坂を登ったところが次の散策地、日枝神社です。江戸時代は山王権現として将軍家にも庇護されていて隆盛を誇り、明治以降も皇城鎮護の官幣大社という格式で、都内有数の人気神社だけあって結婚式やお宮参りの人たちで賑わっていました。
 ここからは浅野藩の中屋敷だった氷川公園に向かいました。ここで小休止後、近くにある2ケ所の勝海舟邸宅跡そして遺品を陳列している展示室を見学しました。邸宅の1つは咸臨丸に乗って渡米した時や坂本龍馬に世界情勢を説いて転機を与えた時に住んでいた所で、もう一つは明治に入ってから亡くなるまで住んでいた邸宅跡です。石碑や木標は立っているだけですが、江戸城無血開城で多くの人命と財産を救ったという歴史に燦然と輝く功績を残した勝海舟がここ赤坂を気に入っていたことがわかりました。
 次に向かったところは、氷川神社で、八代将軍吉宗に庇護されて、栄えた神社で前日まで大祭が行われていたらしく、境内は祭の後片付けで騒然としていました。境内には港区で2番目に大きいというイチョウの木があり、神社の護神木のように慄然と聳えていました。ここから六本木方面に向かい着いたところは三河台という台地の一角で、ここは志賀直哉の父の大邸宅があったところで、裕福な家庭に育った直哉の生活の一面を知りました。この邸宅跡地の前が江戸時代長州藩の中屋敷のあった所で、その跡地の北半分は港区檜町公園になっていて、北半分は東京ミッドタウンやサントリー美術館になっています。
 このミッドタウンで昼食を取り、涼を取って、消耗した体力を補いました。昼食後、向かったのは旧乃木邸で、乃木希典は日露戦争で作戦ミスから多くの犠牲者を出して非難を受けましたが、軍人としての行為は高潔で、敵将に対しても礼儀を尽くし、世界から称賛されていた一面がありました。次の散策地は青山霊園。ここには江戸から明治、大正、昭和に至る多くの著名人が眠っていて、限られた時間の中では見ることができないので大久保利通、関東大震災で復興院長として果敢で、大胆な推進を図った後藤新平、坂の上の雲の主人公、秋山好古広瀬武夫、破傷風菌を発見した北里柴三郎、難病脚気から人々を救った高木兼寛など、多大な功績を挙げながら世間から忘れかけられている人の墓をお参りして故人を偲びました。次に訪れた所は曹洞宗大本山永平寺の東京別院である長谷寺(ちょうこくじ)で、ここには楠で彫られた高さ10メートル余りもある十一面観音菩薩像を拝観できました。境内には喜劇王エノケンさん、歌手坂本九さんの墓があり線香を立てて冥福を祈り「上を向いて歩こう」をハーモニカの伴奏で合唱しました。
 この後は画家岡本太郎の旧宅でアトリエになっている岡本太郎記念館を訪れました。先にテレビドラマで紹介されたことで人気があり、多くの見学者が入っておりました。次の高野長英終焉の地に行くのは割愛し、解説だけにしましたが、その解説から長英が毎日恐怖心に襲われている苦難の逃亡生活が伝わってきました。最終散策地は、青山学院大学構内で、ここはかって伊予西条藩上屋敷だった所でした。ここでは同校の卒業生 平岡精二が作曲し、ペギー葉山が歌って大ヒットした「学生時代」の石碑前で、記念撮影をして、本日の散策を終了しました。この後、同校写真部OBによる写真展を見学させていただき、出展者から、撮影場所の様子やその撮影技術のノウハウをご教授いただきました。(石井義文)
青学OB写真展鑑賞
これより懇親会 
本日は、かなり厳しい暑さのなかにも関らず、2万歩を越える歩行をして、かなり疲労しているのですが、それをものともせず、皆さん元気で、よく食べ、よく飲みそして大いに今日の散策のあとを語り合いました。

第4回 能見堂・建長寺

2011年09月01日(木) | コメント(0)
 梅雨が明け、暑さ一段と厳しい斯様な季節ですが、英気を養う目的で六国峠ハイキングコースから天園ハイキングコースを経て鎌倉建長寺に至る遠足を企画しました。この歩道はよく整備された林間コースで、木陰になびく涼風が心地よく、暑さを凌いでくれることを期待して、8月1日10時、金沢文庫駅に集合しました。参加者は11名。皆、夏バテなんぞ吹き飛ばす意気込みで、歩き始め、20分ほどで、克っての名勝地能見堂跡地に辿りつきました。現在は当時の面影を記す解説板や碑を遺すのみですが木々の隙間から望める金沢の風景を眺めると、明治の初期までは瀟湘八景を思わせる水墨画の世界が眺められたのであろうと想像できました。この詩的な気分にしてくれる高台で、先月急逝された散策仲間の友を偲んで黙祷を捧げました。ここから次の休憩地、金沢動物園までは木陰に覆われた山道で、時折頬を撫でるそよ風がまことに清清しい。動物園は本日休園で、人気がなく、却って休息に最適なベンチが空いていたので、ここで早昼食を取ることにしました。それぞれお好みの食事を用意してきて、幼き時代の遠足昼食が再現できたことも喜びの一つです。腹拵えしてからは、皆パワーアッ プして、急な長い登り坂も一挙に登り上り、横浜市最高峰といわれる大丸山頂に辿り着きました。ここからの眺望はすばらしく、さわやかな涼風を受けながら東京湾、三浦半島方面を一望できました。この山を下った所から天園ハイキングコース入口までは、平坦な山道で、野草採取や鶯、山鳥などのさえずりを聞きながらの歩行は、皆、自然と歌声になりました。天園に入ると大きな樹木の根が山道に盛上がっていたり、少々危険な所も出現して、足元を注意しての歩行になりました。鎌倉カントリーゴルフ場を右手に眺めながら正面の岩場の道を登りきった所が大平山頂で、ここからの稲村ケ崎を望む景観は夕日に映えて美しかった。建長寺には裏山からの入山で、ここにある展望台からは、晴れていれば富士山が眺められるということでした。鎌倉五山第一の建長寺は、宋の禅宗様式の伽藍配置を取り入れていて、総門、三門、仏殿、法堂が一直線に並んでいて興味深い。増上寺から移築されたという徳川二代将軍秀忠正室崇源院の霊廟門は、煌びやかに改築されて、完成も間近い。国宝の梵鐘は鐘楼とともにその姿は堂々たる威容を感じさせてくれました。5時間を越える歩行でしたが、皆元気に完歩して、この度の夏季遠足はお開きとなりました。この後の反省会は横浜西口の居酒屋に移動して、近況報告や和気藹々の歓談で懇親を深めました。(文:石井義文)
 
 次回をお楽しみに!

 

第7回 上野・谷中

2011年05月30日(月) | コメント(0)
 【第7回 お江戸散策 上野恩賜公園、谷中、入谷界隈】    平成23年4月30日(土)

 この度のお江戸散策は、当初、3月12日に行う予定であったが、東日本大震災のため急遽中止し、その後被災者の心情を思いはかり無期延期としていました。しかし、いつまでも自粛をつづけるよりも、平常の生活に戻ることが、復興への遠因に通じるとの後押しを得たことから、忌引き明けの4月30日に実施することになった。実施案内が急であったにもかかわらず、散策愛好者11名が参加してくれた。上野駅公園口に集合し、上野恩賜公園の旧跡から散策をスタートした。この上野台地は徳川家康のブレーンであった天海大僧正の提案により、江戸城の鬼門であった当地に、東叡山寛永寺を建立された。江戸時代までは、壮大な伽藍な形成され、寺院、塔頭が山全体を覆う景観であったと言うが、惜しむかな、幕末の彰義隊戦争において多くの塔頭寺院が焼失して、興廃した。明治に入ってから、10年に開催された勧業博覧会を契機に、博物館、美術館、芸術大学そして動物園の施設が造られて都内有数の公園として今日に至っいる。有名な西郷隆盛像、清水観音堂、弁天堂、時の鐘鐘楼、上野東照宮、東京芸大の前進である奏楽堂などを見学した頃にランチタイムとなり、東京国立博物館内のレストランで、美味しい昼食を味わった。午後からは、東京大空襲で被災された方々の鎮魂碑、それに両大師堂、三代将軍家光が死去したとき殉死した家臣達の墓、寛永寺の歴代将軍家墓所、寛永寺本堂の根本中堂など、江戸の名残をとどめるスポットを見学した。次いで谷中界隈に向かう。ここは寺院が沢山の立ち並び、まさに寺町である。この散策では、幕末三舟と言われた高橋泥舟と山岡鉄舟に因縁のある大雄寺と全生庵、帝国憲法起草者井上毅が眠る瑞輪寺そして愛染かつら所縁の自性院を訪れた。谷中共同墓地では、長谷川一夫、徳川慶喜の墓を詣でるとともに、谷中の象徴だったが惜しくも焼失した五重塔の跡地を暫し眺めて、幸田露伴の小説「五重塔」の一節を偲んだ。墓地を横断するように抜けて、山手線陸橋を越え根岸に入った。江戸から明治期は、牧歌的な風情があり、詩や小説をいそしむに相応しい風情であったといい、そこには落語家 林家三平の館、俳人正岡子規が住んでいた庵、豆腐料理の名店「笹の雪」などがある。しかし、今日景観は一変し、その面影は感じられない。最後は「おそれいりやのきしぼじん」で知られた入谷鬼子母神像のある真源寺を訪れ、今回の散策をお開きとした。散策箇所は、30ケ所に至り、明治~昭和にかけて大きく様変わりした一帯であるが、江戸の香りが所々に残っていて、散策の主旨を十分味わえた魅力あるコースであった。このあと鶯谷駅近くの居酒屋にて、反省会を行い、談笑しながら今日の一日を振り返った。(石井義文)(資料
これより懇親会
  東日本大震災で毎日がつらいニュースの中、気持ちが沈んでおりました。しかし、3月31日の弘法山ハイキングで、皆んなと一緒に歩きながらの会話を通し元気を貰いました。又、ほころびかけた桜、”山笑う”の季語のごとく木々が芽吹き始め、山道のスミレの群生が雨を受けて、いきいきとこちらを向いて咲いていましたね。早春の風光を十分に満喫させて頂きました。途中では、突然の雨、雹(あられ)交じりの雨にあいましたが、皆様の強運のおかげで井戸の周りで雨宿りが出来て、思い出に残る歩きでした。更に、差し入れの胡麻和えおいしかった。ノラボウのゆで加減良かったね。ゴマがまたうまかった。そして、秦野天然温泉も中々良い湯でした。中華屋さんの打ち上げも楽しかったです。その後寄った市場の帰りに、ネギが買い物袋から飛び出ていたけど、家まで持って帰れたかちょっと心配。さあ、日本も元気を出しましょう。

(佐々木)
ひと風呂浴びたあとのビールは格別だ!!

第2回 スキー愛好会

2011年03月02日(水) | コメント(0)
 今年で二年目のスキーの会だ。新幹線で、越後湯沢は神立高原スキー場にて、2月2日と3月1日の二回に渡り、それぞれ3 名ずつで、新しいメンバを入れて楽しく滑った。常連の柳瀬さんを始めとし、30年ぶりの大竹さんは「昔、必死に滑ったときとは違うが、それなりに滑れた」と、10年ぶりの金作さんは、初級はパスして、かなりスイスイ滑っていた。最近は、立派なスキーもレンタルできるし、ウェアも借りられるし、本当に便利になった。5~6時間位みっちり滑ってから、温泉に入り、蕎麦屋で、ヘギソバ・舞茸の天ぷらと日本酒で乾杯をした。新幹線で、ひと寝入りすると、もう東京に着いた。

(佐々木)

第2回 高尾山

2010年12月25日(土) | コメント(0)
多摩校五期ハイキングの会
 昨年は、雨で流れた紅葉狩りの会、今年は晴れで迎えた(11月25日)。女性六名、男性六名で、高尾山口駅から、ミシェラン三ツ星になってから凄く混み出した高尾山へ出発しました。六号路はせせらぎ沿いで、心地よい水音や森の冷気を感じながら登ると琵琶滝に着いた。普段歩いて無いからと心配したメンバも順調に歩けた。少し遅れると、皆やさしく待っていてくれた。途中の休憩で、飴やチョコレートの差し入れで元気を回復する。そして、頂上直下の階段まで来ると、流石にペースが落ちたが、無事頂上に到着した。人の多いのに、再度びっくりした。少し先の紅葉台のもみじの下で昼食を取る。素晴らしい紅葉である。帰りは一号路を行く。足がつったメンバが出たが、皆がアドバイスしたり、足を延ばしたり、杖を貸したり、また、二手に分かれてゆっくり降りる事にして、無事下山する。温泉で疲れを癒し、居酒屋でビールと焼酎で乾杯。少し飲みすぎで、翌日は二日酔い気味だった。 皆で、歩きながら語り合い、盛り上げたり、助けたりで、楽しい一日だった。

(2010.11.25 幹事 佐々木)
奥の院 家内安全・無病息災を祈願
ひと風呂浴びたあとに八王子居酒屋で懇親会