同期会

 平成25年10月5日(土)川崎日航ホテルに於いて多摩高五期の同期会を行いました。木村先生、岩本先生、古谷先生、小澤先生、現同窓会会長の安部氏を始め多数の参加を得ました。 昔の話に花が咲き、時の経つのも忘れ、50年前に戻った気がしました。「私達も来年は70代に入るので健康に留意して来年以降も元気な顔をお互いに見たいね。」と言う事で楽しい一日を終えた訳ですが、幹事の方々はもとより他のクラスの方々のお手伝いを頂きながら運営出来たのだと感謝致します。 幹事代表  鈴木敏夫
出席された4人の先生は大変お元気でした
【第二次会】、 【第三次会】
大いに飲んで、歌い、和気藹藹の歓談はいつまでも続きました 

第9回 尾瀬

2013年08月11日(日) | コメント(0)
 私たち5期有志11名は、かねてよりの夢がかなって、2013年7月11・12日遂に尾瀬行きが実現した。
 参加者は初めての尾瀬という者から何回も通いつめている尾瀬通までさまざまであったが、尾瀬は、それぞれの期待に十分に応えてくれる魅力あふれるところであった。
 天候・健康・チャンス・よき仲間・よき指導者・その他数多くのよき条件に恵まれ、高校卒業後50年にしてこのような得がたい機会に出会ったことに感謝あるのみである。
 清涼で爽快な風・鳥のさえずりとせせらぎの音・澄み切った空気・とうとうと湧き出るおいしい水・そして何よりも目を楽しませてくれる湿原の花々、尾瀬はまさしく五感を心地よく満たす場所であった。
 「花の尾瀬」とはよく言われる言葉であるが、今を盛りの数々の花はもとより、時期を過ぎながらもミズバショウの名残の花があったり、秋の走りのアザミの花が咲き初めていたり、数年に1度しか開花しないといわれているコバイケイソウの満開の群落に出あったり、語り尽くせぬほどに鮮やかな感動に包まれた2日間だった。

(文:渡辺直子)
〔2日目〕
〔尾瀬の草花)〕 
 〔紀行文
  開催日  2013年7月6日、7日
  開催場所 7月6日 多摩高校校舎および河川敷
         7月7日 品川プリンスホテル メインタワー

  梅雨明けと同時に開催された第26期生の同窓会。約20年ぶりにも関わらず、のべ220名(両日参加者160名)のメンバが集まりました。
  「人生の句読点」が同窓会のタイトル。辛いことや嫌な事もいったんおいて、かけがえのない仲間と出逢い直す。そうすることで新しい一歩を踏み出すことができるかもしれない。そんな願いを込めたタイトルどおりの会になったのではないかと思います。
  大多和先生、田辺先生に模擬授業を行っていただき、今後の人生を豊かに過ごすための人生訓をご教授いただきました。
  今回、連絡が取れなかった人を継続して探し、次回はさらにたくさんの同期に参加してもらうようにしていきます。
  なお、同窓会開催結果は右記の詳細をクリック (詳細)して下さい。  名簿入力もこのサイト内で行えますので、未登録の方はお願いします。   

第26期会幹事長 桐山明彦 
 
 多摩川河川敷 
多摩高校正門前 
 品川プリンスホテル 
【 開催日】 平成25年(2013) 7月6日(土)
【開催場所】 ホテルメッツ溝ノ口内 チャイニーズダイニング 桂林
 多摩高二期生同期会開催報告
〔出席者〕  桜井先生
古谷先生
安部卓見同窓会長
〔同期生〕  男子  19名
女子  13名
合計  35名
 例年通り7月第1土曜日、多摩高二期生の同期会が好天のもと、恩師桜井先生、古谷先生のご臨席を賜わりにぎやかに開催されました。
顔ぶれはこのところ決まった顔ぶれになりつつありますが、それだけに会場では話が弾み、楽しい雰囲気に包まれました。
 出席していただいたお二人の先生は、病気療養中にもかかわらず主治医の先生の許可をいただいてのご出席の桜井先生、いつも優しく温かなまなざしでおいで下さる古谷先生、多摩高を卒業して50年以上も過ぎた私達にとり本当にうれしく有難い事と心から感謝する次第です。同窓会からは今年は安部卓見会長が出席して下さり、二期性ともすぐに打ちとけ、頼もしい後輩とお見受けしました。
 二年間幹事役をさせていただいた花塚、田村の女性二人は今回で退任し、来年は男性 井浦さん、女性 及川さん、竹橋さんと、万年幹事を続けていただいている伊藤紀久夫さんの四名に決まり、どんな同期会にしていただけるか今から楽しみにしています。
来年の同期会にも是非お元気で出席していただける様、先生方のご健康を心から祈念致します。又、同期生の皆さんも一人でも多くの方々に出席していただきたいと思っております。

(報告:二期生幹事 田村綾子)
第26期生同期会を下記のとおり開催しました。
 開催日時:平成25年7月6日(土)前日祭、 7月7日(日)同窓会本番
 開催内容:「第2回多摩高26期会」
  連絡先:桐山明彦 メールアドレス:tama26th@gmail.com
  第17回お江戸散策は天候が懸念されるなかでしたが、参加希望者の熱意から実施することになりました。当日は朝から電車も 遅延するなどして、明大前駅への集合時間を10分ほど遅れて散策へ出発です。最初に訪れ たのは明治大学和泉キャンパス。  明大前駅の駅名は、以前「火薬庫前」という物騒な名前だったそうで、江戸時代は 幕府の火薬庫があった所という。昭和9年に明治大学がこの地の払い下げを受けて和泉校舎を建設した。以来79年間明治大学教養課程の学舎として今日に至っている。大きなビルの学舎がいくつも建ち、ティータイムも近づいたので、学生食堂でひと休みさせていただき、現在の学生たちの様子を感じ取ることができました。続いて、明大同様に払い下げを受けて、墓苑を建設した築地本願寺別院和田堀廟所に向かう。名刹の墓苑だけあり、多くの著名人が泉下でやすらかに眠っている。佐藤栄作古賀正男服部良一海音寺潮五郎水谷八重子 樋口一葉笠置シズ子、等々。泉下の笠置さんには敬意を表して”東京ブギウギ”をハーモニカ演奏で供養した。墓参をしている間に、昼食時間が近くなったので、甲州街道第一宿場であった 下高井戸へ足を進めた。駅前商店街の一角に中華レストランチェーン店で定食を取る。まづまづの味で十分腹ごしらえができた。次は東急世田谷線に乗って、山下駅に向かう。住宅地の中を走る電車は、江ノ電を彷彿させて、情緒があり、きれいな街並みを車窓から眺めても楽しめた。山下駅から数分のところにある成勝寺には、松尾芭蕉の弟子で、芭蕉を物心両面で支えたという杉山杉風の墓があり、墓碑に刻まれた辞世句を読みながら、この徳のある人物を偲んで合掌。この寺院から数分のところに足利将軍家の創建と伝わる曹洞宗寺院常徳寺がある。境内は欅や楠の大木が所々に立ち、静寂に包まれていた。この寺院の門前の道は、比較的狭い道幅の府中街道が走っていて、車が頻繁に往来する。この古道を東に数分いくと鬱蒼とした大木が茂っている古社世田谷八幡神社に出た。この古社では奉納相撲で豊作、凶作を占う慣習があって、今日でも東京農大相撲部によって奉納相撲が行われているという。神社をでると、宮坂駅がそばにあり、踏切を越えて100mほど行った所の左側に豪徳寺の巨大な石門が見える。江戸幕府筆頭譜代大名家の菩提寺という格式らしく、参道に植えられた樹齢の経った松並木が道を覆い隠すように並んで立ち、暑さを凌ぐように、涼風が靡いてくる。ここには桜田門外で暗殺された大老井伊直弼の墓があり、都の史跡になっている。直弼の墓の後部には、暗殺者から必死に主君を守ろうとして、討ち死にした家臣八名の墓もあり、墓石からも、その無念さが伝わってくる。当寺は、井伊家第2代藩主直孝が鷹狩りの折、この寺にいた猫が手招きするので立ち寄り、ここで休息した。すると、休息している間、にわかに悪天候になり、猫が手招きしてくれたので、その難を逃れたという。この事を喜んだ直孝は多額の寄進をして荒れていた寺院を立て直すとともに菩提寺にしたという。住職は猫が死んだあと境内に招猫堂を建て供養した。この招き猫は評判となり、福を求める参詣者の人気になったという。豪徳寺の門前を左折して、100m程の住宅地の一角に森に包まれた小高い丘がある。ここは中世この地方を支配していた吉良氏の居城、世田谷城の址である。子どもたちが駆けずり回っていて、ほどよい遊び場になっている。次に散策したのが、その吉良氏の菩提寺である勝光院。鬱蒼とした竹林に覆われ、静寂につつまれた参道から山門への空間はこころを和ませてくれる、よい雰囲気である。五輪塔や宝篋印塔が並ぶ吉良一族の墓をお参りして合掌。次に世田谷代官屋敷跡に向かう。世田谷代官屋敷は彦根井伊家の世田谷領20ヶ村の代官所でしたが、代官の陣屋として建てられたのではなく、この地の名主であり世襲で代官職を務めた大場家宅を役所とした邸宅兼用の代官所でした。現存する建物は代官所として治安維持や裁きを行う御白洲なども備わっているが、武家屋敷というよりも豪農の邸宅としての形態が伝わってきます。ここより松陰神社へ向かう。吉田松陰は、勅許を得ずして開国に踏み切った幕府を批判したため捕えられ、伝馬町の獄舎で斬首されましたが、松陰の教え子である高杉晋作や久坂玄瑞ら松下村塾の門下生らによってこの地に改葬された。現在でも松陰を尊敬する人達が墓参に訪れ、墓前には献花が絶えないという。墓域の一角には、松陰を尊敬していた桂太郎の墓もある。安政の大獄で斬首された吉田松陰の墓所が、弾圧した井伊直弼の菩提所から、600mほどしか離れていないところにあるのは皮肉な話である。神社を出て商店街を歩き世田谷線の松陰神社前駅から三軒茶屋駅へ向かった。駅から100mほどのところに、本日の最終散策地である江戸五色不動のひとつ教学院目青不動尊がある。。当寺は青山墓地そばにあったが関東大震災後、当地に移転してきたという。 訪れた時間が夕刻になってしまったため、残念ながら御不動様を拝観することができなかった。墓域には小田原藩大久保家歴代藩主の墓所があるが、施錠が掛けられていて、同様に墓参が叶いませんでした。 今日は、関西方面は35℃にもなる猛暑だったそうだが、東京は幸い25~26℃ほどで、蒸し暑さはあったが、快適な散策が出来ました。喉を潤したくなったので、恒例の反省会を駅周辺の魚の美味しそうな居酒屋に飛込んで行った。和気藹藹の歓談で大いに楽しき一時を過ごせたのであるが、うっかり失念して、楽しい雰囲気の写真を撮り損ねてしまいました。 

(報告:石井義文)
 

第16回 北千住.南千住

2013年06月18日(火) | コメント(0)
平成25年5月18日(土)、第16回お江戸散策は江戸四宿のひとつ千住界隈を取り上げた。、北千住に集合し、ここから散策をスタートした。駅から商店街を西に向かって、100メートルほど行くと日光街道と交差する。この北西の角地に掲げられている案内板によると、かって千住宿の本陣があったところらしい。この旧街道は昔と同様の道幅だったそうで、向かいあって店が軒を並べ、にぎやかな通りになっている。北に向かって歩くと右側にお休み処「千住街の駅」がある。ここのガイドさんに千住の見どころなどの解説をお願いした。ガイドさんによると、江戸期における千住は宿場町ばかりでなく農産物、材木などの生活物資 の商いが盛んで、大いににぎわっていて、日光街道沿いは羽振りの良い豪商が軒を並べ、旅人達に酒を振る舞い、時には飲み比べ大会のような催しをしていたという。
 千住の魅力をたっぷり聞いてから、街道沿いにある江戸中期から絵馬や行灯を描いて名高い吉田家を見学した。内部を見ることはできなかったが、江戸時代からの伝統を守りつづけ、貴重な民俗資料を保存している様子がガラス越しに見ることができた。その向かいには、江戸期、地漉き紙問屋として繁盛していたという横山家住宅跡ある。ここも中に入ることは叶わなかったが、江戸後期に建てられた家屋には、築後
150余年の豪商の風格を十分に備えた重厚さが感じられた。横山家の脇道は、かって、からたち寺と呼ばれた長円寺の参道だったところで正面に月松山の扁額を備えた長円寺がある。この寺院は豊前奥平家から寄進を受けるなど江戸期には多くの参詣者を集めていたという。 山門の左脇には、眼病に効くとして信仰された「めやみ地蔵尊」と呼ばれる祠があり、千住絵馬がぎっしり掛られていて、人々の厚い信仰心が感じられた。ここから、旧水戸街道を辿り、線路を潜り抜けていくと大きな幼稚園を併営している清亮寺に着いた。この寺院は、水戸黄門ゆかりの槍掛けの大松があったことで知られていたというが、現在、その松は枯れてなく、その松を撮影した写真とともに、槍掛けのエピソードが碑の銘板に語られていた。この寺院の裏手には荒川が流れている。この土手に上がってしばしの休息を取ることにした。川の河川敷は、大きなイベントが行われる「虹の広場」と呼ばれ、庶民の憩いの場となっている。この荒川は放水路と呼ばれる人工の河川である。度重なる洪水の対策として上流にある岩淵に水門を造って、分流させたのがこの放水路である。1913年から1930年(昭和5年)まで、17年間の歳月をかけて造られたもので、この川の完成以降、洪水はほとんどなくなったという。この土手に程近い所に、江戸時代から続く骨折治療の名医院と謳われた名倉医院がある。現在も開業していて、建物の外観からして、医院の格式を感じる。続いて、また旧日光街道の商店街に沿って、北千住駅の方へ足を向けた。駅脇の居酒屋などが立ち並ぶ細い路地を潜り抜けると、投げ込み寺と云われた金蔵寺の門前に出た。山門を入ると左手に供養塔が2つ並んでいる。一つは、天保年間における餓死者を供養した塔で、もう一つは千住宿で働いていた飯盛り女たちの霊を慰める供養塔である。塔の台座には彼女達の戒名が刻まれており、合掌しないではいられない気持ちになる。寺から50~60mほどのところに森鴎外の旧居跡がある。彼の父親が開業していた医院で、鴎外がドイツに留学するまでの4年間、彼も当院で働いていたという。次に向かったのは、将軍家からも庇護を受けていたという勝専寺。将軍が日光参詣の折には、ここで休息を取ったという。寺内には閻魔堂があり木造の閻魔大王坐像は、現在でも閻魔詣で多くの参詣者があるという。ここまで散策してくると、丁度ランチタイムになっていた。街道筋を南に向かいながら歩くと、適当なランチ店を見つけた。幸運なことに、11名が一緒に食事をすることができ、調度もシックな造りで、食事も大変美味しかった。




 空腹を満たしたところで、午後最初の散策地、源長寺に向かった。旧日光街道に面した源長寺では当時湿地帯であった千住の新田開発や掃部堤の建設に功績を遺した石出掃部亮吉胤を墓参した。その源長寺から千住大橋までの街道筋は、かって“やっちゃ場”と呼ばれ青果、川魚、米穀問屋などが軒を並べていたという。それぞれの屋号を書いた木札が立ち並び、大いに賑わい、繁昌していた当時の様子が偲ばれる。この通りには、千住プチテラスという千住観光のボランティアガイドが詰めていて、われわれに千住発展の歴史や千住固有の特色などを興味深く講義してくれる。この説明はなかなか圧巻であった。さらに南下して、千住大橋に至ると、ここには松尾芭蕉が奥の細道へ旅立った矢立ちの地の碑が建っている。”行く春や鳥啼く魚の目は泪”魚とは見送りに来た本業が魚問屋の弟子杉山杉風のことという。川の上流へ少し入ったところには江戸に荷物を運ぶ船頭たちの信仰を集めた橋戸稲荷社がある。ここの拝殿の扉には、江戸末期の名工伊豆の長八の鏝絵が治められているが、残念ながら本物を見ることは叶わずでした。千住大橋を渡り南千住に入る。橋を渡ったすぐの路地を少し入ると左手に材木問屋の信仰を集めた熊野神社がある。どういうわけか入口に施錠が掛けられていて、入ることができず拝観をしないで次に移る。
素戔嗚神社、この神社は創建が
1050年というから、約千年も経つ古社で、周辺61町村の総鎮守という格式らしく、社殿も鳥居も壮大な威容を放っている。神社から東に向かうと[荒川ふるさと文化館]があるが、時間の都合で割愛し、明治初期、富国強兵、殖産振興の政策から作られた千住製絨所跡を見る。そこは現在、スポーツセンターやショッピングセンターになっていて、面影はないが、製絨所を取り囲むようにできた煉瓦塀に当時の面影を見ることができた。次は、彰義隊ゆかりの円通寺。境内には、彰義隊士の墓、上野戦争において激戦のあった黒門口の黒門や榎本武揚新門辰五郎たちの追悼碑がある。続いて進んだのが吉原の投げ込み寺として名高い浄関寺。吉原遊女たちの悲しい運命に心から同情を示した永井荷風の詩碑に胸を打たれました。続いて訪れた永久寺は江戸五色不動の一つ目黄不動尊があるところだが、寺とは思えない狭い境内に拍子抜けだった。いよいよ本日の最終散策地である延命寺、回向院に向かう。延命寺は江戸期の刑場があったところに回向院から分離独立した寺で、巨大な延命地蔵が建っている。回向院には、安政の大獄で刑死した橋本左内吉田松陰その他桜田門外で井伊直弼を襲った水戸浪士たちの墓がある。また、ここは杉田玄白前野良沢たちが刑死者の腑分けに立ち会い、人体がオランダの医学解剖書「ターヘルアナトミア」に描かれているものと同様であることを確認し、解体新書を著したこと知られ、それを記念する「観臓記念碑」が院内入口の壁面に掲げられている。 これにて本日の散策は終了となり、例のごとく居酒屋で歓談に華が咲き、程よい酔いを以て楽しき一日が終わりました。(石井義文)
 【散策の後は・・・ビールでカンパイ!】 

第15回 田端・王子

2013年05月13日(月) | コメント(0)
  第15回お江戸散策は、当初の実施日を雨天により1週間延ばしたにも関わらず、愛好者13名が田端駅南口に集い、快適な天候にも恵まれ、爽快な気分で出発しました。坂を上り下りして、数分のところにある大江戸六阿弥陀第4番札所の真言宗与楽寺を最初に訪れました。六阿弥陀信仰は、江戸期において女人救済の阿弥陀様として、特に女性に人気があったそうである。
次に、田端に二つある八幡神社のうち、田端下八幡神社が近くにある。この神社に隣接した別当寺である東覚寺には赤紙を貼った仁王さまがいて、病と同じ個所に赤紙を貼ると治ると言い伝えられ、治ったときに草鞋をあげる慣わしがあり、今日でも信者が多く参詣にきている。ここまでで出発から約30分ほど経ち、10時開館という田端文士村会館へと向かうことにした。
 ここ田端は明治後期から昭和初期にかけて多くの芸術家、文筆家たちが集まり、陶芸、絵画の腕を磨き、文芸雑誌、童謡などの創作に情熱を注いだところである、会館には彼らの作品や活動が多数紹介されている。これらの解説を読むだけでも、半日は掛かりそうである。 ここで紹介を受けた芥川龍之介の旧宅跡が近くにあるというので、予定外であったが立ち寄ってみることにした。しかしそこには、旧宅跡の説明版があるだけで、マンションが建てられていました。
もう一つの八幡神社に隣接した寺院に大龍寺がある。ここの墓域の竹笹が生えている所には俳人正岡子規の墓があり、多くの子規ファンが墓参に来ている様子が偲ばれる。大龍寺から北に向かって、しばらく歩くと踏切があり、超えた所の右手に園勝寺がある。ここの墓域には石州流茶道開祖伊佐家代々の茶人達が眠っている。
 ここまで来るとランチタイムになり、旧古河庭園の中でお弁当を食べることにした。ここ古河庭園は、当時一流の建築家ジョサイアコンドルの設計による洋館、および洋式庭園、当代随一と言われた小川治兵衛が手掛けた和風庭園でできている。庭園内は、ソメイヨシノはすでに散っているが、八重桜、真紅の躑躅、チューリップなどが微香を放って咲いている。眺めて良し、歩いて気持ちが晴れやかにしてくれる、素晴らしい庭園である。それぞれが持参した昼食を、美しい庭園のベンチで食べるのは、なかなか一興である。
昼食後は、庭園内を散歩してから次の散策地六阿弥陀第三番の無量寺に向かう。木立や竹林に包まれて静寂な参道を備えたこの寺に魅力を感じながら山門に差し掛かったら、入口で「拝観お断り」と言われ、残念ながら拝観を断念し、写真だけ治めて次に向かった。
 江戸時代初期までの寺院と神社の関係は、その多く寺院は別当寺と呼ばれ神社を寺院が管理、運営していた。城官寺平塚神社の関係も同様で、城官寺が平塚神社を支配する関係であった。次に訪れたところは、東京ゲーテ記念館といい、1949年、ゲーテの生誕200周年を記念して、実業家・粉川忠がゲーテの精神的遺産を継承発展するための研究機関・資料館として建てたもので、あまり大きくない館内であるがゲーテの作品などの資料が15万点も所蔵しているという。当初予定していない散策館であったが、思いもかけぬ拾い物をした気分の見学であった。
ここから岩槻街道に出たところに、西ヶ原一里塚がある。江戸期、幕府は五街道や主要街道に、旅人の目印になるように一里ごとに塚を築き、遠くからも見えるように榎を植えさせたという。しかし東京の近代化とともに多くが撤去、消失していったが、この一里塚は住民の願いで保存されたそうだ。この塚から、200メートルほど街道に沿って行くと、右手の小高い丘に、実業家渋沢栄一の邸宅があった。現在、その跡地には、栄一ゆかりの青淵文庫と晩香櫨が建っている。庭には渋沢の実寸大の銅像が立っているが、現代人から見るとすごく小柄なのに驚かされる。 身の丈は小さくても、実業家としての手腕は驚異的で、銀行、造船、海運、鉄道、製紙など約500の会社の設立に関わり、近代日本資本主義産業の発展に多大な功績を残した人物である。歩んだ人生も見事で、彼は70歳になってからは、事業活動からは、いっさい手を引き、私財を投じて、もっぱら社会福祉、教育、文化活動に力を注いだという。この旧渋沢邸から北へ続く丘一帯は、飛鳥山公園で、八代将軍徳川吉宗が桜を植樹させて、庶民の行楽とした江戸時代からの桜の名所である。ここもソメイヨシノは散ってしまったが、未だ沢山の八重桜が開花していて、青空を背景に輝くように咲いていました。土曜日ということもあり、親子連れや多くの子どもたちが春の一日を楽しんでいました。 この公園には記念碑や桜賦の碑などがあり、その碑に刻まれた難解な文字の解読を楽しんでから、王子の名の謂われとなった王子権現神社に歩みを進めました。将軍家の祈願所であったというこの社は広大な社領を備えていて、200石の朱印を賜ったというにふさわしい、堂々たる風格を放っていました。ここから、数分歩んだところには関八州稲荷神社の総元締めという王子稲荷神社があり、毎年大晦日には狐のお面や装束を身に着けた行列が行われ、大いに賑わうという。ここまで来ると、さすがに歩き疲れてきたころである。歩行カウンターを見ると、何と25000歩を超えている。次の最後の散策地である名主の滝公園を訪れたころは、日も落ちかけてきて、喉を早く潤したい気分になってきた。そこで、早々に切り上げて公園を後にし王子駅前の居酒屋に直行し、和気藹藹に懇談して、本日の散策を振り返りました。

(報告:石井義文)
【開催日】  2013年4月6日(土)
【開催場所】  登戸 柏屋      〔参加者〕  108名
13期同窓会

  平成25年4月6日、登戸の柏屋で13期の同窓会が開催されました。卒業してから3回目の同窓会でした。
前日からテレビで台風並みの荒天を予想するニュースが流れ続けていました。キャンセルの連絡が何件も入るかと心配しましたが、ほとんどキャンセルもなく、108名の同窓生が出席しました。荒天の中、大多和、田山、青木、綾谷の4名の恩師にもお越しいただき、元気なお顔を見せていただきました。大変感激でした。
多摩高同窓会の安部会長にもご挨拶いただきました。感謝です。5年後には新しい多摩高の校舎が完成するとの事。4回目の同窓会は多摩高でなどと今から計画してしまいそうです。
6時に始まった会は久々に会った級友との語らいで、あっという間に時間が過ぎていきました。全員での集合写真はカメラに納まりきらず、先生全員が入ったクラス毎の記念撮影となりました。
ハガキに、親の介護で出席できないとの近況を綴る方が何人かいました。同窓会終了後、クラス幹事にアンケートを取りましたが、その中で、親の介護で出席できない人もいるだろうから昼間に開催したらどうかとの声もありました。5年後に開催したら、介護する親はいるのだろうかと考えてしまいました。元気なうちにまた同窓会を開催してほしいとの声がいっぱいでした。
 13期 鈴木誠


多摩高13期生同期会開催

2013年05月05日(日) | コメント(0)
 多摩高13期生同期会を下記のとおり開催しました。
 開催日時;平成2546日(土曜日) 午後6時~9時頃(受付午後5時半~)
 開催会場;日本料理 柏屋(川崎市多摩区登戸2466  TEL044-911-3191
 幹事;鈴木誠メールアドレス jonnobi-mak0@jcom.home.ne.jp