同期会

第20回 根津・白山界隈

2014年03月22日(土) | コメント(0)
 第20回お江戸散策は、当初予定した日が大雪の影響を受けて、延期を余儀なくされ、2月22日に残雪が残る中でも、好天気に恵まれ実施することができた。今回の散策の見どころは、神楽坂界隈編で登場した太田南畝の足跡が、いくつか散見できること、東京10社のうち2社を参詣できること、そして植木等ゆかりの寺を訪れることがあげられる。 JR日暮里駅北口に集合し、駅からほど近いところにある本行寺から散策を開始した。
 本行寺は、江戸期には「月見寺」と呼ばれ、景勝優れた寺院として、文人墨客たちに親しまれたという。墓域には、太田南畝と交遊のあった書家の市河米庵や幕末期、幕府大目付として活躍した、永井尚志の墓がある。隣接する経王寺には、彰義隊戦争のとき、彰義隊士たちが隠れ込んだため、新政府軍から銃撃を受けたという。その時の傷痕が門扉にいくつも残っている。経王寺を出て、御殿坂を少し行くと下り階段の下に「谷中銀座」の看板が見える。ここが夕焼けだんだんと名付けられた人気の下町商店街だ。秋の夕刻は、ひときわ夕焼けが素晴らしいという。谷中銀座を抜けると、不忍通りに出て、左100mほどのところにローソンがあり、その脇路地を曲がると、正面に公園が見える。須藤公園である。実業家、須藤吉左衛門の私邸であったが、須藤が東京都に寄付して公園となった。傾斜地を利用して周囲の水を集めて池を作り、その畔に弁財天が置かれ、近隣の人たちの憩いの場所になっている。出版の大手、講談社はこの近くで発祥し、その地は同社の社員寮になっている。次に向かったのは、団子坂を上ったところにある森鴎外の旧宅「観潮楼」だ。鴎外はこの家に30年間住み、この家から東京湾の望む景観を気に入っていたという。現在、記念館として新築のビルに生まれ変わっている。館を出て、大観音通りを白山方面に進むと、右手に身の丈6mの駒込大観音で親しまれている光源寺がある。本堂前の蓬莱梅と庚申塔が象徴的である。光源寺の北側には、蓮光寺があり、樺太や国後、択捉等の千島列島の探検をして功績をあげた最上徳内の墓所がある。この蓮光寺の西側には、高林寺があり、大坂適塾という蘭学塾を興した緒方洪庵の墓がある。この高林寺や本郷通りの向かいにある天英寺の辺りは、江戸時代、駒込土物店と呼ばれ、周囲の農家で作られた野菜の市場があり、大いに賑わい、その繁栄は昭和初期まで続いたという。ここらで、そば処に入り昼食休憩とした。

 昼食後の散策は白山神社から始めた。大化の改新後の全国寺社整備当寺の創建と伝わる古社で、徳川将軍家にも篤く庇護されてきたという。この神社から近いところに江戸の狂歌師太田南畝(蜀山人)が眠る本念寺があるので立ち寄って墓参をした。太田蜀山人は、お江戸散策では、いたるところで登場してきた人物で、幸運にも墓参をすることができた。再た、白山神社方面に引き返し八百屋お七の墓がある円乗寺、そして、お七が放火をしたという大圓寺へ向かった。大圓寺には、幕末期講武所支配役として砲術師範をした高島秋帆の墓がある。当寺院から北に進んだところの榮松院には、常緑樹で天然記念物に指定されているシダジイがあるというので、この寺院にも立ち寄った。噂に違わず幹周8mに及ぶ巨木で周囲を圧倒していた。次に向かったのが真浄寺。この寺院は、植木等が小学校を卒業後、小僧として修行した寺院である。植木は、毎朝4時(冬季は5時)起きで、床の雑巾がけ、庭掃除、檀家周りなどをして、夕刻から近くの京華中学・高校に通ったという。そんな生活を6年間過ごしたそうである。この後、夏目漱石が「吾輩は猫である」「草枕」などの執筆活動をした住居「猫の家跡」を見て、東京十社の一つで権現作りの根津神社を参詣した。この神社はツツジの名所として知られ、今は時期ではないが、それでも多くの参詣者が来ていた。この根津神社をもって本日の散策は終了なのであるが、時間はまだ3時半。少々早く終わってしまった。
 日暮れまで、時間があることから、参加者の提案で、近くに弥生式土器発祥の地があるので、行こうということになり、歩みを進めると、途中、詩人サトーハチローの旧宅跡を知ることが出来た。弥生式土器の記念碑があるところは、江戸期、徳川御三家水戸藩の中屋敷があったところで、現在、東京大学弥生キャンパスの敷地にある。このキャンパスの中には、徳川斉昭の歌碑・「向岡記」碑があり周辺には弥生美術館、竹久夢路美術館などもあって楽しませてくれる。弥生門から東京大学の構内に入り、日本最高学府の雰囲気を楽しんだ。東大からは、上野方面に向かい、無縁坂を下って、不忍池中道を通って、弁天堂に向かい、清水観音堂、西郷隆盛像、そして太田蜀山人の碑を見学して本日の散策を終了とした。当初予定より大幅延長の散策で、22,000歩を越える歩行だったが、全員、元気に歩き通した。このあとは恒例の反省会となり、アメ横裏路地の居酒屋で“カンパイ!”と相成った。(報告者・石井義文)
   第19回お江戸散策は江戸四宿の一つ中山道板橋宿界隈を取り上げました。JR板橋駅東口の広場左手にある近藤勇、土方歳三の供養塔から散策を始めました。この供養塔は明治9年(1876)5月に隊士の一人であった永倉新八が発起人となって造立されました。高さ3.6m程ある細長い角柱で、正面には「近藤勇宣昌・土方歳三義豊之墓」と刻まれ、右側面と左側面には、井上源三郎を筆頭に合計130名の隊士たちの名前が刻まれていて新選組の聖地のようで朝からも何人かの見学者が来ていました。次に向かったのは旧中山道平尾宿を北に向かい17号線と交差した路地を渡ったところにある東光寺。ここには関ヶ原の戦いで西軍の将として奮戦した宇喜多秀家の供養塔がある。宇喜多は関ヶ原の戦い後、八丈島に流罪となるが、妻が加賀前田利家の娘豪姫で、前田家は永年宇喜多一族を支援し続けました。幕府が倒れ、明治の世になって、宇喜多家は赦免され、秀家の子孫たちは、加賀藩下屋敷の一帯に住まいするようになり、先祖供養のため当寺院に建立されたと云う。板橋宿はここ平尾宿の次に仲宿、上宿が続き、それぞれに名主が置かれていた。道幅は3間程で、当時もほぼ同様の道幅であったという。平尾宿と仲宿と境付近にあったのが観明寺で、明治初期の住職は、この界隈を繁栄させる為に露天商を集めて、縁日を開き、それがきっかけで通りは大いに繁盛したという。仲宿の商店街は今日でも賑やかで脇本陣跡本陣跡そして高野長英が逃亡中に匿われたという医院の界隈は活気に満ちていました。上宿に入る手前の石神井川に架かる橋が鎌倉期から知られている板橋で今日の区の地名になっている。ここの橋から見下ろす河畔には桜の大木の並木が連なっていて、桜のシーズンには多くの花見客がやってくるという。上宿の商店街が途切れそうになったところに、日頃病苦や結婚に悩んでいる人たちの信仰を深めているという縁切榎の社があります。小さな境内には、切実な悩みを書いた絵馬が沢山奉納されていました。我々が見学中にも、心を込めて祈る人に出会い、その姿に一瞬緊張された次第です。ここら辺で昼食時間となり、この社の前にある手頃な「そば処」に入り、ランチタイムとしました。
   昼食後は、上宿を引き返し交差点を左折したところ50mにある文殊院を訪れました。この寺には、板橋本陣の主、飯田家代々の墓や宿場の飯盛女たちの墓があり、吉原の浄閑寺、新宿の成覚寺などを思い出し、思わず合掌しました。ここからは旧加賀藩下屋敷だったという中を歩き、東板橋体育館脇の広場に辿りついた。そこには明治初期に黒色火薬を製造したという巨大な圧磨機圧輪の記念碑がある。一見わかりにくい石輪のモニュメントであるが、同行した西村氏が、この製造原理を分かっていたので解説していただき、当時の火薬作りを少し理解できた次第です。ここも加賀藩下屋敷の中であるが、当時の面影を少し留めている小高い丘に向かい加賀藩下屋敷の標柱の建っているところに向かうと、そこには前田家の祖利家とお松を祀っている尾山神社の神門のステンドガラスのレプリカが置かれていた。ここからは石神井川沿いを下り、俳句の道を経て、八幡神社を経由して、国宝級作品をいくつも作った名陶工尾形乾山が眠っている善養寺、四谷怪談で名高いお岩さんの墓がある妙行寺新門辰五郎の菩提寺盛雲寺、そして天才漫画家手塚治虫の墓所のある総禅寺など著名人の墓参りをしばし行い、江戸時代から有名な巣鴨の庚申塚に辿り着いた。ここでは漢字文化圏において、年・月・日・時間や方位、角度、の元になっている十干と十二支の組み合わせの「干支」について学んだ。このあと明治29年に作られ多くの優秀な女性を輩出したという明治女学校跡を訪れ当時の向上心溢れる女性の姿をしばし偲んだ。ここまで来ると巣鴨駅まではもう直ぐで、途中、とげぬき地蔵で有名な高岩寺江戸六地蔵の1つで知られる真性寺を参詣して今回の散策をお開きにしました。時刻はまた15:30で、日暮れまでは、まだあるが、喉を潤したくなり、全員で手軽な居酒屋を見つけて入り、本日を振り返りました。 (報告:石井義文)

第10回 奥多摩むかし道

2013年12月14日(土) | コメント(0)
 2013.11.14(木)、女性7名、男性6名が集まり、奥多摩むかしみちハイクが実施された。
 朝、立川駅で幹事二人が青梅線のホームを間違うハプニングがあり、他にも二人いて、四人が遅れて奥多摩湖へ到着。本日、唯一の結構きつい登りで、上から紅葉の奥多摩湖を眺める。下って見晴らし台にて、12時を過ぎたので昼食にする。いつもの様に、色々な差し入れが飛び交う。あとは下る一方である。途中、歯痛た地蔵、耳痛た地蔵、滝、馬・牛観音、弁慶の腕ぬき岩、白髭神社を楽しみながら歩く。驚いた事に、突然、小澤先生が現れた。山に登った後、誘われていたので、追い掛けて来たとの事。結構、長い道のりだった。
  温泉は省略して、立川で打ち上げ。今回も良く食べ、良く飲んだ。(佐々木記)

〔懇親会〕 
 【22期同期会
  2013年11月9日、22期の同期会を日吉で行いました。
  岸先生、田辺先生をお迎えして約100名が集まり、昔話に花を咲かせ、近況を報告しあいました。
  22期の同期会は、2009年、2011年を経て3回目ですが、今後も2年に一回のペースで開催していきたいと思います。
  幹事代表 関根登(noboru@ha.catv-yokohama.ne.jp)  以上

 
 多摩高校の伝統行事「大師強歩」当日に合わせ同じコースを川崎大師まで歩く「大師強歩を懐かしむ会」は、今回で5回目となり11月5日(火)に実施しました。生徒たちと同様に母校から歩きたいとの声もありましたが、70歳に手の届く年を考慮して、今回も南武線向河原駅に9時30分に集合としました。今回の参加は14名となり、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県から懐かしい同級生が集まりました。前日までの雨が止み、雲一つない晴天となり絶好のウオーキング日和のなか,のんびりと歩き始めました。ガス橋を渡りPTAのサポートの方々に挨拶をし、記念写真を撮ってから本格的な歩行となりました。この辺りから西方を振り返ると武蔵小杉周辺の高層マンション群と日本電気のツインタワービルが見えて、横須賀線停車ホーム新設後の小杉地区の変貌ぶりが確認できます。また、多摩川に目をやるとオナガガモ・ヒドリガモ等の冬の渡り鳥の飛来やマルタウグイの飛び跳ねる姿を見ることができました。多摩川大橋の手前で、持ち寄りのお菓子をいただきながら大休止し、生徒のトップ通過を待ちました。やっと男子生徒が一人でかなりのスピードで通過しました。その後、後続の男子が通過して行きましたが、大半は運動部の生徒たちでありました。生徒が通過するたびに我々5期の一行からは、盛んな声援や拍手が起き、50年以上年のひらいた同窓生交互の交歓が繰り返されました。六郷橋の手前に生徒たちの通過チェクポイントがあり先生方に挨拶し、後続の生徒(特に女子のトップ通過)を待ちました。例年はもっと手前で女生徒が通過するすのですが、今回は天気もよく気分良く歩けたためか、我々のスピードが少しだけ早かったようでした。
 六郷橋を渡り川崎側に戻り、いよいよゴールまで3~4㎞となり、続々と生徒たちが通過して行きました。5期生からは「若くていいなあ」、「可愛いねえ」の声が飛び交いました。歩行中の多摩高生の整然とした様子や声掛けに対する素直な反応に、我々は誇らしささえ感じました。味の素の工場を過ぎ、多摩川から大師参道に入り13時に全員がゴールし、川崎大師に健康祈願をした後、記念写真に収まり我々の大師強歩は終了しました。
 このあと、同級生の生家大師駅前の「福嶋屋」で美味しいお蕎麦の昼食と少しのビール・日本酒をいただきながら若き日の思い出話は尽きることがありませんでした。 (幹事:金作)
 第2次懇親会 川崎大師商店街の老舗 福島屋にて  第3次懇親会 川崎駅前 大衆食堂にて
   3期生のハイキング倶楽部「さん歩会」は11年目に入りました。
平成25年は計6回のハイキング実施のほか、7月には有志で乗鞍岳(一泊)にも登りました。
昨年は発足10周年を迎え、例会の回数も66回を数えました。
66回は10周年を記念して箱根で一泊のハイキングを実施いたしました。今年は12月の総会の後、懇親を兼ねた忘年会を登戸で開催しました。来年も安全で充実した楽しい会にしたいものです。
「さん歩会」は今年も来年もちょっと元気に、チョットだけ頑張って歩きます。

多摩Ⅲハイキング倶楽部  
幹事長 岡本 恭一
記録  櫻谷 泰之

渋沢丘陵・頭高山(神奈川県)



富士山(箱根より)
平成25(2013)年
実施月 行 先
61 2月 長瀞・宝登山
62 3月 渋沢丘陵及び頭高山
 63 4月 関八州見晴台
64 5月 蘇我山(不動山)
65 9月 青梅丘陵雷電山
66 11月 箱根・屏風山、浅間山
OP 7月 乗鞍岳



ハクサンイチゲ(乗鞍岳)



 
  開催日   平成25年10月30日(水)
  開催場所   横浜 崎陽軒本店
 【第12回 三期会開催報告】
 第12回三期会は、平成25年10月30日(水)横浜の崎陽軒本店にて無事開催することができました。
  当日は、恩師の三浦先生、古谷先生、同窓会からは、金作副会長にご出席いただき、卒業生を含めて57名、大変楽しい時間を過ごすことができました。
 これも、同窓会事務局初め関係各位のご協力の賜物と心より感謝申し上げます。
 私ども三期生は、年一回の“三期会”以外に毎月第三水曜日に“三水会(親睦会)”年5~6回の“ゴルフ会”、さらには“さん歩会”等々積極的な活動を行っております。
  今後とも三期生の活動にご理解をいただきご協力をお願い申し上げます。

第12回三期会開催

2013年11月29日(金) | コメント(0)
 第12回三期会を次の要領で開催しました。
開催日時:
開催場所:
会 費:
平成25年10月30日(水) 14時~17時
崎陽軒本店(横浜駅東口)
10,000円
〔第12回幹事〕  
1組 安藤敏子、萩原美江 
2組 山口浩嗣、吉澤正子 
3組 清水秀紀、飯塚里美子
4組 石垣英樹、石渡利治
5組 長谷川知司、渡邊洋司
6組 三ツ田一清、川端輝満
  第4回 多摩高第8期同期会を開催しました。
 開催日時:平成25年10月26日(土)13:00~16:00(受付開始:12:30)
 開催場所:チャイニーズダイニング桂林 Tel 044-862-0281
     「ホテルメッツ溝ノ口」(南武線武蔵溝ノ口駅改札口前)
〔幹事一同〕   
1組
2組
3組
4組
5組
鈴木悦子,今井芳子
大谷信子,堀越郁男
横沢陽子,石井エミ子
前原義明,野村啓子
池田京子,大原礼子
6組
7組
8組
9組 
小倉幸夫,横山慎一郎
遠藤 悟,枝元正典
河崎幸一,宮山靖男
井上文雄,入口 勇
 会費:8,000円/一人
 第9回 多摩高4期同期会開催 祝古希記念同期会
  実施日平成25(2013)年10月19日(土) 12:00~15:30
  会 場 日本料理 柏屋(川崎市多摩区)
  出 席者  【来 賓】恩師: 櫻井義英先生、三浦敏雄先生
                 古谷嘉邦先生、木村喜行先生
            同窓会: 田辺政和副会長
               【同期生】48名(計:53名)
  第9回4期同期会は『祝古希!!多摩高4期生記念』と銘打って開催されました。
 今回の開催幹事は2組の10名が担当し、サポートスタッフとして、3組の林三男さん、4組の鈴木靖雄さん、7組の森繁昭さんに 加わっていただき、企画、運営、写真等すべてにわたりお世話いただきました。幹事一同皆感謝しております。
 今回は「古希のおもてなし」をテーマとして企画し、古希にふさわしい祝いの膳と「祝古希多摩高4期生」と銘打った記念のボールペンを用意することができました。
 今回も昨年同様、 一次会(食事会)は柏屋3階の大広間で、二次会(懇親会)は席を3階の「福寿の間」に移して行われました。
 食事会はいつも元気な柴田君代さん(2組旧姓:渡辺)と渋谷(2組)の司会で始まり、幹事の挨拶、乾杯は毎回出席をいただいている数学の木村先生に音頭を取っていただきました。乾杯の後、今回は特に古希らしく豪華に盛り付けされた大きな車海老、煮物、お造り、お赤飯など柏屋自慢の会席料理を満喫いたしました。
 宴なかば、来賓の方々よりご挨拶をいただきました。櫻井先生、三浦先生、古谷先生、木村先生、田辺同窓会副会長と続き、皆様より古希のお祝いのお言葉をいただきました。次回幹事にあたる3組の林三男さん、阿部芳雄さんにも挨拶をいただきました。
 つづいて「お便り紹介」の時間となり、下山先生をはじめ各組2~3名の欠席した方のお手紙を朗読いたしました。闘病生活の方、夫に先立たれた方、親の介護で奮闘されている方、趣味を楽しんでいる方、いまだ現役の方などのお便りを2組の岡本さん(旧姓:榎田)がNHKの「ラジオ深夜便」のような見事な朗読をしていたのが印象に残っております。
 今回、校歌は6組の高岡信雄さんに指揮をお願いし、全員で校歌を高らかに斉唱しました。
 一次会の最後に全員の記念写真、組別の写真を4組の鈴木靖雄さんに撮っていただき、食事会はお開きとなりました。
  懇親会は席を「福寿の間」に移して行われ、乾杯の音頭を6組の竹内碩郎さんにお願いしました。
 近況報告は遠方よりお越しの大野寿美子さん(1組、旧姓:柳沢)高橋恵美子さん(1組、旧姓:嘉山)大森紀子さん(4組、旧姓:山縣)野田恵美子さん(5組、旧姓:原)谷野隆彦さん(7組)木村宗光さん(7組)にお話をいただきました。途中、思いもかけず、6組の高岡信雄さんの素晴らしい歌には皆が感動しました。最後に全員で「高校三年生」と「故郷」を合唱し、閉会の挨拶を2組の下平公子さん(旧姓:小山)に7組の保木正和さんには景気よく「3本締め」で締めていただきました。
 皆様、ご協力ありがとうございました。来年まで同期生の皆様お元気で……

 (第9回同期会開催幹事2組)
  山本光次、大森巌、青嶋(都倉)菊江、石沢(青木)保子、岡本(榎田)紀子、奧山房枝、下平(小山)公子、柴田(渡辺)君代、四方田(山本)恒子
 :代表、渋谷鋼太郎