19期

19期

のびのび多摩旋風、創部後初のベスト4に 多摩高19期

のびのび多摩旋風、創部後初のベスト4に
=仲間同士の信頼で大きな力を発揮―19期=
(多摩高野球部19期主将 佐藤純夫)

県立多摩高野球部は1976年(昭和51年)の第58回全国高校野球選手権神奈川大会において、創立20周年を準決勝進出で祝うという快挙を成し遂げました。この文章のタイトルは地元紙の神奈川新聞に掲載された見出しの一つで、われわれが最も気に入っている言葉です。

当時の野球部は、部員もカネも練習時間も少ない典型的な公立高校の運動部と言えました。何せ、前年秋に19期中心の新チームを結成した際には、選手が9人を欠け、サッカー部から中学野球の経験者を助っ人として借りたこともあったほどです。それでも限られた時間の中で、岩本秋雄部長先生(物理教諭)、峰野謙次監督(15期生)の指導の下、「基本に忠実に」をモットーに毎日練習を続けていました。

19期チームの陣容(打撃順)は次の通り。
1番ショート寺尾洋一(日吉中、2年) 2番セカンド遠藤忠義(西高津中、3年) 3番キャッチャー桃原広孝(南河原中、3年) 4番サード白石弘美(田島中、3年) 5番レフト原寿一(玉川中、2年) 6番センター佐藤純夫(柿生中、3年) 7番ピッチャー大森正久(臨港中、3年) 8番ファースト天野龍太(宮崎中、2年) 9番ライト勝徹(西中原中、2年) 代打要員・外野手 鷹野肇(宮崎中、2年)

翌年の夏、県大会を迎えたときはダークホースにも名前が上がっていません。今から思えば、主将だった私(佐藤)が引いたクジは1回戦が対サレジオ、2回戦が県立新城高(第1シード校)という大変ラッキーなものでした。開幕試合では緊張感のためか、大乱戦をしてしまい、翌日、OBからグラウンドを何周も回らされるきついお叱りを受けました。その甲斐あってか、新城戦に5対1で快勝すると、後はとんとん拍子に勝ち進み、準々決勝で横浜の公立校強豪、南高と対戦することになりました。

当時の川崎球場で行われた試合のヤマ場は南高8回裏の攻撃でした。2点差を追う南高は無死満塁のチャンス。打者は2回に本塁打を打っている4番バッター。両校応援団総立ちの中を、カウント0-3からエースの大森正久が踏ん張り、続く3球をストライクで通し、見逃しの三振。さらに5番打者を三塁ゴロで併殺。このピンチの場面、チーム全員が「あれだけ練習したのだから、打たせれば必ず守ってやる」とお互いを信頼しきっていたことには今でも自信があります。ただ、試合直後は「サイレンが鳴るまで勝てるとは思わなかった」という心境で、ベスト4に残れたことがすぐには信じられませんでした。

準決勝の向上高戦は欲が出たのか、0対4で完敗。ちなみにこの神奈川大会で優勝した東海大相模高にはプロ野球の巨人に入団した原辰徳、日本ハムに入団の津末英明ら錚々たるメンバーがいました。わが野球部は他チームに比べ、個々の力は決して大きなものではありません。しかし、全員が力を合わせたとき、全く違う力を出すことができたと思います。高校野球を通じたそうした体験は、その後の人生でも励みになっています。

今後とも、多摩高野球部らしいさわやかでのびのびしたプレーを後輩諸君に期待し、夏の大会の応援に行きたいものです。

 
神奈川県立多摩高校野球部 部史 (創部60周年記念事業)より転載


 

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