4期

「不完全燃焼」に終わった高校野球部生活―4期チーム  多摩高4期

「不完全燃焼」に終わった高校野球部生活―4期チーム

 対戦した県内強豪校にはプロ入りの好選手がぞろぞろ
(多摩高野球部4期 荒木久雄)

私の記憶が正しければ、2015年4月入学の県立多摩高野球部の部員諸君はちょうど節目の60期に当たるかと思う。われわれ4期というと、半世紀以上も以前の1959年(昭和34年)に、学校創立4年目を迎えた川崎市内の県立高3校目の多摩高に入学した。入学後直ちに野球部に入部した部員はその初日、当然のことながら部室の外でユニホームに着替え、練習に参加した。

グラウンドに出てまず感じたのは、その広さだった。レフトは校門近くまであり、センターは後方の渡り廊下まで優に130メートルはあり、ライトに至ってははるか後方、多摩川の土手下道路まで150メートル以上はあったと記憶している。もちろん、その後、学校の敷地やグラウンド利用の変化もあって、当時と比較できないのだが、入部当時の広さだけは忘れることはできない。野球をする上で大事なグラウンドの質はというと、内野はともかく、外野に至ってはコークス殻を砕いたような砂利状であった。

4期生が入部した当初の部員数は、3年生7人、2年生11人の少人数であったと思う。そこへわれわれ新入部員15人が加わり、グラウンドは一気ににぎやかになった。入部当時の監督は稲垣謙治先生で、入学時の諸先生方は野球に対する理解度はあまり高くなく、野球部の活動を分かってくれた先生は数えるほどだった。先生によっては、「学業成績が悪くなるから野球部をやめなさい」と言う先生もいた。
しかし、野球部にとって大きな支柱となっていたのが、当時の校長だった山岡嘉次先生だった。山岡校長は、知る人ぞ知る夏の甲子園大会で3連覇を成し遂げたときの愛知・中京商業の監督で、多摩高野球部を創部時から陰になり日向になり指導いただき、教えは今も脈々と受け継がれている。

われわれ4期が初めて公式戦を経験したのが、川崎市長杯であった。川崎市内の高校は多摩高をはじめ、県立川崎高、市立の川崎工業、川崎商業、川崎高校、橘高校、法政二高の7校であった。市長杯戦で使用された球場は、プロ野球球団の大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)のフランチャイズ球場だった。初めてナイターでの試合を経験した2年次になり、学業よりも野球に打ち込んでいった。
この年(1960年=昭和35年)のハイライトは何といっても、夏の甲子園大会の県大会予選の対法政二高との3回戦での熱戦であろう。試合の詳細は3期の先輩の紹介に譲るとして、夏の全国大会で法政二高はレベルの違う圧倒的な強さを発揮し、優勝した。このときの法政二高の強さは高校野球史上最強だと評されたものだが、神奈川大会の予選とはいえ、多摩高野球部は全国優勝したチームと互角の試合を展開したわけである。

◇さて、われわれ4期は3期の先輩たちが夏の県大会で敗退した後、すぐに新チームを結成し、希望も新たに練習に明け暮れた。しかし、そこで大きなアクシデントに見舞われた。新チーム恒例の校内での夏季合宿でのことで、天候不順で雨が続き、低温と相まって賄いの食事による集団食中毒に見舞われたのである。部員のほとんどが体調を崩し、救急車で運ばれる部員も出た。幸い、筆者は難を逃れたが、校内合宿は途中解散となった。
新チームの出だしとしては最悪であり、新人戦となる秋の大会、翌年春の大会もあまり印象になく、春の大会では全国制覇した法政二高に完封負けを喫した。法政二高の投手は柴田勲(後に巨人に入団)で、そのときの柴田選手はそれほどすごい投手であるとの印象はなかった。その年の夏、われわれ4期は最後の夏の県大会を迎えた。大会を前にして、連日の暑さの中、高校を卒業したばかりの1期OBである宇田川、稲垣、桜井、三雲の諸先輩による指導の下、試合前日までくたくたになるまで練習したことを覚えている。

だが、先輩諸氏による熱心な指導、猛練習にもかかわらず、われわれのチームは県大会3回戦で私立強豪の鎌倉学園に大差で敗れた。ちなみに、相手チームの投手は長田、半沢の両投手で、2人とも後にプロ野球の大毎オリオンズ、産経アトムズ(いずれも当時のチーム名)に入団した。
何かの巡り合わせかもしれないが、多摩高野球部在籍の3年間で対戦した相手高校からプロ野球の世界へ進んだ選手は十指に余る。われわれ4期が野球部に入部したときは15人を数え、大いに期待されたものだったが、最終的には主将の小島(稲田中)以下、伊藤(稲田中)、稲津(塚越中)、久保田(中原中)、雲井(富士見中)、佐々木(稲田中)、武(富士見中)、荒木(生田中)のわずか8人になっていた。
多摩高野球部時代の3年間、成績の上ではあまり自慢できる思い出はなかったが、野球を続けたことは今も自らのバックボーンとなっている。苦労を共にしたチームの仲間たちも同じ思いだと確信している。
神奈川県立多摩高校野球部 部史 (創部60周年記念事業)より転載



 
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