17期

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高校野球部後輩M君の人生大逆転 多摩高17期

【閑話休題:グラウンドを離れて】

◎高校野球部後輩M君の人生大逆転


筆者は高校時代、硬式野球部に所属し、ひたすら白球を追う毎日を送っていたが、卒業から40年以上がたつというのに、年に1、2回あるOB会に顔を出すと、昔の野球談義で盛り上がる。野球部OB会では古顔なので、上は年齢が一回り以上上までの先輩たち、下はこれも一回りくらい下の後輩たちまで、野球部時代のポジションや選手としての技量、本人の性格などが頭に入っているが、卒業以来ほぼ初めて、40年ぶりに再会したM君のその後の人生の足取りなどを本人から聞いて大いに驚いた。

野球部17期生のM君は学年が3年下なので、同じグラウンドで選手として一緒に練習したことはないが、打撃が得意で、大きな声を出す元気な外野手だったことをよく覚えている。

関東近県に住んでいるため、OB会の集まりに自然と足が遠のいてしまったようで、それで皆勤賞組の筆者とも会う機会がなかったのだが、風の便りで、社会に出てから弁護士として活躍していたことは知っていた。

難関の司法試験を突破するほどだから、さぞかし高校やその後の大学での成績も優秀だったのだろうと思い込んでいたら、本人から意外な素顔を聞き、二度びっくりした。何でも、高校1年1学期の学業成績は入部早々の野球部の練習が厳しかったこともあるのだろうが、クラス45人中45番目、本人より一つ上の44番目が野球部チームメートのO君(ちなみに現在、県立高校の世界史の教諭で野球部指導者)ということで、歴代の野球部員でもここまで成績が芳しくないのは珍しい。

だからといって、M君が高校時代に猛勉強したということはなく、野球優先の生活が続いた。彼を知る野球部の後輩たちは、M君らの同期の連中は野球の練習が終わると、着替えもせずにカビ臭い部室で花札に興じ、帰宅を急ぎたい後輩部員を大いに悩ませたそうだ。花札のエピソードは初めて聞いたが、ともあれ、よく言えば豪放磊落、悪く言えば野球の練習以外は自堕落な高校生活だったことがうかがえる。

そのM君は大学に入ってからもアルバイト中心の生活で、勉強は二の次、三の次だったそうだが、司法試験の勉強を本格的に始めたのは大学卒業後。そして8回の挑戦の末、30歳を過ぎて念願の合格を手にしたのだった。大学卒業後、すぐに結婚したので、生活の糧を得る手段として司法試験を目指したというのも、少し変わり者のM君らしい。もう少し堅実な社会人生活もあったろうに。

で、これまでなぜOB会の集まりに長く顔を見せなかったのか尋ねたところ、息子さんたちの少年野球の指導者として週末は時間をとられたことなどを説明し、長年の無沙汰をわびていた。やる気だけを持っていれば、人生はどう転ぶか分からない。高校時代、人一倍元気だったM君は、酔った先輩、後輩らの昔話に耳を傾ける謙虚な中年になっていた。(T・I)

 
神奈川県立多摩高校野球部 部史 (創部60周年記念事業)より転載




 

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