24期

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テツと監督  多摩高24期

2014年08月27日

テツと監督


「バーカ、心配するな、俺が車で連れて行くから」

昼は監督、夜はマスターと自分の忙しさは棚にあげ、多くの教え子の一人のため田中監督は平然と言い切った。
2007年44歳の冬、テツ(24期・瀬尾鉄二)から難病を打ち明けられた夜、絶望して監督のスナック・ナインに逃げ込んだ。
全身の筋肉が萎縮し動かなくなる、原因不明の不治の病「ALS」。助かる見込みはない。
治験のため相模原まで通院しなければならないが、すぐにテツ一人では行けなくなると話した時のことだった。
演歌の流れる騒がしい店内で顔を近づけて言われた。
「バーカ、お前がしっかりしなくてどーする」
怒られたのは、あの秋以来のことか…。


1980年高校2年の夏、新チームの初練習に新監督がやってきた。
斜めのサングラスに突き出たお腹。グラウンドに一礼した時、見えた頭に髪の毛はほとんどない。
18期松本監督から17期太田監督、1年毎に代わった若手監督に比べ、明らかに3期田中輝夫監督は年季が入っていた。

初日のノックで、ライトのテツが大暴投。
「しっかり投げろ、バーカ!」
ホームへ呼ばれ、ノックバットで何度も腹を小突かれる。
(こりゃ、えらい監督にあたっちまった…)
嫌でも気を入れてボールを追った。

関東大会をかけた秋の準決勝、日大藤沢に大差で負けた時、一番悔しがっていたのは監督だった。
ベスト4である程度満足している俺達に、全身を震わせ怒鳴りまくった。
「お前ら悔しくねーのか、負けるにも負け方があるだろ、バカ野郎!」
…この人は本気で甲子園を狙ってる。
驚きながらも、頼もしく思った。

中学時代はハンドボールでならしたテツを「3年間続ければ必ずレギュラーになれる」と強引に野球部に引き入れた。しかし、同期が16名も残りレギュラーどころか3年夏にベンチ入りするのがやっと。
素振りやティーをさんざんやって手はマメだらけになったものの、テツは公式戦に出ることなく野球を終えた。
それでも、後悔の言葉は聞いたことはない。

田中監督引退の2008年夏、もう歩けなくなったテツを同期で背負い等々力まで応援に行った。
試合前、応援席への挨拶で監督は誰かを探していた。テツを見つけると安心したようにニヤッと笑い俺にうなづく。
最後になるかもしれない大事な試合なのに、真っ先にテツを気遣う…。
監督の教えは胸に深く刻み込まれた。


…今はもう、テツも監督もいない。
なぁ、テツ、野球やって良かっただろ。
俺達と、そして監督と、野球ができて良かっただろ。
でも、どうせそっちでも怒鳴られてるんだろうな。

「テ~ツ、バーカ、しっかり投げろ!」

24期・矢島 徹



 

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