17期
17期
2023年2月7日
50年後も記憶鮮烈な2年先輩15期チーム =強豪に善戦、中身濃い4カ月の野球部生活=
■県立多摩高野球部部史「補遺」 2023年1月31日入稿
50年後も記憶鮮烈な2年先輩15期チーム
=強豪に善戦、中身濃い4カ月の野球部生活=
2022年(令和4年)9月下旬に母校に近い南武線・宿河原駅前 の居酒屋で県立多摩高野球部OB会のシニア会(60歳以上がメン バー)の集まりに初めて参加し、その席で5年前に編集・ 刊行された野球部の部史(冊子)を14期の伊藤先輩から受け取り 、昭和30年代初めの野球部草創期から20期までの野球部の活動 を詳しく知ることができました。生田中学出身の私(太田)は19 72年(昭和47年)入学の17期チームのメンバーですが、 部史にはたまたま、自分が高校1年生のときに一緒に白球を追った 2年先輩の15期チームの戦績などについて詳しい記述がなかった もので、高校入学後のわずか4カ月の一緒の部活動ながら、それか ら50年以上たった現在も当時のことを鮮烈に記憶しており、15 期の先輩方の素晴らしい活躍ぶりなどを知っていただきたく、ペン を執った次第です。
1971年(昭和46年)秋から72年(昭和47年)夏までの1 5期チームの3年生部員(佐藤泰年=生田中、峰野謙次=稲田中、 山根康生=稲田中、中川孝=今井中の諸先輩)とはわずか4カ月の 野球部生活だったのですが、私にとっては5年以上に思えるほど中 身の濃い数カ月でした。
佐藤さん、山根さんの厳しい叱責、峰野さんの天才的な二刀流、中 川さんの穏やかさ。50年たった今でも、諸先輩のことは脳裡から 離れません。
15期チームの先輩方は夏の県大会初戦(1972年7月19日) で、再興してきたY校(横浜商業)に1対4で敗れたためか、多く を語られませんが、私は言わずにおれません。
まず、前年秋の県大会2回戦では、その夏の甲子園大会で全国制覇 を遂げていた奇本(旧姓)監督率いる桐蔭学園を相手に延長14回 を戦い、4対5の惜敗。
翌年春の県大会では、1回戦で県立秦野高校を4対1(1安打完投 )、2回戦で逗子開成を3対1でそれぞれ下し、3回戦では浅野高 校に0対4で敗れましたが、ベスト16で夏の県大会組み合わせで 第3シードとなりました。野球部員が十数人と少なく、入部して1 カ月にも満たない2人の1年生をレギュラーに使ってのシード権獲 得です。
6月の川崎市長杯でも準決勝で強豪の法政二高を相手に8回2死ま で0対1の善戦でした。2死1・3塁で相手チームの8番打者に本 塁打を浴び、力尽きましたが、0対4でベスト4です。ちなみに、 この年(1972年)夏の神奈川大会の優勝校は東海大相模でした が、準決勝では法政二高に9回2死(しかも無走者)まで2対6で 負けていた。最終的にはそこから5点を入れて延長11回に7対6 と奇跡の逆転勝利。法政二高が神奈川代表として甲子園へ行っても おかしくなかった大会でした。
そして、夏の県大会決勝の相手は何と、春の県大会で峰野さんがエ ースの多摩高に敗れた秦野高校。無シードから勝ち進み、準々決勝 では前年全国覇者の桐蔭学園を8対4で破るなど、快進撃を続け、 マスコミでも秦野旋風と称えられた。最後は東海大相模を相手に0 対5で敗れたが、地元高校の活躍ぶりに秦野市内はお祭り騒ぎとな った。
神奈川の高校球界ではこの年、木田勇投手(横浜一商→日本ハム) 、田代富雄内野手(藤沢商→大洋)が活躍した。その当時から50 年以上が経過した今でも、これらの記憶は鮮明です。
また、私が2年生だったときの1年先輩に当たる16期の先輩方に はいつも優しく励ましていただきました。斎藤秋英、山下博之、平 田伸一、最強マネージャーの澤田みち子、中山悦子の5人ですが、 三塁手・斎藤さん、二塁手・山下さんとは同じ内野手( 太田は一塁手)だったこともあり、痛みを理解してくださったよう に私は思っています。
斎藤さんが主将の16期チームで一番印象に残っている試合は、1 973年(昭和48年)春の川崎地区予選での対県立川崎高戦です 。5回表の攻撃を終えて11対1の大量リード。しかし、その裏に 5点を返され、8回と9回にも3点を失い、11対12のサヨナラ 負け。このような負け方をすると、チームがどのようなことになる か、OBの皆さんなら想像できると思います。
(筆者は多摩高を卒業後に学習院大に進学し、同大野球部で活躍。 大学卒業後は神奈川県立高校の世界史教諭の傍ら、県下の高校で野 球部監督として長年にわたり生徒を指導した)
50年後も記憶鮮烈な2年先輩15期チーム
=強豪に善戦、中身濃い4カ月の野球部生活=
(多摩高野球部17期 太田伸彦)
2022年(令和4年)9月下旬に母校に近い南武線・宿河原駅前
1971年(昭和46年)秋から72年(昭和47年)夏までの1
佐藤さん、山根さんの厳しい叱責、峰野さんの天才的な二刀流、中
15期チームの先輩方は夏の県大会初戦(1972年7月19日)
まず、前年秋の県大会2回戦では、その夏の甲子園大会で全国制覇
翌年春の県大会では、1回戦で県立秦野高校を4対1(1安打完投
6月の川崎市長杯でも準決勝で強豪の法政二高を相手に8回2死ま
そして、夏の県大会決勝の相手は何と、春の県大会で峰野さんがエ
神奈川の高校球界ではこの年、木田勇投手(横浜一商→日本ハム)
また、私が2年生だったときの1年先輩に当たる16期の先輩方に
斎藤さんが主将の16期チームで一番印象に残っている試合は、1
(筆者は多摩高を卒業後に学習院大に進学し、同大野球部で活躍。
コメント 2 件
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2023 年 2 月 9 日 at 10:19 PM
や~、太田君お元気」ですか?同期の川松です。あなたの試合は全部観戦しました。名年ぶりかで宿河原の茶店で、須山君〈故人)とあなたの可愛いお子ちゃまで呑んだのが2度目の出会いでしたよ。お子様はとても優秀でたぶん、奥様に似たのでしょうか(笑)、あなたがガクシュに進学したのは、岩本先生はもちろん、わたしも驚きでした。多摩野球部の歴史詳しく知らせていただきありがとうございました。今では高橋雅人だけが唯一付き合っているだけで、他の野球部メンバの名前がでてきたときは改めて感激いたしました。みなさん元気なのでしょうか、中野君が現役で頑張っていることは知っています。20年くらい前に会いました。前田君は早く奥様を亡くされ驚きました。直井君は5年前に会っています。変わりませんでした。ガクシュの野球部ならば、どこの総合商社も引き合いがあるのに、あえて教員になり、野球部の顧問を目指していたなんて相当に高校野球を愛していたのですね。現在はどうされているのでしょうか。お返事いただけたら嬉しいです。私は身体を壊して長く患っております。健康で長生きとはよく言ったものですね!あのお子様は立派な成人になりましたか?お孫さんは?
2023 年 2 月 10 日 at 4:19 PM
17期の川松さん、同期の太田君の2年先輩チームの思い出の記に対するコメントをありがとうございました。太田君から年明けに突然、原稿執筆の申し出が私にあり、編集のサポートをした次第ですが、このような反響があるのは担当者としてうれしいものです。
早速、貴兄のコメントを見て、太田君に連絡するように携帯で伝えました。先週末にOB会の新年会が登戸であり、中野OB会長を盛りたてようと、17期の連中が全員集合してくれました。取り急ぎのお礼まで。弁護士になった三輪君の「人生大逆転」が部史のコラムにありますので、ご笑覧ください。闘病生活は大変でしょうが、穏やかな毎日であることを祈っております。