15期

秋の県大会、延長14回の死闘 15期 =甲子園全国優勝の桐蔭学園に惜敗=


秋の県大会、延長14回の死闘
=甲子園全国優勝の桐蔭学園に惜敗=
(多摩高野球部15期チーム投手 峰野謙次)

1970年(昭和45年)、稲田中学3年の卒業式前に届いた手紙。それは当時の多摩高野球部・岸裕一監督(10期OB)からのものでした。母校の中学から程近い多摩高への入学も決まり、3月10日の卒業式を控えていた時期、野球部に入部する意思があるのであれば、「3月11日から練習に是非参加するように」といった内容でした。硬式野球部の監督から直筆の手紙をもらったという嬉しさから、私は迷いもせず練習に参加することにしました

同じ志を持った(中学野球経験者の)同期が5人いました。後で分かったことですが、野球部にはその時点で3年生、2年生の部員が6人しかいなかったので、新1年生が3人、春の市内地区予選の試合に出場しないと、チームができなかったのです。そんなわけで、4月の高校入学式も終わっていない私たちは、(正確には中学生ながら)高校野球部チームのレギュラーとして春の川崎地区予選に出場しました。
    
高校に入学してからは1年生部員の入退部があり、その年の夏の県大会前、1年生は5人でした。1年生ですから、早朝のグラウンド整備や道具の整備・準備、そして全員がレギュラーと同じメニューをこなさないといけない状況でした。多摩高生になったばかりというのに、肉体的にも精神的にも辛い毎日でした。

本当は触れたくないものの、避けて通れない出来事なので書きますが、そんな1年生部員全員で話し合い、夏の県大会を最後に退部することを決めたのです。最後ですから、13期の小黒誠二主将率いるチームにとって集大成の場となる夏の県大会は一生懸命プレーしました。そして、夏の県大会4回戦で強豪の横浜市立南高校に敗れた翌日に、5人全員で退部届を提出したのです。

その後、岸監督、14期の新チームの伊藤主将との話し合いがあり、その結果、2人が辞め、3人が残ることになりました。佐藤泰年、山根康生、私・峰野謙次の3人です。そして、8月に入り、伊藤主将を加えた4人での練習が始まるかと思われた日、佐藤が盲腸になり入院・手術で戦線離脱し、伊藤主将、山根、峰野の3人の練習となりました。その後の部員不足に見舞われ通しだった1年間については、部史の14期チーム紹介文にありますので、省略します。
    
私たち15期が最上級生となった1971年(昭和46年)8月。2年生の佐藤、山根、峰野、1年生の富永、斎藤、平田、山下の部員7人での始動となりました。秋の川崎地区予選では、一度退部した2年生の中川、帰宅部の大久保、落語研究会の小飼、バレー部の松本の4人に助っ人で来てもらい、どうにか試合ができることになりました。そして、何と川崎地区予選A組トップ通過で県大会に出場できました。

秋の県大会では、その直前のこの年の夏の甲子園初出場・初優勝の快挙を成し遂げた桐蔭学園と2回戦で当たることになったのです。これからは私の正直な思いを書きますが、桐蔭との対戦をチャンスだと思いました。自分たちの実力を測ることができると思ったのと、万が一勝ったりしたら、注目されると思ったからです。

桐蔭との試合は一進一退で9回まで進み、延長戦となりました。試合は延長14回までいきましたが、結果は4対5で惜敗。マウンドにいた私は、桐蔭学園だって同じ高校生、絶対に逃げずにピッチングをしようと決め、インコーナー(内角)の高めを決め球にして配球をしていきました。強気のピッチングが良かったのでしょう、フライをどんどん上げてくれて助かりました。ゴロとなると、守備が心配だったのです。

この試合では一度、絶体絶命のピンチが訪れ、2アウト1塁・3塁でバッターは甲子園大会で活躍していた4番打者の高橋。ベンチの稲垣謙治監督からは敬遠の指示。しかし、どうしても勝負したかったので、キャッチャーの山根を呼んで勝負しようと提案、山根も一つ返事で勝負OK。そして、見事に最後はインサイド高めのストレートでセカンドフライに打ち取りました。ベンチに帰って、稲垣監督に叱られましたが、そんなのはへっちゃらで、嬉しさの方が大きかったのを今でも覚えています。試合には負けましたが、大きな自信となりました。15期チームで一番印象に残っている試合です。
    
最後に、3年生のときのチームの選手を紹介します。
1番中堅手・佐藤(3年)、2番サード・斎藤(2年)、3番捕手・山根(3年)、4番投手・峰野(3年)、5番ショート・中野(1年)、6番左翼手・中川(3年)、7番右翼手・富永(2年)、8番セカンド・山下(2年)、9番ファースト・太田(1年)
控え選手=平田(2年)、三輪(1年)、高桑(1年)、高橋(1年)、前田(1年)、直井(1年)
マネージャー=大池(3年)、工藤(3年)、澤田(2年)

(筆者は多摩高卒業後、国学院大学に進学し、学生時代に野球部19期チームのOB監督として同チームを1976年=昭和51年=の夏の神奈川大会で多摩高初のベスト4に導いた)

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15期チームの戦績と陣容 多摩高15期

◇15期チームの戦績と陣容

昭和46年(1971年)秋の県大会

1回戦 多摩4対桐蔭学園5 延長14回

昭和47年(1972年)春の県大会

1回戦 多摩3対希望ケ丘2
2回戦 多摩5対鶴見工4 逆転サヨナラ
3回戦 多摩0対武相9

昭和47年(1972年)夏の県大会

2回戦 多摩1対横浜商4


メンバー 主将 佐藤泰年

1番センター佐藤泰年(生田中) 2番サード齋藤秋英(今井中) 3番キャッチャー山根康生(稲田中) 4番ピッチャー峰野謙次(稲田中) 5番ショート中野宏勝(南加瀬中) 6番レフト中川孝(今井中) 7番ライト富永淳一(宮内中) 8番ファースト太田伸彦(生田中) 9番セカンド山下博之(岡山操山高校から転校) 代打要員・三輪和夫(生田中)

神奈川県立多摩高校野球部 部史 (創部60周年記念事業)より転載



 
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