57期

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公立高校で甲子園を目指す! 57期 清原聖也


野球部57期主将 清原氏


多摩高時代は1年夏からメンバー入り。3年時は主将、三塁手、4番として牽引。
学習院大学時代は、2年の春リーグレギュラーとして試合出場。
その後、椎間板ヘルニアが悪化し3年時から学生コーチへ転身。三菱ufjモルガン・スタンレー証券で勤務。


公立高校で甲子園を目指す! -多摩高を選んだ理由

姉が多摩高の卒業生ということで小さい頃から多摩高を意識していた。
私立高校への進学よりも、勉強をする環境が整っている公立高校で甲子園を目指したいと思い多摩高を選んだ。
結果は夏の大会同じ川崎の橘高校に、3-2、10回サヨナラ負けで1回戦敗退。


多摩高野球部同期の仲間に対して

マネージャー3人を含め23人で3年間を過ごしました。
当時はぶつかることも多い同期でしたが、今では半年に1度程度みんなで飲み会をするほど大切な、かけがえのない仲間です。

受験勉強について

受験の志望校は一般入学でも野球部に入部できる大学だけを受験しました。
大学で硬式野球を続けるつもりは元々ありませんでしたが夏の大会での敗戦きっかけに、その悔しさから野球を続けることを決意しました。
受験戦略、勉強法共に効率を重視しました。具体的には受験校を3校にしぼり、塾では講義をとらずに基本的に独学で勉強しました。
その結果、縁のあった学習院大学へ現役進学することとなりました。

行事の盛んな多摩高での行事との関わり方

正直、私は野球をメインに考えていたため、怪我をしないようにだとか練習時間への支障がないよう範囲で行事へ参加するようにしていました。
そんな中でも多摩高の行事は魅力的で一生の思い出になっています

学習院硬式野球部での経験

部員も100人以上、そして強豪私立出身のメンバーが多くいる環境で野球を続けたことで、自分の置かれている状況をよく把握して、その中で生きていくことを学ぶことができました。
高校では4番を打っていても大学の野球部では下位打線であったため、今まで苦手であった守備を猛練習して守備でアピールをするように自分を変えました。
そして、怪我をして選手として復帰の見込みが立たなくなった時も、試合に出ていた経験とベンチ外にいた経験をしたのは私しかいないため、その二つの経験を伝えることができればチームに貢献できると思い自ら学生コーチを申し出ました。

この自分の置かれた環境の中で役割を自ら見つけて全うする力は紛れもなく学習院硬式野球部で得た力であり、社会人となった今でも活きています。


57期の手記は こちら をご覧ください。

多摩高校野球部ありがとう 57期主将 清原聖也

本当にありがとうございました 57期投手 大江康太

「初打席そして最終打席」 57期 瀬尾真矢

これからも応援よろしくお願いいたします 57期 日高朋紀

一生の誇りになる 57期マネージャー 五十嵐りん

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