OB・OG会

秋県大会初戦 多摩高59期

県大会初戦


今日は県大会の初戦で、横浜市立緑ヶ丘高校と対戦したのですが、勝利することができました!
応援ありがとうございました。
次の対戦相手は桜丘高校です。日程は後ほどお知らせ致しますので、また応援宜しくお願いします。


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秋季地区大会 多摩高59期

秋大初戦


秋大初戦、無事勝利することが出来ました!
明日も10時から高津高校との試合がありますので、応援宜しくお願い致します。​



今日の対高津戦も、無事勝利することが出来ました。次の試合は8/25の、対麻生総合高校戦です。応援宜しくお願いします。




 

麻生総合戦も勝利することができ、県大会出場が決定しました。これからも応援宜しくお願いいたします。




 

秋季大会のお知らせ



秋大会の日程が決定しました。

①8月22日(土)対 麻生高校
②8月23日(日)対 高津高校
③8月25日(火)対麻生総合
いずれも等々力球場10時開始。
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OB野球大会  

2015年07月25日

OB野球 全員写真





 
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春季地区大会 多摩高58期

2015年03月26日

春大初戦!


野球部マネージャーの中村です。
本日多摩高校にて春季地区大会の初戦、法政大学第二高等学校との試合を行いました。
結果は15対3の七回のコールドで負けてしましました。
この悔しさをバネに、29日の川崎北戦に勝利し県大会への切符を手にしたいと思います。
引き続き応援よろしくお願い致します。

 

春季地区大会

野球部マネージャーの中村です。春大会初日が、いよいよ明日となりましたが、日程が変わりましたのでお知らせします。
麻生総合が出場を辞退したため、
26木 多摩vs法政ニ
28土 法政ニvs川崎北
29日 多摩vs川崎北
全て十時からとなります。
今日も緊張感のある練習をすることができ、勝つためにできることは全てしてきたとおもいます。
明日は全員が心を一つに勝利を手にしたいと思いますので、応援よろしくお願いいたします。
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野球部マネージャーの「気苦労」と「心意気」―16期

神奈川県立多摩高校野球部部史「補遺」
野球部マネージャーの「気苦労」と「心意気」―16期
(澤田みち子)


 県立多摩高野球部16期マネージャーは中山悦子、澤田みち子の2名で、高校に在学していた1970年代初めのころ、サッカーブームの影響で部員は少なかった(部史に掲載の16期チーム主将・齊藤秋英氏の文章に詳しい)。まだ「女子マネ」という言葉のハシリであったし、部に対して「どのような立場で、何をやるか」が課題であった。ただ男子選手の周りでキャーキャーやるような真似だけはしたくなかった。

◇予算問題
 公立高校の部活動にかける予算は少ない。当時は野球部だけが10万円を超える予算が通っているということで、他の部からクレームがあった。しかし、野球部がぜいたくをしているわけではない。金属バットが許可になったばかりの時代、木製バットは3000円~4000円で買えるが、金属バットは1万2000円ほどしていたと思う。試合中にバットが折れると(木製バットはジャストミートしないとよく折れた)、反射的に頭の中で予算残高を計算したものだ。ボール、キャッチャーのプロテクター一式、ミット類、ノックバット、ヘルメット等々、学校から頂ける予算ではとても賄えなかった。他の学校から「お古」のキャッチャーミットやファーストミット、ティーバッティング用の古いボールなどを頂くために歩き回り、修繕して使ったこともあった。
 筆者(澤田)の家が世間で言うところの「土建屋」だったので、オフシーズンには17期と18期の有志を募り、肉体労働のアルバイトをやってもらう代わりに、親が野球部に寄付をするということもやった。これは野球部員のアルバイト代と食事代(大食漢ばかりだった)が大赤字となり、親にはかなり散財させることとなった。
 職員室で稲垣謙治先生(長期にわたり野球部の部長・顧問などを歴任)と話すことはほとんどが金のやりくりであった。部員からは月100円の部費を徴収し、レモンやお茶を買っていた。ロージンバックのような小物は部費から出していた。それも公費との兼ね合いでやりくりし、領収書は「・・・」と、稲垣先生とは「密談」が多かったと思う。

◇部員問題
 選手も勧誘に大変だったと思うが、マネージャーもサッカー部に負けないで部員を増やすための広報活動を必死に行った。サッカー部のポスターに「サッカー部に入らない人は野球部に入ろう」と書いた思い出がある。16期は途中でキャプテンが退部するというアクシデントがあった。顧問や部員とは別に、キャプテンの家に行き、遅い時間まで話し合ったが残留を説得することができなかった。3年間では最も残念な出来事であった。

◇試合でのポジション
 当時はまだ女子マネは甲子園大会の県予選のベンチ入りはできなかったが、練習試合をはじめ、市大会や県予選はベンチ入りした。相手の監督のサインを盗む、アピールプレーのチャンスを見逃さない、監督にボールカウント、アウトカウント、ピッチャーの投球数などを随時伝えるなど、常に気遣いはしていたと思う。そのためにルールブックは隅々まで読んでおいた。ミーティングの時に稲垣先生にルールの問題を出され、「答えられるのはマネージャーだけか!」とおっしゃって頂いたことはうれしい思い出として残っている。

◇やんちゃな後輩たち
 同期の16期の部員は皆、どこか冷めたところがあったように思う。今でこそ16期部員と飲み会なども催すが、当時はマネージャーともどこか距離を置いているように思えた。それに比べ、16期と17期はやんちゃで甘ったれだったように思う。差し入れの食べ物にはすぐ飛びついたし、ユニホームの繕いや、洗濯なども遠慮なくというか、屈託なく依頼してきた。それも憎めない態度で、ついやってあげたくなってしまうメンバーがそろっていた。先輩に対しては生意気だったようで、大先輩ともトラブルがあったと聞いている。16期が先輩と後輩の間で苦労したことと思う。今思えば、16期キャプテンの齊藤氏がすべてのみ込んで、ことを丸く収めていたのであろう。後で聞いた話だが、マネージャーのベンチ入りを頼みこんでくれたのも17期だったという。

◇振り返って
 「女子マネージャー」という言葉に抱くイメージは人それぞれであると思う。私たちはあの頃、「実質のマネージメント」に関わろうと、必死だった。3年生の夏、甲子園大会の県予選の終わりと共に、自分の青春がガラガラと音を立てて崩れていく気がした。数日は抜け殻のようになって、受験勉強どころではなかった。それほど野球に没頭した青春だった。この年になると「青いなあ」と思うし、なんであんなに必死になれたのだろうと不思議にも思う。そういうものを「青春」というのだろう。今、都立高校で教職に就き、なぜか軟式野球部の顧問をやり、仕方なく部長としてベンチ入りしたこともある。でも、高校生の選手やマネージャーと青春を共有することなどもちろんできない。若さを羨むというか、若さに嫉妬することしきりである。

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早慶戦観戦  多摩高58期



昨日は、六大学野球の早慶戦を観戦してきました。
大学のレベルの高い野球を目の前でみることができ、とてもよい勉強をさせて頂きました。
チーム一同、OB会の方々に感謝しております。ありがとうございました。
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OB会ゴルフコンペ

2014年09月01日

OB会ゴルフコンペ


先週、8月31日(土)に戸塚カントリー倶楽部 東コースにて、
2014年度多摩高野球部OB会コンペが開催されました。
今回は参加者11名と、例年より少なくちょっと寂しいところでしたが、
当日未明に降った強い雨もあがり、8月にしては涼しい気候で、例年の酷暑もなく、
皆様快適にゴルフラウンドを楽しみました。
例年、地元に近いゴルフ場で開催しておりますので、年々参加者を増やしてまいりたいと思っております。今年も昨年に続いて39期の若い二人が参加してくださいました。
来年もよろしくお願いいたします。
今回のスナップ写真を添付します。
(幹事:30期中尾)



 
 
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テツと監督  多摩高24期

2014年08月27日

テツと監督


「バーカ、心配するな、俺が車で連れて行くから」

昼は監督、夜はマスターと自分の忙しさは棚にあげ、多くの教え子の一人のため田中監督は平然と言い切った。
2007年44歳の冬、テツ(24期・瀬尾鉄二)から難病を打ち明けられた夜、絶望して監督のスナック・ナインに逃げ込んだ。
全身の筋肉が萎縮し動かなくなる、原因不明の不治の病「ALS」。助かる見込みはない。
治験のため相模原まで通院しなければならないが、すぐにテツ一人では行けなくなると話した時のことだった。
演歌の流れる騒がしい店内で顔を近づけて言われた。
「バーカ、お前がしっかりしなくてどーする」
怒られたのは、あの秋以来のことか…。


1980年高校2年の夏、新チームの初練習に新監督がやってきた。
斜めのサングラスに突き出たお腹。グラウンドに一礼した時、見えた頭に髪の毛はほとんどない。
18期松本監督から17期太田監督、1年毎に代わった若手監督に比べ、明らかに3期田中輝夫監督は年季が入っていた。

初日のノックで、ライトのテツが大暴投。
「しっかり投げろ、バーカ!」
ホームへ呼ばれ、ノックバットで何度も腹を小突かれる。
(こりゃ、えらい監督にあたっちまった…)
嫌でも気を入れてボールを追った。

関東大会をかけた秋の準決勝、日大藤沢に大差で負けた時、一番悔しがっていたのは監督だった。
ベスト4である程度満足している俺達に、全身を震わせ怒鳴りまくった。
「お前ら悔しくねーのか、負けるにも負け方があるだろ、バカ野郎!」
…この人は本気で甲子園を狙ってる。
驚きながらも、頼もしく思った。

中学時代はハンドボールでならしたテツを「3年間続ければ必ずレギュラーになれる」と強引に野球部に引き入れた。しかし、同期が16名も残りレギュラーどころか3年夏にベンチ入りするのがやっと。
素振りやティーをさんざんやって手はマメだらけになったものの、テツは公式戦に出ることなく野球を終えた。
それでも、後悔の言葉は聞いたことはない。

田中監督引退の2008年夏、もう歩けなくなったテツを同期で背負い等々力まで応援に行った。
試合前、応援席への挨拶で監督は誰かを探していた。テツを見つけると安心したようにニヤッと笑い俺にうなづく。
最後になるかもしれない大事な試合なのに、真っ先にテツを気遣う…。
監督の教えは胸に深く刻み込まれた。


…今はもう、テツも監督もいない。
なぁ、テツ、野球やって良かっただろ。
俺達と、そして監督と、野球ができて良かっただろ。
でも、どうせそっちでも怒鳴られてるんだろうな。

「テ~ツ、バーカ、しっかり投げろ!」

24期・矢島 徹



 
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本当にありがとうございました 57期投手 大江康太

(2014.7.13)

57期投手 大江康太


去年の7月14日56thの先輩が引退した。五回の裏、日大高校の五番打者に外のスライダーをセンターに運ばれ、56thの先輩の夏を自分が終わらせてしまいました。

そしてとうとう自分達の代になった。夏大のマウンドを経験した自分がチームを引っ張っていけない中、秋の大会では初回に試合を壊してしまいました。そんな自分が情けなくて、チームに申し訳なくて、どうすればいいかわからなくなりました。
それからも試合をぶっ壊して、チームの雰囲気を悪くしてしまうことが多々ありました。そんな時でもチームのみんなは時に厳しく、時に優しく、常に自分が良くなるように接してくれました。
特に自分がダメな時に投げてくれた投手陣、たまに文句を言いながらも練習をいつも一緒にやってくれたキャッチャー陣をはじめとした57th23人。感謝してもしきれません。
そんなみんなとだから冬のキツいトレーニングも朝の自主練習も意欲的に取り組むことができました。そのおかげで夏大で自分は多摩高校のエースとして、ほんの少しだけどこの野球部に何かを残せたのかなと思います。

後輩へ夏大前、自分の練習を我慢してサポートをしてくれてありがとう。自分達57th23人のチームは橘高校に気持ちや体力の部分ではなく技術の部分で負けました。自分達に足りなかったのは技術です。そこから決して逃げないでください。そこから逃げず、意識を高く、自分の限界以上に練習を重ねてください。

最後に先生方やコーチ、保護者の方々、多摩高のみんな、OBやOGなど自分らを支えていただきありがとうございました。結果という形で恩返しできず本当にごめんなさい。この恩は今度はOBとしてこれから少しずつ返していこうと思います。これからも多摩高校野球部の応援をよろしくお願いします。

本当にありがとうございました!

57th大江康太
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田中輝夫監督と歩んだ日々 多摩高25期

田中輝夫監督と歩んだ日々

 

「お前、声でかいなあ。名前、なんだっけ?」

「山崎です」

「おっ、山崎。今日からキャッチャーやれ」

 1980年、1年生の夏。新チームの監督に就いて間もない田中輝夫さんから、練習中にそう指示された私は正直面食らった。中学時代から一塁しか守ったことがない。しかもキャッチャーをやらせる理由は「声が一番でかいから」。

 新監督については、「多摩高、国学院大時代を通じて名内野手として鳴らしたすごい人」ということを聞いていた。そんな田中さんが「やれ」と言うのだから、「俺にもできるのかな」。すっかり勘違いしてしまった。

 一つ上の24期は斎藤睦さん、平田稔さんとピッチャーが良かった。だから当初は私でも何とかつとまっているように感じていた。しかし肝心なところでボロが出た。

 10月5日、春の甲子園につながる関東大会出場がかかった秋の県大会準決勝・日大藤沢戦。先発でマスクをかぶった私は7回までに計7盗塁を許し、4―15で大敗する主因となった。一塁に出ると、相手はほとんど二盗を試みた。100%走ると分かっていても、私は一人も刺すことができなかった。「このキャッチ、フリーパスよ~」。日藤の応援席からはそんなヤジが飛んでいた。

 試合終了後、保土谷球場の三塁側ロッカールーム。「同じ負けるにも、負け方ってのがあるだろ」。語り草になっている監督の一喝のかなりの部分は、私に向けられていたのだろう。普段は大声で怒ったりしない監督の言葉は今も耳に響いている。

汗っかきの私は、すぐにユニフォームが泥だらけになった。プレーはとても自慢できるものではなかったが、グラウンドで声だけは人一倍出していたと思う。そんな、鈍くさい私に監督は目をかけてくれた。年が明けて、春の県大会、川崎市長杯と出番はなかったが、夏の大会では再び先発で起用してくれたのだ。

 ところがまた大事な試合で期待を裏切ってしまう。

 81年7月24日、川崎球場で行われた4回戦の相手は、先日亡くなった原貢氏の監督復帰で注目された東海大相模。

 0―0で迎えた2回表、同期の5番・原智宏と24期の6番・千石立樹さんのヒットでつくった2死1、2塁の先制のチャンスが、8番の私に回ってきた。マウンドにはカーブが得意の左腕、石井投手。直球とカーブであっという間に2ナッシングに追い込まれた。3球目もカーブとヤマを張り、1、2の3で振ってやれと思っていたら、来たのはど真ん中の直球。まったく手が出ず、一度もバットを振ることなく三球三振に倒れた。

 その裏、2点を先行され、試合は終始相手のペースで進行。1―4で敗れた。

 「果てしも知らぬ平原に…」。一塁側ベンチ前で、小学校時代よく口ずさんだ相手校の校歌を聞いた。試合の主導権を握る絶好機に、打席で文字通り棒立ちだった私。使ってくれた監督、けがで控えに回りながらも強力なリーダーシップでチームを引っ張っていた主将の岩本雄一さん、3年生のみなさんに、お詫びのしようもなかった。

  

 当時、監督は一年交代が慣例だった。だから私たち25期も、引き続き田中監督に指揮を執っていただけると知った時は、「今度こそは」の思いが強かった。

 同期は左腕投手・青山博之、遊撃手で後に中堅に回った原、二塁手・園田年彦、三塁手・松井健司、左翼手・平井一也、右翼手・岩田貴、一塁に戻った主将の私、マネージャーの河崎正美さんの8人。

 26期の後輩たちに多彩な人材がそろっていたとはいえ、24期が去り戦力ダウンは明らか。田中監督は、ノックに多くの時間を割き守備を徹底的に鍛えてくれた。と同時に、足が早くセンスが光る右打ちの平井、松井をスイッチヒッターに。手持ちの戦力を最大限生かすにはどうすればいいか―常に考えておられた。

 秋、春の県大会はいずれも初戦で敗退。市長杯も3回戦止まり。それでも夏までに内野では園田、松井が目を見張る上達を見せた。外野も、中学時代はバレーボール部出身の岩田が、何とか任せられるレベルにまでになった。

 夏の大会を控えた、ある日の炎天下。あまりにノックの時間が長くなり、ばてた私たちのプレーが雑になってきたとみるや、怒った監督はノックバットを高く放り投げて、そのまま部室に引き上げてしまった。みんなに促された私が、おそるおそる部室まで謝りにいくと、すでに着替え終わってうまそうにタバコを吸っていた監督は何事もなかったかのように、「明日もまた頑張るぞ」。そんな監督のもとで、1試合でも多く戦いたかった。

そして82年7月18日、藤沢・八部球場。夏の初戦の相手は秦野だった。だが、チーム状態は最悪。エース青山は1カ月前に利き腕の左手中指をつき指して完治しないまま。平井も3週間ほど前に左肩を脱臼。松井は2日前に左目に打球を受けて負傷していた。

痛みをこらえ青山がマウンドに上がり、打っては3安打2打点の活躍を見せたものの、2―4で敗退。私たちの最後の夏は終わった。5番の私は4打数無安打。4番の青山がつくってくれたチャンスを、ことごとくつぶしてしまった。

「ここまでやるだけやったんだ。胸張って帰るぞ」。監督はそういって、うなだれていた私の尻をポンとたたいた。

2014年正月。24期の矢島徹さんから「野球部時代の思い出を書け」と連絡を受け、同期のマネージャー、河崎さんにスコアブックや新聞記事のコピーを送ってもらった。30数年前の記憶が鮮やかに蘇ってきてが、こみ上げてきたのは悔しさばかり。今年で50歳。いい年したオッサンが高校時代にタイムスリップしたように、数々の苦い思い出をかみしめている。

 2008年の12月14日、登戸の元海であった監督の引退祝賀会。久しぶりにお会いして昔話に花を咲かせていたとき、「なぜ私にキャッチャーをやらせたのですか」とあらためて尋ねたら、ニコッと笑って、「だってお前、一番、声がでかかったじゃねえか」。当時と変わらぬ田中監督がそこにいた。

「一つっつ、一つっつ、丁寧にいけ」。守りでも、打席でも、気ばかり焦っていた私は、監督からそう繰り返し注意された。現役時代、残念な思いばかりさせ、「大学でも野球をやります」という約束も破り、監督を裏切った。再会から間もない09年2月8日に監督は帰らぬ人となってしまった。もう恩返しをすることはできない。せめて、教えを守り、今ある人生を一歩、一歩、丁寧に歩いていこうと思い定めている。(了)

25期 山崎 健

多摩高野球部ブログより転載
 

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