OB・OG会
|OB・OG会|2020年12月31日更新
多摩高同窓会が配信している「オンデマンド同窓会総会(2020)」に野球部OBの山田大輔氏(39期)、三木豪氏(54期)が出演しています。
山田大輔氏(39期)は、多摩高同窓会副会長として、同窓会の報告事項(執行事業 決算報告 役員体制)の説明をしています。
三木豪氏(54期)は、同期の細谷さん(ミスユニバース2018 特別審査員賞受賞)と後半部分の校舎案内に出演しています。多摩高グランドのマウンドでは、ピッチングを披露?、野球部の思い出を語っています。ぜひ、ご視聴ください。
【神奈川県立多摩高校 オンデマンド総会】

山田氏(39期)は、多摩高1年生の職場見学(厚生労働省)にも尽力

三木豪氏(54期)は、同期の細谷さん(ミスユニバース2018特別審査員賞受賞)と校舎案内

多摩高のマウンドで往年のピッチングを披露?!野球部の思い出を語る三木氏
※なお、撮影は、11/7(土)、11/8(日)の2日間かけて行われており、現在、多摩高グラウンドは改修工事中で、来春終了予定です。
多摩高野球部応援ホームページも開設から、2年目に入り、入部希望者からご連絡が多数いただけるようになりました。今後も多摩高野球部の情報をお届けしていければと考えております。引き続きどうぞよろしくおねがいします。
山田大輔氏(39期)は、多摩高同窓会副会長として、同窓会の報告事項(執行事業 決算報告 役員体制)の説明をしています。
三木豪氏(54期)は、同期の細谷さん(ミスユニバース2018 特別審査員賞受賞)と後半部分の校舎案内に出演しています。多摩高グランドのマウンドでは、ピッチングを披露?、野球部の思い出を語っています。ぜひ、ご視聴ください。
撮影・編集 株式会社 FL Photo
【神奈川県立多摩高校 オンデマンド総会】
開催の挨拶(総合司会) | 0:00 |
新旧会長挨拶 | |
新会長(中野氏) | 44:00 |
旧会長(殿川氏) | 4:15:00 |
感謝状・記念品 | 7:44:00 |
校長挨拶 | 8:46:00 |
報告事項 執行事業 決算報告 役員体制 |
20:35:00 |
校舎案内 | 29:58:00 |

山田氏(39期)は、多摩高1年生の職場見学(厚生労働省)にも尽力

三木豪氏(54期)は、同期の細谷さん(ミスユニバース2018特別審査員賞受賞)と校舎案内

多摩高のマウンドで往年のピッチングを披露?!野球部の思い出を語る三木氏
※なお、撮影は、11/7(土)、11/8(日)の2日間かけて行われており、現在、多摩高グラウンドは改修工事中で、来春終了予定です。
多摩高野球部応援ホームページも開設から、2年目に入り、入部希望者からご連絡が多数いただけるようになりました。今後も多摩高野球部の情報をお届けしていければと考えております。引き続きどうぞよろしくおねがいします。
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|OB・OG会|2020年12月24日更新
グラウンド改修工事に伴うバックネット裏設備再設置の寄付金ですが、以下に状況の報告をいたします。寄付いただいた皆様の 後輩への想いに心より感謝いたします。
・目標:800,000円
・実績(11/30現在):1,545,000円(+745,
寄付対象の 「バックネット裏観客席と一塁側三塁側ベンチ」
+αの寄付金の使い道については、
寄付金については、来年3月末まで受付します。
以下、寄付いただいた方の氏名です。(11/30現在、
ワタナベヒロシ、ヤジママサアキ、ナカジマヒロキ、
ヤジマトオル、センゴクタツキ、サイトウアツシ、
ナカヤマアキラ、ヨシダトシロウ、イワモトユウイチ、
ジョウトシアキ、オカモトヨシオ、ナカザワシンヤ、
ヤマネヤスオ、ナカバヤシノブオ、モリタアキコ、
オオタカツミ、ミワカズオ、サトウヤストシ、ワカイイチロウ、
フクシマケイタ、ツノダヒロノブ、マツイケンジ、
スズキケン、チバユウタ、ムロナガアキ、ミクモヨシノリ、
シオザワマサキ、キクモトトシジ、ウツミケイゾウ、
モトヨシヒロユキ、シブエナオキ、ヤマグチ3、
モモハラヒロタカ、ヒライカズヤ、クラモトケンタロウ、
オノデラコウダイ、カワバタムサシ、タカハシノリユキ、
トミタショウジ、ナカノヒロカツ、コモリヤリョウ、
テラオヨウイチ、モリタシンゴ
稲垣隆祥 大谷正勝 小黒平二 三宮幸一 牧田喜一
玉井洋 三宮有治 鎌田清 猪瀬忠夫 伊藤努
山下博之 前田正弘 南保秀昭 松本憲一 得田儀生
遠藤忠義 大森正久 佐藤純夫 白石弘美 浜田昌利
松本果 小泉洋一 青山博之 前田勝也 山口勇
小林至 中尾元哉 岩澤有希 中野紗貴 小笠原郁典
原田修平 白石貴輝 久野敦也 畑中洸樹 武駿佑
工藤舜介 永井秀明 加藤貫太
取り急ぎ、目標金額に達成したこと、報告致します。
ご協力、ありがとうございました。 24期・矢島

|OB・OG会|2020年11月8日更新
毎年2月の第1土曜日に、野球部OB、野球部を応援する同窓生にご参加いただき開催している「多摩高新年会(野球部OB会主催)」ですが、2021年(令和3年)の新年会は新型コロナウイルス感染拡大が収束しない状況を鑑みまして、中止とすることに決定いたしました。
野球部OB会長の交代、多摩高野球部グランドの改修工事の状況など、直接ご報告申し上げたいところですが、別途ご報告していきたいと考えております。
野球部OB会 新旧会長挨拶
また、来春以降、現役野球部の公式戦が観戦可能な状況になりましたら、ぜひ、応援よろしくお願いします。
再来年の開催予定に関しては、詳細が決まり次第こちらのホームページでご案内させていただきます。
野球部OB会事務局長 矢島
※写真は、2020/2/1開催時の集合写真です。
|63期|2020年8月25日更新
1回戦突破して今までずっと応援してくれていた、
これまでの2年半はもちろん楽しいことや嬉しいことも沢山あった
野球部のマネージャーを選んでよかったと強く思った。
これまで野球部に関わり応援してくださった方々には感謝の気持ち
63期マネージャー 仲間綺海


|63期|2020年8月25日更新
野球部を引退した今、
新型コロナウイルスの影響で春季大会は中止になり、
大会初戦は横浜スタジアムで行われた。
ただ、もっと63、64、65期で野球をやりたかったし、
多摩高野球部の2年半で良いことも悪いこともたくさん経験したが
僕のことを指導くださった、先生、コーチの方々、そして、
63期副主将 園原正樹


|63期|2020年8月25日更新
梅雨明けも遅れ、異様な形での開催となった夏の大会。 何よりもこのようなコロナ禍で大会ができたことに感謝しかありま せん。 一刻も早く後輩たちがいつものようにのびのびと野球ができること を祈っております。
高校野球の時間は、 ぼくにとっては何よりも長く感じたものでした。 怒涛のように過ぎてゆくようなものではなく、 むしろ一日一日が地に足をつけて確実にやってくるような、 そんな日々でした。
しかし僕はその時間をどれだけ大切にできたか、 はっきりとした自信は持てません。 1年のころには投手と外野手どちらも経験し、 2年後半からは主将も務めさせていただきました。 当時の自分はすべて自分の力で何とかしようという気持ちが非常に 強かったと思います。しかし、投手としてはストライクが入らず、 思った通りに体が動かなくなってしまいました。 継続的にブルペンに入らず、 自分のフォームの確認を怠っていたことが原因のように思えます。
主将としては、厳しい基準で声をかけれず、 全体でチームの士気をあげれなかったです。 僕にとっては非常に悔いの残る高校野球となってしまいました。
ただ、これほどまでにない教訓を得たということは事実です。 自己分析の大切さ、ただ、 自分を見つめすぎても時には疲れてしまうこと、 行動に移して積極的に試行錯誤をすること。 このような経験はのちに必ずや自分の真なるものになると思います 。
最後に、今まで一緒に野球をしてくれた63期9人、 マネージャー2人。方向性のずれもあったかもしれないけど、 一緒に野球ができて幸せでした。また、 全員で会えることを楽しみにしています。
高校野球の時間は、
最後に、今まで一緒に野球をしてくれた63期9人、
63期主将 市村彪


|OB・OG会|2020年7月26日更新
2020/7/25 神奈川県大会に向けての最終練習試合の前に、野球部OB会幹部が激励にかけつけました。
7/25の練習試合は、2回表雨天終了。
雨天続きで唯一の練習試合となった7/24は、多摩 6-8 追浜。
来週は、期末テスト期間中のため、短時間練習と十分な準備はできない状況ですが、他校も同じ状況でしょう。
野球部OB会幹部から
「毎年恒例でスタンドから応援していました。今年は(無観客のため)見れないのはとても残念ですが、応援しております。周りの人に感謝を忘れず、謙虚に今までやってきたことに自信を持って是非、試合に望んで下さい。」
との言葉が贈られました
さあ、いよいよ!
1回戦 8/1(土) vs横浜栄
@横浜スタジアム 第二試合14:30~
1回戦に勝った場合
2回戦 8/7(金) vs平塚湘風
@平塚球場 J:COMの中継あり
トーナメント表はこちら
無観客試合のため、応援には行けませんが、1回戦、勝って、2回戦 J:COMの中継で応援しましょう!
監督、キャプテンから抱負
練習再開の様子はこちら
選手への応援メッセージ受付中です!
https://www.tamadou.jp/baseball/
※ウェブサイトは、未記入でかまいません。

ホームページ用、白ユニフォームでの集合写真もソーシャルディスタンス!(クリックで拡大)

|OB・OG会|2020年7月11日更新
新会長挨拶
17期 中野宏勝
OB・OGの皆様へ
この度会長となります17期の中野です。
峰野会長の後を受け、OB・OG会の主旨である、OB・
2020年は全てにおいて異例の状況が続いています。
現役の皆さんも目標にしていた甲子園での全国大会が無くなり、
6月下旬から週1~2回1時間程度の練習が再開され、8月には
大会名:令和2年度神奈川県高校野球大会
期 間:8月1日(土曜日)~23日(日曜日)
試 合:トーナメント方式
が開催されることとなりました。(詳細不明)、
OB・OG会の年間計画も今年は大幅に変更となります。
今後もOB・OG会の運営のご協力を重ねてお願い致します。
新会長 中野宏勝の手記はこちらです。
立教大OBとしての大学野球の回顧録―多摩高17期 中野宏勝
退任の挨拶
15期 峰野謙次

皆さまにおかれましてはコロナウィルスの為、大変不自由な生活を強いられておられると察しております。少しずつ元の生活に戻りつつも、まだまだ安心できる状態にはなっておりませんので、これからもお体をご自愛下さい。
さて、この度5期10年務めておりましたOB会会長を退任させて頂く事となりました。OB・OG並びに同窓会の皆様には長いことご協力頂き、誠にありがとうございました。
振り返って見ますと、事務局長時代を含め何と23年間OB会の仕事に携わってまいりました。会長になってから念願だったホームページを立ち上げることが出来た事、新年会を野球部OB会主催で多摩高同窓生も参加出来る様にしたこと、それによって関わり出来なかった数多くの同窓生と知り合えたことは、たくさんの喜びと財産になったと思っております。これからも役員としてはOB会の仕事に協力していく所存ですが、中野新会長のもと皆さまにも今以上のご協力お願いしたいと思っております。
先ずは簡単でありますが退任の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。
|17期|2020年7月1日更新
立教大OBとしての大学野球の回顧録―17期 中野宏勝
1978年(昭和53年)2月の合格発表を受け、40人を超える同期となる新入生が3月~4月に入部した。当時の立教大学は、すべての運動部においてスポーツ推薦が長年廃止され、各部はいずれも低迷が続いていた。硬式野球部も例外ではなく、東京六大学リーグ戦の成績も5位が定位置であった。
昭和53年入部時の部員数は、2年生から4年生合わせても30人に足りず、現役入学した部員も例年の半数以下であった。
その年の新入生は大半が浪人生であり、肩・肘が傷んでいる者や体力がなかなか戻らない者が多くいた。4月を迎えて正式に部員となった1年生は早朝から野球部寮の清掃、グラウンド整備、練習(ほぼ手伝い)、上級生(3・4年生)の世話(洗濯など)、道具磨き、夜の自主練習の手伝いで1日が早く過ぎていき、自分の時間も持てなかった。
入部後すぐに春季リーグ戦が始まったが、「何のために入部してきたのか、縦縞のユニホームを着て神宮球場に立ちたい……」。だが、正直に言って、そんなことは数カ月間は考えられる状況ではなく、少しオーバーな言い方をすれば、辞めずに残っていくのがやっとであった。現に新入生は少しずつ減っていき、7月には13~14人となり、夏練習が始まった数日後に最終的に残ったのは7人(うち1人はマネージャー)だった。
3浪して(ここでは3浪の経緯には触れない)大学に入った私も、いつまで続くのか日々悩んでいたことを覚えている。心強かったのは、夏練習を乗り切って残った同期7人の結束力とその中に多摩高野球部の3つ下(20期)で現役合格し、入部した寺尾洋一(現・座間総合高校監督)の存在であった。この7人とは、毎年欠かさず2月に温泉と酒を楽しんでいる。
昭和52年秋に就任された山本泰郎監督(角館高校出身=故人)は投手出身であったため、野手の守備・打撃・戦略など技術的な面は教わった覚えがない。しかしながら、教育者的手腕は非常に尊敬していた。モットーは「野球部員である前に学生であれ」だった。
私自身は、練習に来られた大先輩の砂押邦信氏(後に国鉄スワローズ監督=故人)から山本監督への助言があり(卒業後に山本監督よりお聞きした)、1年の秋季リーグ戦からベンチ入りした。出場機会にも恵まれ、1年秋に明治大学のエース鹿取義隆(巨人→西武、現:WBSC U15監督を経て巨人軍ゼネラルマネージャー)からの初ヒットを記憶している。
残念ながら在学中に優勝はできなかったが、3年・4年時の4シーズンで2位2回、3位1回と当時の状況を考えれば胸を張れる成績だった。部員も卒業時には60人近くとなり、戦える形が備わっていった。最終学年では主将をさせてもらったが、今思えば、もっともっとやるべきことがあったように思える。
卒業後は明治生命(現:明治安田生命)に就職し、5年間社会人野球を経験した。チームには森泉弘(明治高・明治大出身:現安田学園高校監督)、松本吉啓(桜美林高「1976年夏全国制覇投手」・明治大出身:千葉経済大付属高校監督)、竹内秀夫(松坂高・慶応大出身、後に慶応大学助監督=故人)、前嶋哲夫(銚子商業高「1974年夏全国制覇」・慶応大出身:明治安田生命理事)らタレントがそろっていた。成績も都市対抗ベスト4、スポニチ大会準優勝、日本選手権出場と輝かしいものであった。
一番の宝は、大学や社会人野球を通じて知り合った人との出会いである。直接は存知上げなくても、「立教野球部でした」の一言で野球好きな方、また、少なくとも六大学出身の方とは不自由なく会話が進んでいった。
高校野球を全うして得たものも数多くある。現役の皆さんも是非とも大学で野球を続けられることや、野球に携わる人生を願っています。手島晴幸先輩(11期)、私や寺尾の卒業後も立教大、東京大、早稲田大、慶応大や六大学以外でも野球を続けた多くの多摩高出身者がいる。4年間を大学の野球部で過ごした経験はその後の社会人生活で計り知れない財産となった。
高校卒業後の私の野球人生の一端を紹介しました。今後は多摩高校野球部への恩返しができればと思っている。
1978年(昭和53年)2月の合格発表を受け、40人を超える同期となる新入生が3月~4月に入部した。当時の立教大学は、すべての運動部においてスポーツ推薦が長年廃止され、各部はいずれも低迷が続いていた。硬式野球部も例外ではなく、東京六大学リーグ戦の成績も5位が定位置であった。
昭和53年入部時の部員数は、2年生から4年生合わせても30人に足りず、現役入学した部員も例年の半数以下であった。
その年の新入生は大半が浪人生であり、肩・肘が傷んでいる者や体力がなかなか戻らない者が多くいた。4月を迎えて正式に部員となった1年生は早朝から野球部寮の清掃、グラウンド整備、練習(ほぼ手伝い)、上級生(3・4年生)の世話(洗濯など)、道具磨き、夜の自主練習の手伝いで1日が早く過ぎていき、自分の時間も持てなかった。
入部後すぐに春季リーグ戦が始まったが、「何のために入部してきたのか、縦縞のユニホームを着て神宮球場に立ちたい……」。だが、正直に言って、そんなことは数カ月間は考えられる状況ではなく、少しオーバーな言い方をすれば、辞めずに残っていくのがやっとであった。現に新入生は少しずつ減っていき、7月には13~14人となり、夏練習が始まった数日後に最終的に残ったのは7人(うち1人はマネージャー)だった。
3浪して(ここでは3浪の経緯には触れない)大学に入った私も、いつまで続くのか日々悩んでいたことを覚えている。心強かったのは、夏練習を乗り切って残った同期7人の結束力とその中に多摩高野球部の3つ下(20期)で現役合格し、入部した寺尾洋一(現・座間総合高校監督)の存在であった。この7人とは、毎年欠かさず2月に温泉と酒を楽しんでいる。
昭和52年秋に就任された山本泰郎監督(角館高校出身=故人)は投手出身であったため、野手の守備・打撃・戦略など技術的な面は教わった覚えがない。しかしながら、教育者的手腕は非常に尊敬していた。モットーは「野球部員である前に学生であれ」だった。
私自身は、練習に来られた大先輩の砂押邦信氏(後に国鉄スワローズ監督=故人)から山本監督への助言があり(卒業後に山本監督よりお聞きした)、1年の秋季リーグ戦からベンチ入りした。出場機会にも恵まれ、1年秋に明治大学のエース鹿取義隆(巨人→西武、現:WBSC U15監督を経て巨人軍ゼネラルマネージャー)からの初ヒットを記憶している。
残念ながら在学中に優勝はできなかったが、3年・4年時の4シーズンで2位2回、3位1回と当時の状況を考えれば胸を張れる成績だった。部員も卒業時には60人近くとなり、戦える形が備わっていった。最終学年では主将をさせてもらったが、今思えば、もっともっとやるべきことがあったように思える。
卒業後は明治生命(現:明治安田生命)に就職し、5年間社会人野球を経験した。チームには森泉弘(明治高・明治大出身:現安田学園高校監督)、松本吉啓(桜美林高「1976年夏全国制覇投手」・明治大出身:千葉経済大付属高校監督)、竹内秀夫(松坂高・慶応大出身、後に慶応大学助監督=故人)、前嶋哲夫(銚子商業高「1974年夏全国制覇」・慶応大出身:明治安田生命理事)らタレントがそろっていた。成績も都市対抗ベスト4、スポニチ大会準優勝、日本選手権出場と輝かしいものであった。
一番の宝は、大学や社会人野球を通じて知り合った人との出会いである。直接は存知上げなくても、「立教野球部でした」の一言で野球好きな方、また、少なくとも六大学出身の方とは不自由なく会話が進んでいった。
高校野球を全うして得たものも数多くある。現役の皆さんも是非とも大学で野球を続けられることや、野球に携わる人生を願っています。手島晴幸先輩(11期)、私や寺尾の卒業後も立教大、東京大、早稲田大、慶応大や六大学以外でも野球を続けた多くの多摩高出身者がいる。4年間を大学の野球部で過ごした経験はその後の社会人生活で計り知れない財産となった。
高校卒業後の私の野球人生の一端を紹介しました。今後は多摩高校野球部への恩返しができればと思っている。

|OB・OG会|2020年6月28日更新
野球部OB会の皆様
本年度のOB総会は会長交代という重要議案もあり、開催を模索してまいりましたが、
コロナ禍の非日常的な状況を踏まえ、全ての議案に関して執行部一任とさせていただくこととしました。
以下より、多摩高野球部OB会総会資料をご確認ください。
何卒ご理解・ご了承の程、よろしくお願い致します。 事務局長 24期 矢島
多摩高野球部OB会総会資料 (pdf)
本年度のOB総会は会長交代という重要議案もあり、開催を模索してまいりましたが、
コロナ禍の非日常的な状況を踏まえ、全ての議案に関して執行部一任とさせていただくこととしました。
以下より、多摩高野球部OB会総会資料をご確認ください。
何卒ご理解・ご了承の程、よろしくお願い致します。 事務局長 24期 矢島
多摩高野球部OB会総会資料 (pdf)
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