OB・OG会
|OB・OG会|2020年7月11日更新
新会長挨拶
17期 中野宏勝
OB・OGの皆様へ
この度会長となります17期の中野です。
峰野会長の後を受け、OB・OG会の主旨である、OB・
2020年は全てにおいて異例の状況が続いています。
現役の皆さんも目標にしていた甲子園での全国大会が無くなり、
6月下旬から週1~2回1時間程度の練習が再開され、8月には
大会名:令和2年度神奈川県高校野球大会
期 間:8月1日(土曜日)~23日(日曜日)
試 合:トーナメント方式
が開催されることとなりました。(詳細不明)、
OB・OG会の年間計画も今年は大幅に変更となります。
今後もOB・OG会の運営のご協力を重ねてお願い致します。
新会長 中野宏勝の手記はこちらです。
立教大OBとしての大学野球の回顧録―多摩高17期 中野宏勝
退任の挨拶
15期 峰野謙次

皆さまにおかれましてはコロナウィルスの為、大変不自由な生活を強いられておられると察しております。少しずつ元の生活に戻りつつも、まだまだ安心できる状態にはなっておりませんので、これからもお体をご自愛下さい。
さて、この度5期10年務めておりましたOB会会長を退任させて頂く事となりました。OB・OG並びに同窓会の皆様には長いことご協力頂き、誠にありがとうございました。
振り返って見ますと、事務局長時代を含め何と23年間OB会の仕事に携わってまいりました。会長になってから念願だったホームページを立ち上げることが出来た事、新年会を野球部OB会主催で多摩高同窓生も参加出来る様にしたこと、それによって関わり出来なかった数多くの同窓生と知り合えたことは、たくさんの喜びと財産になったと思っております。これからも役員としてはOB会の仕事に協力していく所存ですが、中野新会長のもと皆さまにも今以上のご協力お願いしたいと思っております。
先ずは簡単でありますが退任の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。
|17期|2020年7月1日更新
1978年(昭和53年)2月の合格発表を受け、40人を超える同期となる新入生が3月~4月に入部した。当時の立教大学は、すべての運動部においてスポーツ推薦が長年廃止され、各部はいずれも低迷が続いていた。硬式野球部も例外ではなく、東京六大学リーグ戦の成績も5位が定位置であった。
昭和53年入部時の部員数は、2年生から4年生合わせても30人に足りず、現役入学した部員も例年の半数以下であった。
その年の新入生は大半が浪人生であり、肩・肘が傷んでいる者や体力がなかなか戻らない者が多くいた。4月を迎えて正式に部員となった1年生は早朝から野球部寮の清掃、グラウンド整備、練習(ほぼ手伝い)、上級生(3・4年生)の世話(洗濯など)、道具磨き、夜の自主練習の手伝いで1日が早く過ぎていき、自分の時間も持てなかった。
入部後すぐに春季リーグ戦が始まったが、「何のために入部してきたのか、縦縞のユニホームを着て神宮球場に立ちたい……」。だが、正直に言って、そんなことは数カ月間は考えられる状況ではなく、少しオーバーな言い方をすれば、辞めずに残っていくのがやっとであった。現に新入生は少しずつ減っていき、7月には13~14人となり、夏練習が始まった数日後に最終的に残ったのは7人(うち1人はマネージャー)だった。
3浪して(ここでは3浪の経緯には触れない)大学に入った私も、いつまで続くのか日々悩んでいたことを覚えている。心強かったのは、夏練習を乗り切って残った同期7人の結束力とその中に多摩高野球部の3つ下(20期)で現役合格し、入部した寺尾洋一(現・座間総合高校監督)の存在であった。この7人とは、毎年欠かさず2月に温泉と酒を楽しんでいる。
昭和52年秋に就任された山本泰郎監督(角館高校出身=故人)は投手出身であったため、野手の守備・打撃・戦略など技術的な面は教わった覚えがない。しかしながら、教育者的手腕は非常に尊敬していた。モットーは「野球部員である前に学生であれ」だった。
私自身は、練習に来られた大先輩の砂押邦信氏(後に国鉄スワローズ監督=故人)から山本監督への助言があり(卒業後に山本監督よりお聞きした)、1年の秋季リーグ戦からベンチ入りした。出場機会にも恵まれ、1年秋に明治大学のエース鹿取義隆(巨人→西武、現:WBSC U15監督を経て巨人軍ゼネラルマネージャー)からの初ヒットを記憶している。
残念ながら在学中に優勝はできなかったが、3年・4年時の4シーズンで2位2回、3位1回と当時の状況を考えれば胸を張れる成績だった。部員も卒業時には60人近くとなり、戦える形が備わっていった。最終学年では主将をさせてもらったが、今思えば、もっともっとやるべきことがあったように思える。
卒業後は明治生命(現:明治安田生命)に就職し、5年間社会人野球を経験した。チームには森泉弘(明治高・明治大出身:現安田学園高校監督)、松本吉啓(桜美林高「1976年夏全国制覇投手」・明治大出身:千葉経済大付属高校監督)、竹内秀夫(松坂高・慶応大出身、後に慶応大学助監督=故人)、前嶋哲夫(銚子商業高「1974年夏全国制覇」・慶応大出身:明治安田生命理事)らタレントがそろっていた。成績も都市対抗ベスト4、スポニチ大会準優勝、日本選手権出場と輝かしいものであった。
一番の宝は、大学や社会人野球を通じて知り合った人との出会いである。直接は存知上げなくても、「立教野球部でした」の一言で野球好きな方、また、少なくとも六大学出身の方とは不自由なく会話が進んでいった。
高校野球を全うして得たものも数多くある。現役の皆さんも是非とも大学で野球を続けられることや、野球に携わる人生を願っています。手島晴幸先輩(11期)、私や寺尾の卒業後も立教大、東京大、早稲田大、慶応大や六大学以外でも野球を続けた多くの多摩高出身者がいる。4年間を大学の野球部で過ごした経験はその後の社会人生活で計り知れない財産となった。
高校卒業後の私の野球人生の一端を紹介しました。今後は多摩高校野球部への恩返しができればと思っている。

|OB・OG会|2020年6月28日更新
本年度のOB総会は会長交代という重要議案もあり、開催を模索してまいりましたが、
コロナ禍の非日常的な状況を踏まえ、全ての議案に関して執行部一任とさせていただくこととしました。
以下より、多摩高野球部OB会総会資料をご確認ください。
何卒ご理解・ご了承の程、よろしくお願い致します。 事務局長 24期 矢島
多摩高野球部OB会総会資料 (pdf)
|OB・OG会|2020年6月23日更新
神奈川高校野球連盟は、県独自の夏の代替大会が行うことになり、多摩高校野球部も出場することが決まりました!
今年のチームは、昨夏の秋大会予選後、春大会中止となり、待ちに待った公式戦が最後の大会となります。
トーナメント表はこちこちら
大会名 令和2年度神奈川県高等学校野球大会
日程 8月1日(土)~23日(日)
※授業の無い日に試合(土日祝日・夏季休暇)
※無観客試合を予定。
部活動の再開は6/29(月)から、
1週目は準備・片付け、
多摩高野球部応援ホームページでは、試合の予定、野球部の様子などをお伝えしていく予定です。
無観客試合なので応援にかけつけることはできませんが、選手への応援メッセージ受付中で!
下記コメント欄にお願いします! ※ウェブサイトは、未記入でかまいません。
|57期|2020年3月8日更新

野球部57期主将 清原氏
多摩高時代は1年夏からメンバー入り。3年時は主将、三塁手、4番として牽引。
学習院大学時代は、2年の春リーグレギュラーとして試合出場。
その後、椎間板ヘルニアが悪化し3年時から学生コーチへ転身。三菱ufjモルガン・スタンレー証券で勤務。
公立高校で甲子園を目指す! -多摩高を選んだ理由
姉が多摩高の卒業生ということで小さい頃から多摩高を意識していた。
私立高校への進学よりも、勉強をする環境が整っている公立高校で甲子園を目指したいと思い多摩高を選んだ。
結果は夏の大会同じ川崎の橘高校に、3-2、10回サヨナラ負けで1回戦敗退。
多摩高野球部同期の仲間に対して
マネージャー3人を含め23人で3年間を過ごしました。
当時はぶつかることも多い同期でしたが、今では半年に1度程度みんなで飲み会をするほど大切な、かけがえのない仲間です。
受験勉強について
受験の志望校は一般入学でも野球部に入部できる大学だけを受験し
大学で硬式野球を続けるつもりは元々ありませんでしたが夏の大会での敗戦きっかけに、その悔しさから野球を続けることを決意しました。
受験戦略、勉強法共に効率を重視しました。
その結果、縁のあった学習院大学へ現役進学することとなりました。
行事の盛んな多摩高での行事との関わり方
正直、私は野球をメインに考えていたため、怪我をしないようにだとか練習時間への支障がないよう範囲で行事へ参加するようにしていま
そんな中でも多摩高の行事は魅力的で一生の思い出になっています
学習院硬式野球部での経験
部員も100人以上、
高校では4番を打っていても大学の野球部では下位打線であったた
そして、怪我をして選手として復帰の見込みが立たなくなった時も、試合に出ていた経験とベンチ外にいた経験をしたのは私しかいないため、
この自分の置かれた環境の中で役割を自ら見つけて全うする力は紛
57期の手記は こちら をご覧ください。
多摩高校野球部ありがとう 57期主将 清原聖也
本当にありがとうございました 57期投手 大江康太
「初打席そして最終打席」 57期 瀬尾真矢
これからも応援よろしくお願いいたします 57期 日高朋紀
一生の誇りになる 57期マネージャー 五十嵐りん
|57期|2020年3月8日更新
57期マネージャー手記
7月12日横浜スタジアム。高校球児の熱いプレーを期待しているかのような青空の中、開会式が行われた。
私たちの夏が始まる、そう実感した。
そして迎える7月13日初戦、橘戦。
みんなの目からは本当に強い気持ちが溢れていた。その気持ちが9回代打での同点に繋がった。一塁でガッツポーズをしている瀬尾、泣いている選手、飛び跳ねて喜んでいる選手、そして監督が私の両肩を強くゆすった、この場面は今でも鮮明に思い出す。このままずっとみんなの野球を見ていたいと思った。
私たちの夏は1日で終わってしまった。しかしその1日は今までに無いほど輝いた。きらきら輝いていた。きっとその姿を見た後輩達に気持ちは伝わった。
私の高校生活の全ては野球部だった。悩んだこともたくさんある。57期はマネージャーにも厳しく接してくれてたくさん成長できた。そんな代のマネージャーができたこと、一生の誇りになる。
支えてくれたたくさんの人のためにも、これからは自分の出来ることを精一杯やる、そしてなにより大好きな多摩高校野球部を応援し続ける。
57期のみんな、本当にありがとう。
なにかに一生懸命取り組んだことのない私の、全てを変えてくれました。
58、59期のみんな迫力のある応援をありがとう。
58期のマネージャー2人は厳しいことも
たくさん言ったけど、ついてきてくれてありがとう。2人なら大丈夫だよ。
これからも多摩高校野球部の応援よろしくお願い致します。
支えてくれた全ての方々に心から感謝しています。ありがとうございました。
多摩高野球部ブログより転載
マネージャーの凄さ!
延長戦に入り、一眼レフカメラをマネージャーに預けて応援に集中した私。
帰宅後、画像確認をしているとこんなショットが。
これ、連写じゃないんですよ。3球目を捉えています。
マネージャーも相手投手の投げるボールを見極め、打つタイミングを無意識に身に付けているのだと思います。
|57期|2020年3月8日更新
明らかに気持ちは次の攻撃に向かっていた。
その矢先、大飛球が自分の頭上を超えて行った。レフトの日詰がフェンスにもたれかかるのを見て周りを確認すると、グランドの皆、ベンチの皆、そしてマネージャーの五十嵐。
全員が下を向き、涙を流していた。
自分は状況が全く読めなかった。
3年の春の大会。
川崎北 麻生 川崎工科
組み合わせが決まった時監督には少し笑われて、簡単ではないと言われた。しかし、自分は必ず勝てるだろうと思っていた。主将にあったにも関わらずその思いは少し慢心であったのかもしれない。結果は予選敗退。川崎工科とは5-20での敗戦。
春の大会以降その川崎工科との試合のショックが大きすぎて、もうこのチームで野球なんかしたくない。
そんな風におもい。練習も身に入らないような日々が続いた。
だが、仲間はそんな自分の様子に気づいてくれた。何人かから言葉をもらって励まされた。
こいつらのために頑張らなくちゃ
そう思ったら前を向けるようになった。
しかし結果、夏の大会も皆を勝たせてあげることはできなかった。
主将としてもっとたくさんできたことがあったのではないかと振り返りはじめると、敗戦の実感が湧いてきた。みんなともう野球ができない。
もう部室で馬鹿やることもない。
そんな全てのことが今の自分の思い出で、今の自分を作っている大切なことだなんて時間が経ってからしか気づけなかった。
高校野球生活本当に多くの人に支えられてきた。
監督、コーチ 57期の皆、
58期59期の後輩達。後輩のみんな本当にありがとう。勝たせてあげれなくてごめん。お前らの夏の勝利心から祈ってるし応援してるよ。
そして高校までの野球人生を考えれば必ずライバルがいた。野球というものを通してたくさんの人と出会った。そんな他校にもライバルがいたから自分はここまでこれた。
自分は上でも野球をやります。
もう一度自分の可能性にかけて、
その他校のライバルに勝ちたいと思っています。
またどこかで清原聖也の名が耳に入るように必ずがんばります。
多摩高校野球部ありがとう。
今の自分があるのは多摩高校野球部のおかげです。
ずっと応援し続けます。
本当沢山の迷惑をおかけしましたがありがとうございました!
多摩高野球部ブログより転載
|57期|2020年3月8日更新
(2014.7.13)
57期手記
あの橘との試合、ショートからスタンドを見たとき心底心が震えました。矢島さんを始めとする後援会のみなさん、そして自分がほんとに嬉しかったのは一般の生徒がたくさん応援にかけつけてくれたことです。多摩高校が世代を越えて1つになれる素晴らしい時間でした。
毎年大きな期待を現役にかけて下さるみなさんのためにも結果を残さなければいけませんでしたが、その点不甲斐なく思っています。もっとあのスタンドと自分たちが一体となって喜びを分かち合いたかったというのが素直な気持ちです。
夏の勝利は後輩たちへ引き継がれたわけですが、自分を始め何人かは大学でも野球を続けていこうと思っています。多摩の誇りを持ってこの悔しさを晴らしていきたいと思っています。
最後に、新チームは人数は少ないもののとてもまとまりのあるいいチームです。まずは直近の秋の大会で県大会で勝てるようにこれからも応援よろしくお願いいたします。
多摩高野球部ブログより転載
|OB・OG会|2020年2月2日更新

2020/2/1 毎年恒例の多摩高新年会(野球部OB会主催)が総勢120名以上の参加者が集まり行われました。
新高3生からの今年の大会にかける決意表明からスタート
続いて、野球部OB会長、監督、関係者の方々か
OB会からは、元プロ野球選手 小林至氏(28期)、「野球監督の仕事」で名監督に選ばれた海老名高校監督 寺尾洋一氏(20期)、神奈川県高野連常務理事 定常氏(26期)、現役大学野球で活躍中の選手からのあいさつがあり、会場は盛り上がりました。
今年は50期~60期の参加者が40人以上になり、若手が増えることは喜ばしいことです。
来年以降、40期代の参加もお待ちしています。
会の〆、恒例の校歌大合唱は23期 鍋島氏のトランペット伴奏が高らかに響く大合唱、エールと続きました。
野球部主催の新年会は毎年2月の第1週土曜日に行われ、野球部OBだけでなく、多摩高野球部を応援する同窓生が多数参加しています。
みんなで母校野球部を応援していきましょう!
多摩高野球部応援ホームページに現役野球部のスケジュールも掲載していきますので、応援よろしくお願いします。
https://www.tamadou.jp/baseball/

撮影:24期写真部 小西氏
|OB・OG会|2019年12月13日更新