OB・OG会
|52期|2019年10月21日更新
秋1回戦 県立相模原
4-1で快勝。矢野が粘り強く投げ、堅実に守り、少ない好機を着実に活かす。新チームの理想の野球を見せてくれた。明日も頼むぞ! 桐光学園グランドより
秋2回戦 吉田島農林
12-4 8回コールド勝ち [バッテリー]矢野-角田 [三塁打]後藤 [二塁打]宮武 飯田 3回戦は13日(土)に行う。会場と時間は今週前半に決まる。神奈川新聞より
秋季大会
1.2回戦で17回239球と粘りの力投をみせる矢野。
2試合とも今までにない
良い緊張感の中
いい流れでの勝利。
選手としても大きな手応えを感じている。
この2試合ででた今までの練習の成果をさらに向上させ、課題を克服し、次の日大戦に臨みたい。
秋の大会を終えて
新チームの秋の公式戦の結果は以下の通り
2008年秋期県大会川崎地区予選 Cブロック
○ 多摩6-4麻生総合
○ 多摩12-5麻生(7回コールド)
× 新城9-1多摩(7回コールド)
2008年秋季県大会
1回戦 ○ 多摩4-1相模原
2回戦 ○ 多摩12-4吉田島農林(8回コールド)
3回戦 × 日大12-1多摩(6回コールド)
3年生中心のチームから試合経験のほとんどない新チームの戦績としては、
予選をクリアし3回戦まで進んだことで、及第点はあげられる。
投手が粘り強く投げ、堅実に守り、少ない好機を着実に活かす多摩高の野球を継承しつつある。
しかし、まだまだ課題は多く、これからの練習で力をつけないと4回戦の壁はやぶれない。
主戦・矢野のストレートは力があり好投手になる可能性が感じられる。
まだ変化球で制球が定まらずカウントを取れないため、置きにいったストレートを打たれてしまう。
走り込み下半身を強化して持ち味のストレートに磨きを掛け、スライダー等の変化球を覚えれば、
大きく化けることができる。
野手は全般的に小粒でまだまだ非力。スイングに力強さなく、肩も弱い。
また、確実に捕球し素早く正確に投げるという守備の基本を徹底的に練習する必要がある。
力をつけるかどうかは、これからの練習次第。
夏に向けて、各自が課題を持って練習に取り組めば確実に力はつくもの。
頑張れ、多摩高野球部!
|52期|2019年10月21日更新
合宿レポート5
今年の合宿も、最高の球場、最高の気候というとても良い環境の中、無事終えることが出来ました。おかげさまで、終わってみて技術的、精神的にもまた一回り大きくなった、と思える合宿とすることが出来ました。また辛く厳しい練習の中や宿舎で寝食を共にすることにより、チームとしての絆が一層深まったとも感じられました。
前日までのハードな練習でボロボロの体ではありましたが、8月1日、2日は茨城県立麻生高校、波崎柳川高校と2試合ずつ試合を行いました。結果は4連敗となりましたが、浦谷新監督からは「新チームとしては120%の出来だ」とのお言葉を頂くような試合もすることが出来ました。しかし、今の多摩高は「勝利」にとことんまでこだわっているチームです。4連敗という現実を厳しく受け止め、秋季大会で1つでも多く勝てるよう、これからも練習して行きたいと思います。
新体制が始まり、多摩高野球部は新しくなろうとしています。ユニホームも今秋からまた一新、多摩の伝統色であると伺ったオレンジを配色したシンプルかつ斬新なデザインに仕上がっています。そんなところにも目を向けて頂きつつ、これからも色々な方面から、OBの皆様方それぞれの形でどうぞ構いませんので、多摩高野球部を応援、支えていただけると嬉しく思います。
多摩高校野球部52期
副主将 角田亘平
合宿レポート4
合宿で1番感じたこと、それは僕たちは非常に恵まれた環境にいるということです。宿舎では豪勢な食事が出るなど何1つ不自由なく生活できましたし、グランドも設備が整っており、プレーに集中することができました。また、指導者の方々が前年度と代わったことで、より新しい、よりレベルアップした内容の練習をこなせたと思います。試合では1勝もあげられなかったですが、手応えはありましたし、新チームの方向性が見えたような気がします。この合宿で得たことを糧にこれからの試合、1戦1戦勝ちにこだわって戦っていきます。
これからも応援よろしくお願いします。
主将:川端 洋祐より
合宿レポート3
合宿最終日は前回の茨城遠征で大敗している波崎柳川高校との練習試合。
1試合目
多摩4-6波崎柳川
矢野が粘りのピッチングを見せ、12安打6失点に抑えるが打線が一歩及ばなかった。
2試合目
波崎柳川27-1多摩
前回の悪夢が蘇る。
近藤(3).原田(2).佐藤(1).河本(3)の投手陣が柳川打線に捕まり、コントロールも定まらず、3時間にも及ぶ試合となった。
4試合の中で勝ち星をあげる事は出来なかったが、充実した5日間となった。
合宿リポート2
合宿4日目の今日は麻生(あそう)高校との練習試合に臨んだ。
1試合目
多摩3-4×麻生
2試合目
麻生6-2多摩
2敗となってしまったがいままでの合宿の成果の出たプレーが見え、次に繋がるいい試合内容となった。
疲労が溜まっている中明日が合宿最終日。
悔いの残らない自分らしいプレーをして、合宿5日間を乗り切りたい。
新チーム始動(合宿レポート)

浦谷新監督のもと、主将:川端 洋祐、副主将:角田 亘平、部長:原田 祥吾の体制で
新チームが本格的に練習を開始した。
7/29~8/2までの夏合宿で、新チームの基礎をつくるべく練習に励んでいる。
(合宿リポート① byマネジャー)
茨城の清々しい風を受けながら、広い海浜球場での3日間の激練をこなしている。
練習内容としては、行き帰りの2kmの走り、アップに塁間30本ダッシュ、ボール回しを含めたものとなっている。
午前中は特守を絡めた守備練習が中心となり、午後はスローボールマシンやピッチャーをつけた打撃練習中心となっている。
|51期|2019年10月21日更新
51期マネージャー手記 「生活の中心」
私にとって高校野球は生活の中心でした。
毎日学校へいく楽しみは部活で、部活の時間が待ち遠しくてたまりませんでした。
1年生のころ、マネージャーの先輩にスコアの付け方を教わったことをいまでもよく覚えています!
スコアなどみたことのなかった私には全てが初めてでした。
しかしそんなスコアも今は自分で書けるようになりました。
51期は本当にすばらしい代です!!
思い出すときりがないほど彼らとの思い出があります…3年間彼らの頑張りを見てきました。
普段の練習だけでなく夜遅くまで残って自主練をしているみんなの姿も見てきました。
ホントにみんな努力家で野球への思いはどの学校の選手にも負けていなかったと思います。
ケガで苦しい思いをした選手、なかなか結果が出ずに悩んだ選手…全員が様々な悩みを抱えて3年間をすごしたと思います。
彼らのいろんな姿を見て来たから、今回の夏2回の勝利が本当に嬉しかったです!!
全員で暑い日も冬の本当に寒い日も毎日毎日辛い練習を乗り越えてきました。
その頑張りが勝利に結び付いたんだと感じていました。
大会前,何度も練習後に校歌♪を歌いました!!
今回全員で笑顔で校歌が歌えて本当に嬉しかったです!!
3回戦の日の空を私は忘れません!!
9回裏最後まで多摩の勝利を信じました!!
苦しい場面では絶対下を向かないと決め、お守りを握りながら等々力の空を見上げて深呼吸しました。
今でもその空が鮮明に浮かびます。
3アウトのコールを聞いた瞬間負けた、終わったという実感がありませんでした。
今でもまだ野球をしないということを自分で理解していないような気がします…
この51期18人で高校野球が出来たことを本当に幸せに思います。
18人で過ごしてきた1日1日が宝物です。
多摩51期マネージャーになれたことが本当に本当に幸せでした。
51期のみんなお疲れ様。
応援してくださった保護者の方,OBの方,近所の方3年間ありがとうございました。
|3期|2019年10月21日更新
7/20(日)綾瀬との3回戦、等々力の多摩高応援席は立ち見が出るほどの人で埋まった。
試合が終了しても帰る人はほとんどいない。
皆、球場の外で監督・選手に労いの言葉を掛けようと残っていた。
泣きながら出て来た選手達を暖かい拍手が癒やす。
勇退を決めた田中監督がOBにも選手にも胴上げされ宙に舞う。
炎天下の中、等々力球場の周りには爽やかな風が吹いていた。
力の差はあった。さすがは向上を倒したチームだけのことはある。
守備が乱れ打線は繋がらずいつも多摩高野球はなりをひそめた。
孤軍力投する滝沢の援護を最後までできずに試合は終わった。
3回戦以降勝ち抜くのに足りないものをいやというほど教えられた。
1・2年生よ、この悔しさを忘れるな。
3年生達を凌ぐには何が必要かを考え新しいチームをつくっていこう。
3年生よ、精一杯よく頑張った。
高い意識・厳しい練習から生まれた君達17名を中心とする全員野球は本物で、皆から愛される素晴らしいチームだった。
田中監督、お疲れさまでした。
長い間、本当にありがとうございました。
粘り強い守りの田中野球は多摩高のDNAとして受け継がれていきます。
多摩高野球部は、新たな一歩を踏み出す。
|51期|2019年10月21日更新
勝ち! 2回戦サレジオ
浅野に逆転サヨナラ勝ちした多摩は2回戦でサレジオとあたった。春にはコールド勝ちしている相手だが、やはり夏は簡単に勝たせてくれない。5回まで3-2の接戦。6回、7回に上野のタイムリー等で5点をあげ試合を決めたかに思われたが4点を返され8-6。さらに9回裏1点を追加され、8-7でなんとか勝った。次は向上を破った綾瀬。浅野戦9回裏の気迫で戦え! 3回戦は7/20(日)11:00から等々力球場にて。
|51期|2019年10月21日更新
簡単に勝てないことはわかっていた。このところ多摩高は「夏の魔物」にとり憑かれているから・・・。
試合は多摩ペースで進んだ。漁野、森田のタイムリーで先制。
1点を返されるも再び森田の2点タイムリーで4-1とリード。
8回のピンチも滝沢が粘り強く1点で切り抜ける。
魔物は去ったと思った最終回、好投を続けていた滝沢が連打を浴び畠山にスイッチ。
満塁からワイルドピッチと犠牲フライで3点を奪われまさかの逆転。
今年もやはり「夏の魔物」にやられるのかと思いかけた9回裏、このチームは違った。
1点を返し同点とし、満塁の場面で逆転を許した畠山が右前へ気迫のサヨナラ打。
スタンドに挨拶に来た田中監督の目は真っ赤に染まっていた。
魔物を退治したのは、選手達の絶対に勝つという気迫だった。
監督最後の夏に負けられないという想いだった。
このチームはやってくれる。これからの熱い夏を予感させる戦いだった。
2回戦:7/17(木)14:30~相模原球場 対サレジオ
3回戦:7/20(日)11:00~等々力球場 対綾瀬
|51期|2019年10月21日更新
いざ決戦!「チーム紹介」
【投】:昨年からの経験豊富な滝沢は四死球少なく安定したマウンドさばきを見せる。救援の畠山は変化球が巧みで、闘志を全面に押し出す。捕手森田はリードと強肩で投手のみならずチーム全体からの信頼が厚い。【攻・守】:打線も滝沢、森田が中心。長打の1番番場、バット操作が光る小役丸と切れ目がない。小又、漁野の打球は鋭い。遊撃只隈は機敏な動きが光り、一塁河本は182cmの長身を生かす。左翼上野は1年生からの主力だ。【ここに注目】:堅実な守り、粘りのある攻撃、全力での走塁がモットー。意識の高まりでチーム内競争はかなり激しく、主将森田を中心に全員野球で挑む。
多摩高野球部ブログより転載
|OB・OG会|2019年10月21日更新
【編集後記】
▽今年(2017年=平成29年)の夏の神奈川大会に出場した多摩高野球部の3年生諸君が高校の60期生ということで、60周年という記念の年の刊行を目指して4年がかりで取り組んできた野球部の部史がようやく完成。
こうして関係者のお手元に届けることができ、肩の荷を下ろした気持ちだ。今回の部史は多摩高開校の1956年(昭和31年)入学の1期生から、1975年(昭和50年)入学の20期生のチームまでを扱っており、1期から60期のすべての期間を網羅したものではないことをお断りしておく。
▽多くの野球部OBの方々に貴重な寄稿を仰いだとはいえ、編集などの作業が個人の仕事となったため、60年間という極めて長い歳月のすべてをカバーすることができなかったという事情による。また、昭和30年代に高校生活を送った野球部草創期の先輩諸氏の多くがすでに、社会の第一線から退かれた高齢世代となっていることも、まずは部史の先行編集・早期刊行に取り組んだ理由だ。ぜひとも事情をご賢察の上、ご寛恕たまわりたい。
▽さて、多摩高14期生である編集子のほぼ一回り上の世代の先輩諸氏から、現役当時に一緒にプレーをした同世代のOB諸兄、さらには20期までの後輩OB諸兄のさまざまな部活体験を読ませていただいての感想は、高校野球というスポーツを通じ、厳しい練習の日々や仲間との絆の深まりなど、10代後半のかけがえのない「時間と空間の共有」に対する感謝の気持ちを改めて確認できたことだ。
▽野球部同期との仲間でも最長2年半足らず、1年先輩と1年後輩に当たるチームメートでは1年半、3年生と新入部員ではわずか4カ月に満たない野球部生活だったにもかかわらず、OB会の活動などを通じて高校卒業後の付き合いが長く続くのか。功罪はあろうが、一心不乱に白球を追うという日々の部活動の密度の濃さゆえに培われたチームワークのなせる技ではなかろうか。いつの日か、21期以降の多摩高野球部チームの貴重な体験が語り継がれていくことを希望し、筆を擱きたい。(伊藤)

|OB・OG会|2019年10月21日更新
やや旧聞で恐縮だが、2017年春の選抜高校野球大会では部員数の少ない東北地方の出場校の女子マネージャーが試合前の守備練習への補助要員としての参加を高校野球連盟から初めて許可され、甲子園球場のホームベース付近でノックする監督にボールを手渡ししている光景が大きく報道された。50年近く前の元高校球児の一人として、時代の変化に深い感慨を覚える。
というのは、筆者の母校である神奈川県の公立高校の野球部も長く、慢性的な部員不足に悩まされ、試合前の守備練習などでは「猫の手」ならぬ女子マネージャーの助けを借りたいと思ったことが幾度となくあったからだ。もちろん、当時所属していた硬式野球部には何人かの女子マネージャーがいたが、その仕事は試合経過を記録するスコアブックを付けたり、乱雑極まる部室の整理整頓、試合時の後方支援(レモンのスライスや飲み水の手配)などに限られ、危険なボールが飛び交うグラウンドに出てくることはなかった。正確に言えば、禁止されていたからである。
他の運動競技の事情はよく知らないが、硬いボールである硬球を使う高校野球の練習で女子マネージャーの出番がなかったのは、「やはり危険だ」という理由が大きかったのは間違いない。高校の野球部時代、監督や先輩からまず厳しく注意されたのは練習や試合の時にボールから絶対に目を離してはならないということだった。特に練習時のグラウンドでは、バッティング練習の鋭い打球や選手が投げる送球のボールがあちこちで飛び交うことも多く、頭部など当たり所が悪ければ、生命の危険もある。野球部の1年先輩で、投手だったFさんは守備練習中の送球が頭部を直撃したため、脳波に異常を来し、退部に追い込まれた。後ろ向きで他の選手が投げたボールに気がつかなかったための不幸なアクシデントだった。
高校野球の聖地・甲子園球場の全国大会での試合前練習に女子マネージャーの参加がようやく認められたのも、さまざまなスポーツ競技に女性が進出してきた大きな流れの中の一こまなのだろう。今では当たり前の女子マラソンや女子サッカーも30年ほど前までは日本では解禁されていなかったのであり、現在から見れば、女性の運動力を侮っていたとしか思えない。
すでに社会人の長女はどちらかと言えば運動は苦手のタイプだが、大学生のときに何を思ったか、弱小の陸上部のマネージャーを買って出て、100メートル走や中距離走、砲丸投げなどの男子部員の練習に付き合っていた。硬式野球とは違って、危険度は小さいが、弱小な部で部員も少ないとあって、練習の際に選手の記録を測ったり、走り方をビデオに撮ったりと、本人は後に、「いろいろと部員の役に立つことが多く、卒業時に大いに感謝された」と話していた。縁の下の力持ちのような存在の女子マネージャーだが、選手だけでなく、マネージャー自身も活動の中からさまざまなことを学ぶことができる。試合や競技にとって重要なチームワークづくりの潤滑油として、男女問わず、マネージャーの存在は貴重だ。(T・I)

|14期|2019年10月21日更新
最近、ラジオの教養番組で明治の文豪・夏目漱石の著名な作品の読み方についてある著名な国際政治学者の講話を聴いた。東京帝国大学(東大の前身)で英文学を講じ、後に政府派遣の研究者で英国に留学し、帰国後は自らの意思で新聞社の文芸記者として連載小説を書くようになった漱石だが、このK先生の漱石作品の読解のキーワードは「明治時代の近代化に伴う不安の由来」「自己本位の重要性」「男同士の友情の大切さ」「生きた証を残す相続の意味」といったことだった。
突然、このような講話のエッセンスを紹介しても、読者の皆さんの理解が難しいのは十分承知しつつ、文学者ではないK先生の講話で、「坊ちゃん」「こころ」「三四郎」「それから」といった漱石作品を愛読してきた筆者とは全く違う視点が提示されていて、大いに参考になった。ここでは、人が生きる上で他者との出会いがいかに重要かという視点に絞って、人生での人との出会いの面白さについて、最近経験した身の回りの出来事3話を順次紹介していきたい。
筆者の高校野球部の10期下の岩本君(51歳)は現役当時、チームの主将も務めた好漢である。同君の父上が母校の物理教諭を20年以上にわたり務め、いわゆる名物教師だったことは高校の同窓に広く知られているが、最近、高校のある地元・川崎の町で開かれた野球部OB会に彼も久しぶりに出席し、70代前後の野球部草創時の諸先輩の間でたちまちにして寵児になってしまった。
それというのも、後輩の岩本君の容貌が、筆者を含む諸先輩にとって、若き日の先生とここまで似るものかというくらい「瓜二つの親子」に映り、驚きの声がしばらく収まらなかったのである。恩師の岩本先生はいつも白衣姿の理科教師然としていたが、なぜか他のクラブ活動の顧問もしながら、野球部部長を長く務めておられた。というわけで、物理がほとんど苦手な野球部の先輩たちも、悲惨な中間・期末試験の点数に下駄をはかせてもらい、辛うじて落第点の「赤点」を免れた経験を共有しているのだが、練習が厳しい野球部の活動を陰ながら応援してくれた先生に対する尊敬の念は卒業後も消えることはない。
そうしたところに、野球部OB会に久しぶりに登場したのが恩師の長男で、どういう理由によるものか、自分の父が教師を務め、部長をしていた高校の野球部に入り、主将までやった恩師の子供に遭遇したというわけである。高齢の諸先輩から岩本君に投げ掛けられる質問の端々には、瓜二つの容姿に対する驚きが混じっていたが、豪放磊落だった先生とは対照的に、息子は温厚な性格で、その違いは誰の目にも明らかだった。しかし、後輩の岩本君が、今年82歳となった父親を心の底から敬愛する諸先輩方のぶしつけな発言を快く受け止め、八ヶ岳に母と住む父親に「この日の出来事を伝えます」と答えていた。物理教師にとどまらなかった岩本先生の記憶が教え子から消え去ることはなさそうである。漱石が重視した「生きた証の相続」が行われていると思った。(T・I)
