OB・OG会
|51期|2019年12月8日更新
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多摩高校(以下、多摩高)野球部51期主将 森田氏 |
多摩高時代は、1年の夏からレギュラーとして出場し、3年時は主将・キャッチャーとしてチームを牽引。慶應義塾大学体育会硬式野球部(以下、慶大野球部)を目指し、慶應義塾大学(以下、慶大)に現役合格。慶大野球部では、選手として神宮出場は叶わなかったものの、3年生から学生コーチとしてチーム運営に従事。最終学年は、春は一軍帯同コーチ、秋は二軍・新人監督としてチームを大いに支えた。卒業後は、丸紅に勤務。
多摩高で勉強も野球も頑張ると決意した日
高校進学の際、
多摩高に進学が決まった後、
強豪校「横浜隼人」を相手に9-10の惜敗、多摩高側が5本のホ
多摩高野球部51期の仲間
51期は、マネージャーを含む18名が野球部に所属していました
51期マネージャー手記 「生活の中心」
https://www.tamadou.jp/baseball/1407/
卒業してからも会うことが多いメンバーですが、卒業して10年が
これからも笑いあい、励ましあい、
慶大野球部への道
大学の最高峰でプレーすることを目指し、
高校2年生からは、上述のモチベーションが生まれたため、
ただ、慶大一筋に変わりなく、1本に絞り、
「二兎を追う者は一兎をも得ず」という言葉は嫌い
多摩高は、部活動に加えて、行事も盛んな学校です。
私は、野球部の主将に加えて、体育祭では夏組の団長(
当時も、折角の人生なので、
部活動や行事は、受験勉強の妨げになるということで、
今、
慶大野球部での経験
大学の非常に高いレベルの野球に触れたり、
特に「井の中の蛙大海を知らず」とは、
2年生の時までに良い成績が残せなかった私は、”
今までそれなりに上手いと思っていた野球が下手なんだという事実
ただ、選手としては結果は残せませんでしたが、最終学年では、
今回の早慶戦(2019/11/2)観戦について
現在、総合商社の丸紅に就職して、社会人7年目の終盤に差し掛か
今回は、
多摩高への入学、野球部への入部を考えている後輩達、
|OB・OG会|2019年11月28日更新
久しぶりの母校訪問に在学当時の思い出を「小林至オフィシャルブログ」にコメントされていますので、こちらにシェアさせていただきます。
ここから—
2019.11.14、母校(神奈川県立多摩高校)で、出前授業を行いました。OBの大学教員による模擬講義という趣旨です。宿河原駅から高校までの道を歩いたのも、敷地内に入るのは、本当に久しぶり。もしかしたら、大学生のときに練習の手伝いに行って以来かも。
模擬講義、座談会、懇親会と参加しながら、当時を懐かしく思い出しました・・・
規則で縛ることのない自由な校風でした。制服はあるけど、着ないでもよし。授業はあるけれども、出ないでもよし。受験のための勉強したければ、予備校か塾にいきなさいというのが基本姿勢。学生にとっても、教員にとっても、楽園のようなところだったのだと思います。振り返るとなおさら、そう思います。
いまの学生は、制服もその下のシャツも、校則通りで、カリキュラムも受験を意識して、その対策の充実を打ち出したもので、大きく変化していました。父母の、子供への関心も高く、わたしが在籍していた頃のような、馬なり、気ままな学校運営はムリだそうな。時代ですね。
昔が良かったというわけではありません。自由な校風と対照的に、県立の進学校とは思えない、部活動の厳しさ・・・・特に先輩後輩の厳しさとしごきは、いまは、先輩、後輩ともOB会など会う機会があれば、酒を酌み交わし、当時を思い出しての笑い話に昇華していますが、当時は、つらくてつらくて、野球部やめよう、でも、野球やりたいし、と毎日、憂鬱だったことを覚えています。
練習は年末年始を除いて毎日。特に1年のころは、朝は7:00に集合して、1時間半もの間、グラウンド整備と先輩の練習の手伝い、授業中は、先輩のグローブ 、スパイク磨きに、ボール縫い、ボール磨き、弁当、睡眠、そして昼休みの練習の手伝い・・・放課後は、チャイムと同時に教室を飛び出る必要あり。そこで遅れれば鉄拳制裁も含む、しごきあり。ボールがイレギュラーバウンドすれば、またしごき。機嫌を損ねたらまたしごき。そんな理不尽に悔しい思いをし、自分は絶対にそうはならないぞ、と心に誓いつつも、上級生になったとき、後輩にその理不尽を強いていなかったかというと、要反省というのが正直なところです。
多摩高だけでなく、また野球部だけでなく、多くの運動部がそうだった時代。もちろん、みんながそうだから、時代だから、それで仕方がない、ということではなく、こういうのはなくなったほうがいい。いまは、そんな先輩・後輩の壁やしごきはまったくない、と現役野球部の後輩たち。プロに多数、輩出しているような野球名門校でも、昔のような、しごきを含む先輩後輩の理不尽はほとんどなくなっています。人間は進化していますね。
ここまで—
最後に、多摩高野球部応援ホームページの立ち上げ、運営に感謝いたします。
野球部OB会として、現役生へのさらなる支援の第一歩だと思います。
|39期|2019年11月22日更新
2年生に大学教授による講義が行われた11月14日、1年生は「大学・研究所・民間企業・官公庁など」11カ所から希望の場所を訪問し、知的好奇心を換起するとともに自らの将来像を探求するための契機とする「知の探訪」活動を行いました。 ここでも卒業生(厚生労働省勤務およびJAXA勤務)が学校に協力させていただきました。
以下、39期 山田大輔(厚生労働省勤務)からのレポートです。
令和元年11月14日県立多摩高校1年生の職場見学授業「知の探訪」にて、厚生労働省見学を希望した22人が訪問してくれました。
会議室では最初に、生徒一人一人から厚労省を訪問した理由について聞いてみると「中央官庁に興味がある」「生活に密着した仕事をしているが、具体的にどのようなことをしているのか知りたい」など話がありました。
まずは広報担当者より、「揺りかごから墓場まで」幅広い業務を行う厚生労働省の仕事内容について一通りの説明を行い、その後、生徒からの質問(「厚労省職員になるのは大変なのか」「どんな人が国家公務員に向いているのか」「おすすめの本は何か」など、予め送付されていた25問)に分かりやすく回答しました。
私からは、これまで経験してきた具体的なエピソードや自身の掲載された新聞記事などを交えて国家公務員の仕事のやりがいや面白さについて熱を込めて話をしました。
最後に、実際に18階にある私の仕事場まで足を運んでもらい、日常的な職場の雰囲気を味わってもらいました。生徒代表からは「お堅いイメージもあったが、とても楽しそうな雰囲気で仕事をしていた」という感想をもらいました。
39期 山田大輔(厚生労働省勤務) 多摩高同窓会副会長、野球部、秋組団長



|62期|2019年11月15日更新
@next_tn9 より転載させていただきました記事です。
高校野球出場校紹介【県立多摩高校】 「積極的で丁寧な打撃で打ち勝つ」という梅木隆弘主将。3年生を中心に得点力のある打線でベスト16を目指す。初戦相手は同じく多摩区の生田東。「まずは一勝」と力を込める。

結果は、生田東 14-3 多摩(7回コールド)でした。
|63期|2019年11月3日更新
早慶戦観戦 多摩高63期
2019/11/2 東京六大学野球、早慶戦を観戦しました。
多摩高1、2年生、OB会から東京六大学野球経験者、17期 中野(立教_主将)、51期 森田(慶應)も同行しました。
現役選手は、試合中にメモを取るなど熱心に観戦していました。
卒業後も大学野球で活躍してくれることを楽しみにしています。
試合は、森田の母校 慶大野球部が郡司選手の2打席連続本塁打を放つ活躍で3季ぶり37回目の優勝を決めました。
2019秋季リーグ戦 慶大優勝(3季ぶり37回目)
51期 森田(慶大野球部)の手記は、こちら
17期 中野(立教_主将)の手記は、こちら です。是非、ご覧ください。


多摩高51期 森田(多摩高→慶応義塾大学)


番外編 差し入れのお弁当
|OB・OG会|2019年11月1日更新
■議題
①現役支援品の先行贈呈について
・例年6月に贈呈している支援品の早期贈呈
②来年度新年会(2020年2月1日)に関して
③ホームページ等SNSに関して
詳細は、事務局 矢島まで

|ニュース|2019年10月30日更新
このホームページは、目指せ甲子園!をスローガンに、多摩高校野球部現役の応援とOB交流のために開設しました。
https://www.tamadou.jp/baseball/
また、多摩高への入学、野球部への入部を検討中の中学生の皆さん、保護者の皆さんに情報提供させていただきたいと考えております。
ぜひ、お問い合わせからご連絡ください。お待ちしています。
関係者のみなさま
記事、掲載内容は、徐々に増やしていきますので、お待ちください。
写真などもご提供いただけると助かります。
よろしくおねがいします。

|OB紹介(手記) 目次|2019年10月27日更新
『白球追った青春の日々―狙え! 甲子園』
神奈川県立多摩高等学校野球部OB会
【目次】
神奈川県立多摩高校野球部 部史 (創部60周年記念事業)より転載

|24期|2019年10月27日更新
「3対2、横浜商工!」
試合終了の挨拶をかわすや否や、3年生は言うまでもなく、1・2
昭和55年7月15日、秦野球場での夏の大会。
よもやの1回戦敗退の屈辱は、1・2年生の誰もが忘れられぬもの
‥‥‥‥‥‥‥
24期岩本雄一を主将に据えた新チームは、3期・田中輝夫新監督
雪辱に燃える新チームが、短期間で力をつけているのは誰の目から
秋の川崎地区予選をなんなく3戦全勝で突破し、県大会へと駒を進
【地区予選結果】
・7‐4 百合ヶ丘
・6‐0 橘
・9‐0 柿生西
県大会では、津久井戦を皮切りに、好投手・中川(後にドラフト3
結果、本校では初の秋の大会ベスト4という記録を残すこととなっ
【秋県大会結果】
◆1回戦
津久井 000 000 000|0
多摩高 220 300 01x|8
多摩は初回から全く津久井を寄せつけず快勝。斎藤は5死四球を出
◆2回戦
多摩 002 001 001 2|6
向上 000 120 100 0|4
向上は、夏に全国制覇した横浜を4安打3失点に抑えた豪腕中川が
◆3回戦
多摩高 000 200 001|3
上溝南 000 000 000|0
連投の斎藤は前日の疲れと、3回に受けたピッチャーライターの右
◆準々決勝
多摩高 012 300 000|6
横須工 000 001 000|1
守備力の差がそのまま得点差に表れた試合。3回までに多摩は敵失
◆準決勝
多摩高 112 000 000|4
日藤沢 132 101 34x|15
連投の斎藤には疲れが見られ、救援の平田も本来の力が出ず、強打
多摩も3回、菊本の二塁打等で同点に追いつくが、試合になったの
‥‥‥‥‥‥‥
「何だこの惨めな試合は! 負けるにも負け方があるだろう!」
試合後、田中監督の声がロッカールームに響いた。
不甲斐ない惨敗に悔しさと怒りで顔を紅潮させる田中監督の姿に、
関東大会、いや、その先の春の選抜に繋がる大事な試合を、一番強
ここでまた、チームは反省を胸に秘め、一丸となって新たなスター
さて、BクラスからAクラスの下に入りかけた我が多摩高野球部は
マネジャー 野村 由紀
※本文は1981年3月1日発行の図書館雑誌第11号に掲載され
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24期チームは、翌年夏の大会で第3シードを勝ち取る。4回戦で
無論、いい加減な試合などは決してなかった。
